「十五年以上の延滞……ゼペット・ラグナイト、ね」
学園の図書委員から手渡されたIDカードに記された記載に、らしいと言えばらしいな、とニコレットは笑った。
「そんなに破天荒な方だったのですか?」
「そうだねえ、私も小さい頃に世話になったくらいだからあやふやだけど、それにしても彼の破天荒っぷりは忘れられそうにない。機械の羽を背負って崖から飛び降りてみたり……」
「うわぁ……」
ハンペンが、小さな声で「エマ博士もなかなかだけど、そのお師匠もまた……」と言って、肩を竦める。
「でも、このカードの住所って、あそこじゃないかな? オカリナがあった廃屋の」
「ああ、あそこか! なんであんな廃屋にと思ったが、色々納得だな」
「どういうこと?」
「ニコと合流する前に、巨人のオカリナを拾った廃屋があったのです。誰の家なのだろうと思いましたが、ゼペットおじいさんの家だったのですね」
ニコレットは、へえ、と興味深そうに頷く。
「とにかく、所在は分かったんだ。行ってみようぜ」
ザックの言葉に一行は頷き、はやる気持ちを背負いながら、ファルガイアを往く。
忘れられた廃屋は、森の中にひっそりと佇む元は二階建てだったのであろう建物で、何が起こったのか、二階部分は倒壊して埋もれていた。庭は雑草で覆われ、木の柵はところどころ壊れ、排他的であるのにも関わらず、どこか懐かしいような暖かな気持ちにさせられる。
廃屋に踏み入ると、木目の床から舞い上がった埃が差し込む光を受けて、きらきらと輝いていた。温かみのある造りではあるものの、ところどころにある謎めいた機械や絡繰が、かつて住んでいた住人の趣や拘りを感じる。
ニコレットは、階段下の壁をコンコンと叩き、明らかに他と音が違うことを聴き比べた。それから壁を『見』、壁に繋がる配線を辿り、壁に埋め込まれた金庫のような機械に、IDカードを差し込む。階段下の隠し扉は独りでに開き、地下へ続く長い階段があった。
「如何にもって雰囲気だ」
カンテラを提げ、壁を照らしながら階段を降りていく。直に高い本棚が立ち並び、中央に機械でできたカプセルが置かれた空間に辿り着く。ここから別の場所に行ける様子はない。
手分けして本棚を見て回る。絶版になった神話についての本やいつ書かれたのかさえ分からない古い本が並び、ハンペンの「こんな状況じゃなければじっくり読みたいんだけどなあ」という言葉が地下室に反響した。
「……あッ! 見つけました、『デ・レ・メタリカ』です!」
「でかした、姫さんッ!」
一冊の古い無骨な魔導書を、机の上に置く。ページを開いてみるも、意味のわからない文言が細かな文字で羅列する、長い暗号といった印象の本だ。ページを一枚一枚捲っていくも、どの部分も同じような構成で、挿絵すらひとつもない。
────だが、やがてセシリアの手が触れるよりも前に、独りでにページが捲られた。断続的に捲られるそれはスピードを早めていき、どこからか風を巻き起こす。『デ・レ・メタリカ』は机からふわりと浮き、そしてひとつの単語を指し示すように、捲られるページの音を止めた。
そこには禁忌とされた力の有様が記されている。
そして、一行の意識は遠のくように薄れ、はっと再覚醒した時、地下室の様相は様変わりし、美しくも神秘的な神殿のようでいて、不気味な空気が漂う、知らない世界にいた。
「ここは……あの本の中かな?」
ハンペンが辺りを見渡した。言葉にするには名状しがたい空間は、螺旋のように道が拡がっているが、それら全ては宙に浮いて独立しており、何が本物で何が偽物なのかわからない。
「謎解きと幻惑と迷路。だいたいそんな感じだろうね」
「人をおちょくるのが趣味みてえな場所だな」
「まあ、幻惑についてはそれなりに『目』でカバーできる。相性が悪いということもない」
「無茶しないでね?」
勿論、と頷く。守護獣と会うために先へ進む。幻覚や幻惑に関してはニコレットの『目』が大いに役立ち、知恵の必要な場所はハンペンとセシリアが頭を捻らせながら進んだ。力仕事の必要そうな箇所はザックの担当だ。
しかし、ニコレットの『目』はうまく調子が出なかった。使用こそ問題ないものの、どこか軋むような違和感が拭えない。その違和感は拭いきれることはないまま、最奥にて現れた魔の守護獣は、セシリアの持つ涙のかけらと呼応し、ミーディアムの眩い光に照らされた時、廃屋の地下室へと戻っていた。
「けっこうあっさりだったね」
「そりゃあな。知識担当と何でも見れる千里眼持ちじゃ、あんなダンジョンちょちょいのチョイだ」
「ザックは足が長いことと力仕事しか取り柄がないもんね? 他は全部人任せで───」
「なにおう、そっちこそ足の長い俺がいなかったらどうなってたことか───」
問答の後ろで、ごとり、とギターケースが落ちる音がした。先を歩いていた面々は振り返る。ニコレットは、廃屋の出口の一歩手前で立ち止まっていた。
ニコレットはギターケースを取り落とし、自分の指先を見た。手袋のない手はどす黒い紫色をした、血の通っていない色をしていた。
おかしい。
