食器を洗い終わり、キッチンから出て、リビングに向かうとこんな声が聞こえてきた。
「でも……私、は……弱くて、こわがり……だから。一人だと……だめ、です。いたくて……こわくて、どうしようも、なくなると……頭の中がぐちゃぐちゃに……なって……きっと、みんなに……ひどい、ことを、しちゃい、ます」
後半は涙声になりながらであった。
「だ、から……よしのんは……私の、ヒーロー……なんです。よしのんは……私が、こわく、なっても……大丈夫って、言って……くれます。そした、ら……本当に、大丈夫に……なるんです。だから……だ、から……」
「…………っ」
千早は音もなく四糸乃の目の前に現れると―――そのまま、四糸乃を抱き寄せると頭を優しく撫でた。
「……っ、あ……っ、あの―――」
「……よく頑張ったね。四糸乃ちゃんは弱くないよ。それも一つの選択なのだから。誰もがその選択を貫くのは困難だけどキミはちゃんとそれを実践しているのだから」
「―――っ」
千早はそのままゆっくりと四糸乃の頭を撫でる。
その優しさを自分自身に向けることのない四糸乃。
ならば優しさは外部から与えるしかない。
せめて……自分が一緒にいられる間は思いっきり優しくしようと千早は思った。
と、同時に自分の目的のために他の精霊を頼るのを諦める。
自分のことだから全て自分で片付けようと思ったのだ。
自分の目的を果たすとしたらこの娘には他の誰よりも酷だろうから。
「それにここにいるボクらは誰も四糸乃ちゃんを傷つけようとしないからね。『いたいの』も『こわいの』もここにはないからね」
それが千早から四糸乃に伝えられる全てだった。
千早はもとより士道も四糸乃のことを害する気はないのだから。
「……あ、りがとう、ごさいま……す」
「どういたしまして」
四糸乃が、素直にそう言ってくれたことは嬉しかった。
千早からすれば自分の方こそお礼を言いたかったのだ。
自分の考えを変えてくれたことに対して。
今になって思えば……自分の不始末を他者に完全に押し付けるようなものだったので千早としてはそのせいで心苦しい思いをさせずに済んだと感謝していた。
それからほどなくして四糸乃が消失する。
それを見届けると千早は言う。
「……パペットの場所は?」
「ちょっと待ってくれ……琴里?」
『聞こえてるわよ。パペットの場所は―――』
◇◇◇◇
「……ここか」
右手に地図の描かれたメモ用紙を持った千早が目の前に聳えるマンションを見上げる。
「……さて、行くか」
鳶一折紙の自宅であるマンションへと千早が入っていく。
今日は四糸乃が消失してから二日後であり、今の時間帯は学校にいるはずなので侵入にはもってこいなのだ。
自動ドアをくぐり、エントランスに設えられている機械に、折紙の部屋番号を入力する。
なんてことはせずにポルターガイストで無理矢理エントランス内側の自動ドアを開く。
千早の前ではセキュリティなどない同然であった。
そのままマンションに入ると、エレベーターに乗って六階まで上がり、メモ用紙に書いてある部屋番号の前に到着した。
「……ここだね」
千早はまたもポルターガイストを駆使して玄関の鍵を開けると部屋の中に侵入した。
それと同時に警報が鳴り響く。
ガスが噴射され、銃撃がが開始される。
だが、それは完全に無意味であった。
対人、もしくは霊装を纏っていない精霊相手であれば有効であろうが、仮初めの身体の千早には効くはずもなく、千早はどんどん部屋の奥へと進んでいく。
「……まったく。よしのんが壊れたらどうしてくれるだか」
銃弾が千早の身体を突き抜けて床に刺さる。
やがて、弾がなくなったのかカラカラと音を立てるだけとなるセントリー・ガン。
「ようやく進める」
もう罠がなくなったと思い千早がさらに一歩踏み出す。
「…………」
今度は眉間の位置にナイフが飛んでくる。
千早はそれを無視して進む。
ボウガンで射たれようもクレイモアを踏もうも意味がなく、千早の進撃を止められない。
「さて……よしのんは何処かな?」
千早はモデルハウスのように整っている部屋の中を見渡す。
リビングには見当たらないので次は奥の部屋へと向かう。
「……あった」
ベッドが置いてあるので寝所と思わしき部屋の洋服ダンスの上にちょこんと『よしのん』が鎮座していた。
『よしのん』を大事そうに抱えると千早は窓を開けて、下に飛び降りた。
その際に窓を閉じて鍵も閉める。
飛び降りている千早の顔には笑みが作られていた。
「……後は四糸乃ちゃんが現界するのを待つだけだ」
千早は手に持った『よしのん』を上機嫌に眺めながら帰路につくのだった。
◇◇◇◇
「……どうだったの?」
家に着くと早速琴里が千早に成果を尋ねた。
「失敗なんてするわけないでしょ」
そう言いながら、千早は『よしのん』を琴里の前に出す。
「なら、後は四糸乃が現界したときに渡せばいいわね」
「そうだね」
うなずくと千早は『よしのん』をソファーの上にちょこんと置く。
基本的に千早はリビングにいるのでここならなくすことはまずないだろうと思い、琴里は何も言わなかった。
「と、ところでなんだけど」
琴里らしくない歯切れの悪い言い方に千早は疑問を抱くもとりあえず先に話を聞くことにした。
「うん」
「精霊の力を封印するためにやることはわかってるわよね?」
「もちろん。士道とのキスでしょ? 今さら何を言ってるの?」
思っているよりもずっとあっさりとした返しに拍子抜けしつつも琴里は油断せずに話す。
「それって……あの子、四糸乃と士道がキスするってことよ」
「そうだね」
「そうだねって……」
予想していた反応が全くないので琴里はやや唖然する。
胃薬にやっかいになる覚悟までしていたので余計に千早の反応が信じられなかった。
まあ、胃薬にやっかいにならなさそうでよかったと内心ではホッとしているのだが。
「琴里ちゃん、ボクはね……ちゃんと四糸乃ちゃんが幸せを感じてくれるならそれでいいんだよ」
「……へ、へ~……そうなの」
「そうだよ。ボクはそう遠くないうちにみんなの前から姿を消すだろうからさ」
「……どういうこと?」
千早の近いうちにいなくなる、という言葉に琴里がすぐに反応する。
「そのまんまの意味だよ。このまま、士道が精霊の力を封印していくとボクがみんなの前からいなくなるのが早まるってこと」
ごく当たり前のように千早は言った。
「…………」
「まあ、今すぐってわけじゃないし。いなくなる時はその時に改めて言うから気にしないで」
そう……今すぐではない。
でも、遠くない日にお別れが確定している。
ボクはいつまでここにいられることができるのだろうか?
