競馬場で変な女の子を見たことがあった。
いつだったか、平成のどこかのマイルCSだ。晩秋の京都競馬場で、異常な出で立ちがとても目立っていた。
大学の卒業を控えて、京都で見られる最後のG1だった。
真っピンクに染めた髪と、女児と見間違うような服装。
とっても奇抜な恰好なのに、なぜか気にする人は誰もいなくて。目線を逸らしているのか、あるいは本当に見えていないのか。
(ここは原宿じゃないんだぞ……)
周りはみな、黒や紺色のジャンパーを着た男ばかり。これが普通の客層だろう。それなのに、赤に近いピンク髪と似たような色の上着。
レースを観ようと、ぎゅうぎゅうにひしめき合うスタンドにおいて、明らかにその髪色は目立っていた。
というか、もみくちゃになっているうちに真横にいる!
「いや~、どのお馬ちゃんも可愛いですねェ……」
ぶつぶつと、何か独りごとを言っているようだった。
「血統を証明したキングヘイロー、皐月賞2着のダイタクリーヴァ……、スプリンターのブラックホーク、ダイタクヤマト……どの子も応援したいぃぃぃ!」
(いや、ヤバいタイプの人かよ……)
馬券をギャンブルとしてではなく、応援チケットか何かと勘違いしているのか。そんな独り言に耳を傾けていたせいか、新聞に重ねて持っていた馬券がひらりと宙を舞った。
「あぁッ!」
バイト代全部突っ込んだのに!
花びらのように回転しながら、ゆっくりと落ちていく。この人混みでは屈むことすら一苦労で、靴にもまれて破れたりくしゃくしゃにならないことを祈るしかなかった。額が額なだけに、盗まれてしまうことすら頭に過る。
――そのとき、ピンク髪が小さな体躯を活かしてするりと馬券を拾い上げてくれた。
ツインテールが大きく揺れて、ピンクのベルトで締めた小さな鞄が見えた。どこまでヤバい服装なんだ。
「お、落としましたよね?」
まるで名刺交換のように、カチコチとぎこちない動作で手渡してくれた。
「あ、ありがとうございます……」
ありがたいような、同時にヤバ女との接点が生まれて気まずいような。
それでも、バイト代がただ負けるのではなく、無意味に消えてしまわなかったことに感謝した。
「エ!?」
彼女は、ふと、馬券に印刷された購入金額を見てしまったらしい。
⑬アグネスデジタル 80,000円
「ア、アグネスデジタル単勝8万円……!?」
「バイト代全部、アグネスデジタルに賭けたんだよ」
「……ナゼ?」
訂正。名刺交換のビジネスマンでもこんなにカチコチにはならない。
理由を応えないのも不愛想だし、折角隣になったのだから、気まずいまま観戦を終えないためにワケを語った。
「来年の四月から上京するんだ。東京で一人暮らし。そりゃ何度か訪れたことはあるけど、これから暮らすには新天地そのものだろ? だから、同じ挑戦者の馬券を買った」
「挑戦者……アグネスデジタルちゃんはダートからの転向で、芝未勝利ですもんね」
このピンク髪の子を内心貶したのは、自分も同じような買い方をしていたから。
自分の命運を占うかのように、境遇を重ねて投機した。
「アグネスデジタルが勝ったら、俺まで上手くいくような気がしてさ」
「すてきな馬券の買い方じゃないですか!」
「まあ、アグネスデジタルは外国産馬だから、全然俺とは違うけどな」
俺はこんな大舞台に立てるほどの器でもないし、ただの幻想。
ただ、ちょっと似てると思ったなら、重ねたっていいじゃないか。
「誰かが言っていたような気がします。『馬券を買うことは、その名前を借りて自分を買うことだ』って。自分の鏡像、あるいは、なりたい自分、なりたかった自分、なれなかった自分……」
「そんな思想を馬券に込めてるやつ、いないさ」
自嘲しながら、照れ隠しをした。これ以上内面を掘り下げられたくなくて、無理矢理彼女について聞いた。
「君はどうやって馬券を?」
"どの馬も応援したい" と呟いていたこの子は、何を基準に選ぶのだろう。
「あたしは、こうですよ」
ばらり。
女児のようなピンクの鞄から、カードゲームでしか使わないようなファイルが出てきた。
その中には、あらゆるレースの単勝馬券が100円分ずつ、綺麗にファイリングされていた。
「あたしは馬連や3連単を買いませんよ、どの馬も応援してるから、2着や3着になってほしい馬がいないんです。全頭の単勝を100円ずつ。応援のためにここに来ました」
「お互いロマンチストだな」
