涙、な散りそ。   作:狩奈

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Titan Hands

 2024年1月。世界初のVR(・・)MMORPGである《ソードアート・オンライン》での出来事。

 

中小ギルド《シルバーフラグス》はリーダーただ一人を残して全滅、事実上崩壊することとなった。ちょうど殺人ギルド《ラフィン・コフィン》の暗躍が話題になっていた時期。

 

 今まで鳴りを潜め、少なくとも表舞台に出てくることは無かった凶悪な性格のプレイヤーが今までの鬱憤を晴らそうとするかのように顕在化し始めた。

 

攻略組と一部の殺人プレイヤーが抗争を繰り広げていたのは有名な話ではあったが、どうせ俺らのような弱小集団は標的にもならないだろうと遥か遠くの出来事であるかのように笑っていた。

 

――Alex(アレク)は、現実世界にいたころからの親友だった。

 

毎日毎日飽きもせずだらだらとバカ話をして、結構えげつない下ネタが出てこようものなら周りの同級生も巻き込んで死ぬほど笑って、SAOも一緒にやろうと高校生ながら一緒に早朝のゲームショップに並んだっけ。

 

SAOがデスゲームだと判明してからのアレクはショックで何日も寝込んでいた。あいつらしくもなく「どうせみんな死んじまうんだ」と弱気な言葉を繰り返してばかり。

 

そんな親友を放っておけるほど俺は薄情ではなかった。それこそ何日にも渡ってアレクを元気付けるために言葉をかけ続け、嫌がるのを無視して無理やりに外へ連れ出し、俺たちなりにクリアを目指そうと希望を語った。

 

『俺が前に出てお前の盾になる』

 

 アレクが俺を突き飛ばした瞬間には恐らくもうあらゆるものが手遅れで、そして何もかもが終わっていた。

 

 いつもの狩場、いつものルート。油断がなかったかと問われればウソになるが、十分すぎるほどの安全マージンは確保していた。モンスターハウスに遭遇して囲まれでもすれば手こずりこそすれ、最悪の場合になったとしても死ぬ要素はどこにもないはずだった。

 

このゲームにおける死は本物の死と同じ――VR空間で用いられる俺たちのアバターのHPがゼロになった瞬間、ナーヴギアと呼ばれるヘッドギア型ゲーム機が高出力の電波でプレイヤーの脳を焼くのだとか。

 

 俺たちパーティが引っ掛かったのは派手な爆発トラップや厄介なモンスターハウスなどではなく、最も古典的かつ凶悪な落下即死トラップだった。パーティでは斥候(スカウト)を務める俺に見つけられなかったということは、自然発生でもモンスターが作ったものでもなく、誰か達人級のスキルを持ったプレイヤーが罠を仕掛け、用意周到に隠蔽していたのだろう。

 

アレクの役割は前衛に陣取りパーティの盾となるタンク。最も頑丈で倒しにくいあいつは、今思えば真っ先に殺す対象として狙われていた。罠にかかった俺をアレクが庇うところまで計算されていたのだとしたら、怒りや恨みの感情をぶつける前に敵を称賛するほかない。

 

 人が、プレイヤーが、この世界で死ぬところを初めて間近で見た。薄青く透き通ったガラスが砕けるように、数秒前までアレクだったものが散り散りになる。モンスターを倒した時と全く同じ光景だった。言い知れない嫌悪感と不快感が俺の精神をじわじわと蝕む。

 

 アレクが副リーダーとして、親友として、隣にいるのが当たり前すぎて、最後に何を話したのかさえ覚えていない。

 

――Liselotte(リゼ)は、初めてできた俺の恋人だった。

 

 出会いは確か、メイスを抱えた彼女がフィールドの手前で怖がっていたところを放っておけずにアレクと声をかけた時だ。最初は怖がられてしまっていつも図体のデカいアレクの影に隠れては事あるごとに俺を避けていたが、パーティメンバーとして行動を共にすることで次第に打ち解けていった。

 

バケモノのように俺を怖がっていたのが嘘のように、俺の周りをいつでも着いてくるようになった。「センパイ、センパイ」と俺を呼びながらころころ笑う彼女の笑顔は自然と俺たちのことも笑顔にしてくれた。

