神浜市立大学の食堂は無駄に広い。
何でも「単に食欲を満たすではなく、学生達の学習意欲をも満たす想像的空間」とか言う無駄に壮大かつ高い意識を持った建築家によってデザインされたらしく、学部棟サイズの建物一棟を改装したそれは最早学食ではなくファミレスか高級ホテルのバイキングと呼ぶべきだろう。
兎にも角にも広くて、豪華で、快適。
空きコマがあればふと寄りたくなる、居住環境の完成形だ。
が、しかしそのせいで数多の堕落をひきおこしているのもまた事実。
過ぎたる快適さと居心地の良さは、未来ある学生達から学習意欲を奪い去るには十分過ぎたのである。
現に今も隣のテーブルでは派手な格好の女学生らがキャイキャイと騒いでいるし、3つ先のテーブルではなんとカードゲームをやっている連中すら見えるではないか。
そう、長時間の着席による腰や背中への負担を軽減する椅子(低反発のクッション付き)や資料を広げても簡単にははみ出したりしないクソデカテーブルは、どっちかって言うと遊んでたい学生達の手によって駄弁りの場へと変貌してしまったのだ。
「……待たせてしまったかしら」
「いや、別に。昼飯食ってたから」
そしてそれは、僕──
いや、「変わらない」と言うよりかは「変えさせてくれない」と表現するのが正しいか。
兎にも角にもここ数ヵ月の付き合いで一番分かったのは、彼女は本当に同年代が疑ってしまう程凜としているのにも関わらず対等な立場での会話を好んでいる事だった。
「貴方ね、またカレーを食べたの?」
「そうだけど?」
「『そうだけど』って、もう4日連続じゃない……少しは栄養バランスも考えたらどうなの」
「食べちゃいけないのかよ」
「貴方の健康を思って言っているの」
「……オカン」
「誰がオカンですって……!?」
まだ19なのに、と愕然とした表情で呟く彼女は──実際の所、神浜市立大では知らない人間など一人もいないと確信出来るレベルの有名人だ。
頭脳明晰、文武両道。
受け答えは要点を捉えつつ快活で、例え相手が教授だろうがおかしい事にはおかしいとハッキリ言える度胸の強さ。
しかしだからと言って行動全てに棘がある訳でもなく、基本的に冷静沈着かつ穏やかな物腰は接する者全てを問答無用で惹き付ける。
あまりに要領が良いモノだから「お前人生2周目だろ」と言いたくなったのも1度や2度の話ではなかった。
しかも、だ。
このように立ち振舞いの1つ1つにすら得体の知れぬ風格を感じさせるのも然る事ながら、その常人離れしたスタイルの良さとクール系な顔立ちを活かして子供の頃からモデルをやっていると言うのだからもう本当に開いた口が塞がらない。
そんな彼女と、これと言って目立つ特徴は1つとして持たない僕が同じテーブルを囲んでいるのは──単純に2人共同じ文学部生だから。
もっと詳しく言うのならば、同じサークルに所属しているから。
それだけでしかない。
友達とか恋人とか、そんな浮ついた関係では断じて無いのだ。
もしそうだったら今頃僕は嫉妬に狂った学友達にぶち殺されているだろう。
同じテーブルを囲んだとしても、話すのは殆どサークル活動の事だけだ。
世間話もそこまで深くはしない。
「……で、何か新しい『噂』は見付かった?」
「あぁ、うん。適当に纏めてきたよ」
「ありがとう。いつも悪いわね」
ポイ、とテーブルにメモ帳を放れば七海さんは間髪入れずに拾い上げて読み始めた。
これもまた、ここ数ヶ月で見慣れた展開だ。
講義と、ゼミと、課題と、仕事。
それら全てを疎かにするつもりはないらしいが、如何な完璧超人七海さんとてサークル活動を加えるのは中々無理がある、らしい。
それでも折角大学生なんだから、何処かしらのサークルには入ってみたくて……と言うのが事の経緯である。
「本当にごめんなさい。次は……次こそは必ず参加するわ」
「無理しなくて良いよ。最近忙しいんでしょ?」
「それは……」
「いいっていいって。こうして来てくれてるだけでも助かってるんだから」
「そう……」
先程までの威圧感から一転、心底申し訳なさそうに謝罪する七海さんにヒラヒラと手を振る。
そう、何も問題は無いのだ。
全く以て度し難く、下心満載な話でもあるのだが──どうやら大学一の人気者から頼み事をされて僕は喜んでいるらしいのだから。
そうしてページを繰り続ける彼女を眺めていると────
「この、FM神浜の噂なのだけれど」
「ん、なに」
「これ、本当に貴方が書いたの?」
開いたページを此方に見せ付け、紙面を指先で叩く七海さん。
その心なしか険しい表情に疑問を覚えつつ視線を向ければ、其処には見慣れた筆跡で「FM神浜の
間違いなく僕が書いた項目だ。
ただ──確かに、変だ。
ラジオを切ろうとすると
「いや、我ながらやべぇなコレ……」
「怪文書の類いにしか見えないのだけれど?」
「いや、うん……僕の目にも怪文書にしか見えない」
ヤバい。
中央区の女学生にインタビューして聞き取った事をそのまま書き付けたと100%断言出来るが、だからこそヤバい。
──あの子、こんな事言っていたか?
