結局、そんなに急ぐ理由もないだろうという流れになり、いまだファミレスに居座っていた。
頬杖をついて拗ねた顔をする悠介は、また始まったと言いたげなリョーマの冷たい視線に晒されながら話している。幸村だけが変わらずにこにこ聞いていた。
「みんな俺に期待し過ぎっていうか……俺はほんとに、普通くらいのレベルなんですよ」
「そうなんだ」
「みんなみたいに必殺技とか、そりゃ、不二先輩に習ったりとかしましたけど、別にそれもオリジナルなわけじゃないし。でも他のみんなは色々自分だけの技とか持ってるでしょ?」
「そうだよね。越前君も、COOLドライブだっけ? あれはすごかった」
「こいつは他にも色々技があるんですよ。しかも自分発信で急に見せてくるし、大体実戦で急に使って勝つし、それだけじゃなくてみんなの技もちょっと真似しただけでできちゃうし。なんかもう越前一人居ればよくない? みたいな感じになっちゃって」
なんだか良くない話をされている。
越前は我関せずと無視を決め込んでいたが、幸村が聞くものだから止まらない。悠介は新たな理解者を得たと言わんばかりに饒舌に喋っていた。
「そうか……越前君自体がコンプレックスのようになってしまったんだ」
「そうなんですよ。しかも生意気でしょ? 気持ちはちょっと複雑だけど、ほっといて孤立したらどうしようとか思っちゃって」
「宮瀬君は優しいね。だから一人で抱え込んで辛くなっちゃうんだと思う」
「いや、そんな、別に優しいとかじゃ……」
ため息を我慢できずに、リョーマは退屈そうに顔を背けてはぁ~と吐き出していた。
「生意気な後輩って案外可愛いものだよ。うちにも赤也が居るでしょ? 生意気で負けず嫌いだけど付き合ってみれば、結構気が利くいい奴なんだ」
「それ、本当ですか? 俺は不二先輩との試合も見てるから、ちょっと複雑……」
「その件に関してはすまなかった。あいつにもきちんと謝らせるよ。不二君にも、君にも。でもあの試合だけで嫌わないであげてほしいんだ」
「うっ、それは、まあ……」
いつになったら移動するのか。リョーマは不貞腐れていた。
二人は親しくなりつつあるようだが、話題が話題だけに入っていく気になれない。
早くテニスがしたいと、待ち疲れるリョーマは窓の外の空を眺めていた。
「ちょっとマナーの悪さは否めないけど、普段は明るくて優しい奴なんだ。もっと話してみたらきっと仲良くなれると思う」
「うーん、幸村さんがそう言うなら、信じてみますけど」
「今度、俺から紹介するよ。友達になってくれたら嬉しいな」
*
もはや手に負えない事態となり、ブン太が呼びに行って少し経ってから。
真田と柳が到着した時、目の前の光景に二人は驚かずにはいられなかった。
「何をしている!」
「あれは……赤也か!?」
コートの中でボールを打ち合っているのは、仁王と、些か風貌が違うがおそらく赤也だ。何かが起こったことは確かだがその何かはわからない。
理解し難い状況に真田と柳が立ち尽くし、状況を知っているブン太が前へ出た。
「わりぃ、赤也に頼まれて無茶な稽古つけてたんだけどよ。あいつぶちキレちまって……」
「ええいっ、馬鹿げたことを……!」
怒り狂う真田がコートへ近付いていく。
当然気付いていた仁王だが、止めるつもりはまるでなかった。
「今すぐやめろ! 赤也! 仁王!」
「おーこわっ。鬼さんのおでましだぞい」
「関係ねぇよ! ヒャーハハハッ!」
「赤也! 仁王!」
鉄拳制裁も辞さない厳格な真田が現れても、二人の勝負は止まらず継続される。
近くで見ればより異常性がわかる。
