世界を巡る異邦の救砕者   作:サウィンドゲッアウシー

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お久しぶりな作者です。やっと出来たので投稿。


菜の玖「流星」

 

 

 

 

 沢山の…それはそれは沢山のそれは光だった。夜空を彩る綺羅星の如き光輝達が一条の尾を引き一斉に雨の様に流れゆく…そんな光の群れ。だがその行く先は遥か空の彼方の星の海ではなく極東の未だ夜深き夜陰の地に降る。そして___

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

「ハァハァハァッ!くそ!なぜ鬼が三体も!しかも群れて(・・・)いやがるッ!?話が違うぞ糞ったれがッ!!」

 

 息も荒く乱れ刀を正眼に構えた男は一人そう毒吐く。五人居た同僚は既に地に倒れ伏している。幸い全員生きてはいるが四肢の骨のいずれかを数箇所以上折られまともに動け戦える者は己のみという有様。はっきり言って状況は最悪に近い。この地で討滅する鬼は一体のみの筈だった。それが蓋を開ければ三体もの鬼と対峙するはめになったのだ毒づきたくもなるというもの。前日に鎹鴉から受領した任務内容は村の村民が幾人か行方不明になっているとの事で被害規模から単体の鬼の討滅だったのだが着いてみれば既に村の被害は想定していた以上に拡大していた。なので早急に鬼を滅するべく警戒しつつ夜になるのを待ち不本意ながら特異な己の特性を活かし誘き寄せたまではいいが…結果はこれだ。基本、鬼は群れる事などない。複数その場に居合わせるなら大概は縄張りが被ったり狩場を変えた場合なので出会えば獲物を巡って鬼同士争う程に協調性は皆無に等しい。なのに目の前の鬼共は(いが)み合う事すらなく連携して襲いかかってきた。常ならあり得ない事である。そう常ならば…。

 

「兄者、もういいじゃろう? いい加減に腹が減って背中とくっ付きそうじゃ」

 

「はぁ…まったくお前は相変わらず堪え性がないのう。過程を楽しめといつも言っておると言うに」

 

「そうは言うてもよぅ兄者、此奴から漂う匂いは稀血じゃ辛抱堪らんて」

 

「んじゃんじゃ!オレ腹減った!もう食う!兄ぃ早う!早うっ!!」

 

「お前もか。二人してほんに我慢できん弟達じゃな。…まあよい、少々もの足りぬが次に来るのに期待するとしようか。時を置けば鬼狩り共は後でいくらでも湧いてくるからのう。此奴らはもう用無しじゃて。いや?儂等兄弟の糧になるんじゃからそうでもないか?なら感謝して喰わねばいかんのう。クカカカカッ!」

 

「おおよ!久々の稀血じゃ!じっくり味わって食わねばなッ!」

 

「メシ!メシ!メシ!オレたんと食うっ!腹いっぱい食うッ!!」

 

 それが兄弟鬼という今まで見た事も聞いた事もない特異な例でなければ…。

 

「ぐぅッ!こ、こんな奴等に喰われて…たまるかアァァァァァァッ!!」

 

 気炎を吐き男は自身を鼓舞する。男だって解ってはいた。この状況を覆す手立てが無い事くらい。一体でも複数名で挑み五体満足で討滅できるか微妙なのだ。それが三体ともなれば撤退する事さえ叶わない。せめて稀血である自分を巡って仲違いでもすれば些少なりとも活路があったかもしれないが…目の前の鬼共は兄弟仲がすこぶる良いらしくそんな素振りは微塵も感じられない以上望むだけ無駄だろう。

 

「おうおう、活きが良い事よ。こりゃ久々に食いごたえがあるぞ。カカカカカッ!」

 

「じゃな兄者!」

 

「ハツがいい!オレハツ食いたい!」

 

 恐怖を煽る為か会話しながらジリジリと距離を詰めてくる三鬼。その余裕綽々とした態度に男は(ほぞ)()む。今は真夜中、子の刻。朝日が昇るまで少なくとも三刻はある。現状それまで持つとは到底思えない。このままでは全滅は必至。ならば己に出来る事は…一つのみ。自身を囮とし他を逃しつつ全力で抗い少しでも此奴らの情報を引き出す。それが後に相対する者達の一助となりこの鬼共を滅する布石となる…そう信じて。

 

「ほざけ!そう易々と食えると思うなよ!人間の意地見せてやる!この糞鬼共がッ!」

 

 自身に(かつ)を入れる意味も込め声高々と啖呵(たんか)を切る。と同時にこれは近くに居るであろう鎹鴉達に宛てた言葉でもあった。

 

 基本、鬼殺隊士には一人に付き鎹鴉は一羽付く。なので今回同行した鎹鴉は全部で六羽。内三羽は既にこの状況を報告するべくこの地を離れているだろうし残り三羽は近くに潜伏し今もつぶさに状況を観て情報収集している筈だ。その中には自身の鎹鴉もいると断言できる。最後まで付き合う…あれはそういう奴だ。

 

 思えばそこそこ長い付き合いになる。出会った当初は畜生と侮り口喧嘩していたものだが今となっては苦楽を共にする相棒といった感じに軽口を叩き合う仲で鬼に家族を殺され鬼殺の道を選び怒りと復讐を願う余りに殺伐としていた心を幾分か楽にしてくれていたのだと気付いたのは何時だったか。鎹鴉は賢い。それこそ人と比べても遜色ないと思える程に。だから一羽それぞれに個性があり陽気な奴だったり陰気な奴など感情面も個々に豊かで自身の担当になった奴は結構お喋りな質で人目がなければ常に喋り続けるものだから同僚からは憐憫の目をよく向けられたが当人としては騒がしいと思うも不思議と最初から気にはならなかった。多分それは鴉とはいえ常に側に居て話し掛けてくる存在に心安らいでいたんだろう。たとえ復讐に狂おうとも孤独にはなれない…いやなりたくない。人とはそういうものだと今は心から思う。

 

