Side ハジメ
カチッ……カチッ……カチッ……
時計の音がやけに響いている。周りの人の喧騒は絶え間なく続いているがそれ以上に時計の音が耳の入る。
「……」ドキドキ
僕は今、人生で一番緊張しているかもしれない。いや、もしかしたらこれからの人生でこれ以上の緊張感を味わうことはないかもしれない。それほどまでに僕の心臓はバクバクと煩いくらいに鼓動し続けている。
今日は待ちに待った日だ。僕にとって一生忘れられない一日になるだろう。そう思うだけでまた更に心拍数が上がる気がした。
「ハジメ君!」
声をかけられて顔を上げるとそこにはいつも通り笑顔を浮かべた白崎さんがいた。少しだけ息切れをしているようで肩が大きく上下していた。
「ごめんね、待たせちゃたみたいで……」
「僕も来た所だから大丈夫だよ」
嘘である。本当は1時間前から待っていたのだけれどそんなことを言ったら引かれてしまうと思ったから咄嵯についた嘘だったのだがどうやらバレてはいないようだ。
そして彼女の服装は普段とは違ったもので淡いピンク色をしたワンピースを着ておりとても可愛らしいものだった。正直なところ似合いすぎていて直視できないレベルなのだがここで目を逸らすわけにはいかないと思い何とか視線を合わせることに成功した。彼女は顔を赤くして俯きながら口を開いた。
「えっと……その服可愛いって思ってくれた?」
「うん!凄く似合ってるよ!」
思ったことをそのまま口に出すとさらに真っ赤になってモゴモゴし始めた。あぁもう本当にこの人はなんなんだ!?こんな反応されたらこっちまで恥ずかしくなるじゃないか!!……でもまぁそういうところが好きなんだけどさ。
それから二人で映画館に向かって歩いていくことにした。道中会話はなかったけど別に気まずいとかじゃなくてお互い照れているだけだというのはわかっていた。だって隣にいる彼女がずっとニコニコしながらこちらを見つめてくるんだもの……
流石に耐えられないよね? 映画が始まるまでの時間はまだ結構あったので適当にぶらつくことにしようと思って歩き出した時、突然後ろから声をかけられた。
「ねぇねぇ、そこの彼女〜そんな冴えない奴なんてほっといて俺たちとお茶しない?」
「そーそー!俺らと遊ぼうぜ〜」
何ともテンプレートなナンパに遭遇したものである。僕は小さくため息をつくと振り向いて二人組の男を睨みつけた。すると二人は一瞬怯んで後退りしたかと思うとすぐに威勢を取り戻してきたようで再び近づいてきた。
「おいお前今のため息は何だコラァ!!」
「そうやって調子乗んのもいい加減にしとけよガキィ!」
僕は大きく深呼吸をして男たちに向き合うとはっきりと告げてやった。
「すみません。僕たちこの後予定があるのでお断りします」
これで引き下がってくれればいいが多分無理だろう。それでも一応断れただけマシだと思おう。そう考えて立ち去ろうとした時、もう一人の男が殴りかかってくる姿が見えた。
「オラァッ!!!」
(しまっ……)
思わず腕を上げようとしたその時、横から伸びてきた手が男の拳を受け止めた。
「暴力とは関心しませんね」
「「零斗(くん)!?」」
僕たちの目の前に現れて冷たい笑みを浮かべる零斗の姿があった。
「私の友人に手を出すとはいい度胸ですね」
そう言って男の腕を掴む力を強めると男は痛そうな表情を見せた後、舌打ちを残してその場から走り去って行った。残されたもう一人もその後を追いかけるようにして逃げていった。
「怪我はありませんか?」
「僕はないよ」
「私も大丈夫」
無事なことを確認すると彼はホッとしたような顔になった。
「どうしてここに?」
「刀華とデートしていた所だったんですよ。それで、偶然近くを通りかかったんですよ。そうしたらあなたたちが絡まれていたので助けに入ろうと思ったのですが……」
そこで言葉を区切ると今度はニヤリとして続けた。
「必要なかったみたいですかね?」
どうやら最初から見ていたらしい。
という事は先程のやり取りも見られていたのか……。なんか急に恥ずかしくなってきたぞ。白崎さんの方を見ると顔を真っ赤にして俯いていた。そんな僕らを見て何を思ったのか、零斗がとんでもない事を言い始めた。
