リリティアが停止したことにより、アークティカ領の吹雪は止み、季節相応の天候を取り戻しつつあった。しかしゴーレムが残した爪痕は大きく、アークティカは未だ氷と雪に閉ざされ、おいそれと侵入できない極寒の地へと変わり果ててしまっている。
ザックはアーデルハイドの城で目覚め、己の復讐の過去に精算をつけると覚悟した。廃城となったアークティカの城に、かつてのエルミナ───レディ・ハーケンはいた。身体は大きく消耗し、時折脳裏を過ぎる記憶は自らが人間であり、騎士であったことを己自身に知らしめた。
過去を追憶することはできない。それをするには血に染まりすぎてしまった。魔族として与し、ダークネスティアの部品として多くの人間を死に至らしめたのは紛れもなく己自身だ。
いつの間にか、レディ・ハーケンの前に誰かが立っていた。彼女は白い大きなマントを肩から羽織り、シニヨンに纏めた黒髪に真珠が揺れている。その目はボルドーの色に阻まれてよく見えないが、瞳孔は蛇のように縦に裂けているのが分かった。感じる気配は紛れもなく魔族のそれであったが、船の上で顔を見た事がある。白尽くめになったその服装はどちらかと言えばあのウエディングドレスを彷彿とさせる。
「……あんた、人間じゃなかったか。アルハザードの差し金か?」
「やあ、レディ・ハーケン。その通り───と言いたいところだけど、正確には少し違う。彼は一度使った玩具はどうでもよくなるみたいだ」
「フフ、……結局、こんな結末か。思うように使われて、あたしが何であったかも忘れて、ここで死ぬ……まったく、滑稽だよ。あんたはどっちの味方なんだ?」
「……きみこそ、彼らの仲間になる気はないのかい」
「ハ! 笑わせるんじゃないよ。あたしは魔族の騎士、レディ・ハーケンだ───味方になるには、遅すぎる。もう何人も殺した、人間の騎士として守るべきものだったはずのものを、幾つも壊してしまった……」
彼女は、項垂れるレディ・ハーケンに手を差し伸べようとしたが、結局その手を止めた。そして、そうか、と一言だけ告げると、「もうすぐ、彼等が来る」と言った。レディ・ハーケンは顔を上げる。
「───なあ、あんたも、迷っているなら決めた方がいい。どちらに与するのか───どちらの敵になるのか。誰かを、手にかけてしまう前に……でないとあんたも、あたしみたいになる」
「……忠告をありがとう。ハーケン───出来ることなら、きみを救いたかったけれど」
「烏滸がましいよ、あんた。目に入るもの全てを救おうだなんて考えるんじゃない。あんたはあんたの、守りたいものだけしか守れないんだ」
それは、レディ・ハーケンそのものと言うよりは、彼女がかつて人間の騎士であった頃の、矜恃のように思えた。それを皮切りに、彼女は姿を消して、廃城にはレディ・ハーケンだけが残された。
眩い輝きが遠い場所からも見えた。目覚めた貴種守護獣の名はジャスティーン───ザックの、『勇気』という名の絶対たる力に魅せられ、漸く姿を現した彼はミーディアムとなり、ザックの手の中に収まった。
かつてこの城で散った騎士は、ザックへと言葉を贈った。自分と出逢ったこの世界を守って欲しい、その言葉を受け取ったザックは、手の中で消えた彼女の喪に服すように目を閉じて、ひとり頷く。
「エルミナ、俺は───もう、復讐なんかに囚われたりしない……俺の振るう剣はただ、大切なものを守るために、……誰かを、犠牲にさせたりなんかしないために、この剣を振るうんだ───」
晴れ間から太陽が顔を覗かせて、人のいないアークティカの大地を白く反射させる。一行は次なる目的のために廃城を出た。
何かが、遠くでちかりと光る。ロディが其方を見遣った────直後、三人の間を縫うようにして飛んできた小さな何かが、セシリアの頭横をすれすれに通過して地面に着弾した。遅れて音が響く。何かが破裂したような、言うなればそれは、引き金を引いたARMの音と似ていた。
