「あなたのひいおじい様はとてもすごい人だったのよ」
ああ、またこの話か。
あたし、
如何やらあたしの右目はとても大切なものなのだそうだ。
物心ついたときからこの札は張られているから慣れていることは慣れているが、何がどのように大切なのかはよく分からない。
ただ、元服を迎えたら外してもよい、ということがわかっているだけだ。
「とてもとても強い呪詛師でね……」
寝たきりのおばあ様は毎日のようにあたしに曾祖父の話を聞かせてくる。
別におばあ様は嫌いではないし、話の中に出てくるひいおじい様も嫌いではないが、だからと言って毎日代わり映えのしない同じ話をされると流石に飽き飽きしてくる。
それに、例えそんなすごい人がご先祖にいたとして、どれだけ優れていても老いには勝てないのだなぁ……という無常感を感じる。
おばあ様の姿を見ていると、人が不老不死を求める理由が分かる気がした。
アタシはため息をつきながら、長いもみあげをくるくると指で巻いた。視界の縁で巫女服の広い袖が揺れている。生まれた時から着ている服だが、何で呪詛師の一族が神職である巫女の服を着ているのかはよく分からない。
「で、おばあ様。今回は特別な用があって呼び出されたんですけど、その用とは何でしょうか?」
「……? そうそう、元服の日取りが決まったのよ」
「元服、ですか。それで、何時頃に……」
「今日の夜よ」
そろそろだとは思っていたが、まさか今夜とは。
「だから今日が呪術の修業は無しにして、時間がくるまで体を休めていなさい」
あたしの家は広い日本家屋だ。
縁側の前には石庭がある。そこがあたしのお気に入りの場所。日が当たり、風が気持ち良くふく場所。
近くにあった石を放り投げる。
すると足元にいた大きな蟲がぬっちゃぬっちゃと粘液をこぼしながら這いずって取って来てくれる。足は遅いが、一生懸命に這いずっている姿がなかなかにキモ可愛いい。
「ハーイ、ありがとう」
蟲が銜えてきた石を手で受け取り、頭を撫でてやればうれしそうにプルプルと身を震わせる。白い粘液が手についたが、その粘液を袖の中から出てきた小さな蟲たちが美味しそうに舐めとっていく。
「舐めすぎちゃ駄目だからねー」
この小さな蟲達は加減を間違えると骨まで舐めとってしまうから注意が必要だ。その昔、初めてこの蟲に触れた時は危うく腕を無くしかけ、急いで反転術式を習得する羽目になった。
因みにこの蟲たちだが、目方家の相伝術式という訳ではない。そもそも一般人でも見ることが出来る。ただ、ひいおじい様が扱っていた蠱術に使われていた蟲を、あたしが趣味で遊んでいるだけに過ぎない。
もちろん、蠱術としても問題なく扱える。
曰く、呪詛師とは人の依頼を受け、それを呪術によって成し遂げる生業と聞いていた。だから、立派な呪詛師になるためには習得していて損はない。
どたどたと家のものが走り回っている。
あたしの元服のためなのだが、凄く他人事のように思えた。
「わ! こら、それは舐めちゃ駄目だって!」
手のひらにいた蟲の一匹が呪符を舐めていることに気付いた。ぼんやりとしている内にやって来ていたらしい。
下の方がはがれ、風になびいてピロピロと動いている。これは不味い。
この札は元服で行われる儀式が終わるまで剥がしてはいけないのだ。ほとんどはがれかけているが、このくらいならまだ誤魔化しがきくだろう。
あたしは術式を使って適当なテープを手に取り、庭にある池を鏡代わりにして丁寧に丁寧に、バレないことを祈りつつ張り付けた。
あたしは立派な着物を着て、大きな和室の主賓席に正座で座っている。
逆U字に並べられた机には立派な料理やお酒が並んでいる。
見渡すばかりに人人人。合ったことのある人もいれば、見たことすら初めての人もいる。男性もいれば、女性もいる。
呪術師の家系ではこうはいかないらしい。
男性が絶対で、女性の立場はないに等しいのだとか。
初めて聞いたときはびっくりした。だって、呪詛師にはそういうのが存在しないのだから。
もちろん、術式のあるなしは流石に問題になってくる。だけど、女性だからと言ってないがしろにされることはまずない。
そも、術式が無かったとしても依頼主との取次役としての役目があるから、本人の気質次第ではあるがそう悲観する必要はない。