 落ち込むであろうなあ奴。自身の前も数人担当していたそうだが何れも殉職しその都度だいぶ塞ぎ込んだと聞いておるし。最前線で戦う鬼殺隊士の末は怪我で一線を退くか鬼との戦いで死ぬかのほぼどちらかしかない。些少の例外もあるが概ねそうなる。そんな最後を…鎹鴉の役目上仕方ない事とは言えまた見届けさせてしまうのだ。その当人として心苦しく思う。願わくばこの先の相棒に新しき良き巡り合わせがある事を願うばかりだ。奇しくも今宵はあの日と同じく十日月夜。覚悟はとうの昔に出来ている。やってやるさ。

 

「こいつが欲しいんだろう?なら恵んでやる!そら受け取れッ!!」

 

 意を決し素早く左腕下膊の腹に刀の根元から刃先まで血が付着するよう手前に引き浅く斬る。そして間髪入れず手首を返し鬼の長兄目掛け振り抜いた。すると刀の軌跡に添い刀身を赤く染める鮮血は狙い違わず鬼の肩口から顔付近に点々と張り付き病的に白い肌を斑らに濡らす。

 

 普段は針や小刀などで少量の血を抜きこんな手荒な手法を使う事など無いのだが今は注意を引き時間を稼ぐ事が肝要と判断し割り切る。なにせ三鬼すべて引き付けなければ囮の意味はなく言動から弟鬼共は何もせずとも追ってくるだろうが狡猾で一番厄介そうな長兄鬼は此方の意図を読みこの場に留まると半ば確信できるのでそれをさせない為の措置だ。

 

「ヌ?おおお?!稀血じゃ!?これは紛う事なき稀血じゃ!久しゅう味わってなかったのう!甘露っ!実に甘露よッ!クカッ!クカッ!クカカカカカカッ!!!」

 

「あ、兄者だけ狡いぞッ!」

 

「そうじゃそうじゃ!兄ぃズルイッ!」

 

 結果、その効果は抜群。頬に付着した血を指で掬い取って口にした長兄鬼は喜悦も露わに叫ぶ。それを見た弟鬼達は自分だけ稀血を味わう兄鬼を羨み抗議の声を上げた。

 

「ハッ、浅ましいな鬼共。もっと欲しいか?なら…着いてこいッ!!」

 

 それを見て十分釣れたと判断した俺は更に駄目押しの一手とばかり再度血を付着させた刀を大きく横一線に振りつつ踵を返す。結果は判り切っている以上この場を急ぎ離れるべく挑発混じりに叫ぶと同時に樹木の合間を縫って駆け出した。もたもたしてこの場で襲われるのを避けるためだ。その際いまだ倒れ伏し一連のやり取りを見ていたであろう纏め役の男に顔を向け刹那のあいだ視線を交わし強く頷いておく。直前の己の言動と仕草それが意味する所を正確に読み取ったらしく男は苦渋混じりの表情を浮かべ顔を歪ませるも直ぐさま頷き返してくれた。ならば憂いはもうない。

 

「さて、いくか…。あの夜の続きを終わらせに…」

 

 疾走中の男の唇から漏れる微かな呟きは地を踏みしめる複数の足音と風音に紛れ誰の耳にも届く事なく夜の闇に消えていった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼を引き連れ急速にこの場を離れていく男の背を瞳に映し後を託された男はかつて聞いたある言葉を思い出す。「もしだ、もし進退極り撤退を余儀なくされる事態に陥ったなら稀血持ちである俺が殿もしくは囮となり他を逃す」などと何度か酒の席で冗談交じりに話していたのを。「ハハハ、ならその時がくれば頼むかもな。だが、そんな事にはならぬよ」などとその時は皆口々に軽く言い返したものだが…今に至り本気だったと思い知る。

 

 鬼殺隊に所属する者は大半が鬼の被害者だ。親兄弟を殺された者に子を殺された親や恋人もしくは思い人を殺された者など男もその例に漏れず身内を殺され間一髪の所を鬼殺隊士に助けられ一人生き残ったと聞く。かくいう己自身の身の上もそう。でなければ常に死と隣り合わせの鬼狩りなど普通できやしない。その様な境遇ゆえに己の身を顧みない者も多く死傷率も高い傾向にある。かつて味わった鬼への恐怖、怒り、無力感、そして生き残った事による罪悪感に(さいな)まれるからだろう。特に男は保護された後に稀血持ちだった事実とその意味を知り当時鬼に稀血呼びされた事から自身が居たせいで襲われ家族が死んだと思っているらしく身に流れる血を疎い傍目から見て死に急いでいる様に思えた。担当の騒がしい鎹鴉のお陰か対照的に普段は物静かで理知的なのだが鬼との戦闘において如実に無茶をする傾向が強く纏め役として何度諌めた事か。それが今回最悪の形で結実するとは因果なもの…刹那そんな風に回顧する。

 

 一人の犠牲で五人が助かる。簡単な理屈だ。冷静な自分が告げている。仕方ないと。これが最善であり他に方法は無いのだと。だが頭でわかっていても心は否定するのだ。本当にそれでよいのか?…と。されど現実は無情。自身も含め現状を変えうる力など有る筈もなく男の後ろ姿が夜の森の暗闇に消えていくのを黙って見送るしかない。己の無力さと不甲斐なさを噛み締めながら……。

 

 

「…撤退だ!引くぞ急げッ!」

 

「ッ!?おい待て!彼奴はどうする!まさか見捨てると言うのかッ!?」

 

 足音が遠ざかり夜の静寂を取り戻した森の中。ともすれば無力感に苛まれそうになるのを必死に堪え断腸の思いで撤退だと声高に叫ぶ。するとそれを聞き両腕の骨が折れた男が即座に非難の声を上げる。そう思うのはもっともだ。なにせ彼奴を犠牲にすると宣言したも同然なのだから。糾弾するが道理であろう。だが今はしのごの言う暇など微塵もない。

 

「結果的には…そうだ」

 

「おまえッ!」

 

「なら聞くが今の我等に何が出来る!?動くのもやっとの体たらくでッ!!」

 

「グッ!?し、しかしッ!!」

 

「彼奴は我等に後を託した!お前達も酒席での彼奴の言葉覚えているだろうッ!? なら彼奴の命で生き長らえる我等は()(つくば)ってでも生きて必ず帰還する義務があるッ!問答する時は無い!彼奴の意思を無駄にするなッ!急げッ!!!」

