竜崎スミレに呼び出されたことは、悠介にとっては珍しいことではなかった。
「先手を打たれたそうだねぇ」
「はあ……先手を打たれたというか、なんというか」
マネージャーの代わりに雑用をこなしているといつの間にか頼られるようになった。今日も何か用事があるのかと思っていたのだが違ったらしい。
話の内容からして、幸村のことを言っているのだろう。
言い回しは気になったが悠介は困惑した顔で言い淀んだ。
「桃城と海堂同様、あんたにもリーダーを任せようと思ってたんだけどね。そういうわけにもいかなくなったかい?」
「そもそも、俺にリーダーっていうのがどうかと思うんですけど」
「またあんたは。あれだけの試合をやってまだ自信が持てないかい?」
気まずそうに視線を逸らされる。
相変わらずの態度にスミレは思わずため息をついた。
「メンタル激ヨワとは言い得て妙だね……あんたにぴったりだ」
「それやめてくださいよ。いじめが始まるでしょう」
「だったら強くなりな。身も心も強くなればからかってくる奴も居なくなるよ」
「そんな無茶な」
気のいい奴で普段は頼れるのに、ここぞという場面で及び腰になる。立海の幸村にスカウトされるという他人なら大喜びするシチュエーションも、彼にとっては逃げ出したくなるような恐怖の場面でしかないのだろう。それが彼のいいところであると同時に弱点でもあった。
どうしたものか。予定を変える必要がありそうでスミレは悠介を前にして思案する。
「で、どうするんだい? スカウトを受けるのか?」
「えー……っと」
悠介は真剣に考え込むのだが、注目を浴びる思わぬ事態になると思考が停止してしまい、決断力が鈍る癖があった。今回も無視したいわけではないのだが二の句を告げられない。
試合中のあの決断力がここで出ればいいのに。誰もがそう言う。
仕方なく嘆息したスミレが言い出した。
「とにかくもう一度幸村に会って話してきな。連絡先は受け取ったんだろ?」
「はい、でも……」
「多分怒るだろうけど、いいよ。言ってみな」
「越前だけ行かせた方がいいんじゃないですか……? その、あいつが寂しがるようなら付き添いしますけど」
「バカモノ!」
大声を出されて悠介の肩が大きく跳ねる。
ずいっと詰め寄られて、あからさまに怖がった彼は逃げ出す余裕もなかった。
「一緒に行け。リョーマじゃなくてお前の身の振り方を、お前自身で決めるためにだ。帰ってきて中途半端なこと言うようなら承知しないよ」
「はい……」
「不二接触禁止令でも出そうかねぇ?」
「えっ!? すぐ連絡します!」
言うや否や悠介は慌てて職員室を出ていった。あの決断力が普段からあればいいのだが。
スミレは大きくため息をついた。
*
練習はいつも通り行われている。しかしどこか浮ついた雰囲気があった。
やはり昨日の顛末だろう。部員の大半が話題にするのが、関東ジュニアオープンテニス、そして青学テニス部に立海大附属の幸村が来たという衝撃的な出来事だった。しかも呼び出されたのが今年の大会で大金星を挙げた話題のルーキーである越前リョーマと、彼がやけに懐いていると噂のレギュラー経験皆無の事実上マネージャー兼平部員、宮瀬悠介。
誰も予想できなかった事態に、果たしてどうなるのか、注目が集まっていた。
コートの対面からトスされたボールに向かって跳び、桃城がスマッシュを打つ。得意技でもある強烈なダンクスマッシュは絶好調で地面に叩き付けられた。
見ていてリアクションがなく、ぼけっとした顔で機械的にトスを出していた菊丸は、もう何度話しただろう話題をまた口にする。
「なーんでユースケだったのかなー。だって公式戦出たことないのに」
「俺にとっちゃけっこー嬉しい展開っスけどね。ようやく宮瀬に光が当たるってことで」
言った通りに嬉しそうな笑顔を見せる桃城に対して、ううむと唸る菊丸は納得できない様子だ。
ずっと引っかかっているのはまだそれほど時間が経っていないからというのもあるが、入部当初から人懐っこくて、それはお互い様だが、何かと可愛がってきた後輩だ。喜んだ方がいいのかもしれないと思いながらも、脚光を浴びるのなら、という気持ちを抱いてしまう。
「でもさぁ、せっかくなら青学で活躍してからにしてほしかったって気がしない? なーんか急に横から取られちゃった感じがして微妙なんだよなー」