少なくとも、あたしはそう教わった。
一族のみんなが色々と話しているが、あたしとしてはテープで張り付けただけの札がはがれないかだけが心配だ。
人が一室に集まっているせいで熱気がこもり、汗が出てくる。そのおかげでちょっとゆるくなってきてかなり不安になってきた。
「では屑拿様。元服の儀式を執り行います」
いつの間にかそんなところにまで来てしまったらしい。
正直なところ、元服の儀式がどういうもので、何をするのかは全く知らない。
内心楽しみに待っていると、正面にあるふすまが大きく開いた。
そして、黒い大男のような式神が、何かを掴んで開けられたあたしの真正面にやって来た。
すると役目を終えたのか、式神は消え、どさりと掴んでいたものが畳の上に落下した。
「うぅ……」
人だ。
この人が何か関係あるのだろうか。
「さあ、屑拿様。この男を術式で殺すのです」
「は?」
思わず声が出た。
「この男はとある企業の社長なのですが、競合企業の社長から殺してほしいとの依頼が来てましてですね。元々は別の物の仕事だったのですが、屑拿様の元服の日であるとお聞きし、これは儀式に丁度いいということになった次第でありまして……」
何を言っているんだ? こいつは。
呪詛師は人を助ける仕事だ。誰かの助けを聞き、それをかなえる仕事のはずだ。
あたしは、どうしてその呪詛師が、人を殺めるのかを聞きたいのだ。
するとふいに、あたしの右目を覆っていた呪符が外れた。
周囲から悲鳴が上がる。
世界が一変する。
世界中の出来事が流れ込んでくる。
人々の営み、呪霊の恐怖、呪術師の戦い、そして……呪詛師の暴虐。
そう、あたしの右目は千里眼だ。
ありとあらゆるものを認識する、五条家の六眼のような力も持つ魔眼。
その眼が、あたしに事実を叩きつけた。
――――呪詛師は屑の集まりで、あたしにも、その屑の血が流れている。
吐き気がする。
めまいがする。
自分の中に流れる血を全て取り替えたい。
そもそも、一族そのものを消し去りたい。
自分も含めて。
瞬間、倒れている男性と目が合った。
恐怖で震えている。
『助けて』と、声にならない悲鳴を上げている。
あたしが憧れたのは、誰かのために戦える人だ。
目の前にいる人のような、困っている人を助けたいから頑張って来たんだ。
「術式順転『
だからこそ、ここですべてをぶっ壊す。
彼女が呟くと同時に、隣に座っていた両親の首は即座に刎ね跳んだ。元々繋がっていなかったかのように切断されている。そして残った胴体は強力なプレス機でつぶされたように、何もない空間でぐしゃぐしゃになってしまった。
次期当主の狂乱を止めるため、内心では当主の座を奪おうと考えながら呪詛師たちは術式を行使し、式神を放つ。
しかし、その全ては屑拿の体に届く直前で壁に阻まれ、絶対に到達することはなかった。
境界呪術。
それが目方家の相伝術式にして屑拿の生得術式だ。
本来至る所にあるという『境界』を自在に操る術式で、存在を分け隔てる境界を身に纏っている彼女にはありとあらゆる行為が一切到達しない。
また、強固な壁を殴れば拳を痛めるように、その攻撃は全て行為者へと跳ね返る。
術式は全て跳ね返り、式神は消失する。
後はただの虐殺だ。
境界を生み出して首を刎ね、境界同士をぶつけ併せて圧殺し、内臓からねじり殺し、人を人として分け隔てる境界を消し去ってただの肉塊に変貌させる。
呪詛師たちは泣き叫び、死を恐怖し、嬲られる。
そんな中、ただ一人、屑拿だけが笑っていた。
それはとても楽し気で、至上の悦楽を知った時のような笑みだった。
ひたすらに暴れ倒した後に残ったのは、血の海と、肉の塊と、境界によって守られた何も見聞きしていない男の人と、汚れ一つない綺麗なあたしだ。
この人を適当な場所においておけばいいだろう。朝になれば誰かが見つけてくれるはずだ。
呪符を見る。
そこには見聞きしたことに疑いが持てなくなるような術式が刻まれていた。恐らく呪物だろう。
あたしは男をかつぎ、屋敷の外に出てから術式を発動する。
「術式反転『
屋敷に新たな境界を生み出し、それを含めたすべての境界を暴走させ、爆散させる。
これでこの屋敷で起きたすべての痕跡は消滅した。
「さて、これからどうするかな」
あたしのつぶやきは、夜空に吸い込まれていった。