 

クリスマスの夜。派手に飲み食いをして豪快にぶっ倒れていびきをかき始めたアレクをそっとしておいて、俺はリゼを夜の散歩に誘った。街灯に照らされて橙色に染まる雪がちらほらと空から落ちてくる。

 

好きだ、と俺はリゼの顔を真っ直ぐに見つめて言った。

 

私もです、とリゼはとびっきりの笑顔で俺にそう返した。

 

思えば初めて異性と体を重ねたのもあの日だった。

 

『私は貴方の代わりに精一杯戦います』

 

「シルセンパイ逃げてェーーーッ!!」

 

 リゼの金切り声にハッとして振り向くと、どこからともなく姿を現した三人のプレイヤーが武器を手にリゼを取り囲んでいた。そのプレイヤーを指すカーソルは通常のグリーンではなく全てオレンジ色。過去にプレイヤーを意図的に攻撃、否、殺してきた事を示すマーカーだ。

 

 いかにも高飛車なお嬢様のような名前なのに、小柄で臆病な女の子。モンスターを見るだけで怯えていたし、いつも盾の陰に隠れて滅多に前に出てこない。それでもソードスキルの巧さは俺たちの中では一番で、正真正銘《シルバーフラグス》の切り札だった。

 

 ソードスキルとはこのVRゲーム世界《ソードアート・オンライン》における必殺技。その使い方が巧ければ巧いほど、この世界では強い。

 

 そんな彼女が、盾も武器も奪われ、まがまがしい形状の刃物で大人数から滅多刺しにされている。逃げるのはお前の方だと叫び返してやりたかったが恐怖で唇がわななくばかり。

 

 悲鳴が色っぽい、だの。女を犯すのは堪らない、だの。聞くも悍ましい言葉が耳に流れ込んでくる。リゼの体に何度も何度も剣が突き立てられる。リゼのHPゲージが赤くなったのを見てようやく、本当にようやく、俺は怒りという感情を思い出した。

 

全身の血液が沸騰するような感覚。片手剣を背中の鞘から抜き、今まで出したことも無いような雄叫びを上げながら、リゼを何とか救おうと遮二無二突撃した。

 

 普通のグリーン・プレイヤーがオレンジ・プレイヤーを攻撃してもペナルティはない。使い慣れた《索敵》スキルや未熟な《識別》スキルを使って敵を分析したところ、あいつらよりも俺は強い。そう判断した。

 

 レベルも、装備も……おそらく経験も。

 

「今助ける……、今ッ、助けるから――ッ!! リゼェェェッ!!」

 

 恋人を救うためなら、大切な仲間を助けるためなら、俺は人殺しになったっていい。本心だ。リゼに暴虐の限りを尽くすプレイヤーたちの間に躍り出て、広範囲を攻撃できる種類のソードスキルで敵をまとめて薙ぎ払おうと、有名な鍛冶師に仕立ててもらったばかりの真新しい片手剣を腰だめに構えた。

 

 マグマのような怒りはもはや氷河のような冷徹へと変わっていた。憂いも怯えも無い、信念と覚悟だけを手に、俺は必殺の連撃を放とうとした。なのに。

 

「な、んで……」

 

 俺の腕から技が放たれることはなかった。ギルドの中では一番ソードスキルがヘタクソな俺が選んだのは、範囲四連撃技《ホリゾンタル・スクエア》。発動すれば水平の斬撃を四回連続で繰り出す。

 

たとえどれほど下手であったとしても、この時だけは必ず発動してくれるという確信があった。青い軌跡を引いた剣が奴らの四肢を切り飛ばすまでをはっきりとイメージ出来た。

 

――Lozalia(ロザリア)。ああ、お前だ。お前が、全ての元凶だ。大人っぽい女性に弱いアレクを誑かし、寂しがり屋なリゼに取り入り、初めから奴を信用していなかった俺を欺いた。

 

お前さえ、お前さえいなければ、俺たちはこれからもずっと上手くやり続けられたはずなんだ。

 