自嘲するように、小さく笑った。外見がちょっと変わっていたって、意外と面白い人間はいるもんだな、と思った。どうにも、この子は純粋らしく、目をキラキラさせて話をしてくれた。1番人気のダイタクリーヴァから、18番人気のビーチフラッグまで、その人生(馬生?)やエピソードを余すことなく早口で。とんでもない競馬愛だった。
「すげえな……」
好きな物を追いかけたまま生きていると、自分のことが疎かになったりする。
きっとこの子も、馬のことを追いかけているから、ずっと少女のままなのだろう。
生き生きとしていて、でも自分がどう見られるかにはあまり関心がない。
夢中。
そんな言葉が似合う彼女には、奇抜で目立つピンクさえ似合う色だと感じるようになっていた。
「あたしはね、思うんですよ。いつか競馬を見る人がたくさん増えたら、応援馬券なんてのが出るんじゃないかって。その馬を応援するために買うんです」
「馬券なんてギャンブルの紙切れにそんなこと言うのは君くらいだろ」
「いえいえ!みなさんまだ気付いていないだけですよ!」
見てください、と、彼女はファイルをめくって、緑色にデコレーションされた1ページを差し出した。まるでレアカードを並べるように、大切そうに薄緑の馬券が飾られていた。
東京11レース 単勝 ⑧キングヘイロー
阪神11レース 単勝 ⑨キングヘイロー
中山11レース 単勝 ③キングヘイロー
中山11レース 単勝 ⑫キングヘイロー
東京11レース 単勝 ②キングヘイロー
・・・
中京11レース 単勝 ⑬キングヘイロー
・・・
それは、キングヘイローの馬券だけを集めたページだった。東京スポーツ3歳S、ラジオたんぱ杯3歳S、弥生賞、皐月賞、ダービー、そして長い挑戦の果てに掴んだG1、高松宮記念……。馬券を見るだけでも、思い出が走馬灯のように頭の中を走り抜けていった。
「この中に、今日の馬券、それと次の有馬記念の馬券も加わります」
その胸中に灯る火が揺れるように、ぽつぽつと彼女は語った。
「競走馬が実際に走っている時間は、数分……。速度は60~70kmで、恐ろしく速いんです。彼らの戦いは一瞬で、私たちの日常はあまりにも長い。あっという間に駆け抜けていってしまうお馬ちゃんたちを表しているのが、この馬券なんです。ただの紙切れだと思おうとしても、思い出や記憶に追いつかれてしまうでしょう?」
「……確かに、そうかもな」
その通りだった。
何も反論はできず、黙り込んでしまった。
この子は人一倍競馬が好きだから、きっと競馬について考えることも多いのだろう。まさに異端。だけれども、とても素敵な考え方だと思った。
「ところで、失礼かもしれないんだけど……馬券は親に買ってもらってるのか?」
「いやいや!そんなことはしませんよ。こう見えてあたしは24歳ですよ」
「え?」
「――ほら、ファンファーレが始まりますよ」
「おっと、もうそんな時間か」
直前の会話は気のせいだろう。この身なりで24歳はありえない。14歳?とかの聞き間違いに違いない。
「東京での戦い、頑張ってくださいね」
意識をファンファーレ隊に向けて、もう一度横を見ると、ピンク髪の少女はどこにもいなかった。
「あれ?」
楽しそうに馬について語っていたのに、レースが始まる寸前にいなくなるなんて。
お花を摘みに行くのを我慢していたなら、本当に申し訳ないな、と思った。
『それぞれの世代の名誉をかけて……いざスタート!』
そうして、彼女は消えたまま、マイルチャンピオンシップが始まった。
あの不思議な少女がなんだったのか、今でもわからない。
それでも、彼女が語った"馬券による応援"は、とても面白くて今でも頭に残っている。応援馬券が発売されるようになったのもそうだ。
今でも元気に推したちを応援しているのだろうか。
「また、競馬場で会えるといいな」
つい最近、アグネスデジタルが亡くなったという。だから、このマイルCSの出来事を思い出したのだ。
13番人気がとんでもない差し切り勝ち。動画で見ても驚いてしまう。
「天国でも楽しく走りながら、ゆっくり過ごしてくれよ」
【あとがき】
ありがとうございました。
私はつい最近競馬を知ったばかりですので、競馬場に行ったこともありませんし、アグネスデジタル号のレースを生で見たこともありません。
何か変な点があれば教えてください。
読んでくださりありがとうございました。
アグネスデジタルのご冥福をお祈りします。