 

「あ、く、が、ガアァァ〜〜ッ!ちくしょうッ!ちくしょうめがッ!!」

 

 反論の余地もない正論に憤りそれを否定出来ない己の現状に悔しさと情けなさで男は叫ぶ。他の三人も同様に悔しさの滲む顔をしている。実際そうなのだ、追って止めようにも誰一人としてまともに動ける者は皆無なのだから。よしんばたとえ追い付いたとしても足手纏いでしかなく無駄に命を散らすだけ。はっきり言ってそれは自殺行為以外のなにものでもない。なので今の自分達に出来る事は男の献身を無駄にする事なく生き延びる事のみ。そして男の成せなかった分も鬼殺を為す。それが死を賭した男への手向けとなる。そう強く己に言い聞かせて…。

 

「すまぬ…」

 

 撤退する間際、男が走り去っていった方角を振り返り紡げた言葉はそれだけだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 駆ける、駆ける、駆ける。

 

「ハァ、ハァ、ハァ、少し、で、も、ハァ、ハァ、遠く、へ」

 

 息を荒げ男は月光が疎らに射し込む森の中なるべく樹木が隣接する間を選び駆け抜けていく。背後から追ってくる鬼共の足止めを狙っての事だ。追走する鬼の体躯は三鬼とも細く(あばら)に骨が浮くほど痩身だが背は意外と高く手足も長いので十分に効果が期待できるし更にあまり人の手が入っていないこの森は肩幅程度の低木が多く茂り身を低くすれば姿をある程度隠してくれるのも好都合だった。

 

「おうおう、なかなかにはしっこいのう。ちょろちょろとまるで子鹿のようじゃな。存外楽しくて追い掛け甲斐があるわ。クカカカカカカ!」

 

「呑気じゃのう兄者。儂は追い掛けるだけでも億劫なのに樹や薮が邪魔でしかたないぞ」

 

「うー邪魔!狭いのキライ!」

 

 追いかけてくる鬼兄弟の無駄に甲高い会話が辺りに響き渡り耳に届く。長兄鬼は愉快げで次兄鬼はうんざり気味に末弟鬼は苛立っているようだ。

 

 

「ハァ、ハァ、ハァ、だいぶ、離れた、な。ハァハァ。残りの体力を、鑑みれば、ング、ここら、が、ハァハァ、潮時、か…」

 

 かなりの距離を稼げた。ここまで離れれば余程の事がない限り皆逃げ(おお)せるだろう。なら後は適度に狭くこちらが動き易い程度の広さがある場所で…。

 

「よし、ここな、ら」

 

 運が良い事に決着を着けるに丁度よい塩梅の開けた場所は程なく見つかった。足早に駆け中央付近に着くなり足を止め振り返る。全力に近い疾走で乱れた息を整えながら男は身構えた。

 

「どうしたんじゃ?もう追っかけっこは終いか?」

 

 逃走から一転。小じんまりとした広場中央付近で待ち構える男の姿を見て追走し広場に逸早く辿り着いた長兄鬼は少し意外といった風に問い掛ける。

 

「ああ、もう飽きた、んでな」

 

「なんじゃつまらんのう」

 

「知る、か。ふぅ。…お前らを楽しませたつもりは無い」

 

 軽口を返す内に息が整いようやく呼吸が楽になった。これで存分にとまではいかないが動ける。

 

「カッカッカッ言うのう。で?」

 

 俺の返答を聞き愉快そうに長兄鬼は笑う。そして言外にこれからどうするんだ?という問い掛けに対し返す言葉は一つのみ。

 

「かかってこいよ糞鬼共。前言通り人の意地見せてやるッ!」

 

 死地と決めたこの場所で俺は死ぬだろう。それはもう覆せない決まった未来。だが…ただでは死なん。予定通りこの鬼共の手の内を晒せるだけ晒させてやる。此奴らは俺の稀血が欲しい為できる限り傷付けず捕まえようとする筈だ。そこを突けば時間は十分に稼げるだろう。そして限界まで粘って捕まる寸前まで引きつけたなら後は……。

 

 懐に意識を向けある物が確と有るのを重みと感触で認識し確認する。

 

 隊士となった日からこれ(・・)を使う機会がいつか必ず訪れると覚悟していた。

 

 本来俺は鬼殺の剣士になるべき人間ではない。何故なら鬼は人を喰えば喰うほど強くなる特性があるからだ。特に稀血持ちは鬼にとって馳走(ちそう)で個人差はあれど並みの人間を数十から下手すると百人分喰らった効果がある。そう言われ万が一喰われた場合は鬼を強くしてしまうので隊士は諦めろと散々止められたのだから。鬼にしてみれば鴨が葱背負って目の前に現れるのも同然。そうである以上止めるのは当然の事だろう。それでもと俺は諦めきれず頑なに隊士になると首を横に振った。普通ならいくら駄々をこねようとそこで終いだ。だが後に判明した事柄により流れは変わる。調べたところ自身に流れる稀血は少し特殊で鬼を若干とはいえ酩酊させ思考を鈍らせる効果を持つとわかりそれが有用と判断されたため条件付きでならと許されたのだ。その条件とは…自決。いよいよ最後となれば懐のこれ(・・)を使い血肉の一片すら残さないのであれば…と。正直渡されたとき恐怖しなかったと言えば嘘になる。効果も目の前で実演され使えば最後どうなるかまざまざと見せつけられたのだから。それでもと恐怖を押し殺し俺はこの条件を受け入れた。あれから三年。今宵が最初にして最後の使い所だ。俺だけ味わうのは不公平だろう。死なぬのだからせめて痛みだけでも自分より長く盛大に味わい苦しめ!身心に刻み込んでやる!人間の意地ってものをッ!