「デート楽しんでくださいね……では失礼します」
それだけ言うと踵を返そうとしたので慌てて呼び止めようとするがそれよりも早く彼が言葉を続けた。それはまるで僕たちを揶揄うかのような口調だった。
———ごゆっくりどうぞ。
そんな捨て台詞を残していくとそのままどこかへ行ってしまった。僕たちはしばらくその場で固まっていたが、このまま突っ立っている訳にもいかないのでとりあえず移動することにした。
映画を見る前に軽く食事を済ませようとレストランに入ったのだが、店内に入ると何故か僕たちに視線が集まっている気がした。特に女性からの。そしてその原因は隣の白崎さんにあることは間違いないだろう。彼女の容姿は誰が見ても整っていると言えるほど綺麗なものだし、そんな人が隣にいたら誰だって見てしまうはずだ。
「ハジメ君どうしよう……」
「えっと……どうって言われても僕にはわからないかなぁ」
ただでさえ緊張しているというのにこれ以上僕の精神を削らないで欲しい。それから席に着くまでの間ずっと視線を浴び続けていた。そしてようやく着いた時にはもう精神的疲労感が半端じゃなかったので、食事中くらいは忘れたいと思い無心になって食べることにした。
(ねぇねぇ、あそこの二人なんかいい感じじゃない?)ヒソヒソ
(初々しいねぇ……男の方もすっごいイケメンて訳じゃ無いけど、優しそうでいいわね!)コソコソ
……恥ずかしいよ、しかも前の席に座ってる白崎さんからの視線が痛いよ。食べ終わる頃には視線も感じなくなっていたので一安心した。
「美味しかったね!」
「そうだね。また来ようか」
「うん!」
満面の笑顔を浮かべる彼女に癒されながら映画館へと向かって歩いていく。映画館の中へ入るとチケット売り場には長蛇の列ができており、受付のお姉さんの目が死んでいた。
「うわぁ……凄い人だかりだなぁ」
この様子だと入場するまでにかなり時間がかかりそうである。
「ん?ハジメ?」
「あ、柊人さん」
声をかけられたので振り返るとそこには私服姿の柊人と悠花さんがいた。
「こんなところで会うなんて奇遇だね」
「本当ですね。お二人はこれから映画ですか?」
「うん、そうなんだけど……チケット取るまでに時間掛かっちゃうかな……」
これだけ並んでいるとなかなか進みそうにもない。
「なら私達のチケットあげるよ!」
唐突にそんな提案をしてきたのは意外にも悠花さんだった。いや待って?いきなり過ぎて理解追いつかないんですけど?
「いや〜、チケット買ったのは良いんだけど……私達、恋愛系の映画あんまり好きじゃなくて……だから、いっその事ハジメ達に譲ろうかなって」
ポリポリと頬掻いて照れくさそうにはにかむ悠花さん。その仕草はとても可愛らしくて思わずドキッとする。
「ハジメ君?」
「ひゃい!なんでしょう!」
白崎さんに突然名前を呼ばれて変な声が出てしまった。彼女は少しムスッとした表情になると僕を見つめてきた。
「何か別のこと考えてたの?」
「ソ、ソンナコトナイデスヨ!」
それにしてもこういう時の彼女から放たれるオーラは何と言うかこう……上手く言えないがとにかく怖い。そうして僕が冷や汗を流していると今度は柊人がニヤリと笑いながら口を開いた。
「カップルの痴話喧嘩みたいですね」
「「ち、違うよ!!」」
見事にシンクロしてしまった。
「フフフ……ではデート楽しんでくださいね」
そう言い残すと二人はさっさとその場を離れて行ってしまった。残された僕たちの間に何とも気まずい空気が流れる。そろそろ上映時間が迫ってきているので僕たちも早めに移動した方が……
そう思い歩き出そうとした時、服の裾を掴まれた。振り返ると白崎さんが小さく呟く。
「手、繋がない?」
上目遣いで言われたせいで一瞬思考停止してしまう。そしてすぐに再起動すると慌てて返事をした。
「え!?ぼ、僕なんかで良ければ……」
「ありがとう」
そう言って微笑みかける彼女の手を恐る恐る握る。女の子の手を握るのは生まれて初めてなので妙に緊張する。しかし、それに反して彼女の方は随分と落ち着いているように見えた。
(あれ?もしかするとこれって僕だけ意識しすぎなのか?)