少なくとも覚えている限りではこんなエキセントリック極まりない怪文書を捲し立てられてはいないのだが。
此方を見詰める七海さんの視線も心なしか不憫な者を見るような──いや待て、もっと酷い。
具体的に何を以てそう判断したのかは自分自身にも分からないが、何かちょっと疑念らしきモノが見え隠れしている気がする。
「もう1度確認したいのだけれど、本当に貴方が人から聴いたのよね?誰かの手帳を間違えて持ってきてしまったとか、創作の趣味があるとか、その……危険な薬をやっているとかではなくて」
「いや、ないない。今の所プロの作家になろうと考えた事は無いし、薬なんて以ての外だよ」
「そう、よね……」
僕の返答に、七海さんは顎に手を置いて沈黙する。
会話が続かない。
何を言い出せば良いのか分からない。
「……」
「……」
何か、嫌な予感がした。
上手く言葉には出来ない。
強いて言うならば、何て事はないサークル活動の筈なのに、自分が書いたメモの筈なのにへばりついて拭い取れない気色悪さ。
あまりに得体が知れなくて笑い飛ばす事すら出来やしない。
しかし──顔を上げた七海さんは、それ以上の得体の知れなさに満ちていた。
「……ありがとう、それだけ知れれば充分よ。後は私に任せて」
「へ?」
「すぐに片付けてくるから、此処で待っていて頂戴」
任せてって、何が。
片付けるって、何を。
考えても分からないし、何か声を出そうと思った時には既に七海さんは立ち上がっていた。
そして、午下の生温い空気に薄花色の髪が靡き──追い縋ろうと立ち上がった僕の額を彼女の人差し指が押し戻す。
「待っ──」
「大丈夫、起きた時には全て忘れているから」
相手は女性で、しかも指1本だ。
幾ら額を押さえられたからって、押し戻される訳がない。
「……?」
でも、気付いた時には椅子の上にストンと腰を落としていた。
それだけならまだしも、突然目を開けている事すら億劫になる位の眠気が襲ってくる。
身体からどんどん力が抜ける。
いよいよ両手にすら力が入らなくなってテーブルにくずおれる僕を見下ろして、彼女はクスリと笑う。
「な、に……を……」
「……来週の活動も楽しみにしているわ」
そうか、七海さんはこの為に態々隅の席を指定したのか。
他者の注目を避け、会話も漏らさず、僕が
此処に至って漸く気付いた。
でも、気付いた時にはもう遅い。
「な……み、さ……」
「おやすみなさい、日暮くん」
徐々に暗くなっていく視界の中で、此方にスッと伸びた背筋を見せた七海さんが歩き去っていく。
その後ろ姿に手を伸ばそうとして。
伸ばそうとして────
七海やちよは魔法少女だ。
それも12歳の時にキュゥべえを名乗る胡散臭い獣と契約を果たして以来、7年間に亘って幾つもの死線を潜り抜けてきた歴戦の魔法少女だ。
そんな彼女にとって、何が起こるかまるで分からない魔女の結界内で感じた違和感とはそれそのものが勝利へと繋がる大きなヒントである。
故に、五感の全てから脳内に取り込まれる情報は、一片たりとも見逃すことは許されない。
己の、他人の生死が懸かった魔女退治ではどんな些細な違和感でも認識し、詳細に分析する必要があった。
されど、その警戒を日常生活にまで持ち込むのは如何なモノか、とやちよは思っている。
シャツのボタンが取れた。カップを洗い忘れた。セールを逃す。靴下を片方だけ洗濯し忘れた。
確かに面倒は面倒だが、その程度の事象は大抵なんの意味も持たないし殊更に取り上げる必要も無い。
