宜しくおねがいします。
晴れと、曇りと、雪と、雷と、暴風と――――雨が嫌いだ。
空が苦手だ。俺が淀んでるし。
地面も苦手だ。うつむいてばっかりだから、嫌な時だけよく見てる。
だからって建物も嫌だ。俺が入る場所は、いつも俺だけがアウェーな身内の空気感が支配してるんだ。
じゃあ何が好きかといえば。
何てことはない、家の中。親も居ない場所。すなわち、今住んでるアパート。
【あーあ、またノート取り忘れたな…………どう誤魔化すか】
帰り道は嫌なことを考えてても平気。今の住所は楽園だからな――そんな言い訳っぽい言葉を脳裏に走らせつつ、今日は前を向いて帰っていっている。
大学は無理を言って一人暮らし出来るようにしたおかげで、小言を言う親も居ない楽園が俺の住処。
『一人暮らしをすると親の大事さが分かる』
なんて怪しい教訓を言い出すサイトを幾つも覗いたが、俺がはっきり言ってやろう。
アレは煙たがられた親の都合のいい幻想だ。ティーンエイジャーってヤツらが欲しいのはハウスメイド、彼女、そして猫ぐらいのもんだろうし、しかも俺は彼女と猫はてんで欲しくない。何ならハウスメイドも嫌だ。
とにかく人といるのが好きじゃない。理由とかは、言っても良いんだが………陰気臭くなる。独白でわざわざ思い浮かべても、まるで俺がだめなやつみたいだから良い。
「ちっ…………雨じゃなければ最高なんだが」
ズボンの裾、水を吸ってダークめなグラデーションじみたシミが出来てるのを見つけて舌打ち。梅雨はこれだから。
雨は嫌いだ。ああ、とても嫌いなんだ。辛いことを思い出す。俺の人生は大体セピア色に見えてると言って問題ないんだが、中でも雨の時は視界すらぶつ切れになって20世紀初頭の映画どころではない。もうぶっつぶつで傷んだビデオみたいだ。
まあ、良い。着いた。マンションの入口、悪癖で傘を狂ったように振り回して水を切る。ちょうど同じくらいに帰ってきたサラリーマンがかなり怪訝な目で見てきたが何も言わない。現代社会は余計なことを言わない文化だから、たいへん助かる。
水切りには満足したから、そのまま上に登っていく。俺は三階、一番端に住んでる。
当然、三階につくと癖づいた視線の動きがある。ぱっと遠く、自分の家のドアの前に視線を寄せていく。
「…………ふぅ」
ついため息が出て、歩いていって。
普通に黙ったまんま俺は、ドアの鍵穴に鍵を入れて、開いて。
それで。
「ちょっと、スルーすんな? 美少女が此処に居るが?」
「…………はぁ」
ドアの前にへたり込んでいた女に、服を摘まれてしまった。
幻覚だと思いたかったね。ずっとへたり込んでいた、見ないようにしていたというのに……。
「あのさぁ、女の子を家に上げておいて反応なし?」
「アンタは捨て猫を家につれてきたら興奮すんのか? 異常性癖じゃないかそれ」
軽くこづかれた。威力はないけど何か後を引くような、鋭い痛みが走ってる。
俺がこの不審者を家に入れて取り敢えずやったことと言えば、頭にタオルを被せかけてわしゃわしゃとした。普通に拒否されたから辞めてしまったが、丁度いい身長差でちょっと楽しかった。
空色、と言えば近い感じの髪は片側だけ止められていて、俗に言うサイドテール。服装は今どきにしてもどこか派手で、割にあかぬけた感じ。顔つきは俺の諸事情で思うところが持てないんだが、IQの低い大学生がワンチャンを狙いに行く程度。
自称の通り、それなり以上の美少女を俺は家に上げてしまった。星のようにキラキラした眼だけは、慣れていないと言うより嫌いだ。
「まあいいや。私はレイ、君はなんて言うの」
「……トモ。日比谷朋」
「そうか~、よろしく頼むぜトモ。私は雨宿りする屋根も持ち合わせてないからさぁ」
からさぁ、ではないだろ。
タオルを首にかけてニマッとするのがなんかムカついたので、上着を顔に適当に投げつけてやった。