「それは確かにありますけど、決めるのはあいつですから」
「う~ん、複雑~」
菊丸は納得しかねている表情で、いつになく難しい顔をしている。楽天家で気まぐれな彼がずいぶん引っかかっているのだから、それだけ悠介を可愛がっていたのだと伝わってくる。
苦笑する桃城はしかし、それはそれで、と思っている。同じ気持ちを抱きながら、どうせあいつが自ら目立とうとするはずもないのだから無理やり引っ張りだされた方がいい。それが本音だ。
信頼しているが故にできるはずがないとも知っている。だからこそ純粋に喜べたのだ。
二人のやり取りを聞いていた乾が表情を変えずに参加してくる。
周囲を取り巻く状況が変化して、宮瀬は忙しなくしている。おかげで今日の部活にはまだ参加さえできていない。これが関東ジュニアオープンテニスの影響力なのだろうと彼は納得していた。
「立海には蓮二が居る。青学の部員全員のデータを持っていてもおかしくはない」
「乾みたいな奴がもう一人居るんだもんなー」
「正直怖いっスね。データテニスは懲り懲りっスよ」
「つまり、関東ジュニアオープンテニスはこういう事態が起こり得るということだろう。やけに仕掛けが早かったが、同様のケースはこれからいくらでも起こる」
菊丸がトスの手を止めた。
データ収集癖がある乾は情報通だ。彼に聞けば大抵のことはわかる。
「じゃあ俺たちもスカウトされるってこと?」
「そうなるな。お声がかかればの話だけど」
「ふーん。でも桃はリーダーなんだよね?」
「そうっスよ。青学のメンバーには声かけるなって条件で」
桃城と海堂は昨日の時点でスミレに呼び出され、関東ジュニアオープンテニスにリーダーとして参加するよう打診されていた。自らの意思でメンバーを集め、チームを結成し、練習を重ねて優勝してこいと尻を叩かれている。
その際、条件として提示されたのは、青学レギュラー陣をメンバーにしないこと。他校の生徒のみでチームを構成して勝負に挑めと言われていた。
条件はあっさり承諾し、桃城と海堂はリーダーに就任したのである。
「ほんとはそこに宮瀬も居たんスけどね」
「ほらー、取られちゃってんじゃん」
「仕方ないよ。そういう状況だから、宮瀬が評価されたことを喜ぼう」
「ちぇー。じゃあみんなバラバラか~」
再び菊丸がトスを上げ始めて、反応した桃城が練習を再開する。
ズドンとボールが叩きつけられる音を聞きつつ、乾が冷静に言った。
「それが今回の目的だからね。お互いにある程度のデータは持ってるけど、敵として会うのと味方として会うのは違う。急造チームでどこまでやれるか、結束力を見る大会だ」
「俺はリーダーよりメンバーの方がいいなぁ。色々大変そうだもん。桃頑張れ~」
「平気っスよ。俺は結構楽しみにしてるんで!」
ズドンっとスマッシュが叩き込まれ、調子は良さそうだと察する。テンションも上がっているようで気合いは十分。彼は上手くやるだろう。
そうなると心配なのは海堂と宮瀬だ。彼らは上手くやれるのだろうか。
乾の隣に立っていた大石は二人を想って心配そうな顔をする。
「桃は大丈夫だろうけど、海堂は意外に協調性はあるが社交性に難があるからな。次期部長の話もあるけど今回の件で成長するといいな。宮瀬は社交性と協調性はあるんだけど」
「不二が絡むと様子がおかしくなる。あとは異常にメンタルが弱いことが問題か」
「しかし、予想とは違ってリーダーの話は流れそうだ……どうするつもりだろう」
「心配はいらないんじゃないか? 越前が一緒だ」
我が子を想うような態度の大石へ口元を緩めた乾が言う。
悠介をリーダーにしようと提案したのは手塚と大石の意思であり、その際、桃城と海堂の二人とは違って越前リョーマを同行させるという条件をつけた。距離が近かったのも関係しているのか、自分に自信を持てない彼には生意気ながらも強い意志を持つリョーマがいいと判断し、たとえダブルスを組まないとしても、強引に腕を引っ張って前進させてくれることを期待していた。
当初の予定とは違ったとはいえ、どうやらリョーマだけは悠介と同行しそうだ。まだ本人にも伝えていなかったが不幸中の幸いだったと言える。
リョーマの名前を聞いて、大石も同意するために小さく頷いた。
「うん、そうだな。越前が居ればなんとかしてくれるだろう。あいつもちょっと問題児的なところがあるけどそれは宮瀬が止められるし」
