「博覧会に一緒に? 私はいいかなあ。眠くなっちゃうからね」とは、ニコレットの言である。ハンペンはむくれた様相を隠そうともせず、ニコレットの肩に座って、屋台を楽しみ展覧会へと向かう人々の群れを眺めていた。
「……ニコレットさ、ロディのことも考えてやりなよ。あの子、ニコレットと博覧会見に行くの、楽しみにしてたと思うよ?」
「考えての行動だよ、ハンペン。まさか会場で大の字になって寝て、展示物のひとつになるわけにもいくまい」
そう宣ったニコレットにハンペンは大きな大きな溜め息をついて、ロディたちに着いてけばよかったかなあ、とボヤいた。
「いいんじゃないか? 君の足なら今から行っても彼等に追い付くと思うよ」
ふと、目の前を赤い風船を持った少年が駆けていく。フルーツのワゴン車を物欲しそうに眺め、きょろきょろと辺りを見回して、ぱたぱたと城下町の方へ駆けていく。
数刻後、ロディとザックが辺りを見渡しながら会場の出入口から出てきた。見張りの騎士に何やら訪ねていたようだが、収穫なしといった様子だった。
「ロディ、ザック! どうしたの、随分早くない?」
「それがよ、このお人好しときたら迷子の子供一人探してくれって頼まれて、入口で見たって聞いて引き返してきたのさ。展示もソコソコに駆けずり回って探してんだ」
「うん──赤い風船を持った男の子、見てないかな」
「ああ、さっき見たな。城下町の方に行ったよ──私も探そうか?」
「ありがとう。手伝ってくれると、すごく助かる」
言うなり城下町へと駆け出したロディに、一歩遅れてザックが走る。ハンペンはザックの肩に飛び乗って、ニコレットは椅子にしていたギターケースを背負い直すと、二人とも一匹のあとを追いかけた。
赤い風船を目印に、大路地のほうへ向かえば、子供は直ぐに見つかった。迷子を自覚して泣きじゃくっている子供の前にロディが膝をついて屈み、「お父さんが探してたよ」と話しかけると、目を擦ってロディを見上げた子供は、ロディの差し出した手に腕を伸ばした。安心で緩んだ手から、風船の紐が滑り抜ける。
青空に赤が昇っていく。豆粒よりも小さな点になっていくそれを、全員でそれを見送った、その時だった。青かったはずの空が忽ちのうちに曇天へと変わり、雷鳴を轟かせた、その刹那。
空が割れた。
───────天空の亀裂より振り下ろされた光の剣は、大地に突き立ち、滅びの炎を吹き上げる。
阿鼻と叫喚は、瞬く間に伝染し、人々の心を恐慌で塗り潰していく。
街が燃えていく。風で飛んだ火の粉が家屋から家屋へと飛び散って、アーデルハイドを紅蓮の色に染めていく。人の悲鳴、子供の泣き声、親が子を呼ぶ声に混じり、嫌な笑い声が響く。見渡せば剣を掲げた魔獣が逃げ惑う人々を背から切り付けて、ゲラゲラと下品に笑っていた。絹を割くような悲鳴が響き、逃げ遅れた女性がひとり、魔獣に襲われている──剣を振りおろそうとするその魔獣の頭を、弾丸が撃ち抜いた。ニコレットのライフルの先端から、硝煙が立ち上る。
「──ロディ、ザック! 武器を抜け、魔獣だッ!!」
「──ッ!!」
城の城門へと駆けていく彼等の背を切られぬように、各々が武器を抜いて立ち上がった。燃え盛る街の中で数多の悲鳴や泣き声が響く。城門の前でセシリアが三人を振り向くと、叫ぶようにしてこう言った。
「避難民のためにアーデルハイド城の城門を解放していますッ! まだ街の中に逃げ遅れた人がいるかもしれません、城への誘導を手伝ってください!」
「あんた、一体」
「──詳しいことは、必ずお話します! だからどうかッ!」
言うなりロディが街へ飛び出した。ニコレットはそれを追い掛けて、走りながらサングラスを外し、『見る』。
「──ロディッ! そこの建物の影と石像の手前、それと木片の下だッ! 逃げ遅れがいるぞ!」
「……! わかったッ!」
