結果から言えば、守護獣の企みは失敗に終わった。転移を実行しようとした瞬間、何者かによって妨害されたのだという。何か手は無いものかと思考を巡らせたものの、具体的な代替案が浮かぶことはなく、ニコレットによる「私が『見て』みようか」という提案は、他ならぬ守護獣によって却下された。曰く「同じように妨害されるか、ニコレットの体に直接害を与えられる可能性が高い」とのことだった。ニコレットはそれなりに乗り気でいたが、ロディの「やめて」の一言で、完全にやめる決断をした。
代わりと言わんばかりに飛ばされた場所は、砂漠の荒野だった。燦々と照りつける太陽光が眩しい。
セシリアは胸に三つのミーディアムを抱えていた。間違いなく、守護獣が力を貸してくれている、その証だった。
これから向かうは霊峰ゼノム山だ。その前に、雪山だということで、麓の隠れ里に寄って、準備を整えてから向かうことにする。寒いんだろうな、とハンペンが呟いた。
「どちらかと言えば、私は今とても暑くてたまらないね。」
「真っ黒なコートなんか着てるからだろ。そんなの暑いに決まってる」
「それを言うならザック、君だってコートじゃないか。しかも辛色」
「──俺のは体温調節しやすくできてんだよ!」
「ほらほら、口喧嘩もそこまでにしときなよ。ニコレットも一旦脱いだらどう? 暑くて倒れるよりはマシでしょ?」
それもそうだ一理あると受け入れれば、ザックから「なんで俺の時だけやたら突っかかるんだ」という発言が飛び出して、一行の心の声はひとつになった。盛大なブーメランである。
背負っていたギターケースを砂の上に下ろし、真っ黒なロングコートを脱ぐ。同じく黒いベストもついでと言わんばかりに脱ぎ捨てれば、白いシャツが顕になって、ニコレットは髪留めでもあればなあ、と内心で呟いた。
「──まあ! ロディ、顔が真っ赤ですよ! 熱中症ですか?」
「いや───あの───」
「……ええと、セシリア。耳貸してもらっていい?」
どうしましたかハンペン、とセシリアが尋ねれば、ぴょいとザックの肩からセシリアの肩へと飛び乗って、ひそひそ話を持ちかける。内緒話のあと、セシリアがニコレットさん、耳を貸してくださいと、リレー形式で耳元に囁いた。
「ニコレットさん、その、気を悪くなさらないで欲しいのですが、……すこし、透けてます」
「──おや。しまったな」
首から下を見下ろせば、汗でほんの僅かに下着が透けている。ニコレットは照れる様子もなく、暑いけど仕方がないと、ベストだけ再度着直した。「すまないな、見苦しいものを見せた。次からは気を付けるよ」
「いーやァ、俺としてはいいもん見れたと……イテッ! 何すんだこのドブネズミッ!」
「あの、ニコレット、そんなに見えなかったから……大丈夫だと、思う」
「ああ、ありがとうロディ。気を使わせてしまってすまない、なにぶん長期で誰かと旅をしたことがなくてね」
ハンペンの行動も、きっと同性の方が伝えやすかろうと配慮したものなのだろう。気にしなくてもいいのに。ニコレットがそう言って笑うと、ロディはぽつり、ニコレットも、とささめいた。
「ニコレットも、ひとりだった?」
「──そうだな。今のロディと同じくらいの歳に、ARMと少しの金だけ持って、住んでいた村を飛び出してね。」
それからはずっとひとりだ。ロディはしばらくニコレットを見上げた後、複雑そうな顔をして俯く。どうしたのかと聞いても、なんでもないと首を振るばかりで、教えてくれそうにはなかった。
地面と同じ黄土色の土壁でできた、立方体の家屋が連立して並んでいる。家屋に取り付けられた申し訳程度の屋根や扉は、最早必要最低限の修繕にしか木材を使う余裕が無いのだろう、壊れて風で舞い上げられた砂が家の中に入り放題になっていても、長らく放置されているようだった。人の数も少ない、寂れた集落だ。
村の中でも一層大きな家屋に足を踏み入れる。商人曰く、そこに酋長がいるのだという。蝋燭の焚かれた部屋の中央に座る一人の老人が、扉を開けた一行を振り返る。
「待っておったよ、巫女よ。そして戦士たちよ」
「ご存知だったのですか? わたしたちのことを……」
老人は嗄れた声でホホホと笑い、蓄えた長い髭を撫でつけた。
「知らいでか。お主らがバスカーの地を訪ねる事、夢に見て、分かっておったのじゃ。──儂が、バスカーの酋長である。」
名前などとうの昔に忘れたので、好きに呼ぶと良い、と老人は微笑み、座るように促す。ラグの上に直接座れば、女性が盆に茶を乗せて、一行に差し出した。独特な匂いがする。
「──さて、霊峰ゼノム山のことを話そう。霊峰ゼノム山は、この集落より北東に聳える白き屋根。その最奥に奉じられた要石こそが、魔族率いるマザーの心臓を抑えし、第一の封印」
「魔族がマザーの目醒めを望むなら、まず手始めにその要石を破壊してくるってわけか……」
