────襲撃の日から、一週間が過ぎた。
街は資金繰りの関係で復興の目処が立たずにいるが、焼け焦げた家屋をせめて住める場所にしようと、人々は手を取って立ち上がろうとしている。公王の人柄故か、それとも騎士たちの尽力のお陰か、治安が悪くなるようなことは無く、それだけはただ胸を撫で下ろすばかりであった。
「ニコレットさん、やっぱり、どこもおかしくないでしょうか?」
「おかしくないよ、セシリア。かなり渡り鳥らしくなったじゃないか」
アーデルハイドの旅衣装に身を包んだセシリアは、落ち着かない様子で何度もニコレットに確認を頼んだ。髪を切って軽くなったのも慣れないのだろう、しきりに首元に触れ、指に触れる毛先を弄んでいる。
「さて、もうすぐ三人が来る。ご両親に挨拶を済ませてくるといい」
「……はい」
セシリアは中央の象の前で跪き、指を組む。目を閉じて一心に祈りを捧げている間に、ニコレットは教会の入口から入ってくる二人と一匹の気配に気付き、そちらを見た。
セシリアは目を開けて、振り返る。「──髪の毛を整えて、服も着替えてみたのですが、おかしくないですよね?」と、やはりそう尋ねるのを見て、ニコレットは静かにわらった。
アーデルハイドの人々に見送られて、セシリアは旅に出る。マウンテンパスの麓までは馬車に乗って向かうことにした。自身の生まれ育った街が遠く離れていくのを、セシリアはずっと見守って、見えなくなった頃に、ようやく外から目線を外した。
「いい人たちだね」
「……ええ、本当に……逞しく生きている、素晴らしい人達です。わたしが、いなくとも、きっと……、」
その横顔は、民の安全を祈る公女であるとともに、別の何かを感じさせた。
マウンテンパスを超えて辿り着いたのは、やはり荒野だった。そこからさらに歩けば、「水の町ミラーマ」に辿り着く。水路が張り巡らされ澄んだ水が流れ続ける、美しい町だ。一先ずは宿屋に行って情報を集めるのが先決だよ、と進言したのはハンペンだった。彼はマウンテンパスで唐突に相棒に投げられ始め、ニコレットはかなり驚いたが、当の本人は亜精霊の体はそんなことでは傷付かないと豪語し、実際その通り彼の体は傷ひとつ付くことはなく、それどころかザックに投げられたハンペンの頭突きは魔獣を砕くほどの威力を誇っていた。
木造の橋を渡った先にある酒屋を兼ねた宿屋に赴けば、店主が慌ただしく走り回り、店支度をしているところであった。どこか空いてるところに座って、と言われた通り、四人がけのテーブルを囲んで座る。
「お待たせしましたあ。さて、ご注文は?」
「では、ヤキソバを六人前。大盛り具だくさんソースだく、……お願いできますか?」
「えっ」
「んっ?」
「おーっと……」
ニコレットは面白いものを見たと言わんばかりに笑み、ロディとザックとハンペンはぎょっとした顔でセシリアを見る。八対の目で見つめられたセシリアはきょとんとして首を傾げた。
「……お姉ちゃん、ネズミくんを一人前と数えても、人数と合わない気がするんだが……」
「ああ、今のは彼女個人の注文だよ。追加で私たちのを一人前ずついただけるかい。」
「は、はい……? かしこまりました」
ヤキソバ九人前ェ、と、店主が奥へ引っ込む。ザックはメニュー表に書かれた代金と自分達の財布とを睨めっこし始め、ロディは未だ信じられないといった様相で、セシリアのことを見ていた。
盆に大量のヤキソバを乗せた店主がやって来て、九つ分の皿をテーブルに並べる。ごゆっくり、と戻る前に、ニコレットが店主を呼び止めた。
「失礼。ここら辺にある守護獣神殿についていくつか聞きたいことがあるんだが」
「守護獣神殿だって? 今どき珍しい連中だな……遺跡調査かなんかか?」
「いや、ただの渡り鳥さ。ただ、ちょっとした野暮用でね……。どうしても神殿に行きたいんだ、知っていることだけで構わないから、力を貸してくれないか?」
頬杖をつき、小首を傾げながら見上げるように頼み込む──すこし微笑むのがポイントである──と、店主はううん、と顎に手をやったが、すぐに結論がついたらしい、「俺で良かったら力になるよ」と頷いた。