そんな疑問を抱いているうちに上映場所に着いた。周りを見ると席はほとんど埋まっており、やはり人気作品なのだと実感させられる。場内が暗くなりスクリーンに映像が映し出される。
「なんかドキドキするね!」
「う、うん……そうだね」
正直、僕はもう心臓バクバクである。そんな僕とは対照的に白崎さんはとてもリラックスしており、まるで最初からこの映画を楽しみにしているようだった。映画の内容はよくある学園ラブコメもの。
主人公は授業では寝てばかりで不真面目、でも人一倍優しい少年、そんな彼に恋する文武両道で才色兼備の少女……といった話だった。
映画の中でヒロインの少女がある事件に巻き込まれる。少女の幼馴染が主人公と少女の関係に嫉妬して、事故に見せかけて主人公を殺そうとするのだ。もちろん主人公は死ぬはずもなく、逆に返り討ちに遭ってしまう。
そして少女は主人公の優しさに触れ、彼に好意を抱くようになる。だが、同時に彼への罪悪感もあり葛藤していた。
そして最後の選択を迫られたとき、少女は選んだ。自分の想いを貫く事を……。そこでエンドロールが流れ始めた。白崎さんの方を見てみると満足げな顔で画面を眺めていた。
「面白かったね!」
「うん、最後は感動したよ」
「私も!」
お互いに感想を言い合いながら映画館を出る。時計を確認するともう夕方になっていたので今日はこの辺で解散する事にした。
別れ際に彼女が僕の方に向き直り真剣な眼差しを向けてくる。どうしたんだろうと思っていると、急に僕の右手が温もりに包まれた。驚いて視線を落とすと白崎さんの両手が僕の手を包み込んでいた。
「ハジメ君、私は貴方の事が「香織!こんな所で会うなんて偶然だな!」……光輝くん」
白崎さんの言葉を遮るように大きな声が聞こえてきたかと思うとそこには天之河 光輝が走って寄ってきていた。容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能という完璧超人。その上性格まで良くて男女問わず人気がある。何故こんな所に……そう思っていると彼は僕の存在に気付いたのか目を丸くして固まってしまった。
「南雲、なんでお前が香織と一緒に居るんだ!」
「いや、それはこっちのセリフだよ……」
どうしてこのタイミングで登場するんだよ。
「あ、あのね光輝くん、これは……」
白崎さんが何か言おうとした瞬間、彼の表情が変わった。
怒りに満ちたような鋭い目つき。
そして次の瞬間には僕に向かって殴りかかってきた。突然の出来事に反応できず殴られそうになったその時、横から伸びてきた手が拳を受け止めた。
「まったく……いきなり暴力とは関心しませんね」
「邪魔をするな!恭弥!」
「そうはいきません。彼は私の大切な友人ですから」
そう言って恭弥さんはニッコリと微笑むと、天之河君の腕を掴み軽々と投げ飛ばした。
「ぐあっ!?」
「さて……これで少しは冷静になりましたか?」
「チッ……覚えてろ!」
そう言うと倒れている天之河君は走り去って行った。
「全く騒々しいですね。大丈夫ですか?」
そう言って手を差し伸べてくれる恭弥さん。僕はその手を掴んで立ち上がる。改めてお礼を言うと彼は首を横に振った。
すると今度は白崎さんが申し訳なさそうな表情をして頭を下げてきた。
「ごめんなさい、私のせいで迷惑をかけてしまって……」
「い、いや別に白崎さんのせいじゃないよ。悪いのは明らかに向こうだし」
暗い表情になる白崎さん。いつも明るい彼女からは想像できない表情だった。こういう時はどうすれば良いのだろう。こういう時に限って何も言葉が出て来ない自分が嫌になる。
「気にする必要は無いですよ」
そう言ったのは恭弥さんだった。
「え?」
「そもそもの原因は天之河君の勝手な行動が原因ですから」
「う、うん……」
穏やかな笑みを浮かべて語りかける恭弥さん。これが大人の余裕って奴なんだろうか? 恭弥さんの言葉を聞いて白崎さんは納得した様子だったが、何故か僕をじっと見つめて来た。そして唐突に口を開く。
「ねぇ、ハジメ君」
「ひゃい!」
また変な声が出てしまった。恥ずかしさで赤面していると彼女は笑顔で口を開いた。
「また今度、二人でどこか遊びに行こうね」
「うん、そうだね」
二人きりで出かける約束を交わした僕たちは、それぞれの帰路についた。
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「『また今度』か……楽しみだなぁ……」
帰り道で一人呟く。最近、僕は毎日が楽しい。学校に行って、白崎さんと話して、零斗と恭弥に勉強を教えてもらったり、柊人や浩介達も一緒にゲームしたり、刀華さん達と一緒に買い物に行ったりして……そんな日々がとても幸せだった。
でも、だからこそ思う。僕みたいな人間が零斗達みたいな人と関わっても良いのだろうか。もっと相応しい人が居るんじゃないだろうか。そんな事を考えてしまう。
白崎さんはきっと素敵な人だから、いつか誰かと付き合う事になるかもしれない。もしそんな事になったら、今の幸せな日常は消え失せてしまうのではないのだろうか? そんな不安が胸を過る度に心に黒いモヤのようなものが広がっていく。
(駄目だ、今は考えないようにしよう)
余計な事は考えるな。白崎さん達との時間を楽しめばいい。それだけで十分じゃないか。
『本当にそれで満足なのか? 』
そんな言葉が胸中に渦巻く。満足できるわけがない。だって、本当は………………
「みぃーつけた」
「え?」
声が聞こえた方を向いた瞬間、僕の意識は闇に沈んだ。
相変わらず小物な天之河なのでした……ハジメ君はヒロイン、異論は認めん!