11 大会の噂
本当に学校なのだろうかと疑ってしまうほど豪華で広い会議室だ。
数々の中学校からテニス部の顧問が集められており、珍しい状況に期待と不安が入り混じって、多くの人が年齢を問わずに覚悟している。
主催となる氷帝学園男子テニス部顧問、榊太郎が説明を続けていた。
「試合はダブルス、シングルス2、シングルス1で構成し、先に2勝したチームを勝利とします。チームのメンバーは最低でも4人、最高で5人までと定め、1人の補欠メンバーを許可します」
配られた資料にはいまだかつてない、中学テニス界を変革させようとするかのようなイベントについて記されている。
企画したのは榊だが、多くの教師に理解を得た上で提案していた。
「このように、“関東ジュニアオープンテニス”は学生たちの自主性を尊重し、各々が好きなようにチームを組んで参加する団体戦です。他校の生徒と交流することで、テニスの技術を競い合わせて向上させるだけでなく、チームを組むことでリーダーシップや協調性を養ってもらいたい」
彼が提案するのはあらゆる学校の生徒が、個人の判断で独自のチームを作り、学校ごとに参加する大会とは違った刺激を与え、新たな刺激を得てテニスに向き合うことを目的としていた。
もちろん学校に通いながら部活動を行う、それ自体を否定するつもりはない。しかしそればかりではレギュラーメンバーは固定され、生徒たちの思考も一極化してしまい、多様性を理解する機会を失わせてしまう場合が考慮される。
才能を埋もれさせたまま、部活動を引退してしまう生徒が居る可能性を否定できないのも事実。それならあらゆる生徒にチャンスを与える機会があってもいいのではないか。
榊が提案する“関東ジュニアオープンテニス”というイベントはその先駆け。
試験的に関東地方の学校に協力してもらうことになるが、生徒に与える影響を考慮し、有用性を認められれば全国的に広めていく可能性もある。
これはあくまでも生徒たち、未来を担う若者たちのためだと語っていた。
「社会に出る者、或いはプロを目指す者、どのような道を選んだとしても必ずや学生たちの糧となるはずです。我々は教師……テニスを指導するのは教育の一環として。ならば、今一度学校という区切りを取り払い、一人の人間として、テニスを愛好する者として、学生たちの成長を見守って頂きたい」
会議は静かに進展していたものの、無関心なわけではない。
これから来るであろう未来を見据えて考える教師が集まっていたのだ。
「ここに集まった皆さんの力を合わせれば問題はないはずです。賛成の方は挙手を」
そう締めくくり、榊は会議室に集まった面々をぐるりと見回した。
*
「関東ジュニアオープンテニス?」
「ああ。もう噂になってるぜ」
部活が始まる直前、着替えを終えて外へ出た悠介は桃城の話を聞いてきょとんとした。
聞き覚えのない大会だがそれも当然。新たに作られるらしい。また大それた事態になったものだと心底感心する。
「発起人は氷帝の顧問だってよ」
「あの怖い人か……」
「要するに、余所の学校の奴らも含めて、好きな奴とチーム組んで勝てって大会だ。練習期間も結構長く、何ヶ月間か設けるらしい」
「へぇ~、本格的」
初めて聞いた。面白そうだと悠介は思う。
他人事のように考えて、自分が参加する可能性など考えず、他校の生徒がチームを組むなら面白い試合が見られそうだなと楽観的に考えていた。
彼の表情は穏やかで、楽しげに笑って桃城の話を聞いている。
「でもリーダーはどうやって決めんの? 責任重大じゃん」
「顧問の先生が任命するって噂だけどな。まあ初めてのことだし、手探りも多いんだろ」
「ふーん。これから毎年やんのかな」
「上手くいきゃそうなるんじゃねぇの? 仮に今年だけになったとしても、俺らにしてみりゃ面白い話だ。他校の奴とチーム組むなんてそうなさそうだしな」
「そうだけど、他校の生徒と組むからなあ」
悠介は隣を歩く海堂に目を向けた。
彼は桃城とは仲が悪く、近付けば喧嘩、ダブルスを組めば中々のコンビネーションを見せるのだがやはりそりが合わない一方、悠介にはいくらか柔軟な態度を見せる。越前リョーマと出会って腑抜けている間はイライラすることも多かったようだが、プレーが改善された今ではまた元の関係に戻っていた。
その海堂がとにかく社交性がないことをよく知っている。テニスの腕前は青学でレギュラーを取るほどで、大会ではいくつも勝利をもぎ取っているが、だからといって安心できない。
心配なのは実力よりもチーム内の空気で、その場面を想像する悠介は意地悪そうに笑っていた。
「じゃあ海堂はきつそうだな。実力はあるのに協調性ないんだもん」
「あぁ!? 喧嘩売ってんのかてめぇ!」
「こうだもん」
「わっはっはっは! 確かに! 諦めろ海堂、お前の負けだ」
「チッ、何が負けだ……」
苛立った様子で早足になり、海堂は先に行ってしまう。