 

"キュポン"

 

 宣言と共に腰に下げている小振りの瓢箪(ひょうたん)の栓に手を掛け勢いよく引っこ抜く。すると軽快な音を立て栓が抜けた。それと同時にとある香りが強烈に鼻腔を刺激しながら辺り一帯に急速に広がってゆく。

 

 人と鬼の差異は色々あるが特に顕著なのが身体能力だろう。尋常ではない怪力と素早さ。それでいて傷を負っても直ぐさま再生回復する肉体に鋭敏な五感。そんな鬼を殺すには基本弱点である陽光を浴びせるか日輪刀で頸を斬り落とすしか方法はない。ただ殺せはしないまでもある程度動きを阻害し鈍らせられる方法が稀血による酩酊効果以外に一つだけあったりする。それは…、

 

「グッ!この匂いは藤の花か!?」

 

「うぇ!しかもこりゃ煮詰め込んだもんじゃぞ兄者!そこら辺に生えてるもんより遥かに臭うてたまらん!うぇぇぇ!」

 

「クサイ!鼻クサイ!」

 

臭覚への刺激。より正確には藤の木に咲く花の匂いによる忌避効果だ。

 

 何故かは知らないが鬼は皆この花の匂いが頗る嫌いらしく古来から鬼避けとして重宝されてきた経緯がある。おそらくは体質的なものなのだろう。鬼殺隊を援助してくれている藤の家の名称もこれにあやかっての事だし防備として各拠点を囲うように必ず植えられていると聞く。俺はその己の血と真逆の性質を知り鬼狩りに使えると考え花弁を煮詰め多少は保存が効くよう荏胡麻油と混ぜ小瓢箪に入れ常時持ち歩いているのだ。

 

"パシャ"

 

 さらに機先を制するべく間髪入れず素早く中身を盛大に周囲に振り撒き牽制とする。その効果は覿面で鬼共は更に強く鼻を押さえ口々に嫌悪を顕に顔を顰めた。これで容易には近づけまい。容量のほぼ九割が油なので火を付ければ辺り一帯を結界の如く匂いで充満させる事も可能だ。予め撒かなかったのは挑発の意味もあるが鬼の行動を限定させ読み易くするためである。そして自身にも振り掛ける…というのはしない。何故ならそうすると新鮮な血肉を諦め最悪遠間から攻撃され死ぬ可能性があるからだ。それでは意味がない。最終的には息がかかる程近くまで肉薄してもらわねばならないのだから…。

 

「どうした鬼共?藤の花の香りは嫌いか?俺はこの匂いがすこぶる好きでな?こうして常に持ち歩いている程だ。慣れると良いものだぞ?良い機会だし試してみろ。ほれ追加だ。遠慮せず存分に嗅ぐといい」

 

 ともあれここからは命を撒き餌にした駆け引き。後顧の憂いを排した以上あとは始末をつけるだけだ。見極めろ。身体能力は総じて今まで対峙した鬼の平均より若干劣る程度。体躯が痩せている割に背丈がある以外は外見上なんら特殊性は見当たらない。ただ此奴らの攻撃は不可解な事に遭遇時まったく接敵に気付けず皆くらった。鬼がその姿を現してやっと気付いたぐらい認識できなかったのだ。おそらくは血鬼術…その効果なのだろう。それを見極める。最低限その絡繰を暴いてみせねば死を賭す甲斐がないというもの。

 

 そんな内心の思惑を隠しながら男は鬼共に向け嫌味ったらしく語りかけつつ藤の花の香油を更に振り撒くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「!?」

 

 とある秘された屋敷の一室。

 

 時は子の刻深夜。縁側から差し込む月明かりが内外を隔てる襖障子(ふすましょうじ)越しに内部を薄っすらと照らす…そんな淡く静かな室内にて横たわる人影が突如ビクッと身じろぎし覚醒する。就寝の為に床に着いて眠っていた所をとある理由により目覚めさせられた(・・・・・)のだ。

 

「これは…」

 

 此処は産屋敷家邸宅。平安の古より夜の闇を跋扈する鬼を討滅せし宿業を背負わされた一族が住む場所であり鬼狩りを組織する鬼殺隊の本拠地といえる重要拠点でもある。もっとも今現在はの話であり鬼の首魁にして一族の苦難の元凶である鬼舞辻無惨の眼を欺き所在を特定させないよう欺瞞兼隠蔽用に用意された複数ある屋敷の一つでしかないのだが。

 

「…………」

 

 そんな屋敷の一室にて産屋敷現当主は掛け着を払い除けながら上半身を起こした後そのままの姿勢で暫し黙考する。微睡む自身を眠りから覚めさせ強烈に今もなお訴え掛ける何かに対してのものだ。それは一族特有の予知にも近い感覚。直感とでも言うべきそれは連綿と続く呪いじみた短命に対し禍福の天秤が釣り合うが如く授かった唯一の福音とも言えるもの。それが今までに類を見ないほど己に訴え掛けてきているのだ。悪きものではない。むしろ千載一遇の好機と捉えるべきものだとそう確信したら居ても立っても居られず立ち上がり内から湧き上がり続ける感覚に従い襖を開け縁側へと歩み出る。

 

「御館様?どうなされたのですか?この様な夜更けに」

 

 すると不寝番として廊下で控えていた者が直ぐさま気付き声を掛けてきた。

 

「ああ、ちょっと起きてしまってね。再度寝ようと思ったんだけど目が冴えたのか寝付けそうにないんだ。なら気分転換に少し外の空気でも吸おうかと思って…ね」

 

 心配げなその者に本当の理由を言う訳にもいかないので適当に当たり障りのない理由をでっち上げ告げる。

 

「そうでしたか。ですが外はいささか肌寒う御座います。お身体に障りますれば…」

 

「なに、少々の間なら大丈夫さ」

 

「…はっ」

 

 不承不承に了承の返事を返す不寝番の者の様子に少し苦笑いを浮かべてしまう。年々少しずつだが確実に弱っていく己の身を案じてくれているとわかるが故に。だがこれは必要な事なのだと心中で申し訳なく思いながらも縁側の縁に座るのだった。

 

 

「よい月夜だね」

 

「さようで御座いますな。今宵は雲も少なく疎ら。月も出ておりますし見るに事欠く事はないでしょう…」

 

