次の日。
「来て」
「へ?」
突然。
士道は昨日出現した精霊と切りあっていた人間に手を掴まれ、素っ頓狂な声を発した。
「あ、ちょ、ちょっと……」
ガタンと椅子を倒し、昨日の人間に引っ張られて教室を出ていく。
教室では士道の友人である殿町がポカンと口を開け、女子の集団がキャーキャーと騒いでいた。
【いってらっしゃ~い】
千早は気の抜けた声で引っ張られていく士道を見送る。
士道を引っ張っていった人物が士道に害をもたらそうとしていたのなら千早は迷わずついていくつもりだったのだが、そんな様子も無いようなのでそのまま見送ったのだ。
士道のクラスメートが話しているのを聞くと士道を連れていったのは鳶一折紙と言う名前らしい。
まあ、千早がついていったところで士道の身を守ることはほぼ不可能に近いのが現状なので、いたとしてもいないのと動議である。
昨日。〈フラクシナス〉から家に戻って士道と二人きりになったおりに千早は士道が精霊を説得することになったと聞かされた。
詳しいことを言うと……精霊に恋をさせて、世界を好きになってもらうためだそうだ。
【馬鹿じゃないの?】と思わず口に出してしまった千早だが士道は「そうだよなぁ」と苦笑いしながら話を続けた。
「馬鹿らしいかもしれないけどこれしかないからな」と。
そう言った士道に千早は表では笑いかけ裏では……【……もう、時間の問題か】と少しばかり悲しんでいた。
◇◇◇◇
千早が折紙に引っ張られて教室から出ていった士道を発見した時にちょうど士道はゴン、と壁に頭をつけた瞬間だった。
【自傷行為に目覚めちゃったのかい?】
「違うわ!!」
背後からかけられた千早の言葉に士道が勢いよく返す。
【周りに人がいたら何独り言を呟いてるのコイツ? 見たいな目で見られたのに残念だったね】
「残念じゃねぇよ!」
はぁ、と溜め息を吐く。さっきまで感じていた思いが吹き飛んだ理由がこんな馬鹿らしいことだったからだ。
【まあ、悩みがあるなら話してみたまえ。これでもボクは歳上だからね】
胸を張りそう宣言する千早。見た目が完全に少年……下手したら少年学生ぐらいに見える。
以前そのことを士道が指摘たしたら千早は【ボクはあと三回変身を残している】と本気なのか冗談なのか分からないことを言っていたのを士道は思い出した。
「……俺が甘いだけなのか? 精霊のせいで死んだ人もいるのに精霊を殺して欲しくないってさ……」
【う~ん……精霊本人にその気は無くても被害を受けた側したら精霊は殺して当然なんじゃないかな? ボクには分からないけどさ。でも、それも士道には関係ないでしょ。だったらキミがやりたいようにすればいいと思うよ】
「……やりたいようにか」
【そうそう。辞めるもよし、やるもよし。すべては士道……キミ次第だ】
少なくともボクはキミがどんな選択をしようと尊重するよと千早は付け加えた。
「…………そうだな。やれるだけやってやるさ」
【そうでなくっちゃ】
士道が階段を下りようとしたとき。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――ッ!!」
廊下の方から、女子生徒の悲鳴が聞こえてきた。
「……っ!? な、なんだ?」
【おおう! 事件か? 事件なのか!?】
慌てて階段を駆け下りていく士道のあとをついていくと、廊下に数名の生徒が集まっているのが見えた。
そしてそこの中心に、白衣を着た女性が一人、うつぶせで倒れているのが確認出来る。
「ど、どうしたんだこれ」
「し、新任の先生らしいんだけど……急に倒れて……っ!」
士道の呟きに、近くにいた女子生徒があたふたしながらそう返してきた。
「よくわかんねえけど、とにかく保険の先生を―――」
士道が言いかけると、倒れていた白衣の女性ががしっ、と士道の足を掴んだ。
「う、うわぁっ!?」
「……心配はいらない。ただ転んでしまっただけだ」
言いながら、女が廊下にべったりつけていた顔面を、ゆらりと上げる。
【ホラーだ……】
士道の足をつかんだ後にゆらりと起き上がる動作をした女を見ていた千早はそう呟く。
「あ、あんたは…………!」
士道が驚きの声を上げる。
そう忘れもしない。昨日の今日で忘れられるほどの存在ではないと言った方が正しい。