「左様。──わしは、お主らこそ、明日に吹く希望の西風『ゼファー』の呼び手であると信じておるのじゃ。
『風詠みの祭壇』の守人を訪ねるが良い。きっと力になってくれるはずじゃ。寝泊まりにはこの家を宿替わりに使うと良いぞ、元より渡り鳥に解放しているからの」
外には商人もいるでな、と言う酋長に、セシリアが「何から何までありがとうございます」と頭を下げた。それに続いて全員が頭を下げると、酋長は笑い、気にするなと手を振る。
眠れない。ロディはぱちりと目を開けた。もう少しで意識が完全に夢の中に落ちていくというその刹那、脳裏に子供の泣き声が響き、ロディは目覚めた。
───お兄ちゃん、その力、ボクたちと違うよ───
魔獣みたいだ、とその口がなぞる。ひゅう、と息が詰まったような音が自分の喉から洩れ、二つの月に白くぼんやりと照らされる土壁が目に入る。
窓の隙間から空を眺めれば、新しき月が煌々と輝いていた。不意に、村人の言葉を思い出す。
──新しき月の輝きが部屋に射し込む時、不吉な予感が胸を襲うのだ──
ロディは起き上がり、服の上から胸のあたりをぎゅうと握り込む。白いシャツが皺を形作り、影が濃く映る。
──この世界に、お前は必要ない──
──お前は世界の余所者なのだ──
守護獣の神殿で、白昼夢を見た。自分に向けられる批判の声から逃げるように走り出す。ずっと遠くで、ニコレットが歩いている。手を伸ばしても、追い掛けても、呼び掛けても、ニコレットには届かない。彼女は振り返りもせずにロディを置いて、ふわりとどこかへ消えてしまう。自由と浪漫を愛する彼女には、そういう危うさがあった。──そばに居ると約束してくれた。けれどいつか、彼女が自由へと消えていく時が、きっと来る。
ロディはベッドから降り立って、脇に置かれたウエスタンブーツを履く。立ち上がった時にベッドフレームが軋み音を立てたが、隣のベッドで寝るザックとハンペンは寝こけたまま、起きそうにもなかった。
扉を開けて外に出る。砂を踏みしめる感触が靴越しに足裏にあった。風が耳元をびゅうと切り、砂を巻き上げて、脚の間を通り抜けていく。
空を見上げれば、月が枯れ果てた砂漠の大地を物言わぬまま見下ろす。
「──寝付けないのかい?」
不意に、背後から声をかけられる。ロディはびくりと肩を震わせて、恐る恐る振り返った。貸し出された寝間着を着込んだニコレットが、ひとり佇んでいる。片手に持った瓶が、ちゃぽんと水音をたてた。──微かなアルコールの匂いがする。
「……お酒?」
「ン……ああいや、飲んでいたわけでは……──いや、嘘だ。実は少し飲んだ」
恥ずかしそうに瓶を背中側に隠したニコレットは、しばらく飲んでいなかったからつい、と笑って、ロディの横に立つ。
「守護獣神殿で、何か見た?」
「……すごいな。何でもわかるみたいだ」
「なんでもわかる訳じゃないけど、あの守護獣達も意地が悪いからね。ろくでもないものを見たんだろう」
「──サーフ村の人たちを見たんだ」
ニコレットの視線を感じる。どうしてか、そちらの方を見れなかった。あれは、起こるべくして起こったことだった。当然の帰結だった。力を振るえば、誰かがそれに恐れを抱くのは、慣れていた──誰かがそばにいてくれればと願うけれど、誰かが受け入れてくれればと祈るけれど。自分にこの力がある限り、そんな日はきっと来ない。
「ロディ」
はっきりと、確かな声で呼ばれた。サングラスに遮られた視線が不明瞭で、夜の闇も手伝って、その奥の光を隠している。
「ロディ、きみは何を見ている?」
「何を……?」
手袋のない指が、頬にそっと触れた。テープの貼られた頬をするりとなぞり、掌に包まれる。
「ロディ。私はきみの──きみ達の、三つ目の眼球だ。」
「三つ目の、眼球」
「きみ達の見るものを、私も見ている。きみ達が目を閉ざせば、私も目を閉ざすだろう。──ロディ、きみは何を見る? きみは何を見たい?」
宵闇の中で、煌々と輝く月の色の目が見える。二つのそれは、じっとロディを見下ろした。私はね、と月が云う。
「ロディ、きみの見る景色を、私も『見たい』と思っている。だから、きみが目を閉ざし、孤独に泣いているのなら、私が傍に居ると、何度でも誓おう。──きみが孤独ではなくなって、その目で世界を見つめられるようになる日が、きっと、来るよ」
「──本当に、来る?」
「来るとも。きっとすぐに来るさ」
頬の温もりが、夜の冷たさの中で、はっきりと確かな熱を持ったようだった。──ささめきの中に込められたそれは、ロディの知らない、母の愛によく似ていた。
「冷えてきたな。そろそろ戻ろう」
こくりとひとつ頷いて、おやすみ、と言った。ニコレットはなんて事ないように、おやすみ、と返す。それが、酷く嬉しかった。
実は1話でも酒飲んでた