 腰掛けた早々なんとなしに夜空を見上げると今宵の月は十日月夜のようで満月ほど明るくはないが個人的にはこのぐらいの月光を好ましく思う。不寝番の男も追随するよう周囲を警戒しながら月を眺め頷き同意を示してくれたし。ただその胸中では今宵も各地で鬼と相対しているであろう隊士達に思いを馳せているのが言葉の端々より察せられたが。無論のこと自身も思いは同じだ。直接戦えないぶん余計にその思いは強く出来る事なら己が手で鬼を討てればと脆弱な我が身を何度歯痒く思った事か。だがそれは叶わぬ願い。そもそも己の役目は組織を運営し束ねる事であり個人の感傷から責務を放り出すなど出来る筈もない。先祖代々すべては奴を討つ。その為だけに一族の者は生きてきたのだから……。

 

「そうだね…」

 

「はっ…」

 

 しんみりとした空気が場に漂う。後に続く言葉も思い浮かばないのでお互い示し合わせたかの様に口を(つぐ)み双方共に黙って静かに夜空を見上げる事となる。

 

 それから座して月を堪能する事しばし。感覚的に事が起こるであろう刻限までまだ少し猶予があると直感が告げる。なので気分転換も兼ね地に視線を移し辺りを見渡した。すると月に淡く照らされた庭の景色は日中とはだいぶ趣を変えており庭師を兼任する隠の手で整えられた枯山水の様相が月光の齎す陰影をより色濃く見せると共に粛々とした雰囲気を醸し出し静寂を感じさせてくれる。

 

「さて、なんなのだろうね」

 

「は?何の事でしょうか?御館様?」

 

 そんな庭をゆったりと眺めながらポツリと誰に問うでもなく口から溢れ出た主語のない問い掛け。それに対し自身に話を振られたと勘違いした不寝番の男が反応し尋ねてくる。

 

 もうしばらくすれば何かが起きると直感が告げているのでそれが何なのかと思いつい口に出してしまっただけなのだが…などと言える筈もなく「いや夢を見たようなんだが…その内容がちょっと朧げでね?」と曖昧に言ってお茶を濁す。歳を取るにつれ誤魔化し方ばかり上手くなるなぁ…と内心呆れ混じりに自嘲してしまう。早熟せざるを得ない弊害だろうか?などと己を自己弁護しつつ訪れるその時を粛々と待つのであった。

 

 

「御館様!星が!?」

 

 逸早くそれに気付いたのは役目がら異変に敏感な不寝番の男。その声に触発され直ぐさま空を見上げる。すると夜空一面を(おびただ)しい数の流星が流れ行く光景が目に飛び込んできた。見た瞬間確信する。これこそが自身の直感が指し示したものだと。だが…。

 

「これが……?」

 

 思わず声が漏れる。季節がら数十年に幾度か見られる流星群。ここまで規模が大きいのは滅多にないが…これが直感が訴える大元だと断言するもどんな意味があるのか分からず疑問を呈し困惑する。そうこうしている内に夜空を東西南北すべての方角へ向け流れる流星群は数秒とたたず彼方へと消えていった。その真意が判明し疑問が解消されるのは数日の時を置いての事となる。

 

 

「これは…本当のことかい?」

 

「はっ、真で御座います。各地より参った鎹鴉よりほぼ同様の報告が上がってきておりますれば」

 

「そうか……これが本当の天罰ってものなのかな?……ふ、ふふ、ふふふふっ」

 

「御館様?」

 

「ハハハハハハハハハハっ!ゲホッ!グフッ!ガハッ!?」

 

「「「御館様ッ!?」」」

 

 流星が降った日から数日後。日ノ本各地より続々と挙げられた信じられない報告を聞き当初は唖然としていた産屋敷当主だが次第に両の口角を吊り上げ最後には人生初となる程の晴れやかで心底楽しそうな笑い声をあげたそうな。それを周りの者達は驚き呆気に取られ見る事となる。まあ、その直後あまりに高笑いし過ぎた弊害か咽せて激しく咳き込む姿に慌てる事にもなったが。

 

 後に星が降ったこの日は鬼殺隊発足から初の慶事を祝う日として制定。そして鬼が天に滅された日という意味で鬼天滅日と呼称し天赦(てんしゃ)戊申(ぼしん)に勝るとも劣らぬ日として代々伝え受け継がれていく事となる。一説では当代の産屋敷当主があまりの吉報に人目も憚らず盛大に大笑いし呼吸困難から笑死しかけた…などと真しやかに伝えられているが真実かどうかは定かではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼共と遭遇し体感で四半刻ほど。殿兼囮役を自ら買って出た男は周囲を(せわ)しなく見渡し注意深く耳目を(そばだ)てていた。

 

"カサ、カサ、カサカサ"

 

 神経を尖らせ油断なく刀を構えていると下草を掻き分ける様な音が微かに聞こえ瞬時にその方向へと身構える。しかし見つめる先には特に何も見当たらず誰も居ない。普通なら首を傾げ気のせいかと見過ごす事だろう。

 

「ぐッ!」

 

 だが次の瞬間には左脚に激痛が生じ倒れる。攻撃をくらったのだ。

 

 幻覚などではない。鬼に襲撃された結果である。

 

 痛みを堪え振り返って見るが鬼の姿は見当たらず皆無。だが実際に其処に鬼が居る。見えているのに認識し辛いだけで。

 

 なんだそりゃ?と疑問に思うだろうが理由を知れば一目瞭然。簡潔に言えば鬼の皮膚の色が変わっているせいなのだ。あの鬼特有の病的な程に白い肌は全身暗褐色に変じ所どころ緑が疎に配色されていて一見するとまるで生い茂る藪や灌木のように見えるのである。

 

 俗に言う周囲に溶け込む保護色というやつなのだろう。日中なら余程の暗がりでない限り見れば判るが夜の森の中で見分けるのは非常に困難と言わざるを得ない。初遭遇時どおりで奇襲を受けたわけだ。はっきり言って血鬼術としては微妙だと思う。だが隠蔽という意味で夜目のきかない人の身には効果覿面すぎる。

 

 育手の師曰く、おおよそ鬼の使う血鬼術は個人の資質や在り方や身を置いてきた環境などに影響を受け発現すると言うのが定説らしい。であればこの兄弟鬼共は元は猟師もしくは山賊の類いだったのかもしれない。どちらも隠れ潜み奇襲を得意とするものであるし。