「何するんじゃい! トモはアレだな、好きな子に意地悪とかするタイプだな!?」
「は? 俺は今通報しておまわりさんに丸投げするか、すぐさま追い出すか迷ってるところなんだが」
「またまたご冗談を~! こんなワンハンドレッドチャンスを男子大学生が逃すわけ――――――ちょいちょいちょい!? 電話番号を打つんじゃない!?」
スマホを取り上げてぜーぜー、と息を上げるレイ。別に冗談でやったつもりもないが。
どうやらこの世間知らずなエキセントリックヘアカラーガールは現実が見えてなさそうなので、ちゃんと説明しよう。
「まず家出娘なんか変に匿ったら俺が怒られる。警察なら確実だ、アンタ」
「レイ」
「――――失敬? レイにとっても悪くないと思う訳で。俺は自炊もできないし掃除もしない、雑に生きてるの極みだ。あん」
「レイ」
「レイの居住環境として概ね最底辺だぞ、ここ」
取り敢えずつけても居なかった電気をつけて、俺はごっちゃごっちゃの居間に転がる勢いで倒れ込む。
世の中疲れることばっかりだからな、家でぐらいは脱力する。
レイは何してるんだコイツ、と言わんばかりの顔をしている。
「この舐め腐った飼い猫みたいな態度――――――マジでこれだけ可愛い女が合法で家にいるのにどうでもいいの……?」
「自称してるのがイタタ過ぎて論外」
「あんまり言い返せね~。にしてもリラックスしすぎだろ」
さっさと出ていってほしいから最低限以外のことは居ないもの扱いだろ、そりゃあ。
――――と思ったのに。
コイツも寝転がってきた。しかも俺におぶさる形で。フローリングには見事人で作られたばってん印、下側の俺は気分が悪くなってきそうだ。
「お、重い……!」
「重くないが!?」
何で俺が逆ギレされてんだ。
「人間は一定以上の体重があるもんだろ!?」
「一理超えて”摂理”あるね」
大人しく退いたことだけは評価する。
そして今度は逆に、びっくりするくらいあざとくちょこんと座り込む。
怪しすぎないか、挙動が不審者と美少女を行ったり来たりしてる感じが否めない。
――――そろそろ真面目に要求を整理しよう。今でこそ平気だが、ずっと居座られては俺も調子がおかしくなる。
「で、要求は何だよ」
「お。話聞いてくれんの?」
「聞かないと終わらないだろこれ…………マジで通報でもすりゃいいならするが、ダメだからこうなってんだし」
「優しい所あるじゃん」
対人に関する考え方はアレだが、基本的道徳は終わってない自信がある。むしろ世の中の人間は非道徳的すぎるんじゃないかってぐらいにはな。
よくわからないが、余程イカれてないなら此処まで食い下がりたい理由があるんだろう。
「雨が止むまで泊めて♡」
「え、それは嫌だ……………」
「何してもいいから!」
「え、いや初対面の人には何か抵抗あるなぁ…………ってそうじゃねえよ。しねえよ、何だと思ってんだ俺を」
手を合わせるな。おねだりが最悪すぎて軽く引いたわ。
「結構自信あるんだけど!」
「何が!? 良いから別に、無理だから出ていってくれ!」
「よし、じゃあ今脱ぐぜ!」
「あぁ!?」
有言実行、今ほどこの四字熟語を憎んだ瞬間はない。
するすると既に半脱ぎだったアウターを下に落として、ブラウスの裾に手をかけ…………冷静に見てる場合じゃねえだろ。
テロ行為に及ぶ若干一名を無理やり抑え込みにかかる。
「ええい辞めんかDQN女!?」
「一夜だけ! ワンナイト!」
「言い方が最悪すぎる! やめろ、俺のご近所評判が底辺を突き抜けていく……!」
「何でそんな嫌がるのさ。料理とか最低限のことは自分でやるよ? 何ならトモの分もやろうか?」
「ぜぇー……はぁー……」
取っ組み合いの末、性犯罪未遂のレッテルは免れた。別に俺が止めなくても躊躇って欲しい。
腕を組みながら明らかにムスッとして意気消沈のさなかの俺を見下ろすレイ。この人もしかして責任の所在とかそういうの考えてらっしゃらない?
