───────ロディの左腕の移植手術は滞りなく終了した。見た目は歪な形をした腕だが、彼が目覚めて時が経てば、血が通うように自然な形になっていくだろう、というのがバシムの見解だった。
腕は機能にも問題は無いはずだ。移植手術が成功してからロディが幻肢痛に苦しみ呻くことはなくなった。しかし、時折悪夢に魘されているロディは、目覚めることがないまま、三日経過してしまっていた。
ニコレットもまた目覚めることはなく、日が経つにつれて身体が弱っていくのを、ありありと感じさせた。エルゥ達は、辛うじて生きてはいるものの、ものの数日で死ぬだろうと言った。
ザックとハンペンは、エマ達にそれらの報告をしに行くと同時に、ファルガイアのどこかに手掛かりが残されていないかと、心当たりを当たってみると言い残し、エルゥ界から一時的に去った。
セシリアはマリエルと共に、ロディとニコレットの看護に当たった。焦りと悲しさが彼女らの背を突き動かしていた。
「ロディ……───ロディ、お願いします。あなたにこんなことを言うのは、酷な事だとわかっています……でも、お願いします、目を開けてください……でないと、ニコが……」
彼自身が目を覚ますことを拒んでいるのか、それとも他の外的要因が彼の目覚めを妨げているのかはわからない、とバシムが告げる。自分の持てる最前の全てを尽くしたつもりだと項垂れ、「すまない」と、己の責だと苦しんでいた。
セシリアは顔を上げる。ロディのベッド脇だったはずの風景はいつの間にか様変わりしていて、水の町ミラーマの石畳の上に立ち尽くしていた。
「(わたし……眠ってしまったのでしょうか?)」
ぼうっと立ち尽くしたままのセシリアの脇を、子供達が駆け抜けていく。きゃはは、という子供らしい楽しげな笑い声が響き、往来の大人たちが微笑ましそうに見守っているのが見えた。
「────おおい、ロディッ! こっちにおいでよ!」
ロディ、と呼ばれた幼い少年が、子供達の後を追い掛けて走る。石畳の隙間に爪先を引っ掛けて転びそうになる少年を、どんくさいなあ、と他の子供たちが笑い、少年は困ったように微笑んだ。
少年は青い髪に赤茶けた目をしている、セシリアの知るロディその人であると確信し、子供たちと共に駆けていくロディを追いかけることにした。
「ぼくはね、将来ゼッタイ渡り鳥になるんだッ!」
「ロディみたいな?」
「ばっか、ロディより強い渡り鳥だぞ! おじいちゃんと一緒じゃないやい!」
子供達は走りながらそんな会話をし、とある木箱の前で立ち止まる。強い渡り鳥はこんな木箱なんてほいほい持てちゃうんだ、と言いながら、一人の子供は木箱を持ち上げようといきむが、顔を真っ赤にしてぜえぜえと息をしながら、それを諦めた。
「ダメだよ、大人だって三人いなきゃ持ち上げらんないんだよッ!」
「じゃあロディだって持ち上げられないよな? それでオアイコだッ!」
「え……」
「持ち上げてみろよ、ロディ! どーせ無理だけど───」
子供の小さなプライドが同調を齎し、子供達の視線が一斉にロディに向いた。ロディは恐る恐るその木箱に触れ、石畳と木箱の隙間に指を突っ込むと、勢いを付けてそれを持ち上げた。勢い付いたままロディは大きくよろけて、その手から木箱が落ち、割れる。中から重そうな鉄製の鎖が零れ落ちた。
「───ウソだよッ! なんかズルしてたんだ!」
「でもさっき持ち上げらんなかったじゃないか!」
「じゃあ、ロディがおかしいんだッ! ぼく知ってるぜ、ロディにはとうちゃもかあちゃもいないんだろッ!」
「ロディは魔獣の子供なんだ! 逃げろ~ッ!」
「待……待って……!」
ロディの制止虚しく、子供達はその言葉を聞くこともなく走り去っていく。ロディは周囲の大人達を見渡したが、大人達は眉を顰めてひそひそと何かを囁き合うだけで、ロディは肩を落とし、子供達が走り去った方と逆の方角へ歩いた。