 

 そして特筆すべき事は他にも有る。いや、むしろこっちの方が驚きの度合いは上だと言っていい。なにせ今目の前に居る鬼は顔が三つに腕が六本ある一体の異形なのだ。不敬にも世に聞く興福寺に祀られる阿修羅像の特長に似ているが比べるなど烏滸がましいだろう。鬼兄弟の他に別の鬼と遭遇した…などという訳ではないし兄弟鬼の一体が変じたものでもない。眼前の鬼こそが兄弟鬼()なのである。

 

 事の発端は藤の香油のせいでろくに近付けない事に業を煮やした弟鬼共が長兄鬼に何事か呟いた事であった。そうすると仕方ないとばかりに長兄鬼は頷き首肯。その直後おもむろに弟鬼共の頭にそれぞれ片腕を伸ばし掌で鷲掴んで自身に引き寄せるなり自身の身体にそのままズブズブとめり込ませたのである。

 

 長兄鬼の身体に沼に沈んでいくが如く消えていく弟鬼達。その常軌を逸した光景に男は唖然と立ち尽くす。その隙に完全に弟鬼達を取り込んだ長兄鬼は素早く広場の端まで一足飛びに飛び退きそのまま樹木の影に身を滑らせ消えた。

 

 男が我に返った時にはもう遅く必死に気配を探るも捉えきれず視線を右往左往させていると右後方から下草を掻き分ける音が微かに聞こえた次の瞬間には腕に衝撃を受けその場から広場の外縁へと吹き飛ばされてしまう。

 

 一瞬の浮遊感のあと男の身体は地面に数度打ち付けられながら五間ほど転がり止まった。

 

「痛ぅッ!」

 

 急ぎ立ち上がるも地面を転がった際の擦り傷や打撲など全身に走る痛みにより男は(うめ)き声を上げガクリと地に膝を付く。特に攻撃を受けた右腕が深刻で痛みを認識した瞬間あまりの激痛に意識が一瞬飛びそうになる。多分骨が折れているのだろう。なんとか歯を食いしばり耐えるが同時にこれで利き腕が使えなくなってしまった事に男は(ほぞ)を噛む。

 

「くそ!やってくれるッ!」

 

 反射的に悪態が口から漏れる。しかし事態は待ってはくれない。なので痛みを押し殺しつつ急ぎ元居た場所に視線を向ければ案の定な事に上の(・・)左腕を横に振り切った姿勢で佇む鬼の姿があった。ただしその身体は様相を著しく変えていたが。それが件の三面六腕の異形なのである。

 

 それからは森の闇に紛れての奇襲の繰り返し。藤の香り水で牽制しようにも瓢箪は最初に腕を叩き折られ吹き飛んだ際に落としたらしく見える範囲には見当たらない。そのせいで守勢もままならず先程ついに左脚に一撃を貰い動けなくなってしまったのだから。

 

 ここにきて元の三体に分かれる様子はない。元々そうなのか定かではないが恐らく三体に別れている時は血鬼術(表皮変化)を使えないのだろう。でなければ数的有利を取れる以上始終そのままでいればいいのだし。

 

 ともあれこれで知りたい事柄は知れた。なら後は覚悟を決め己の身ごと始末をつけるだけだ。考えようによっては逆に好都合とも言える。なにせ一体になったお陰で彼我の距離の調整など考えずに済むのだから。

 

 

 余談だがこの三面鬼は血鬼術による多重人格でも分身でも自然と成ったものでもなく無惨の実験の産物である。日光を克服するため嫌々ながら鬼を増やすも結果が一寸たりとも伴わない事に業を煮やし一体で駄目なら複数を一つにすれば… と偶然目に付いた山賊集団を率いる三兄弟を鬼にする最中に思い付き鬼化中の弟二体の頭部をもぎ取り長兄の体に無理やり埋め込んで集約するという悪魔的所業の末に生まれた存在だが結局この目論見は他に幾度か試すも(かんば)しい結果しか得られず頓挫し破棄されている。異なる自我が混ざるせいか意識が混在し最初にして唯一の生き残りである三面鬼以外は精神の均衡を保てず悉くが唯の蠢く肉塊と成り果てた為だ。そのあまりの成功率の低さと労力に見合わない成果に継続する程の価値は無いと断じた無惨が実験を凍結したと言うのが事の顛末である。

 

 なお三つの頸を斬らなければ死なない…という事はなく三体に分かれている時に各々の頸を個別に斬ると死ぬし身体の要…と言うより本体である長兄鬼の頸を斬れば諸共に死ぬので討滅難易度は然程でもなかったりする。とある後の世で上弦の陸兄妹が三面鬼の上位互換である相互補完を備えた存在と相成るのはある意味皮肉と言えようか。ちなみに腕が三対なのは無惨の趣味…という訳ではなく後に出来る様になった分体化の副産物である。これ…分体化が血鬼術なんじゃね?とか言ってはいけない。あくまで表皮変化が血鬼術なのである。しょっぺぇなぁ…。

 

 _閑話休題_

 

「片脚が折れたのう。クカカ。これでもうろくに動けまいて。楽しませてくれた礼じゃ。苦しまぬよう一思いに心の臓を止めてやろう」「血が勿体ないから傷は最少にな兄者」「ハツ!ハツ!ハツ!」

 

 機を伺う。あと少し。あともう少し近づけば…。

 

「カァー!カァー!ニゲロ!カァーッ!」

 

「ば、馬鹿野郎!?お前どうしてッ!?」

 

 あと少しで確実に痛手を与えられる距離になる寸前という所で突如として相棒の鎹鴉が長兄鬼…改め三面鬼の三つある顔面に滞空しつつ張り付き嘴でやたらめったら突きまくりながら逃げろと大声で叫き散らす。これでは巻き込んでしまうし距離も若干足りないため最後の手段が使えない。躊躇う内に事態は最悪な方向へと動いた。

 

「邪魔な鴉じゃ」「鬱陶しいぞ」「トリ邪魔!」

 

 三面鬼は各々の顔より口々にそう言葉を零すと蝿を追い払う動作そのままに三対ある左腕三本の手の平を広げ一斉に横に振り抜く。

 

