雪は止んでいたが、風が強かった。山の頂に近付くにつれて、白い雪が岩肌にかかり、息は白く凍る。寒いなあ、とハンペンがぼやき、ザックのコートの内側にごそごそと潜り込んでいた。
「寒いけど、晴れていてよかったよ。雪の中で登山は洒落にならない」
びゅうと風が吹き抜けて、セシリアとザックが首を竦める。二人とも各々の防寒具を身にまとっていたが、ロディはいつも通りの半袖のシャツだけで、平然としていた。
「ロディ、寒くないのですか……?」
「うん、平気」
「見てるこっちが寒ィよ……。せめてなんか上から羽織るとかしたらどうだ?」
「ごめん、他の服持ってなくて……」
ニコレットがギターケースを開き、蓋側の収納を漁っている。裏地にボア加工の施されたデニム生地のジャケットをずるりと引っ張り出し、ロディに差し出した。
「寒くないとしても、一応は着るといいよ。古いもので悪いけど」
「そんな、ううん、──ありがとう」
ジャケットはロディには少し大きく、だぼついているのを見たニコレットが、くるりと折って留める。戦闘に支障はなさそうだ。
行こうか、と一行は山に向けて歩き出す。霊峰は、白く冷たい様相をそのままに、渡り鳥たちを見下ろしている。
高く登るほど、風の中に雪が混じり始める。セシリアの杖の先端から出る炎で暖を取りながら、山道を進む。長らく誰も立ち入らなかったのであろうそこは、崩れ落ちていたり岩で塞がれていたりと、登山者に苦労を強いている。
凍り付いた大岩をセシリアが溶かそうとして、崩れ落ちたそれから咄嗟にロディが庇い、飛び出した。
「ロディ、姫さんッ! 無事かッ!?」
「大丈夫!」
強風が山頂からの軽い雪を攫って、それがばちばちと頬に当たる痛みに、ニコレットは愁然とした。雪の上に倒れ込む二人に手を差し伸べ、起き上がらせる。
「怪我はしていないかい?」
「はい、大丈夫です。」
「まったく、ロディってばお人好しなんだから。そのうち誰かを庇って怪我でもしそうで、オイラ心配だよ」
「心配しなくても、コイツは誰が相手でも同じようにしたと思うぜ。──だが、命あっての物種だ。無茶しすぎんなよ」
「──うん」
空が曇ってきた、とニコレットが言った。
「このまま登頂は厳しいでしょうか……」
「いや、あとは洞穴を進むだけみたいだ」
『目』を併用しながら、渡された地図を逐一修正していく。封印の周辺は妨害が酷くノイズに塗れており、直接『見る』ことは適わなかったが、それまでの道程なら辿ることができそうだった。
「怪我はない? 凍傷になってからじゃ遅いから、霜焼けになりそうだったらセシリアの炎に温めてもらって、それから進もう」
「おーおー、わかったわかった」
ハンペンがきいきいとザックの肩の上で忠告する。──ニコレットは、不意にぱっと洞穴の奥を見た。「──封印の間に誰か入った」
ニコレットはサングラスを掛け直し、道を急ぐ。ノイズの中で見えた巨大な影には見覚えがあった。アーデルハイドを襲撃し、涙のかけらとゴーレムを奪い去った、千年前の大敵──。ニコレットは知らずのうちにARMを握り締める。革手袋が擦れた音を鳴らした。
「──遅かったな」
笑い声が洞穴の内部に響き、ザックが太刀に手をかけた。
「おや? あの女は居ないみたいだが……」
まあ別にどうでもいいな、と、魔族が鎖を引き摺るじゃらりとした音がする。
「冥土の土産に教えてやろう──俺様の名はベルセルクッ! もっとも、見知る必要はないぜ……マザーの封印もろとも、俺様がブチ砕いてくれるからなッ!!」
魔族──ベルセルクが腕を振り抜き、要石を破壊しようとした刹那、その腕を弾丸が貫く。装甲の隙間を縫うように撃ち抜かれたそれは、肉と関節の柔らかい箇所を的確に抉らんとしたが、ベルセルクは一瞬の判断で腕を曲げ、弾丸を逸らした。
「──フフフ、フハハハハッ!この感触、この静かな殺気ッ!! 覚えがあるぞ──あの女だな? コソコソ隠れやがって、気に入らねェ……ッ!」
ベルセルクが岩間の陰に隠れたニコレットの姿を見初めると、そこに向かって鉄球を振り抜いた。だが咄嗟に飛び出したロディがARMで鉄球を受け止め、その鎖を掴みあげる。取り戻そうと鎖を引いたものの、ぎしりと金属の摺れる音がしただけで、動かない。
(コイツ────ッ!?)
その隙をザックは見逃さなかった。飛ばされたハンペンが小さな目隠しとなって一瞬だけ視界が奪われるのを、さらに下から切り付ける。魔族の装甲はそれだけでは破れなかったが、ベルセルクを仰け反らせるには十分だった。
「──姫さんッ! 今だッ!!」
「ライトニング──ッ!」
「ぐ───オオッ!?」
バガン、という短い破裂音と共に、身体に傷が付けられる。あの女の弾丸だ。
(撃ち損じた? ───違うッ! そんなはずがない!
これは『目印』だなッ!?
「撃て、ロディ」
決して、大声ではなかった。けれどその声は、ベルセルクの耳にもはっきりと届く。鬨をあげ、ロディがARMの銃口を、ニコレットが目印をつけた弱点に向け、引き金を引いた。
「虫けら風情が、やるもんだな……。流石は守護獣と接触した人間ってところか?」
「そ、そんな……これでもまだ、届かないのですか……ッ!」
もうもうとした煙が晴れる頃、にいと唇を釣り上げたベルセルクは、ゲラゲラと嘲笑いながら言う。
「俺様を要石から引き剥がせなかったことは残念だなァ──生憎と俺様の任務は虫けらをぶち殺す事だけじゃない、最優先事項は、コイツだからなァッ!!」
言うなり拳を振り抜いて、要石が破壊される。バキン、という甲高い石の割れる音が洞穴の中に響く。
「……? なに……ッ!?」
粉々に砕けた要石の破片が一層大きく輝いたかと思うと、光が洞穴に満ちて、辺りを飲み込む。あまりの眩しさに目を閉じた後、ベルセルクの姿は、洞穴のどこにもなかった。
「……なんだ、今の……、」
「多分、要石の警護システムだと思う……。正式な手順を踏まずに封印を解除すると、転移装置が作動するよう仕掛けられていたんじゃないかな。」
「ベルセルクが考え無しに封印を解除してくれたのは、不幸中の幸いだったな……。」
けれど、あのままだったら、とセシリアが呟く。全員の心象は一致していた。あのまま戦っていれば、恐らくは負けていた。各々が各々の出せる全力を出したはずの戦いだった。
「勝つ為には、力が必要なんだ──魔族と対等に渡り合える力が。全てを砕く、『絶対たる力』が……ッ!」
ザックの呟きが、いやに耳に残る。