「なんたって俺の親父は守護獣神殿の最後の司祭だったからな。俺に跡を継がせるつもりで色々聞かされたが、俺はただの酒場の主人なんだ。食事が終わったら、俺の知ってることだけでいいなら話すよ」
「そうか! ありがとう、感謝するよ。ではまた食後に会おう」
「……なんていうか、言ってることは普通のお願いなんだけど、やってることがちょっとナンパっぽいよね」
「わたし、リリティアの時も同じような雰囲気で誘われました。あれってナンパだったんですね!」
「うーん?そんなつもりなかったんだけどなあ」
「げっ、素であれかよ……。だから詐欺師っぽいんじゃねえの」
ちょっと傷付くよ流石に、おーおー目一杯傷付いとけ、というニコレットとザックの口の応酬を見て、ロディは嬉しそうな顔をしている。嬉しそうだね、とハンペンが聞けば、「うん。賑やかで、うれしい」と、シンプルで飾り気のない言葉が返ってきて、ザックは人差し指で頬を掻いた。
「わお、神殿とだけあって仰々しい建物だなあ。」
「眠くなっちゃいますか?」
寝ない、頑張るさ、と意気込んでみせたニコレットのコートの袖を、ロディがちょんと引いた。どうしたんだい、と振り向いたニコレットに、ロディは何故か、息を潜めるような小さな声で言う。
「あの……息を止めると、眠気が収まるんだ。」
「ふむ、そうなのか。試してみよう」
言うなりすう、と息を吸って止めたニコレットに、馬鹿正直なのかなんなのか、とハンペンが呆れるようにして、「とにかく早いとこ入ろうよ」と言った。
重々しい扉を開けば、すぐ目の前に巨大な時計盤が鎮座されている。いくつも連結された歯車が壁の隙間から覗き見え、永い時の最中であっても、未だ鈍い光を放っているのは、千年前の技巧の成せる業か、代々管理する人間が居るからなのだろう。時計の針は長針も短針も真上を指していたが、ハンドル操作で動かせることは明白だった。
三時半って言ってたね、というハンペンの言葉のとおり、時計の針を三時半に合わせれば、振動音や歯車の回る音と共に、左手側の扉が音を立てて開いた。誰からともなく、行こう、と言った。
「──と意気込んで来たはいいけど、行き止まりだね」
扉を抜ければ通路が続き、その通路の先は石版ひとつ置かれているだけで、扉も何もない。なにか見落としたかなと一行が考え込む中、ニコレットが手を挙げた。
「ニコレットさん? どうされましたか?」
「──ぷはあ、本当に眠くならなかったな。──通路の途中で偽物の壁を『見た』よ。多分そこが正解の道だ」
「まあ! なるほど、壁に偽装しているのですね。よく見ると、少し歪んで見えます」
本当に息止めてたんだというハンペンの言葉は聞き流して、ニコレットはサングラスをずらして通路をぐるりと見渡した。壁の向こうに透けるようにして通路が見える。
偽物の壁をすり抜けて先に進めば、トラップや仕掛けの類はなく、すんなりと最奥に辿り着いた。中央の水晶球が青白く輝いている。
「──ミーディアムを通じて、シトゥルダークが……何かを伝えています……」
──守護獣の力を求めし者よ──
「……! 今のって……」
「オイラにも聞こえたよ! 頭の中に響いてくるみたいな声が……!」
──我らの力に相応しき力を示すが良い──
──我らが試練に挑むが良い──
水晶球がいっそう輝き、青白い光で視界が明転する。ニコレットは咄嗟に目を瞑った。
──示すは
──後戻りは許されぬ──
──汝らの
強い浮遊感の後、サングラスを透過して瞼に押し付けられていた光が消えた。ニコレットは目を開く。暗闇だけが辺りに広がっている。
「……ここは……? ロディ、ザック、ハンペン、セシリア! いないのか?」
声が響く。呼び掛けた名のどれも返答はなく、ニコレットはふむ、と唸る。
「暗闇の中で耐えるのが試練か? ……ああ、いや、違うな。『見れ』ばいいのか、さては」
言うなりサングラスを外す。赤い光が目に浮かぶと、黒に閉ざされた視界に、はっきりとした像が結ばれる。石造りの一本橋は、その下に底の見えない闇が広がり、からり、と音を立てて零れ落ちた石ころ一つが、底に落ちた反響音すら聞こえない。落ちれば一溜りもないだろう。
わざわざ光ひとつない暗闇を用意してくれるなんて、有難いことだと、ニコレットは一歩踏みだした。