「カァ!?」

 

 すると風圧を伴ったせいか直撃ではないものの避けきれず片翼の先端を掠め叩かれた鎹鴉は錐揉みしながら広場中央付近に吹き飛ばされ地面へと落下してしまった。

 

「チッ、手応えが軽いの。羽根に掠っただけか。じゃが畜生にはそれで十分。しばらくは飛べんじゃろ。煩わしいしほっといてまた邪魔されてもかなわん。面倒くさいが息の根を止めておくとしようかのう」「手早くな兄者」「プチっと踏む!」

 

 三面鬼は鬱陶しげにそれぞれ愚痴りながら邪魔者を確実に始末するべく地面でもがく鎹鴉に大股で近付いていく。

 

「や、やめろおオオオオオオオオォォォォッ!!!」

 

 手を伸ばす。自分の命はいい。復讐に生きると決めその果てに死ぬのは納得済みの事なのだから。だがそんな己を助けるために相棒が死ぬなど!

 

 だが現実は非情であり三面鬼は相棒のすぐ側に到達し億劫そうに右脚を振り上げる。そして……全身を光輝に包まれ見えなくなった。

 

 それは一瞬の出来事。今にも脚を踏み下そうとする鬼の頭上に空から光る何かが突如飛来し鬼の頭部に当たるや否や辺り一帯を真昼の様に明るく照らしたのだ。

 

 その光は離れた場所に居た男にも同様に届き眩しさのあまり男は己の防衛本能の命じるまま瞬時に瞼を閉じる。

 

 数瞬の後、瞼越しに光が消えたのを感じ男は直ぐさま目を見開こうとした。だが次の瞬間、目の奥を刺す様な痛烈な痛みに襲いかかられ呻く事に。急ぎ痛みを緩和すべく指先で瞼の上から目を押さえていると痛みは徐々に引いてはいくが状況が状況なので早く!早く治れ!早く!と(はや)る気持ちに焦れながら堪え待つこと暫し。痛みがある程度治まった瞬間"カッ!"と強引に目を見開き、そうしてようやく見えた光景に男は、

 

 「…は?」

 

困惑し目を疑った。

 

 何故かと言うと眼前で相棒を踏み潰そうとしていた筈の鬼の姿が何処にも見当たらないのだ。明らかな異常事態。突然の光に驚き身を隠したのか?と一瞬思うが…違う。何故なら注意深く見れば地面にあるものを発見したからだ。それは…足。なんとも奇妙な事に足首から下の両足だけがぽつんと残され鬼の姿はまったく見当たらないのである。そうして唯一残っていたその足も数秒と経たず塵となって消えていった。

 

 基本的に鬼は死ぬと例外なく全身塵となり消え失せる。それは戦いで切り離された腕や足なども例外ではなく些少の時差はあれど同様に…だ。この事実を踏まえ考察するに…それ即ち光る何かが降ってきて鬼を消し飛ばし殺したという事に他ならず現状の結果だけを見ればそうとしか思えない。

 

 呆然とする。目の前で起きた事が現実なのか理解できないと。

 

「カァー!オニイナイ!オニキエタ!カァー!ソラカラホシ!オチタ!オニシンダ!カァーー!!」

 

 だが相棒の声に我にかえる。

 

「星?なのか?あれ?死んだ…のか?」

 

「シンダ!カァー!ドコニモイナイ!モウアンゼン!」

 

「そうか…居ないのか…安全なのか…そうか」

 

 気が抜けた声を出しつつ改めて鬼が居た辺りを再度見やる。不思議だ。星が落ちたにしては地面を抉った跡も無く被害が無いのは何故なのだ?と言うかそもそも陽の光でもないのに何故鬼が死ぬ?星は太陽と同じだとでも言うのだろうか?などと疑問ばかり浮かぶが現実として鬼が死に綺麗さっぱり消え去った事実に納得するしかない。

 

「はぁ…」

 

"ドサ"

 

 極度の緊張で強張っていた身体から力が抜ける。その拍子に足がもつれ尻餅をつき背中から地面へと倒れ込んでしまう。立ち上がる気力も湧かずそのまま横になっていると服越しに伝わる地面の冷たさが過度に火照った身体に心地良く鼻から吸い込む土と草の匂いが日常を強く感じさせてくれた。

 

「あ…」

 

 不意に黄緑の淡い光が視界を横切る。見ると蛍が宙を舞っていた。戦うのに必死で気付かなかったが川が程近いのだろう、それなりの数が淡い光を明滅させながらふよふよと疎らに夜空を飛んでいる。月下に舞う様は月光と相まり一種幻想的で…なぜか自然と手の平を夜空に向け掲げていた。まるで誰かに手を伸ばすかのように…。

 

 郷愁なのだろう過去に家族と見た光景が脳裏をよぎる。水田のそこら中を舞う蛍を家族みんなで楽しげに眺め時には手の中に包み光って綺麗だね!と喜び笑い合った…あの日の夜を…。

 

 いつの間にやら掲げた手の指先に蛍が止まっていた。

 

 儚くされど命輝く光…。それを見ていると何故だろうか…ふと父の今際の言葉を思い出す。 「精一杯生きろ。血を絶やすな」そう言い残し息を引き取ったその言葉を。家は小領ながら土豪の家系だった。戦が絶えない世情ゆえ血筋を絶やさぬよう幼少の頃より言われ続けてきたのだ。上に兄が五人も居たため家を継ぐ可能性の低い自分はさほど気にしていなかったのだが…。

 

「また…か」

 

 また生き残ってしまった。その事実に思いが言葉となって唇を震わせる。死んでもいいと… いや死にたいとさえ思っていた。なのに今は心底安堵している自分がいる。己は存外生き汚いのかもしれない。だがそれで良いと記憶の中の家族が優しく微笑みながら言っている…そんな気がした…。

 

 しばらく仰向けのままぼーっとしていると疲労困憊からくるものだろう猛烈な眠気に襲われ意識がだんだんと遠くなり薄れていく。

 

「おい!無事か!?生きているなら返事をしろッ!おいッ!?」

 