というか息切れが酷くてしゃべれない。
「ちょっと……深呼吸…………」
「あー……はい」
整った。
「――――ふぅ。まあ改めて説明するなら、俺は人間が嫌いだ」
「えっ、何。ボッチなの……? 私は五秒喋ったからトモとも友達だぞ……? ふふ、トモトモ…………」
果てしなく失礼な上にムカつくもんだから青筋が立ちそうだったが、事実は事実。シンプルに会話を進めるために黙った。
「俺はとにかく人と居ることが嫌いだ…………言葉を間違えたな、人と居るのが嫌いだ」
「何で?」
何で?
その疑問はありがちでつまらないものと言って良かったが、そのイントネーションが。すっとぼけたような顔が。
思い出したくないやつを思い出させる。
――お前の面は、俺にとっては雨そのものみたいで。最悪な気分だ。
「其処のものを取ってと言うから、リモコンを取ってきたのに、ハサミだったときが嫌いだ」
くだらない言葉の齟齬。
「言ってもないことで喧嘩を売られたのに、日頃の言動のせいにされるときが嫌いだ」
無思慮な思考停止とその押し付け。
「対等のふりをして、数の圧力で物を言わせるやつに屈するときが嫌いだ」
同調圧力という理不尽な権力。
「体の良いことを言って自分を誤魔化してるやつに面倒事を押し付けられるときが嫌いだ」
「かっこいいことを言ってヒーローにでもなったつもりのやつの身勝手さのしわ寄せがやってきたときが嫌いだ」
「厚意でくれた消え物が嫌いで当たり障りのない言葉で断るときが嫌いだ」
「自分の苦しみが他人には分からないと思いこんでるやつの意味不明な八つ当たりを食らうときが嫌いだ」
「やってもらうことしか知らないやつの友達のハードルに付き合うときが嫌いだ」
「単に人と上手くやれないだけなのに周りがバカだと思い込もうとするやつの愚痴を聞くときが嫌いだ」
「こんな事をつらつら言うめんどくさい俺も、もちろん嫌いだ。だから、誰とも関わる気はない」
これらは俺の性格が招いたストレスか? いいや、それは正しいがそういう言い草で片付ける内容じゃない。
要するに他人がいるから息苦しいのだ。ばらっばらな常識に付き合わせたり、そいつの思い込みに振り回されたり、相手の言葉を理解しようとする時に出来る摩擦が苦しいんだ。
確かに俺は困ったやつだが、そういう困った要素はたった一つのことで解決できる。
誰とも関わらなければ、俺はこんなにも自由だった。
「そういうわけだ。こういう不健康なやつと数日とは言え暮らすってのは、やっぱり勧められない。他の家でも当たって、どうしようもない時に――――――」
「ねえ、今のって全部経験あるの?」
嗚呼、こういう無遠慮な疑問も嫌いだ。
でも俺は答えようとする。そう、中途半端に真面目でマトモっていうのはこういうことだ。
「起きてもないことをつらつら語らないだろ」
「ふーん。トモってアレか、頼まれたら断れないタイプ」
何でそうなる? そう言ってやろうと思ったが、続く言葉が出せなかった。
振り返ってみると、確かにそういうことなんだろうかとも思えてくる。
あっけらかんと、それでいてスッキリとした見解が飛び出してきたレイの唇は、スラスラと何かを諳んじるように音を吹き零していく。
「まあよく分からないけど、今までのコミュニケーションは私が楽しかったから問題なし!」
「いやいや、話を聞け。俺がだな――――」
「でも。私が居たら嫌ってわけじゃないんでしょ?」
まあ。
ぶっちゃけるとそれは事実なのだが。変に煩くされなければ人が一人増えたところでスルーも出来る、結局俺もコミュニケーションに飢えてるんじゃないかと言うと、それも否定しない。
だが…………。
「雨は言ってる間に止むよ。それまで、ねっ? どう」
「どうって…………」
レイのキラキラとした瞳を見ていると、やっぱり昔の友人を思い出す。
アイツはこういう感じのまま居なくなった。多分俺の仏頂面とアイツの笑顔は同じようなもので、レイもきっとニコニコしているのがいつものことなんだろうと思った。
気持ち的に、暗雲が濃くなった。
「うむむ…………参ったな。多分トモぐらいしか家に泊まり込めそうな候補が……」
「見知らぬ男の家に上がり込めるお前なら、どうとでもなるよ。まあ、もうちょっと気をつけてほしいけどな、色々」
「いや、無理だよ。トモじゃなきゃ」
いたずらでもしてそうな満面の笑みが、ちょっと心細そうに伏し目がちになる。
顔とかで扱いを変えたりしようとは基本的に思わないが…………これは少しずるいんじゃないか?