足を止めた真田は、赤也の外見を見て息を呑んだ。
赤みを帯びた肌、白く染まった髪、“危険モード”と同じ赤い目。全身至るところから血を流しながらプレーを続けており、血を吐き出しながら、猟奇的な笑みを浮かべている。痛々しい見た目に反してひどく楽しそうだ。
これは赤也ではない。反射的についそう思ってしまうが、紛れもなく彼の知る赤也だ。
止める必要がある。決断する真田が踏み出そうとした瞬間、仁王が口を開いた。
「止めんなや」
「仁王……! どういうつもりだ!」
「こいつが言ったんだぜ。もっと強くなりたいって」
二人のラリーはいまだかつて見たことがないほど強く、物々しい。一打ごとにガットがはち切れそうな悲鳴を上げ、キシキシと叫びながらボールを返している。
赤也と互角に打ち合いながら仁王は普段と同じ涼しい顔をしていた。
「強くしてやってる最中だ。誰も邪魔するな」
「貴様……!」
空気を切り裂く音がする。
憤る真田だったが、咄嗟に柳が肩を掴んで止め、迂闊に飛び込めばただでは済まないと見るだけで理解していた。止めたくても簡単には止められないのだ。
「あれが、本当に赤也なのか……?」
赤也のプレーを見て柳が呟いた。
外見だけではなく何もかもが違っている。
柳の体感では、パワーは本気の真田と同等かそれ以上にまで飛躍しており、ほぼ同じ場所に打ち返されて移動を見ることはないとはいえ、動き出しやスイングのスピードは今までの倍以上に速くなっている。それだけでなく離れていても肌に感じる打球の危険性は、今までの赤也からは考えられないほど高まっていた。
下手をすれば死人が出るかもしれない。だからこそ近付けなかった。
見ていることしかできずに立ち尽くす彼らは悔しげに歯を食いしばる。
その間も二人の打ち合いは激しさを増し、さらにスピードを上げようとしていた。
仁王は強化された赤也と互角に打ち合っていて、一歩も遅れを取らずに渡り合っている。もはやそれはテニスの試合ではなかった。
互いに相手の正面へ、腹にぶつけることを狙って同じコースを通しており、一ミリも外さない正確無比なコントロールで微塵もブレずに同じ軌跡を作っている。
これは戦いだ。
相手に一発叩き込むことを目的とし、それは殴り合いの喧嘩に近い。
「ヒャハハハハハッ!」
「のう赤也。まだまだ弱いな~お前は」
仁王が呟いて赤也が口角を吊り上げる。
パワーはさらに増し、インパクトの音がどこか遠くまで響いた。
負けじと仁王も打ち返して、ラリーは一向に終わらない。
「もう一度言ってやろうか。お前じゃ誰にも勝てんぜよ」
少しずつ汗が引いていき、踏み込む足の力が強くなる。
赤也の肉体にますますの力が生まれてくる。
「強くなったとでも思ったか? 上手くなったとでも思ったか?」
仁王の呟きは鮮明に聞こえて、その一つ一つが新たな力をもたらしてくれる。
思考がクリアになっていく。
疲労はすっかり忘れてしまって、驚くほどに調子が良かった。
「二年生エース? 立海の最終兵器? 笑わせんな」
ラリーを繰り返す度に上っていた階段が、ついに終わりを見る。
「こんな程度がお前の限界だ」
もう一度ブチンっと音を聞いた。
完全に汗の引いた赤也の全身からオーラが放出され、目撃した全員が驚愕する。
「無我の境地!?」
「あの状態でか!? 一体……どうなる!」
「ヒャーッハッハッハ!!」
最高の気分だった。
まるで背中に天使の羽が生えたかのようだ。今ならなんでもできる気がする。目の前の敵を踏み潰すことだって難しくない。
上機嫌に笑う赤也は目の前へ来たボールに対して、見えないほど速いスイングをした。