それは千早本人にもわからなかった。
◇◇◇◇
そして……数日後。
ウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ―――
と、空間震警報が鳴り響いた。
「……四糸乃ちゃんかな?」
その時、ちょうどテレビを見ていた千早は洗濯物を畳ながらそう言った。
番組はすぐに避難を呼びかけるものへと変わり、近所の人たちが一斉にシェルターへと向かって移動を始めている。
「……十香ちゃんを起こさないと」
現在昼寝をしている十香を起こしに、二階奥の部屋へと向かう。
部屋の前に着くと千早はドアをノックしてから話しかけた。
「十香ちゃん? 起きてる? 」
「……んっ……んん~……なんだ?」
あくび混じりで今しがた起きたばかりだと言わんばかりの声が返ってきた。
「空間震警報がなったから起こしにきたんだよ」
「ん? ……そうか。あれは……警報……というやつだったのか……!?」
「そうだよ。士道たちもリビングに降りてきてるだろうから十香ちゃんも来てね」
「うむ。わかった」
十香の返事を聞くと千早はリビングへと戻る。
そこにはすでに士道と琴里の姿があった。
「十香は?」
「今起こしてきたよ」
リビングに着くなり、琴里が十香について聞いてきたので千早はすぐに答えた後に冷蔵庫からお茶を取り出して三人分のコップに注いでテーブルの上に置く。
それからほどなくして十香が二階から降りて、リビングにやってきた。
「……とりあえず全員揃ったわね」
リビングにいる全員が椅子に座ると琴里が一人一人の顔を見ながら言った。
「それで……全員が揃ったのはいいけど何かあるの?」
「あるわよ。四糸乃のことなんだけど……あの子は左手にパペットを着けているときだけもう一つの人格があることが判明したの」
「やっぱり……か」
「……なんと!?」
士道は元からその可能性を感じていたのか特に驚いた様子もなく神妙にうなずき、十香は普通に驚いていた。
「……そっか」
千早は特には驚かなかった。
自分も二重人格とまではいかないが、似たようなものとは相対したことあるので。
もっとも……それは四糸乃と『よしのん』のように仲の良いものではなく、殺伐として平和的な相対ではなかったのだ。
でも、仲良くできてもお互いが同時に存在できないのでどっち道殺伐とした関係になるのは決まっていることか、と自嘲する。
「まあ、とりあえず四糸乃ちゃんが現界したらボクがぱぱっと家まで連れてくるよ」
千早が軽い口調でそう言う。
「……確かにそれが一番安全ね」
「大丈夫なのか?」
心配そうに言う士道に大丈夫だよと千早は軽い口調答える。
「ASTもいるだろうしね。十香ちゃんを戦場に出すわけにもいかないしさ。士道が行ったら十香ちゃんも来ちゃうでしょ」
「……いや、でもな
「ふふ……大丈夫だって。万が一もないからさ。それに……」
「それに?」
聞き返してくる士道に意味深しげに千早は笑みを浮かべながら言った。
「いざとなったら……というか、面倒になったら本気を出すから問題ないよ」
不思議と千早から放たれる不気味というか不吉なオーラに士道だけではなく十香、琴里からも冷や汗が流れる。
三人が感じたのは純粋な生命の危機。
だが、そんなものを感じたことのない三人はその事に気がつかない。ただ単に不気味で不吉なオーラを感じるに止まった。
「それと……十香ちゃん」
「な、なんだ?」
「もし、危険が迫ったら士道たちのことをお願いね」
そう千早が頼むと十香は任せておけとばかりにうなずく。
「無論だ」
十香がそう返事をしてから数秒後、大きな爆発音が響いてきた。
誰一人慌てることなく、これが空間震によるものだと理解した。
「それじゃ……行ってくるよ」
千早はそう言うと『よしのん』を抱えてリビングの窓を開けると 、そこから飛び出していった。