これが魔女の結界内で発生したならば敵の特徴を掴む切っ掛けとなるかもしれないが、幾ら全魔法少女の中でも上澄みレベルの手練れであるやちよとて毎日魔女と戦っている訳ではないし、四六時中気を張っているのは流石に無理がある。
つまり何を言いたいのかというと、全てを抱え込んで一杯一杯にならない為にも状況に応じて些細な「違和感」は見逃すべきであり────
「……」
テーブルに突っ伏してすうすうと寝息を立て始めた青年。
彼をを後目にその場を去った瞬間抱いた、殆ど自己嫌悪にも近い「違和感」をやちよは無視するべきなのか、という話である。
この問題に何かしらの答えを見出だす為に彼女は思考の海へと没頭し、中央区へと向かう電車の中でも仏頂面を僅かにしかめ続けていた。
「何が『来週の活動も楽しみにしている』よ……!」
そもそもからして、非公認サークル「ウワサ倶楽部」はやちよが作り上げた欺瞞だ。
その存在意義は数ヶ月前に初めて遭遇して以来、神浜市内で散見される
あの青年だって、偶々同じ学部にいた「噂集めが好きな一般大学生」でしかないのだ。
それを多忙が過ぎるあまり首が回らなくなっていたやちよは、魔法で以て誑かして────
「本当に、嫌になる……」
彼は人の噂を集めるのが好きなだけだ。
その真偽を確かめようとはしない。
だから
あくまで人から噂を聞いて私に報せるだけだから、命の危機に陥る事はない。
現に鉄火塚のウワサ、覗き見城下町のウワサは彼の情報を元に撃破出来たのだから何の問題も無いだろう。
────それで?
卑劣だとは理解している。
魔法の悪用だと自覚もしている。
それでも学業、モデルとしての活動、魔女退治に加えてウワサ退治まで全てを遂行するとなれば、外部の支援が必要であると認めざるを得なかったのだ。
そして、その行いに良心の呵責も感じている──ただ電車に揺られている、この瞬間でさえ。
「いっそ、割り切れたら良かったのに」
そう言う性分なのだと知りつつも、一人言は止められそうにない。
やちよは不器用だ。
一見すると自分にも他人にも厳しいように思われるが、それは適切な間合いが分からず1か100かしか選べないからであって、断じてストイックな性格だからとか
「ごめんなさい、ね」
それを言う資格すら、今のやちよには分からない。
彼の純粋な好奇心を自分の手で歪めてしまった上に、謝罪の1つすらせずに彼の名前を呼んでしまった。
頼って、絆されて、依存した。
甘ったれだ。
とことんまでは甘ったれているとやちよは自嘲する。
「……来週は、ちゃんと全て話しましょう」
ビルの合間を縫って、電車が走る。
敷かれた軌条の上を誘導され続ける。
決して逆らえない流れに乗せられたやちよが出来る事は、空虚な謝罪を繰り返すだけ。
今もテーブルに突っ伏して穏やかな寝息を立てているであろう、あの青年に向けて。
ただ純粋にサークル活動を楽しもうとしていた、
そうして何度目かも分からぬ深い溜め息を吐いたその瞬間。
捻じ曲がったアナウンスが、誰かの寂寥に満ちた車内に響く。
車窓から見えていた神浜の市街も、いつの間にかサイケデリックな砂漠へと変貌を遂げている。
「……魔女?」
魔女。
魔女と来たか。
ウワサを掃討しなければならないのに。
日暮への懺悔に耽らなければいけないのに。
倒れる。
吊革を握っていた知らない他人が、壁に寄りかかって喋っていた知らない高校生達が、誰も彼もがバタバタと倒れていく。
その中で────蒼い燐光が迸る。
魔法少女が構えるは、曇りなき白銀の槍。
そう、例え迷いの中にあろうとやちよが戦いを迷う事は決して無い。
例えそれが、己の内側に巣食う歪んだ感情を増長させているのだとしても。