いくつかの部屋を通過して、行き止まりに辿り着く。ニコレットがサングラスをかけ直したのを見計らったかのように、水晶球とよく似た青い光が溢れ出し、ニコレットの視界を包んだ。
明転の後、暗転。目を開けばまた暗闇が広がっている。また試練かと思いきや、それは何を『見て』もただの暗闇で、それ以外に何もない。
ふと、遠くから声が聞こえた。足が自然とそちらの方へ向く。暗闇の中を歩き続ければ、もやもやとした影が、人の形を象る。自分の名を呼ぶ声に、聞き覚えがあった。
「──父さん、」
ぽつり、暗闇のなかでそれを零すと、男がこちらに向き直る。自分と同じ灰色の目。蛇のように裂かれた瞳孔も、赤いターゲットマークもなかったが、父から受け継いで、父と同じ力を持つ、スコープの眼球。
──ニコ、──
父の象は微笑みながら此方へと手を伸ばす。ニコレットは警戒して、様子をじっと見定めた。見定めようとした。
ごぼり。
音を立てて父の口から赤黒い肉が漏れ落ちる。次第に目鼻からもごぼごぼと血と肉を零しながら、父の肉体は融解していく。父の指が腐った肉のように崩れてぼたぼたと地面へと落ちる。
──ニコ、──
ごぼ、ごぼ、ごぼり。
そうだ。父は死んだ。ある日突然血を吹き出して、二日かけて溶け落ちて、最後には、肉片一つ残らず消えていた。
肉塊が蠢く。自身の名を呼ぶ。
──ニコ、──
「……なるほどね。
──そうだ。その通り。その
──だが、汝に我が力を授けるには、汝には時間が足りなさ過ぎる──
気付けば肉塊は消え失せ、しんとした暗闇が広がっていた。ニコレットは頭の中に響く声に不快感を示したが、一度文句を飲み込んで、そうか、とだけ返答する。
「それを聞いて安心したよ。──私はもう、時間切れが近いんだね?」
──そうだ。汝のその身体、千年前に犯した先祖の罪──
──体を魔族に明け渡されても構わぬよう、心の臓が止まるその時より、骨の一つも遺さず消えるその身体──
「そう、か。わかったよ。──やるべき事が見えてきた」
──汝に力を与えられぬこと、口惜しいことこの上ないが──
──汝は『見よ』。敵を『見て』、味方を『見よ』。巫女の、戦士の
わかっているとも、と呟いた。刹那、再度強い浮遊感が身を襲い、足が地面から浮く。その感覚は一瞬で終わり、気が付けば伽藍堂の一室に放り出されていた。
三人が地に伏している。ニコレットはしまったと慌てた。全員同じようにトラウマを刺激されたのであろう、顔色が悪い。
──シトゥルダークが認めし巫女、そして、巫女に導かれし戦士とは、この程度の
──世界の衰退とは、即ち、人の心の衰退。果たしてこのような者に、我らが力を……世界の命運を、託して良いものか──
心の中に直接、守護獣の感情が流れ込んで来る。それは、諦めや怒り、失望と嘆き。それは、砕かれた人の心によく似ている。
──だが、我らこそ力なき存在。力の多くを失った今、心弱き存在に縋るのみ──
「勝手な事を抜かすなッ! 俺は、守護獣に力を示した! それで何が不服だッ!
───つまらない御託は飽き飽きだぜッ! 俺の刃を強さと認めないなら、認めるまで何度でもブチのめしてやるッ!!」
──どこまでも虚勢。届かぬは怒号。それが弱き心の証と、まだ気付かぬのか?──
──戦う力を持たずして、如何にファルガイアを守る?如何に、涙のかけらを取り戻すのだ──
「涙のかけら……!? そんなことまで、どうして……」
怒りが増す。失望が増す。だがやはり、縋るしか道は無いのだと、諦めが増す。
──巫女よッ!戦士よッ! その
──敢えて問おうッ! 我ら守護獣の力を求めるかッ!?──
「──私は、弱い人間です。そのことは充分に理解していますッ! ですから、私は、強くなりたいと願いますッ! 守護獣の力、世界を支えるほどの力を、私は……! その力を求めますッ!」
──
──いいだろう。マザーの復活が迫る今は一刻が惜しい。巫女に、我らが力を託そうぞ──
「マザー……そいつが連中の元締めかよ……ッ!」
──次に視界が開けし時、魔族の居城の只中である。巫女はそこで、我らの力を形に代えよ──
──意志を力と具現化させよ──
──涙のかけらを魔族の手より取り戻すために。この星の未来を、取り戻すために──