ロディは駆け、言われた通りの場所を探すと、逃げ遅れた人が震えて蹲っている。「城に避難を」と手短に叫ぶと、ニコレットは別の場所で瓦礫に埋もれていた子供を引っ張り出し、城へと誘導している。サングラスを隔てないその眼球は、色素の薄い灰色で、瞳孔が蛇のように縦に割れていた。その中にちらりと炎とも違う赤が覗いたと思えば、ニコレットは再度サングラスをかけ直し、「この辺りは、もういない──城に戻ろう」と言った。ロディはそれに頷いて、閉じかけていた城門へと滑り込んだ。遠くからザックが全力疾走して、同じように滑り込むと、それとほぼ同時に城門が封鎖された。
アーデルハイド城は避難民で溢れ、怪我人の呻き声や、目の前で家族を失った人の嗚咽で溢れていた。怪我人ひとりひとりにヒールをかけて回っていたセシリアが、こちらへと歩いてくる。精神力のほとんどを使い果たし、顔色はひどく青ざめていたが、それでも気丈に振舞っていた。
「──みなさん、お父様に……公王ユリウスに、会っていただけませんか。状況を打破するために、渡り鳥の意見も聞きたいのです」
先導するセシリアに着いていけば、広く絢爛な寝室に通される。ベッドには公王ユリウスが寝そべり、荒い息で呼吸していた。
「──不覚で、あった……突然の襲撃に、思わぬ深手を負ってしまった……──セシリア、お前が無事であるのが、せめてもの救いだ……。」
よく聞きなさい、と、ユリウスはセシリアを諭すようにして、じっとその目を見詰める。
「魔獣の目的は……恐らくお前だ。何があっても、奴らに屈してはならぬ……」
「──わたしが?何故……ッ!? 何を目的にわたしを……!」
兵士が部屋に飛び込んで、「公王陛下に申し上げます」と声を張る。
「城下を蹂躙せしめる魔獣より、要求がありましたッ!!
城への直接侵攻を中止する代わりとして、『涙のかけら』の差し出しを告げていますッ!」
「涙のかけらを……!?」
セシリアが狼狽え、幾ばくかの逡巡の後に顔を上げる。
「──分かりました。涙のかけらは、わたしが直接、引き渡しに応じます」
「ならんッ! それだけはならぬことなのだッ!! ──世界の命運を左右する『鍵』を、魔獣の手になど落とすわけにはいかぬッ! たとえ、どんな犠牲を払っても、だッ!」
「ですがッ! このままでは、無駄に血と、悲しみと、命が流れてしまうのではありませんか……ッ!」
「セシリア、上に立つ身ならば、時には辛い決断も下さねばならぬのだ──ッ!」
決して自室から出てはならぬと釘を打たれ、セシリアは唇を噛み締めながら、渡り鳥一行と共に、セシリアの部屋へと誘導される。
困ったことになったな、と、しんと静まり返ったセシリアの部屋でニコレットが呟いた。セシリアとザックは各々黙り込んで思考を巡らせ、ロディは思い詰めたような表情をしている。ニコレットは痛む頭痛に眉間を抑え、小さく溜息を吐いた。
「──やはり、わたしは涙のかけらの引き渡しに応じます。このまま罪のない人達がいたずらに傷付くなんて、間違ってます」
「そうは言っても、この城の包囲網を抜けて、どうやって城下町まで行くのさ?」
「オズマなら……わたしの近衛の騎士なら、城下町に続く抜け道を知っているはずです。」
力を貸していただけませんかと、セシリアはロディとザック、そしてニコレットに向き直る。ロディは顔を上げて一瞬だけニコレットを見ると、思い詰めた顔をそのままに、こくりと頷いた。
「わかった……。セシリアに、ついていくよ。」
「──俺には、奴等が何者なのか、おおかたの検討がついてる。お宝の引き渡しには関係ない、だが奴等には用がある。途中までは着いてってやるぜ」
ニコレットは無言の肯定として、ギターケースを背負い、セシリアの方を見て頷いた。セシリアは深々と頭を下げ、「ありがとうございます、みなさん」と震える声で礼を言う。
城の警備を掻い潜り、オズマから盾の紋章を受け取って、台座の前で翳す。下水への扉が開かれ、梯子を伝って地下へと降りていく。水の流れる激しい音だけが響いている。