ニコレットは顔を上げて、サングラスを外した。光が眩く目を突き刺す。それでも、何色をも隔てない彼らの顔を、せめて最期に見たかった。
「セシリア。ザック、ハンペン。すまない、ロディを頼むよ」
ごぼり。
直後にニコレットが血を吐き出した。ぼたぼたと地に落ちて、吐けども吐けどもせりあがるそれに大きくよろめき、ニコレットは地面に両手をついた。
じきに吐き出すだけに留まらず、穴という穴から赤色の液体が止めどなく流れ落ちていく。命が終わっていく音がする。セシリアの悲鳴が森を劈いた。
駆け寄ったザックがニコレットの肩を抱き上げる。
「セシリア! 回復魔法だよ、早くッ!!」
「やって───やっているんですッ!! どうして、中で寸断されてるみたいに、効かないんです……ッ!!」
「───ネクタールだッ! そいつを食わせろッ! 自己回復能力が落ちてるんだ、クソッ、なにが……何が起こってやがる……ッ!?」
引き摺るようにしてエルゥ界に舞い戻り、何か頼れる手立てはないかとエルゥ達に聞いて回った。ニコレットの目を見た老が一言、思い当たる節があるかのように言う。
「こやつ、『目』の者か。まさか千年を隔てようとも、種を繋いでおったとは……」
セシリア達の応急手当と、エルゥ達に分け与えられた薬草と医療でもって、どうにか一命を取り留めた。しかし老は、これ以上はどうにもならん、と首を横に振る。
「どういうことだよッ? あんたなんか知ってんのかッ!?」
「『目』は、人間をベースに作られた遺伝子改良種だ。協調性を重んじる社会性、長期間極限状態にあっても精神を病むことが少ない鈍感さと、ある程度のARMへの適応能力、何よりも量産が手軽であり、一時期は万を超える軍勢がいたものだ。技量や実力に関しては、各個体の練習量や才能に依存するという欠点はあったが……」
「それって………」
「……大戦時にヒトとエルゥの犯した、過ちのひとつだ。ホムンクルスのみならず、『目』とも再び見えることになろうとは、何たる偶然か必然か……」
ニコレットは青白い顔をして、目を固く閉じている。老は彼女を見ながら、「年齢はいくつだ」と言った。
「……二十八歳、だったはず」
「………
「早すぎるって、どういう……それとこれと何の関係があるんだ?」
「『目』達の稼働保証期間は三十年だ。それはつまり、三十年で寿命が訪れることを意味する。遠視のみに飽き足らず、透視や過去視、未来視……果ては人の心まで『見る』という『目』の進化しすぎた能力が魔族に渡るのを恐れた結果、心肺停止から四十八時間で細胞が自壊するように、遺伝子に組み込んだ」
「そ、んな……それじゃあ、ニコは、生まれた時から寿命が定められているのですか?」
「左様。夜戦時の運用、ゴーレムやホムンクルスの護衛を兼ねていたため、それらに対し一定の信頼や忠誠を寄せるようにプログラムされている。───終戦を迎え、使えるべき主を失った何百万人もの『目』達は解放され、多くは旅に出たはずだ。我々がエルゥ界とファルガイアを分断した時既に、その数は半数も残されていなかった」
嫌な想像だけどさ、と震える声でハンペンが銘打った。
「ニコレット、知ってたんじゃないかな……ゴーストシップでホムンクルスを知ったって言ってたろ。その時、一緒に自分の種族について、知ったのかもしれない。ホムンクルスに対する感情のコントロールっていうプログラムも、納得がいく。そういう風にプログラムされてたから、多少不自然でも、ニコレットはロディといたんだ」
「……それでは、ニコがロディと共に居たのは……ただの種族、としてなのですか? ……そんなの、そんなのあんまりです……」
「ロディと出会ったのはサーフ村だって言ってた。最近市場に出回るようになった、サーフ村のホーリーベリーってあるだろ。どんな怪我も治るっていう……それから、ロゼッタのシスターも、万病を治す薬のレシピを唯一知る人だ。……ニコレットは、自分の寿命が短いってことを知ってて……それを治すために旅をしてたんじゃないかなって、思う。───エマ博士の報告書に、ニコレットはロディのARMを使って、ちょっとだけ寿命を削ったんじゃないかってあった。……「ちょっと」がほんの二年だったとしても、八十年を生きる人の二年と、三十年を生きる人の二年は、全然違うものだろ」
重苦しい沈黙が、部屋の中に満ちていた。
ザックは、クソ、とだけ悪態をついて、荒々しく部屋の扉を開け、外に出ていく。それと入れ替わりで息を荒らげながら部屋に入ってきたマリエルが、倒れ伏したニコレットの姿を見初めると、ただ黙ってはらはらと涙を流し、ニコレットの手を握った。
寿命なのだ。どうしようもできない。
頭ではそれを理解していても、感情がそれを拒む。
彼女の削った二年の寿命が、自分達を救うためのものだったということが、酷くやりきれない。彼女の感情が、種として遺伝子に刻まれた偽物だったのかもしれないと気付いてしまった彼女の絶望は、きっと恐ろしく辛いものだった。
夜に満たされたエルゥ界に、月はたったひとつしかない。ロディは目覚めず、時が経てば経つほど、ニコレットは弱っていく。
どうしようもできないのだ。