「不二じゃなくてよかったな」
「不幸中の幸いかな。それは俺たちも禁止してたくらいだから」
大石と乾が視線を送ると、不二はにこりと笑って反応した。
「残念だね。どうも僕と悠介は遠ざけられる傾向にあるみたいだ」
「残念だけどそれは仕方ないかなぁ」
「原因は主に宮瀬にあるだろう」
「僕はもっと仲良くしたいんだよ? 最近越前ばかり構ってるようだから」
「ううん、みんな遠ざけたいのかもしれないな……不二には悪いけど、その方が安心だから」
苦笑して渇いた笑い声を発する大石に、不二もくすくす笑っていた。
悠介の様子がおかしくなるのは知っている。彼はそれを良しとしていた。誰かに害を与えるような後輩ではないし、周りが引いているのは理解しているが、それほど好かれているのは意外にも気分が良いものだ。
それ故に不二は素直に言うのである。可愛い後輩じゃないかと。
彼もズレているのではないかという共通認識はあったが誰も口にしなかった。
不二と宮瀬。青学の静かな問題コンビとして部内ではすっかり有名である。
その自覚があるのかないのか、不二は部員の戦慄を気にせずににこにこしていた。
大石の心配と乾の含み笑いが重なり、一瞬の沈黙ができたことで不二が口を挟んだ。
ふと気付いた事実を口にしてみたようだった。
「だけど立海の幸村に誘われたってのがすごいよね。呑んでも断っても話題は広まるよ。悠介もついに全国区だ」
「いや、話題だけで全国区ってのは……」
「注目を浴びるのは確かだな。しかし心配なのは幸村のスカウトを受けた場合、そうは言っても立海は全国に進む強豪校。次の対戦に備えて使い潰されたりしないかな」
不意に思いついたアイデアを乾は躊躇わずに口にしてみる。
否定したのは大石だった。
人となりを深く知るわけではないとはいえ、常識的な思考で考えずに反応する。
「流石にそれはないだろう。幸村は誠実な選手だって聞いてるよ」
「結構怖いらしいぞ」
「そうなのか? うーん、こりゃ大変……」
「ただ、本当に幸村と練習ができるなら、今よりもずっと成長して帰ってくるかもしれない。敵に塩を送ることになるけど、そこまで考えているのかな」
「多分、わかっているけど関係ないんじゃないかな」
想像でしかないとはいえ、不二は確信に近い自信を持って呟いていた。
「立海の選手は勝ちに拘る。たとえ他校の選手を強くしてしまうとしても、試合に負けてもいいと考えてチームを作るとは思えない。いつかの対戦相手を強くして、それでも勝つ。そういう覚悟があるんだと思う」
「なるほど……全国のために関東ジュニアオープンテニスを捨てるわけがない」
「どっちも勝つ覚悟で他校に手の内を明かすのか。条件はイーブンとはいえ、これはどこも苦労することになるぞ」
データの収集が忙しくなりそうだ。小声で呟いた乾は持っていたノートをパラパラめくり、ぶつぶつ呟きながら思考を働かせ始める。
大石は苦笑し、不二は微笑む。
みんな本気で取り組むのはいいことだ。この大会はきっと盛り上がる。
彼らが話し込んでいるところへ、どこぞへ行っていたらしい河村が走ってくる。
話していた三人と練習中の菊丸と桃城も気付くのだが、おーいと言って河村は通り過ぎ、海堂と打ち合っていたリョーマの下で立ち止まった。
「越前、宮瀬から伝言があるよ。立海の幸村と会うから近くのファミレスに来てくれって」
「先輩が? 本気っすか」
「うん。なんだか焦ってるようだったけど……不二先輩と引き剥がされる! って怯えてた」
聞いていた全員があぁ、と思った。
スミレに何か言われたのは間違いない。彼が職員室へ呼ばれたのは知っているからだ。その内容もほんの一言明かされただけで簡単にわかってしまう。
呆れながらもリョーマが了承し、ため息と共に帽子のつばを触る。
「で、先輩は先に行ってるんすか」
「幸村を迎えに行くって言ってたよ。向こうもこっちに来るらしいけど」
「どうも。じゃあちょっと行ってきます」
海堂と大石に了解を得て、リョーマは着替えるために部室へ向かった。
噂を聞いてからほんの数日。早くも状況は動き出そうとしている。
部活動に支障をきたす恐れがあるものの、一方で学校の部活では得られない何かが得られる可能性も感じられて、先輩たちは何も言わずに見送った。