 攻略組の名だたるギルド――例えば《血盟騎士団》や《聖竜連合》みたいに光り輝くことはできなくても、俺たちは俺たちなりにちゃんとこのVR世界で生きて、鈍い輝きくらいは放てるだろう、と。

 

 Silver(俺の名前)を丸々全部使って《シルバーフラグス》は結成された。

 

 ロザリアはソードスキルの発動を失敗して棒立ちになる俺の姿を見て、意地汚く唇の端を吊り上げて嗤った。ついさっきまで武器を振るっていた敵がロザリアを守るように陣形を変える。四対一。

 

 敗北と、そして死という単語が脳裏を掠めて消えていく。リゼの前に立ち塞がり剣を構え直すが、俺はアタッカーではない。スピードだけが取り柄のシーフだ。リゼを腕に抱えて逃げるのは不可能で、さりとて先手を取ることに失敗した現状ともなれば個人の実力差など意味をなさない。まともに戦えば確実に二人とも殺されるだろう。

 

 だが、最悪、俺が死んでもリゼが逃げおおせる事が出来るならそれでいい。勿論二人が生きて生還するのが理想だが、その道筋を今の俺は思い描けない。戦闘か、交渉か、とにかく行動を起こさなければならない。とにもかくにもなにか、なにか――

 

「アナタがそこの女の子を殺してウチらの仲間になるか、ここで二人とも死ぬか、選びなさい」

 

 あまりにも残酷な提案。どっちを選んでもリゼは死ぬ、殺される。違うのは俺もろとも死ぬか犯罪者に成り下がるかの一点だけ。

 

「ふざけるな……刺し違えてでもお前らを殺してリゼは逃がす。恋人を殺して生きようとする彼氏がどこにいる」

 

「あーあー、それよ、そういうのがウザいの。本当はアナタに取り入って私腹を肥やすつもりだったのに無駄に勘がいいせいでこういう方法しか取れなかったのよ。つまり、アナタのギルドが壊滅したのはアナタのせい———ってわけ」

 

 なんだ、なんなんだその理屈は。

 

 あまりにも自分の常識とかけ離れすぎていてその意味を理解できない。剣を握る手が俺の恐怖を映して震える。怒りで誤魔化していた死という現実が重くのしかかる。

 

 後ろに庇うようにしていたリゼのほうを見やると、リゼもまた俺の目を見つめ返してきた。少しでも安心させようと言葉を探す。

 

 しかしそんな俺よりも早く、俺よりもっと恐ろしい目にあったばかりなのに、リゼは気丈に振舞おうとしていた。

 

「センパイは、やっぱり動きが硬いです。ま、前に教えたじゃないですか、腕に力が籠りすぎなんですよ。戦う時も、抱きしめてくれる時も、びっくりするくらい力強くて、でも……そんなセンパイが私は大好きです」

 

 だから……、と。そういってリゼは震える指で短剣を取り出し握る。短い刃の切っ先を彼女が自分でのど元に向けた瞬間、俺はリゼに向かって手を伸ばした。彼女が何をしようとしているのかを即座に理解したからだ。

 

 ぐしゅり、と肉がつぶれるような音が聞こえる。彼女は、リゼは、自らの意思で自らの命を絶ったのだ。

 

「愛しています……好き、大好き……だから————」

 

「ア、あ、ああ……あ」

 

 砕けていく。リゼだったものが壊れて、散って、消えて行ってしまう。

 

「リゼーーーーーッ!!!!!」

 

 リゼが自殺し、俺はたった一人残された。

 

「ぁ――あ、あ……」

 

 一瞬で全てを失った。この世界で俺という存在を形作っていたものは何もかも奪われた。

 

 怒り、悲しみ、憎しみ、喪失感、無力感。ありとあらゆる負の感情で腑抜けた俺を見てロザリアたちは大きな声で笑っていた。あいつらが俺と同じ人間だとはどうしても思えなかった。

 

「アッハハハハハ! 健気ねえリゼちゃんは、それにあのブ男も。まさかあの二人がここまでアンタを信頼してるとは思わなかったわよ」

「……ぶな」

「ええ? 何言ってんのか聞こえないわよ」

「お前が、お前たちが、気易く愛称でリーゼロッテの名を呼ぶな」

 