襲い来る魔獣をいなしながら進むと、地上への梯子を見つけた。それを伝って上に登れば、城下町の隅に出る。
教会の前に、魔獣共を従えた、一際大きな人ならざる存在の影がある。各々は警戒しながらそれに近付いて、セシリアがさらに一歩前へ出た。それが嗄れた唸るような声で人の言葉を解し、待ちわびたぜと喋る。
「とっとと涙のかけらを渡してもらおうか?」
「──涙のかけらをお渡しすれば、この町の人々の命を、保証していただけるのですね?」
「安心しな、俺様も忙しい身だ。いつまでもこんなところに居やしない」
セシリアは凛とした態度を崩さぬまま、臆する足を抑え、涙のかけらを差し出した。機嫌良さそうに笑ったそれは「任務完了だ」と部下らしき魔獣に叫びつける。しかしそれをザックが呼び止めた。
「──待てッ!! 俺の用事はまだ終わっちゃいない! ──貴様、伝承の時代からの侵略者、『魔族』だなッ!」
「おうとも、だがそれを知ったところで何になる?」
『魔族』が、嘲笑うようにして体を揺らす。ザックは武器を構え、燃え上がるような怒りと憎悪を込めた目で、それを見据えた。
「──復讐だッ! 俺はその為に今日まで生きてきた──!」
「ザック──ッ!? 馬鹿……!」
途端、ザックが剣を抜いて魔族に切り掛る。ニコレットは渡り鳥として培ってきた勘が「あれには勝てない」と警鐘を喚き散らしていたが、それを無視することにした。あのままではザックが死んでしまう──ザックが死んだら、ロディは悲しい顔をするだろう。それだけは駄目だ。
同じことを考えたのであろう、ロディがARMを抜き、魔族へと発砲した。がいん、という鋼の弾かれるような音がして、一瞬だけ仰け反るものの、すぐに体勢を立て直してしまう。
「その力! ARMかッ! フフフフ、懐かしいな、だがまだ足りんッ!!」
言うなり魔族は棘の生えた鉄球をロディに投げ付ける。ロディは悲鳴をあげる間もなく吹き飛ばされ、家屋の壁に激突し、ずるずると落ちた。──ぶわりと頭の内側に湧き上がるものがある。これは、明確な『怒り』だ。
勢いのままサングラスを放り、敵を『見た』。──『見る』んだ。貫かれたら痛い場所。急所を『見ろ』。弱点を『見ろ』。そこを狙え。そこを撃ち抜け。────お前にならできるはずだ。
灰色の虹彩の中心にある黒い瞳孔が、蛇のようにきゅうと縦に裂けた。炎のような赤い光が形を象り、ターゲットサイトの十字を切る。──見つけた。知らずのうちに口が笑の形に歪む。スコープのないスナイパーライフルの引鉄を引く。俺達は目がいいんだ。だからそんなもの必要ない。在りし日の父を、『見た』ような気がした。
魔族の硬い装甲を、一つの弾丸が撃ち抜いた。大きくよろめいたものの、次の瞬間にはそれすらも意に介さず、ニコレットの方を見て、笑う。
「──温いッ! 多少骨のある奴が現れたようだが、
魔族は、残念だなあ、と言うと、部下に何やら指示を飛ばし、倒れ伏した全員をぐるりと見渡す。
「俺様にお前等と戯れる時間が足りないってのも、残念と言えば残念だな?
こっちばかりが土産を貰っても悪いからな、つまらんものだが受け取りな──」
言うなり魔族は空の亀裂に飲み込まれ、突如、轟音と猛烈な光が辺りを包み込む。
「会場が──ッ!?」
セシリアの悲鳴が聞こえる。三機のゴーレムが空に舞い上がり、亀裂へと飲み込まれていく。あたりが収まった時、ニコレットはふらふらと立ち上がり、ロディを探した。
「──ニコレットさん、」
回復して、ぼろぼろになってはいるが、立ってこちらに駆け寄るロディを見て、ニコレットはほっと息を吐いた。ああ、良かった、ロディ。生きている!
しかし、そのどれも口から出ることはなく、ニコレットはがくんと石畳に膝をつく。あれ、と呟くと、ぼたぼたと地面に赤が散った。悲鳴のように己の名を呼ぶロディの声が、酷く遠くに聞こえる。そこでやっと、ニコレットは自分の両の目から涙のように溢れる血液を理解し、ばつん、と、電源の落ちるように、意識を失った。