シチュエーションも、偶然か狙ってか、酷いものだ。
初めての来客で、とびきり可愛くて、ずぶ濡れで、心細そうで、俺しか居ない。何処のラノベだ? でなければどんな美人局だ。詐欺とかか?
詐欺とかだったら良いんだが。
「…………まぁ、其処まで言うなら仕方ないなぁ。ごめんごめん、じゃっ」
俺がもたもたと考えているうちに、レイは諦めが着いたのか踵を返す。アレだけ暴れておいて、あっさり帰るとは予想外にもほどが有る。
――予想外にもほどが有ることが、昔もあったことを急に思い出す。
当時も俺はもたついている間に、彼女は行ってしまって、よく分からないうちに事が終わっていて。俺はそれきり、よく分からないものが苦手になっていた。
筆頭である他人が特に、苦手というわけだ。
彼女の靴下を隔てた足音がフローリングを響き、居間を抜けて玄関へ。
せいせいしたというのは簡単だったが、フラッシュバックってのは困る。
”また、置いていかれるのか?”
正直言って怪しいのだが、俺はどうにもまだまだガキだ。
今回ぐらいは止めてこいと、頭の中がやかましい。
ずっと立ち止まることで嫌なことを避けてきた。嫌いなものがあるなら見なければいいし、考えたくないなら近寄らなければいい。
これが間違っているわけではないとやっぱり思う。でも、毎日これが正解ではない。
俺は今、目の前の彼女がどうというよりは――――――。
「そうだな、ちょっとはやらなきゃいけない」
めんどくさくても。それが明らかに遠回りでも。無駄なことでも。
俺にとって必要な事があって、それが押し寄せる日もある。今日はきっとそうだ。
走り回ったり、転びそうになりながら駆け寄るなんてかっこいい真似はしなかった。普通に歩いて、扉を開こうとする彼女の肩を引いて。
「ん? なんか忘れ物とか有った?」
「……………」
正直、めんどくさい流れだと思った。この女も、今の俺も。
言い訳を何となく探してしまう、思春期で頭が止まってるからだろうか。
素直に”幼馴染を思い出したから、やっぱり引き止めたくなった”なんて言えない。俺はラノベの主人公とかは向いてないだろう、奥手にも限度がある。
でも、それでも。そうだったところで。
「体ぐらい拭いて行け。静かにしてるなら、多くは言わない」
あぁ…………上がり込む女も、みっともなく顔つきを見て引き止める男も最悪だな。
心臓が爆発寸前の音を立てていた。体の温度は熱湯に浸かっているようだったし、俺の目はきっと期待と不安と、何かそんなごちゃごちゃした感情で溢れていただろう。
それが透けて見えていたに、決まってる。
レイはやれやれ、とでも言いたいのか。申し訳ないな、と思ったのか。なんだかどうとでも取れる曖昧な表情で口角を上げた。
「ほんっと、トモは大変そうだね。ありがとう」
子供にするみたいに、頭をゆっくりゆっくりと撫でられて。
凄く変な行動だったはずなのに、俺は驚くより信じられないくらい気恥ずかしくなって下を向いた。
雨は嫌いだ。雨の日は、誰のシルエットにも居ないやつを思い出す。今日も、そうだった。
現代の恋愛ものでメジャーな作品を全然ハーメルンでは見てないから、恐らくドマイナー突っ込んだ作品になってしまった。
理解できないけど、何とかすべきという確信のある衝動、稀にある。そして半分ぐらいは逆らうと人生の1割ぐらいの時間後悔がつきまとう気がする。気がするだけ。