 今の俺に出来る最後の抵抗だった。

 

 しかしロザリアたちはその言葉に何を答えることもなく踵を返し、俺を置き去りにしてどこかへ歩き去っていった。

 

「殺そうかと思ってたけど気が変わった。オマエはウチらの箔を付けるために生かしておいてあげる」

「覚えておきなさい? オマエたちのギルドはウチら《タイタンハンズ》が潰した」

 

 笑い声の反響も足音も聞こえなくなってからどれほどの時間が経っただろうか。

 

 俺は奇声を上げ、滅茶苦茶に腕を振り回しながら駆け出した。

 

 この瞬間から仲間たちと共に俺という人格は確かに死んだ。

 

 

 

……

 

…………

 

………………

 

 

 

 

 

 また同じ映像だ。夜な夜なあの時のことを繰り返し夢に見る。そのたびに鮮明に仲間たちのことを思い出す。胸を引き裂かれるような痛みを伴うこの夢を見続けることが無様にもたった一人で逃げ帰ってきた俺への罰なのだとすれば、それは本当にふさわしい末路だと思えた。

 

 高価でなければ安価でもない、普通の宿屋の一室の風景は取り残された者にふさわしく寂寥感に満ちていた。

 

 『いつもの場所』に向かおうとベッドから体を起こすと、()()()が俺の腕にしなだれかかってくる。

 

「ねえ、もう行っちゃうの? ね、もう少しだけ、いいでしょ……ね?」

 

 絹のようにしなやかな腕の感触に、つい昨夜の絡み合いを思い出してしまう。ああ、誘っているのだなと理解する。しかし俺にはそれを振り払わなければならない理由があった。

 

「ごめん、でも()()だけはやらないと」

 

「うん……そうだったね。あたしの方こそ、ごめん。気を付けて行ってきてね」

 

「ああ……」

 

 SAOはまだ2月。外の空気は骨身に染みるような冷たさだ。

 

 厚手のフロックコートを羽織りハーフマフラーをきつめに巻いて宿屋の外の街を歩く。

 

 SAOというゲームは浮遊城アインクラッドという100の階層を持つ浮島が舞台となっている。各階層に設置された転移門と呼ばれる層から層への移動装置の上に立ち、ぼそりと聞こえるか聞こえないかくらいの発声で移動先を指定した。

 

「転移、《始まりの街》」

 

 アインクラッドで最も広く、最もさびれた街。第一層の主街区。攻略組と呼ばれる最強格のプレイヤーたちに俺は遠く及ばないが、こんな低層に今更行く理由はある程度のレベルのプレイヤーならば本来無い。ただ、この始まりの街には唯一無二の役割を担う場所があった。

 

 もしSAOが普通のゲームとして稼働していたなら、蘇生ポイントとして機能していたはずの場所。《黒鉄宮》。そこには全プレイヤーの名前を記したモノリスが鎮座していた。そのモノリスに名前を刻まれたプレイヤーのうち、すでに退場した者の名前には無慈悲な横線が引かれる。俺はそれを見に来たのだ。

 

 AlexLiselotte、二人の名前の上にひかれた横線をゆっくり、ゆっくりと指でなぞり上げる。花屋で誂えてもらった花を添え、膝をつく。これは俺の懺悔の時間。

 

「なあ、二人とも。俺の事ちゃんと見てるか。俺はもう誰かを率いたりしないから。俺はこれからの人生をお前たちの、他の誰かの奴隷として過ごすから。皆のことを忘れないから」

 

 俺が誰とも出会わなければこんなことにはならなかったのだ。誰かと愛し合ったりしなければ俺のために誰かが死んだりしなくて済んだ。俺が、俺が————何もかも俺が悪いんだ。

 

「身勝手な言い分でごめん。でも、俺は償いに生きるから。精一杯頑張るから、だから、許してくれ」

 

 膝をついたまま胸の前で祈るように指を組み、黙祷を捧げる。願わくば俺の人生に残る()()()()全てがあの世の仲間たちに行き届きますように。

 

 




 

 次話に続きます。
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