町を走る水と道を隔てる柵に寄り掛かる、一人の老人がいた。ロディはその老人に、じいちゃん、と呼び掛けると、老人は振り返り、ロディに対してしゃがみこんで両腕を広げる。
ロディはその老人の手の中に飛び込んだ。慰めるようにロディの背をぽんぽんと叩く老人の胸元に顔を埋める。
「どうした、ロディ。また仲間はずれか?」
「……おれのこと、魔獣の子だって……重い木箱を持ちあげろって、言われて、そうしただけなんだ。何もしてないんだ……」
「ホッホ、そうか、そうか……」
「じいちゃん。どうしておれは他の子と違うのかな……」
力だって、他の子供どころか、下手をすると大人よりも強い。ARMなんていう、魔獣から作られた武器に、それがどんな形であろうと適応し、使いこなすことが出来た。
「───お前が持っている皆とは違う力は、お前だから持つことを許された力なんじゃ。馬鹿力も、ARMに心を繋ぐ力も、お前が心優しいから、使うことが出来る」
「……じいちゃん、難しいよ」
「ホッホ、そうか? そうだな……───例えばロディ。ゲンコツくらったり、尻を叩かれたりしたら、痛いと思うじゃろ?」
「うん」
「同じように、辛いことや悲しいことがあったら、心が痛くなるじゃろう? 誰だって、そんなことは嫌に決まっておる」
「うん……」
ロディは、例えばゼペットが、辛い目にあって苦しんでいる様を想像し、顔を顰めた。自分にとって唯一の家族のゼペットがそうなってしまうことは、何よりも嫌だと思う。
「痛いことは、他の人にもしたくないし、嫌なことが、誰かの身に降り掛かっても嫌じゃろう? お前がそう思うのは、お前が誰かの痛みを知っている、優しい子じゃからな」
ゼペットはロディの青い髪をわしわしと撫ぜた。あまり見ない色素の髪は、夕暮れの赤い光と混じり、暗い紫色に瞬いて見える。
「本当に優しい心の持ち主は、いつか、誰かを守ってやれる力が必要になる。本当の強さと、本当の優しさというものは、全く同じものじゃからな……───」
場面が移り変わる。十字に組み立てられた木の板に、鏡のようなペンダントがかけられていた。風に靡く海のよく見える崖の先で、ロディはその墓の前で、じっと祈るように目を閉じていた。
しかし直後、フラッシュバックするかのように、サーフ村での出来事が断続的に夢に現れた。力を恐れられ、拒絶された過去。誰にも受け入れて貰えない悲しさ。独りきりなのだという無力感。────世界にとって相容れない、異物なのだという真実。
燃えるアーデルハイドの向こうからやってくる魔族の軍勢に、たった一人で立ち向かう。しかしその手にはARMがない。ロディは後退り、襲い来る魔族達から逃げ出した。
「───あなたが逃げ出したのは魔族から? いいえ、突き付けられた現実からです、ロディ。───でも、あなたは思い違えています。あなたは魔族じゃない……わたしたちの、大切な仲間です───」
逃げたロディが辿り着いたのは、ロッキングチェアに腰掛けながら優しくロディを見据える、ゼペットの元だった。ゼペットは苦しそうな顔をして項垂れるロディを手招きし、どうした、と問いかける。
「───逃げて、きたんだ。戦わなきゃいけないのに、……守らなくちゃ、いけなかったのに。武器がなくて……でも本当は、ARMがあってもなくても、おれはこの世界に居ちゃいけなかったんだ……」
「……そうか、逃げ出したくなるほど嫌なことがあったんじゃな……。ロディ、安心しなさい。辛いことや悲しいことは、儂が全部追い払ってやろう。お前はいつでも、儂のところに逃げ帰ってくれば良いのじゃ……」
「しっかりして、ロディッ! 心を閉ざさないでください……!」
夢の世界は、暗く、あやふやになっていく。ロディはゼペットの伸ばす手にふらふらと近寄るも、セシリアの声が聞こえ顔を上げた。
「……でも、」