「死ねよ」
「プリッ」
一瞬の視線の交差。打球は仁王の額を狙っていた。
必ず一度はバウンドさせていたボールを、今回は真っ直ぐ直線で向かわせる。最短距離で額にぶつければ、アレは黙るはずだった。煩わしい言葉を喋らなくなる。だから今すぐ黙らせよう。最高の一打で終わらせよう。
ラケットを離れたボールは空を駆け、しかし、仁王へ届く前に力尽くで叩き落とされる。常人では反応できない一打がラケットによって地面を跳ねて空へ飛んだ。
その直後、赤也は頬に真田の平手打ちを受け、受け身も取れずに倒れた。
「やめんかっ!!」
「あ……うっ……真田副部長……?」
オーラが消えて、肌も髪も元の色に戻り、充血していた目も落ち着いた。
ひどく疲弊する赤也は憤怒の形相でこちらを睨む真田を確認し、混乱したまま、状況を理解する暇もなく意識を手放した。頭が落ちて静かに眠ってしまう。
重苦しい沈黙が広がった。
真田は倒れた赤也を見下ろして動かず、駆け寄った柳が容体を見る。
仁王がラケットを下ろして、柳生もブン太もジャッカルも口を開けずにいて、誰しもが混乱した状況を整えられずにいた。
自身のラケットを強く握りしめ、ようやく動き出した真田が視界に仁王を捉える。
前々から謎の多い男だった。素性も実力も本音も隠し、同じ部活の仲間、肩を並べるレギュラーにすら心情を明かさない。
その結果がこれだ。一体何を考えているというのか。
真田は縫い付けられたかのようにその場を動かず、強い怒りの念を発していた。
「どういうつもりだ」
「赤也のためだピョン。ほうら、強くなった」
「己が御し切れんこんな力を、強さとは呼ばん!」
「真田は頭固すぎ。勝ったらどんな力も同じ。そいつは今、俺に勝ったんだべ」
真田の眼光は鋭く、仁王を睨みつけて絶対に認めようとはしなかった。
そうと知りながら仁王は肩をすくめ、やれやれといった顔をする。
「もうやめろ二人とも。この件は後回しでいい。一度離れて頭を冷やせ」
「俺はずっと冷えてるよん」
「仁王」
「ハイ」
このままではさらにまずいことになる。自分たちはテニス部であり、全国大会への切符も手に入れているのだ。殴り合いの喧嘩や、ましてや、テニスを自己主張の武器にしてはならない。
冷静だった柳が声をかけ、赤也の体を抱き上げる。
保健室へ運んだ方が安全だろう。彼はよろめきもせず歩き出した。
「俺は赤也を運ぶ。お前たち、今日はもう帰れ」
「お、おい……でも」
「バカっ、余計なこと言うな。すまない柳、そうするよ……」
「ああ。弦一郎」
怒りの頂点に達したのか、真田は沈黙して声すら漏らさず。
視線はずっと挑発的に笑う仁王を見ていた。
「冷静になれ。お前が怒りに囚われてどうする。心は鍛えていたはずだ。今までの時間と努力を無駄にするなよ」
「……わかっている」
深く息を吸って吐き出す。目を伏せ、何度か深呼吸を繰り返して、真田は落ち着いた。
柳は赤也を運び、部員たちも帰り支度をするために部室へ戻っていく。
疲れた気配が漂う中、コートに残ったのは真田と仁王だけだった。
「幸村に怒られただろ」
「何の話だ」
「関東決勝。負けたのはあの時だけだべや」
よく知っている。大会が終わって幸村に回復の目処が立った後、彼と話した。負けたことを忘れてはならないと釘を刺された。
真田はすでに冷静になっていた。挑発的な態度でも怒り狂うことはない。
歩み寄ってきた仁王がネットを挟まずに目の前へ立って、真っ直ぐ目を覗き込んでくる。
「別にあんたが悪かったわけじゃない。かといって相手が強過ぎたわけでもない。勝てる勝負で負けたってだけだ」