仕方なさそうに見送りながらいつものことだと考え、二人は追わなかった。
「宮瀬がリーダーだったら面白いのにな」
「は? なんで俺」
「お前だったらあれこれ気ィ使えるし、海堂とか越前とも絡めるしな。他校でも大体の奴と上手く付き合えるんじゃねぇか?」
「流石に他校は無理だろ。青学のみんなは同じ学校だし、毎日顔合わせるし、やっぱり状況が違うんだからさ」
「そうか? 俺はいけると思うんだけどな」
無理だ無理だと軽く手を振る悠介は、多少の意識の改革はあれども、やはり控えめな態度で自分に自信を持てていないようだった。
彼に言わせれば、青学のレギュラーも他校の選手も、至って普通な自分じゃどうしたって敵わない必殺技持ちのバケモノらしい。
そのレギュラーの技をある程度使えるお前はどうなんだと思うのだが、なぜか聞き入れてはもらえなかった。
ふむと思案した桃城は想像する。
仮に悠介がリーダーに選ばれた場合、誰をメンバーに選ぶのか。
諦めたようにあぁ~と苦笑してしまい、確かにやめた方がいいかもしれないと意見を変えた。
「そうだな、お前がリーダーになったらまず最初に不二先輩誘うだろうし」
「あっ」
ピタッと悠介が歩みを止めた。嫌な反応だ。
自分がリーダーになった場合はメンバーを集める必要がある。桃城の一言で気付いた。当の本人は余計なことを言ったかもしれないと思うわけだが、悠介は真剣に考えてみる。
熱狂的に、盲目的に、絶対的に不二に心酔する彼が反応するのは当然だったのだ。
「リーダー……そうか」
「言っとくけど、最低4人、もしもの時の交代要員入れて5人までだからな?」
「まあでもその辺はどうにかできるだろうし。越前も誘えるし。うんうん」
さっきの無理はどこへ行ったのやら。自信満々に頷いて歩き出した悠介に、見送ってみた桃城は苦笑しながら呆れている。
この男は、尊敬する不二周助が関わった時だけ別人のように目の色を変える。理解していたはずなのに久々に生き生きしている姿を見て、戻ってきたのだな、と実感した。こんな戻り方でいいのかは心配してしまうものの、とりあえずやる気を取り戻したのでよかったことにする。
練習のためにテニスコートへ入るとやけに盛り上がっている。
話題は関東ジュニアオープンテニスに独占されており、青学からは誰が出るのか、他校とどんな組み合わせになるのかと妄想を膨らませていた。
さて、あいつはどうだろう。桃城は真っ先にリョーマを探そうとした。
どんな反応をするのか気になるところだ。
参加しないとは言わないだろうが、今までならシングルスを狙うのは確実だった。悠介とのダブルスを経験してどう判断するのかが気になる。
「宮瀬、ちょっといいかな?」
「おはようございます乾先輩。嫌な予感しかしないんで断りたいんですが」
「おっとドリンクが」
「聞きます!」
その前に、到着したばかりの悠介に乾が声をかけていた。
まずはそっちを気にしないわけにはいかない。桃城も軽いステップで近付いて参加する。
「昨日までの練習試合でダブルスの相性は大体理解できた。やはり飛び抜けて不二がいいが越前も悪くないな。ひどく攻撃的で危険もあるけど、良いスパイスだと判断しておこう。あとは河村、菊丸、意外なところで海堂か」
「ふぅ、ほんと疲れましたよ。連日試合、試合、また試合で……」
「それも終わりだ。今日からはもう少しダブルスの練習をしていこうか。菊丸はパートナーに大石が居るから、今日から順繰りでそれ以外の人とコートへ入ってくれ」
「乾先輩、俺と宮瀬はだめだったんスか?」
桃城が口を挟むと乾は機嫌を悪くすることもなく答えてくれた。
「悪くはないけど、桃の場合、自分でゲームメイクする方が個性を生かせると思ってな。曲者同士が組むより、海堂や河村のような一芸に秀でた選手の方が爆発力が増す」
「ふぅん、なるほど。俺とタカさん、海堂と宮瀬とかっスね」
「ああ、それはいいな。今日のところはそのペアで練習してみよう。俺の見立てだと桃はシングルスとダブルス両方に適性がある。学んでおいた方がいいよ」
「うぃー」
変化が起ころうとしている状況を好意的に受け止めたため、桃城はにっと笑った。
不満そうだったのが悠介だ。眉間に皺を寄せてこれでもかと不満を訴えている。
理由を聞かなくてもわかるが乾は敢えて聞いてやることにした。そうしたところは、彼が如何に宮瀬悠介という人間を面白がっているのかよくわかる。
「不二先輩じゃないんですか」
「お前と不二のペアはもう完成されてるからな。今すぐ試合に出しても恥ずかしくないよ」
「俺は海堂のこと好きですけど、不二先輩はもっと好きです」
「知ってるよ。じゃあ、練習始めようか」
聞きはしても変更はせず、あっさり振り返った乾は平然とした態度で遠ざかっていく。近頃の彼は宮瀬に関する様々なデータが取れて、新たなオーダーを考えるのが楽しくて仕方ないようだ。
そうなると宮瀬のレギュラー入りも近いのではないか?
