34話
千早が消えてから約半月。
五河家は〈ラタトクス〉のエージェントの尊い犠牲のもと、千早の仕掛けたトラップを全て解除されて、普通の家と変わらない状態へと戻った。
「十香……準備はどうだ?」
「もちろん、大丈夫だぞ」
自信満々に答える十香に本当に大丈夫かと思ってしまうが、もしも時のサポートは令音や〈ラタトクス〉のエージェントたちがやってくれるはずだと思い、士道は特に何も言わないことにした。
それに自発的にやっていることから十香の成長が見てとれる。
人と関わることによって笑顔でいることが増えた。
初めの頃はいつも疑っていたのにだ。
ただ……鳶一折紙との相性はかなり悪いが。
そこで士道はふと思い出す。
千早が折紙のことを嫌っていたことを。
その理由は想像する限り自分を殺しかけたのと四糸乃を襲ったことだと思っているが、士道はそれだけではないように感じていた。
そして、プールで起こった出来事を千早が知ると折紙を襲いに行きかねないと危惧している。
なので、士道は千早に言わないことにした。
あとで、四糸乃と『よしのん』に口止めをしておくのを心に止めながら。
◇◇◇◇
「うぅ~ん……」
辺り一面に広がる青い海。
そこで、ぷかぷかと漂う一人の少年。
「ここどこ?」
少年はそんなことを言いながら海の上に立つ。
濡れていた服が一瞬で乾き、新品同様の色に戻る。
「……ボクとしては日本の領海内だと嬉しいんだけど」
頬を人差し指でかきながら、困ったような声音で少年―――千早は言った。
「……う~ん……とりあえず移動しようか」
そう呟くと同時に千早の周囲を青白い光が覆い、一気にその場を後にした。
それは高速で低空を移動し、海の色に擬態しているため視認が難しく、船の側を通るも誰も千早の存在に気がつけない。
ただ、風が強いと感じるだけであった。
「……やっぱり霊体よりもいいや」
霊体から元の体に戻った千早は感慨深く独り言を漏らす。
「視界に映る景色も身体に触れる水も……」
久々の生の感触が千早の心を高揚させる。
幽霊の時には感じられなかったものに心が震える。
「……ああ……そして、時間もあんまりないか」
すぐに表情が曇る。
高揚感も消えて変わりに陰鬱な気分になってくる。それでも、と視線を動かす。
辺り一面に広がる青い海。
船の姿もなく、島の影さえ見えない。
そこに一人だけポツンといる自分。
なんとも……寂しい光景だ。
飛行を止めて、その場に立ち止まる。
「………………」
無言で何かを思い出しているかのように目を閉じる千早。
「…………いこう」
閉じていた見えにくかったり目を開けると千早は飛行を再開した。
その速度は立ち止まる前よりも速く、風切り音が鳴っている。
それから、数十分としないうちに島が見えるようになった。
だが、雲ひとつない快晴の空が瞬く間にどんよりとなり、嵐のような風が吹き荒れ始める。
「……これは」
同時に感じる霊力。
それは……間違いなく精霊のものであり、この場に精霊が現れるのも時間の問題であろう。
「…………空間震が起こってないから静粛現界か」
やがて、精霊が現界する。
凄まじい暴風を発生させながら。
現界するは……
「……へ?」
それを確認した千早の口からまぬけな声が漏れた。
現れたのは双子のように瓜二つの容姿をした姉妹のような二人。年の頃は士道とそう変わるまい。
燈色の髪は同じだが、片方は結い上げており、もう片方は三つ編みにしている。
お互いに露出度が異様に高く、身体の各所にベルトを巻いたような霊装を纏っている。髪を結い上げている方は暗色の外套を纏っていた。
そして、首、手首、足首に錠が施され、その二人は左右対称に錠を着けていたのだ。
「―――今日こそ決着をつけるぞ、夕弦。無論……我の勝利でな」
大仰にふてぶてしく髪を結い上げている方の精霊が言う。
と、それに応じるように、もう片方の髪を三つ編みにしている精霊が答えた。
「反論。この九十九戦目を制するのは、耶倶矢ではなく夕弦です」
「………………多くない?」
黙って耶倶矢と夕弦のやりとりを聞いていた千早は九十九戦目と聞いてそう声を出していた。
その声が聞こえたのだろう、耶倶矢と夕弦の視線が千早に向く。
「何奴!」
芝居がかったような仕草で千早を指差す耶倶矢。
「同意。夕弦もそう思います」
こくりと肯定の意を表す夕弦。
だが、この反応は耶倶矢の望んでいた反応とは違うらしく夕弦に文句を言い出した。
「夕弦! 今はあいつの正体を確かめるのが先決だろ!」
「肯定。ですが、事実です」
「うっ……た、確かに私もそう思う」
こんな二人のやりとりを見ている千早は何故か黒歴史の時の士道の面影を耶倶矢に見た。
サッと夕弦から目を逸らしていた耶倶矢であったが、思い出したかのように千早の方を向く。
「何者だ! はやく正体を明かすといい」
大仰な言い方に戻る耶倶矢。ますます士道の黒歴史時代を思い出させる。
「何者もなにも……精霊だけど」
あっさりと答える千早。
「なんとっ!?」
精霊という言葉に驚きをあらわにする耶倶矢。
「初見。耶倶矢以外の精霊を初めて見ました」
夕弦に夕弦で気怠そうな半眼を大きく見開き驚いていた。
「そうなんだ」
他の精霊とあったことがないというのは結構当たり前のことなので千早は特に気にしなかった。
人と比べると絶対的に精霊の数は少ない。