「何が言いたい」
「あんたは武人で武士で侍だ。でも本気で勝ちにいこうと思ったら、使えるものはなんでも使わないとにゃあ」
にやりと笑いかけられ、それでも真田は厳しい表情を崩さなかった。しかしもう怒気を孕んで仁王を睨んではおらず、一笑に付す。
彼の態度には強さと自信があった。仁王の言葉にも堂々と返す。
「策を弄する必要もない。テニスはスポーツだ。心を強く鍛え、ひたすらに修練する。関東大会での失態はただ己の力の無さが理由だった」
「相変わらずの脳筋。せっかく覚醒したのに」
「あれは体を蝕む危険な力だ。お前は赤也を死なせたいのか?」
「強くなりたいと望んでたんだ。大事なのは本人の意思だろうよい」
ふらりと歩き出した仁王は部室へ向かおうとする。
逃げるわけではない。そろそろ興味が薄れてきただけだ。彼は振り返りもせず、後腐れもなく去ろうとしていた。
「負けるくらいなら死んだ方がマシって奴も居るぜ……」
「精神の鍛錬が足らんのだ。赤也はそうはさせん」
ひらひらと手を振りながら歩き去った。相変わらず妙な男だ。
真田は彼を追わず、踵を返すと保健室へ歩を進める。
考え事をしながらも不安に押し潰されずにいるのは武道で心を鍛えているからだ。他人であろうと厳しく導き、自分自身にはさらに厳しく接し、強くなろうと努力してきた。
努力を重ねれば強くなれることは自らで立証している。
危険な力に魅入られた赤也を思い出して、真田は歩く間に覚悟を決めた。
保健室へ辿り着き、扉を開ける。
奥へ向かうとベッドに赤也が寝かされていて、傍らのパイプ椅子に柳が座っている。気配を隠すこともなく近付いた真田に、柳が振り返りもせずに声をかけた。
「俺も関東ジュニアオープンテニスに参加する」
唐突な宣言だった。
前に回り込むことも許されず、真田は足を止めて彼の背中を見つめる。
柳の声は冷静であり、だが普段ともどこか違っていて、理由はわからないが何かしらの変化と覚悟があったのは確かだ。
「いい機会だと思う。他校の選手と練習を共にし、試合へ臨む努力を積めば、変化や成長も起こり得るだろう」
「うむ、そうだな。有意義なものとなればいいが」
「初めは幸村が心配だった。あいつが遠くへ行ってしまわないかと」
柳が椅子から立ち上がって振り返る。
いつものように冷静な面持ちだが、声にはいくらか温かみが見られた。
「だがさっきのことがあった。俺には奴らを止める力がない」
「まったく、抑えの利かん連中だ……明日は説教だな」
「武者修行だ。あいつらのことは信頼しているが、このまま傍に居ても成長はない。冷たい海の中へ飛び込み、さらに厳しい戦いへ臨まねばな」
真田が少し驚いた顔を見せると、柳は口元に小さな弧を描いた。
「明日から俺は部活に顔を出さない。自らのチームを結成し、大会へ挑む。お前もいずれはそうするだろう……弦一郎」
「そうか……ついに決意したのだな」
「一時の別れだ。大会まで顔を合わすつもりはない。もしどこかで戦うことになれば、同じ学校や部活も関係ない。互いに敵同士だ」
「わかった。せいぜい準備しておくことだな。俺は誰であろうと手を抜くつもりはない」
フッと笑った後、柳はベッドで寝ている赤也へ視線を送る。
つられて真田もそちらを見て、柳の優しくも静かな声を聞いた。
「赤也はもう少しお前が見てやってくれ。俺では手に負えんだろうし、幸村は発破をかけてから距離を取ったようだ。あいつが壊れてしまわないよう、お前に導いてほしい」
「無論だ」
真田は考えもせずに答え、柳に約束するため、力強く頷いた。