「余計な声が聞こえるかもしれんが、気にしなくても良い。さあ、ロディ……お前は何時までもここにおるのじゃ」
「みんなが、あなたの帰りを待ってます! あなたはひとりじゃない───わたしも、ザックもハンペンも、ジェーンもマクダレンさんも、エマ博士も、船長さんも、マリエルも、……ニコも、みんな待っているんですッ! あなたは、わたしたちにとっての掛け替えのない仲間だから……ッ!」
「─────どうやって入り込んだのか知らないけど、黙って聞いてれば好き勝手言ってくれるじゃない?」
ロッキングチェアに座るゼペットがゆらりと立ち上がり、その輪郭がぶれる。瞬きの間にその影は少女の姿を象り、セシリアを見初めて不敵にほくそ笑んだ。
「簡単に手放したりなんかしないわよ。この子の心、とっても綺麗で美味しいんだもの。───そして、この子の心はアタシのものよ」
「あなたが、ロディの心を閉ざしていたのですね……ッ!」
「煩いわよ、もう。アタシの夢魔としての生き方にいちいち口出さないでくれる? ただでさえ邪魔され通しで、ずっとつまみ食いしかしてないんだもの、お腹すいたのよ」
「あなたの言い分がどうであれ、ロディの心を返してもらいますッ!」
「そう? じゃあ、やれるだけやってみたら? と言っても、夢の中のアタシは誰にも負けないんだから────」
暗くなる世界に差し込むように、遠くから暖かな夕暮れの光が、手を伸ばした。夢魔は狼狽して辺りを見渡し、何これ、聞いてないわよと洩らす。
「───おれ、帰らないと」
ロディが、夢魔を見据えてそう言った。輪郭のない誰かが、ロディの手を握っている。
「みんなが待ってるから、────ひとりじゃ、ないから。だから、もう行くよ。……ごめん」
「な……何よもうッ! ここまでお膳立てしてやったのに、結局帰るってわけッ!? アタシのご飯どうなるのよッ!」
きいい、とハンカチを噛む勢いで地団駄を踏む夢魔に、ロディは困ったように笑う。もういい帰る、と姿を消した夢魔をあとに、夕暮れの光は益々強くなって、セシリアとロディを照らしていた。
「この光は───?」
光の元を追いかけるように歩くと、そこにロディのARMが転がっていた。ロディはそれに手を伸ばし、拳の中に収めると、そっと抱き締めるように胸に抱く。
「……ニコレットだ。ずっと、ここにいたんだ」
ゼペットの遺したロディのARMに魂の欠片は宿り、時折眠りから覚めるように、ずっとロディの手を握っていた。
夕暮れの光は消え去って、空が割れる。目覚めですね、と微笑むセシリアに、ロディが頷いた。朝焼けのような眩い白い光が瞼を刺すと、意識が遠のいていった。
真っ白な視界の中で、誰かが膝を抱えて蹲っていた。
少女は泣きもせず、ただじっと膝に顔を埋め、吹き荒ぶ風のような孤独に耐えている。
ロディが少女に手を伸ばしたが、その手は虚しく空を切り、そして─────────。
セシリアが目覚めた時、夜はすっかり明け、日差しが窓辺から差し込み、床を光で四角く切り取っていた。
セシリアの手の中で、石の女神像が砕け散り、赤い光がセシリアの胸元に吸い込まれていく。
「これは、ミーディアム……愛の貴種守護獣の……───ロディッ! ロディは!?」
ロディの寝かせられていたベッドは空で、扉は開け放たれていた。セシリアがその後を追い掛けると、庭先でロディが、ぼうっと視線を中に浮かせたまま、唖然と立ち尽くしていた。
「セシリア、……ニコレット、は」
「────姫さんッ! ロディ、お前、意識が───とにかく、たった今、ニコレットが……ッ!」
遠くから息を切らして走ってきたザックは、それきり言葉を詰まらせて、察してしまったセシリアは、直ちにニコレットの元まで駆けた。