見れば、雪に硝煙をあげながら、黒い穴を雪に開けた弾丸が、そこで止まっている。
「───逃げろッ!! 狙撃されてるッ!」
ザックがそう叫び、一行は散り散りになって障害物の陰へ隠れた。どこから球が飛んできたのかさえ分からない恐怖に、セシリアは青ざめた顔で震えた。
「………当たらなかったんじゃなく、当てなかった……? 三人の誰にも当たらない場所を狙ったってのか?」
「偶然じゃないの? 運良く当たらなかったとか、雪が反射して見にくかったとか……」
「この天候と無風でか? 陽は差してるが雲が薄らかかってる、この天気で見えなかったってことは無いはずだ。魔族に狙撃ができるなら初めからやってる、それなのにやらなかったってことは、つい最近狙撃手を手に入れたか、狙撃できる命中精度のARMを作ったか……」
直後、アークティカの大聖堂が、高い塔の上で鐘を鳴らした。響き渡る鐘の音は十三度、「緊急時招集」を意味する。人為的に鳴らされた鐘だ。
「……嫌な予感がするぜ、ハンペン。俺はそんな芸当ができる奴を、一人しか知らない。それも、敵に回ったら恐ろしい奴だ」
塔を見上げて、ザックが冷や汗を流し呟いた。
大聖堂は静けさに閉ざされ、割れたステンドグラスから雪が入り込み、くすんだ赤のカーペットを白く汚していた。並んだ長椅子のひとつに、誰かがこちらに背を向けて腰掛けていた。手に持ったグラスを揺らしたが、グラスの中の液体は凍りつき、動かない。
「ご覧よ。小一時間放置したらこの有様だ───気温が分からないのは恨めしいね」
人影は立ち上がり、一行へと振り返る。どこから取り出したのか、その手には見たことがない形状のARMに似た身の丈以上もある機械が握られていた。
「あ……あ、そんな、…ニコレット、なのですか?」
「やあ。久しぶりと言うべきか、初めましてと言うべきか。正確には私は使い捨てで、名前はない。───でもせっかくだから、そう名乗らせてもらおうかな」
危惧していた最悪の想定が叶ってしまった。かつて味方だったからこそ分かる、仲間内の誰しもが敵に回れば厄介で恐ろしいことだが、彼女は一二を争うほどに厄介だ。感じる気配は確かに魔族のもので、姿こそ様変わりしているものの、紛れもなくこの魔族はニコレットその人だった。
「……生き返ったってのか。魔族になって」
「アルハザードはきみたちの嫌がらせには何が最適か考えて、私の死体を再利用することにした。足りない部品は無機生体で補ったから、私は魔族と人間の紛い物ってところだ。───私に課せられた使命は、きみたちの廃除、オマケにレディ・ハーケンの消滅の確認ってところかな」
「巫山戯てやがるッ! それならどうしてあのタイミングで居場所を知らせるようなことをした? あのまま隠れてれば、確実に俺達を撃てた筈だッ!」
「それなんだよな。どうにも『私』の行動は不可解で制御できない。だから、きみたちに会って、確かめようと思った」
そう言って、ニコレットは、蛇のような目でロディを見る。何もかもを見透かされているような視線は、ぞわ、とロディの背を冷たく走った。
「……戦わないと、いけない?」
ロディの呟きが、大聖堂にぽつりと響き渡る。セシリアが苦悶の表情で杖を強く握りしめた。
「───やめた。やっぱり乗り気しないし、アルハザードの言いなりってのも癪だ」
「はあッ?」
ザックの素っ頓狂な声を他所に、ニコレットはマントの内側に武器を収納した。まるで雑な手品のようだ。
「そういう訳だから、私は寝返ることにするけど、きみたちの味方になったわけじゃない。私は私で動くことにしよう。じゃあまた」
そう言って、ニコレットは嵐のように去っていき、あとに残された一行は唖然とした表情を隠せず、立ち去ったニコレットのいた場所を見つめていた。