 近くで誰かの呼び掛ける声がする気がした。聞き慣れた声の様な気がするが…それを確かめる事なく男の意識はプツリと途切れ闇に沈む。寸前に聞こえた声は誰だろうと思いながら…。

 

 男の掲げた腕が意識の喪失に共ない支える力を失いパタリと地に落ちる。その拍子に留まっていた指先から離れ月明かりの下…蛍は宙を舞う。淡く優しい燐光を揺らめかせて…。

 

 悪夢はもう見る事はなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い夜道を歩いている。瞳に映るのは月明かりに照らされた街道と左右に鬱蒼と茂る森の樹々。そして…憎き仇である男の背中のみ。

 

『ホゥ、ホゥ、ホゥ』

 

 言葉もなく無言で歩いていると何処からか(ふくろう)の鳴き声が聞こえてくる。それを聞き夜の(とばり)に獲物を求め目を爛々と光らせる姿が脳裏に浮かぶ。狙われた獲物があれらに捕まれば最後その身を(ついば)まれ骸へと変わるだろう。弱肉強食。それは自然の摂理であり生命の循環。勿論いつか梟もその身を死に横たえ地に還す筈だ。そして命は巡り連綿と続いていく。…だがそれに比べ鬼はどうだ?生きる為に人という生き物を喰らうのは変わらないが死すれば塵となり何も残さずに消え大地に還る事もない。そんな生に意味を見い出す事が出来るのだろうか? 私には見い出せない。(あさ)ましき鬼と成り果てた私には…。人を救う為にあった筈の手は幾多の人の血に塗れ身体には憎き仇の血が混ざり流れる。殺したい。己が手で。だが彼我の力の差は天と地ほどにもありその願いは叶わない。…一応それを覆す方法がありはする。医師としての知識と培った経験がその答えを導いた。ただそれを成すにはどうしても時間と手間が掛かる。なので今は耐えるしかない。でもいつの日か必ず…そう思っていた時だった。いきなり周囲が明るくなったのは。怪訝に思い空を見上げると何か光る物体が降ってくるのが見て取れた。流れ星?と思ったのも束の間。次の瞬間には目の前を歩く男の頭上にその光源がぶつかり膨張。刹那、凄まじい閃光が発生し周囲を真昼の如く明るく照らす。そのあまりの眩しさに女はたまらず(まぶた)を閉じた。

 

"ドサ、ドサ、ドサ"

 

 近くで何か物が複数地面に落ちる音が耳に届く。そのなんとも不穏な響きに女は数歩後ずさる。幸い瞼を閉じると共に袖で眼前を覆うよう素早く腕を(かざ)したので目が眩む事はなく何があったのかを即座に確認する事が出来た。

 

 恐る恐る手を退ける。そして視界に映ったものそれは…大きな摺鉢状の穴が大地に刻まれている光景。女はその異様な光景を前に絶句する。

 

「これは…」

 

 鬼となり夜でも良好な視界に映るその穴は幅一尺半ほどの円形状のもので深さはそれ程でもないが表面の土が驚くほど綺麗に均されており見る限りその円の内側には何も存在せず剥き出しの土があるだけ。ただよく見ると円の外縁には複数個の拳大の何かが転がっているのが見え何だろう?と注視しようとするが、そこで女はある肝心な事を思い出す。直前まで前を歩いていたはずの憎っくきあの男の姿が何処にも見当たらないのを。

 

「どこへ…!?」

 

 仇である男の突然の消失に疑問が口から溢れるが視線を巡らせある一点を見た瞬間それは途中で止まる。何故か?その答えは地面に転がる謎の物体にあった。

 

「…右手」

 

 紡いだ言葉の通りそれは手の形をした物体…いや、手首から先そのもの。ならまさか他の物も?と思い見やれば案の定な事に左手や両足首から先など四肢の先端部を全部切り落として捨て置きましたなんて猟奇殺人もかくやという状況で普通なら狼狽え悲鳴を上げる所だが、そんな真っ当な感性など遠の昔に擦り切れており冷静に見る事ができた。

 

「この袖口は…」

 

 そして手首と共に落ちている布に気付き唖然とする。それは見覚えのあるどころか先程まで目の前に居た男の服の一部だったのだから。

 

「なら…まさか」

 

 諸々の状況証拠から導き出される答えを知り信じられないと思いながらも目の前の文字通り動かぬ証拠を見つめる女。自身の悲願が唐突に呆気なくなされた事に唖然とし佇むことしか出来ないでいた。

 

「アアアアアアアアッ!!」

 

 だが、突如として響き渡る悲鳴じみた声にはっと我に帰る。

 

 反射的にその声の発生源と思しき場所を見れば…それは地面に転がる件の右手からで不気味にも手の甲の表面に唇らしきもの…と言うより実際に声を発しているので口なのだろう其れを生やしているのが見て取れた。さらに異様な事に右手の各所から他の末端部位に向けミミズにも似た肉々しい色の触手としか言いようがない物が一斉に伸び一瞬で引き寄せる。グチャ!グチャグチャッ!と肉同士がぶつかる不快で生々しい音を立て一塊に集まったそれは次の瞬間には溶解液でも浴びたかの様にグズグズと溶け合い姿形は正に肉塊そのもので脈動し膨張収縮を繰り返す様は蠢く内臓を連想させ吐き気を催す醜悪さ。そんな冒涜的で醜怪なそれを目にした女は生理的嫌悪感から眉を(しか)める。

 

「鳴女ッ!」

 

 そして間髪入れず今度は悲鳴ではなく人物名と思しき第二声が放たれると同時に何故か肉塊の真下の地面に忽然と襖が現れるや否や真ん中からバッと左右に開き上に在った肉塊を丸ごと呑み込んで閉じるなり現れた時と同様すぐさま消え去ってしまう。

 

「あ」

 

 数秒にも満たない出来事。その怒涛の展開に一人取り残され物理的にも置いて行かれた女は言葉にならない呟きと共に呆然とその場に立ち尽くすのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次話もあれですが気長にお待ち下さい。_(┐「ε:)_

あ、あと最後の無惨の逃亡方法である鳴女召喚ですが仕様です。
縁壱戦からの逃げ方と時系列的にまだ居ないと作者も思うんですが。じゃないと本作では逃げきれないので。
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