そのなかで精霊同士が出会うのは本当に珍しいのだ。
◇◇◇◇
七月十七日、月曜日。
士道たち来禅高校二年一行は大平洋に浮かぶ島に到着していた。
域美島。伊豆諸島と小笠原諸島の中間辺りに位置する、総面積七十平方キロメートルほどの島である。
「…………士道と十香ちゃん? 何でここに」
域美島全域に
「…………招かねざる存在も複数か」
千早にとって招かねざる存在―――それは士道と精霊(士道と仲がよい)の敵もしくは彼らに害を及ぼす存在である。
「ん? どうしたのだ?」
虚空を見ていた千早に黒こげになった焼き魚を持った耶倶矢が近づいてくる。
「ううん……何でもないよ」
左右に首を振って視線を黒こげになった焼き魚へと向ける。
表面だけなら未だしも……完全に黒こげであった。
「……はい、アウト。この結果だと夕弦ちゃんもおんなじかな」
「肯定。まさしくその通りです」
夕弦がこくりとうなずきながら耶倶矢の隣に立つ。
夕弦の焼き魚も耶倶矢の持ってきた焼き魚と同様に黒こげであった。
「はあ……勝負以前の問題だよねこれ」
千早が黒こげになった焼き魚を見ながら嘆息する。
二人が勝負の内容を千早に求めたところ料理対決となったのだが……結果はこの通り。勝負以前の問題であった。
「つ、次からが本番だ!我が
ばっと腕を振るいながら耶倶矢が宣言する。何処からその自信は出てくるのだろうか。
「同意。コツをつかんだので次は問題ありません」
と、夕弦もそれにつられるようにそう言う。
だが、実際にはこの焼き魚も幾度の妥協の結果であり、千早はあまり信用していなかった。
「そう……次はボクも傍で魚を焼くから。失敗した時点で二人とも一旦終わりだからね。魚が勿体ないし」
すでに二匹も無駄になっているのだ。これ以上はなるべく無駄にしたくなかった。
歩いて十歩程度の距離に置いてある三つの七輪。これで魚を焼いているのだ。
全員が七輪の上に魚を乗せて魚を焼き始める。
パチパチと炭の弾ける音が聞こえる。同時に魚の焼ける匂いが漂い始めた。
「ふっ……我が
その瞬間―――七輪の中から煌々とし炎が溢れ出して七輪の上に乗った魚を覆い隠した。
それに触発されたのか夕弦も動き出す。
「笑止。そのような無駄の多い炎など夕弦の前では稚技に等しいです」
こちらこちらで青い炎が七輪の中から出てくる。
青い炎―――つまり完全燃焼だ。
完全に魚が無駄になったことを悟った千早は内心で、一回……シバくか、と思っていた。
だが、両隣で楽しそうに火遊びをしている二人を見るとそんな気も失せてしまい、結局は三人分の魚を焼くことにするのであった。もちろん、後で食べ物を粗末にしたことに対して怒るつもりだが。
「ふははは! 見よ、夕弦には出来まい!」
耶倶矢が風で炎を操り遊んでいる。すでに魚は黒ずみ状態だ。
炎が様々な形を作っては変化している。確かに見事であるがその余波で千早の焼いている魚が焼かれそうである。
「惰弱。なよなよな耶倶矢の炎と違って夕弦の炎は完璧です」
完璧と言い張る夕弦。何が完璧なのか……それは形だった。
耶倶矢の炎のように様々な形を作っては変化しているのではなくたった一つの形を完璧に維持している。
「あ……焼けた」
丁度、魚が焼けたので千早はそんな二人のエスカレートしていくやりとりをBGMに魚を取り分けていく。
ヒュッ! と鋭い風切り音と共に取り分けていた魚が粉砕される。
「…………」
いつの間にか暴風が巻き起こり、天気はどんよりとしたものへと変わっていた。
「ふ、ふふ……ふふふふふ」
不気味な笑い声をあげる千早。
その上空では―――
「漆黒に沈め! はぁぁッ!」
「突進。えいやー」
裂帛の気合いと、気の抜けた声とともに、耶倶矢と夕弦がまったく同時に地を蹴った。
「……………………」
精霊二人の激突に爆風に似た強烈な風が吹き荒れる中、千早は無言で笑っていた。
「待、てぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」
そこに突如、叫び声が聞こえた。
その声は千早のよく知るものであり、その声のした方向に視線を向けるとそこには……士道の姿があった。
「何、今の声……ええと、そう
「報告。耶倶矢、あれを見てください」
夕弦が士道を指さし、耶倶矢が眉を歪める。どうやら本当に今の今まで、士道の存在に気がついていなかったらしい。
「人間……だと? まさか。我らが戦場に足を踏み入れるとは、何者だ?」
「驚嘆。驚きを禁じ得ません」
言って、怪訝そうな視線を浴びせかける。
「あ、いや……」
士道がしどろもどになって足を一歩引いた。
「―――ボクの家族のようなものだよ」
そこへニコニコと笑顔で目が笑ってない千早が耶倶矢と夕弦の頭部を蒼白く輝く手でぎゅっと掴む。
その声は底冷えするような寒さを含んでおり、ビクッと耶倶矢と夕弦が震える。
「千、早……」
士道が千早の登場に驚き、目を大きく見開く。
こんな場所で会うとは思っていなかったので驚きを隠せなかったのだ。
「さてと……二人とも少し落ち着こうか? 」
千早の雰囲気を察したのか耶倶矢と夕弦が仲良くコクコクとうなずく。
本能的に逆らってはいけないと察したのだ。
その様子に満足気にうなずくと千早は二人の頭部を掴んでいた蒼白く輝く腕を消す。
「さ……お話しようか」