エルゥの村の診療所に入院していたニコレットのベッドは、多数のエルゥに囲まれていたが、一行の姿を見初めると、一斉にその場から去っていった。マリエルが泣きじゃくりながらニコレットのベッドに縋り着いていて、ニコレットは、ただ眠っているだけのように見えた。
「……ニコレット……?」
名を呼びかけても反応しない。恐る恐る、ロディはニコレットの手に触れて、それが恐ろしく冷たいことを、そこで初めて認識した。
「……ぇ、」
「………ニコ……?」
「………………」
どうして、とロディが呟いた。誰も、それに答えられない。セシリアは顔を抑えて泣き崩れ、ザックは拳を壁に叩き付けた。
「……クソッ、なんだって、……誰かが犠牲にならなきゃいけないんだ……ッ!!」
ハンペンはただ目を閉じて、何も言わない。
ロディは、目の前で起こっている出来事が現実であると受け止めきれずに、ただじっと、眠るように目を閉じたままのニコレットの顔を見た。彼女が目を開くことはもう二度とないのだと理解しても、実感のようには感じられなかった。
「───……みな、さんに……伝言が、あるのです。」
泣き腫らした目で、マリエルがそう言った。沈痛な雰囲気のまま、「自分が死んだら、伝えてほしいと、……そう言っていました」と、マリエルは俯いて、その目から大粒の涙を零す。その肩を、セシリアがそっと抱いた。
ひとつ。自分の遺体は、死後四十八時間以内──出来ることならなるべく早く──に小舟に乗せて、ファルガイアの海に流してほしいということ。
ふたつ。その時、いくつかの遺品を指定するので、それを一緒に舟に乗せて欲しいこと。それ以外の私物は、売るか再利用するか、好きなようにして欲しいこと。
みっつ。どうか悲しまないで欲しいこと。
───────きみたちの旅路に、幸多からんことを、
───────荒野に祈っている。
そう締めくくられたニコレットの『伝言』に、一行は目を伏せた。渡り鳥にとって旅を終える定番のフレーズであるそれは、遺言であってもチープでありシンプルなもので、それがいっそう、らしいと感じさせる。
舟に一緒に乗せて欲しいと指定された遺品は、人から贈られたのだといういくつかの宝物だった。───その中には、ロディの送った真珠の髪飾りもあったが、彼女自身のARMが無かった。マリエルの厚意でニコレットの髪は軽く結われ、そこに真珠の髪飾りが通された。
彼女のARMは、せめて墓標を、と進言したセシリアの意向に従い、ARMとして必要ないくつかの機構を取り外し安全に処置した上で、葬儀の後、アーデルハイド領のどこか静かな場所へと置かれることになった。
一行はファルガイアへ戻り、ロディの回復とニコレットの訃報を、人々に伝えた。喜びと悲しみの入り交じった複雑な感情で、彼らはニコレットを見送る。
ニコレットの遺体は遺言通り小舟へと乗せられ、潮の流れの早い海に向けて流される。波に乗って、小舟は遠く、小さくなって、彼方へと消えていくのを、ロディはじっと見守っていた。
──────そのうちに何故か、追いかけなければいけないという衝動が、唐突にロディを突き動かした。
ロディは冷たい海へ走り、波に潜る。セシリアとハンペンの叫ぶような己の名を呼ぶ声が聞こえたが、立ち止まらなかった。しかし、ぐいと腕を強く引かれ、振り返れば、ザックが鬼の形相で、ロディの腕を掴んでいた。
「馬鹿野郎────、この、大バカ野郎ッ────」
「ロディ、……ロディ、お願いです……やめてください……」
「───ロディ、ダメだよ、…ダメだよ………ッ」
ロディは振り返った。波間に見えていたはずの小舟はいつの間にか姿を消していて、それを見て漸く、ロディは理解する。
「────う、あ、────あああ────ッ」
破裂するように洩れた嗚咽が、波の音の中に木霊していた。ザックとセシリアは泣きじゃくるロディを抱き締めて、共に波に打たれながら泣いた。
荒野には、ただ、風だけが吹き荒んでいた。
まだ続きます