桃城はそう考えてうずうずする。
自分と海堂と宮瀬、先輩の座を奪ってレギュラーに就こうと決めた三人が揃うかもしれない。
桃城は悠介に視線を向けて、ぐるりと振り返ってこちらを見る彼の表情に危機感を覚えた。
当の本人は全く状況を理解していない。それだけならまだしも、不二と聞いていつものように様子がおかしくなっており、しばらく離れていたせいなのか以前よりも状態が悪化していた。
「完成してるんなら、もうそれでいいと思うんだけどなあ。大石先輩と菊丸先輩みたいに深くまで集中して追求するというか」
「いや……正直俺は、お前にはあんまり不二先輩に近付いてほしくない」
「えっ、なんで?」
目がヤバい。
咄嗟に、あり得ないと知っているとはいえ、ドーピングを疑いたくなってしまう。
ここ最近は後輩の一年生に対して優しい顔を見せていたので忘れていた。本来はこういう奴だ。異常な愛情には海堂ですら閉口する。
少し離れた期間が反動となり、より危なくなっているように感じた。
ふーっと大きく息を吐いた後、やっといつもの顔になる。
桃城は静かに胸を撫で下ろした。
普段の方が格段に付き合いやすい。早々に戻ってくれたのは幸いだった。
「まあいいや。海堂も乾先輩と組んでたから結構やりやすいし、越前と組むと走り回らなきゃいけないから大変で」
「聞こえてますよ」
背後から声が聞こえて、振り返った悠介はにこりと笑ってリョーマに手を振る。
「やあ越前君。今日もかっこいいね」
「さっきの覚えましたから」
「そんなに怖い顔するなよ。怖くなるだろ」
「先輩って、普通を騙ろうとする詐欺師っすよね」
うんうんと力強く桃城が頷く。さっきの出来事があったから同意の気持ちが止められない。
じとりとした目で見られても桃城は意見を変えなかった。
「なんで頷いてんの」
「よくよく考えたら俺が一番普通じゃねぇか。お前はもう一回自分を見つめ直せ」
「そんなことないって。俺なんか別に、大した特徴もないんだから」
そう言った途端、桃城とリョーマの目がひどく冷たくなった。
なぜそうなるのか本当にわからない悠介は困惑し、逃げるように視線を逸らす。
パッと表情が明るくなった瞬間、二人は、視線の先に誰が居るのかをすでに理解していた。
「悠介」
「不二先輩」
軽く手を振って歩み寄ってきたのが不二だった。
すっかり後輩の顔になり、呆れる二人を意にも介さず悠介も不二へ駆け寄る。
「調子よさそうだね。今日は海堂と組むって?」
「はい。また乾先輩が色々試したいみたいで」
「乾も最近機嫌がいいからね。悠介がやる気になってくれて、みんなに良い影響を与えてるよ」
「そんな、俺は別に……」
恥じらうようにはにかんで、見るからに照れながら笑っていて、別人ではないかと思わずにいられない二人は怒りとも絶望とも取れる表情で開いた口が塞がらない。よく知っている人物を見ながらあれは誰だと心が叫んでいた。
そう思われているとも知らずに、まるで主人を見つけて大喜びしながらじゃれる飼い犬の如く、だらしなく表情を緩ませる悠介は不二の傍を離れない。
「なんか、先輩のキャラがどんどん……」
「言うな越前。あいつは元々ああなんだ。今までは心が折れてたから大人しかっただけで、実は誰よりも自分の欲望に忠実な奴だってことを忘れるなよ。」
「あぁ……そうっすか」
確かに悠介はリョーマを始め、部員の協力で立ち直り、再び本気でテニスに向き合う覚悟を固めることができたようだ。まだまだ弱気な部分があって改善の余地があるとはいえ、自ら忘れようとしていた技やプレースタイルを取り戻しているのは大きな変化だろう。
その反面、妙な特徴まで戻ってきてしまったようで、一年生が驚愕し、多くの二年生と三年生が深いため息をついて目を逸らしているのはそのためだった。
そう思うのはもう何度目になるだろう。
どこが普通だ。
リョーマは気まずそうに頭を掻き、所在なさげに帽子のつばへ触れる。