長い前髪に、分厚い隈。眼鏡をかけていようが、その特徴的な顔を見間違えることはあり得ない。
「……ん? ああ、君は―――」
女―――〈ラタトスク〉の解析官・村雨令音が、のろのろと身を起こす。
その動きはのろのろしているのと分厚い隈のせいでゾンビを連想させる。
「な、何してるんですか、こんなところで……」
「……見てわからないかい? 教員としてしばらく世話になることにしたんだ。ちなみに教科は物理、二年四組の副担任も兼任する」
白衣の胸につけていたネームプレートを、示しながら令音が言っている。ちなみに、そのすぐ上の胸ポケットからは、傷だらけのクマさんが覗いていた。
士道のバックアップのために来たんだなと千早は考えると士道に耳打ちする。
まあ、千早の声や姿は士道以外には認知出来ないので耳打ちする意味はないのだが、そこは気にしてはいけない。
【騒がずに話をして、詳しいことは関係者だけになってから聞いた方がいいよ】
その言葉に士道は小さくうなずく。
それから手を差し伸べ、令音を立ち上がらせる。
「……ん、悪いね」
「それはいいですけど、歩きながら話しましょう」
士道と令音の二人が歩きだすのを千早は見送り、学校の屋上まで一人、上がっていく。
それから誰もいないのを確かめるように千早は周囲をキョロキョロと見回して、誰もいないのを確認すると、屋上の中央部分で止まる。
半透明だった千早の体に異変が起こる。
半透明だったのが、透明ではなくなりしっかり視覚出来るようになり、しっかりと二つの足で屋上の床を踏んでいた。
そして、グーパーグーパーと両手のひらを開いたり閉じたりを繰り返す。
その後、足をぶらぶらと動かして調子を確かめる。
「……やっぱりか」
背丈は小学校の高学年ぐらいの少年であり、その顔つきも年相応のものでこれと言った違和感は感じられない。
だが、すぐにその存在に異変が生じる。
千早の姿が段々とぼやけていき、最終的には元の半透明な姿に戻ったのだ。
【…………】
千早は半透明な姿に戻った自分の体を見て小さく笑みを浮かべた。
望み望まぬ未来に辿り着くまでの時間がそれなりに残されていることに。
【……さあ、終わりへの道は開かれた。いずれ来るその時がボクの目的が達成出来る可能性を秘めている】
精霊でもASTでも何でもいい。
千早にとって最も大事なのは自分の目的を達成することで、それ以外は自分の心の感じたままに行動することだからだ。
◇◇◇◇
女性遍歴0の士道が来禅高校東校舎四階、物理準備室で精霊とのコミュニケーションを円滑に進めるための訓練を行っていた。
【……ギャルゲーかよ……】
千早が士道の元に戻ってきた時にいの一番に言った台詞がこれだ。
実の妹とその部下の目の前でギャルゲーをやっている男。
何とも精神をガリガリと削ってくる行為だろうか。よっぽどの猛者でなければ恥ずかしさで逃げ出していただろう。
唯一の救いは
「……ただのギャルゲーだったらよかったんだけどな」
力なく乾いた笑みを浮かべている士道。
【……何かごめん】
ものすごくいたたまれなくなって謝る千早。
ふとモニターを見ると、
『奥義・瞬閃轟爆破ぁぁぁぁぁッ!』
……ひどく懐かしいものが出たなぁと千早は思った。
上半身裸の士道が両手を腰元に構えてから、一気に前方に突き出してやる技だからだ。
この時は千早も協力して物が倒れるようにしたのだ。
本当に士道にとって苦い思い出だ。
でも、某吸血鬼や某世紀末の聖帝や拳王の真似に比べれば大丈夫だと思いたい。
「っいやぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁああぁぁぁぁぁ―――ッ!?」
盛大な悲鳴を上げる士道。
完全に駄目だった。
「琴里! ヤバい! これだけはヤバい!」
「ふふ、じゃあ次はちゃんと選択を成功させることね。……ああ、途中で放棄なんてしたら、動画サイトに投稿するからね」
妹は悪魔でした。
「…………っ」
士道は泣きそうになりながらも、コントローラーを握りなおした。
【……士道……頑張れよ。キミなら大丈夫だ……多分】
千早はしばらくの間、士道に優しくしようと誓った。
そして、一人……失敗したら黒歴史が解放される地獄のギャルゲーをプレイしている士道に敬礼するのだった。