曰く、天才少年だとか。
曰く、百年に一人の逸材だとか。
曰く、颯爽と現れた美少年王子だとか。
誰が考えたのか、いつの間にか彼を表現する言葉が増えているのは気になるのだが、日頃から比較的接する機会の多い俺からすればそのどれもがしっくり来ない。
確かにテニスは天才的。センスはずば抜けてるし練習も真面目にやる。顔が良いのも確かだから美少年も嘘じゃない。百年に一人と言うけど、もっと年数を増やしていいんじゃないかってくらいカリスマ性があるのも認めてる。
ただそれはテニスが関わればの話。
普段の越前はそこまで褒められたもんじゃない。と、俺は素直に思うわけだ。
まず最初に出てくるのが生意気で、一応とはいえ先輩である俺に対する尊敬が感じられなくて、友達みたいに接してる。
それは別に怒るようなことじゃないと思ってるし構わないんだが、友達みたいな割には結構無愛想な気がして、笑顔を見る時は大体テニスに勝った時か、ちょっとした勝負に勝った時とか、帰り道で見かけた猫に俺が手を伸ばした途端に逃げられた時とか、ちょっと俺をバカにしてるんじゃないだろうかってタイミングが多かった。
聞いた話じゃ授業中に寝てることも多いらしいし、真面目な生徒ではない。
帰りにコンビニ寄った時は大抵俺が奢ってる。
口数が少なくて何を考えてるかわからないことも多くて、実際何も考えてなかったりする。
あと負けず嫌いで、たまに俺がテニス以外で勝ったりするとすかさず再戦しようとする。
結局、美少年に憧れる女性諸君には申し訳ないのだが、みんなが理想とする優しい王子様なんかじゃなくて、想像よりずっと子供っぽくてSっ気がある生意気小僧なのだ。
それはそれでギャップがあっていい、とは言われそうだけど。やっぱり顔がいいと有利なのか。
「先輩。次のゲーム、ジュースでも賭けません?」
また始まった。
勝率は明らかに俺の方が悪い。にもかかわらずこういう提案をしてくるのだ、こいつは。
これがみんなの理想の優しい王子様なら、「いつも付き合ってもらってすみません。今日は俺が奢りますよ」くらい言ってくれるはずだ。
俺は嫌だと言ってやった。負けるとわかってて誰が乗るか。
全部説明はしなかったが俺の考えがわかっていたんだろうか。越前はやれやれと言いたげな顔でさっさとコートに入っていく。
「負けるためにやったことなんか一回もないでしょ。やりますよ」
俺の意見を無視するように、そう言って先に構えている。
こういう状況で位置につくからまた試合をしなきゃいけなくなるんだ。
やめておけばいいのにと思いながらも、一人で立たせておくわけにもいかないし、仕方なく俺もコートに入ってラケットを構えた。
*
今日ばかりは部活に参加するのが気が重い。
悠介の足取りは重く、とぼとぼという表現がやけに似合う速度だった。
部員に会えば間違いなく言われる。その予想はまさに現実のものとなった。
「うっおほーい! 聞いたよユースケ、おチビとダブルス組むんだって? 面白そうじゃん!」
「それ、ほんと純粋に面白がってますよね……」
準備を終える前に、飛び付くようにして肩を組まれて、菊丸英二に絡まれた。天真爛漫で人好きな彼は先輩でありながらそう感じさせない態度で慕われている。心底楽しそうに声をかけられるのは今日が初めてのことではない。
ただ迎える悠介の心境が普段とは違い、いつものように笑顔で返事ができなかった。
「あり? なんかテンション低いじゃん。どったの?」
「言っときますけどね、俺は普通の人間なんですよ」
「俺だって普通の人間だよ?」
「残像できるくらい高速移動できる人を普通とは言いません」
「あ~菊丸ステップね。教えてあげよっか? 今のユースケだったらちょーっと走り込み頑張んなきゃだめだと思うけどね」
「ちょっとで済んだら、世の中のテニスは分身だらけですよ……」
げんなりした顔で背中に菊丸を張り付けたまま、ラケットを手にした悠介は部室を出る。
最初でこれだ。みんな全力でからかってくるに違いない。
幾分憂鬱な気分になりながら、悠介は菊丸と共にコートへ入った。
そこではすでにリョーマが待っていた。簡単にアップを済ませ、すでにラケットを手にし、事前にメニューを考えたのだろう乾の隣に立っている。
準備は万端。そう見える状況だ。
逃げられるはずもない。よしっと気合いを入れて、腹を括ろうと覚悟を決める。
「宮瀬、越前とダブルス組むって? すごいことを考えたな」
そんな矢先、うきうきした様子の大石秀一郎がひょっこり顔を見せてきた。
出鼻をくじかれる。顔つきを変えたはずの悠介は再び気の抜けた顔になってしまい、ずいぶん嬉しそうな副部長に嫌そうな視線を向けた。
「お前はダブルスに向いてると思ってたんだ。今日は練習の成果が出せそうだな」
「大石先輩……なんか嬉しそうですね」
「うん、もちろん。ダブルス1は俺たちが任されることが多いけど、うちはダブルス2が変動的だからな。二人に任せられるならこんなに頼もしいことはないよ」
「多いも何も、ダブルス1は
全国区と称された大石・菊丸の
三年生として、二年生に後継者となる部員を見つけられる可能性を感じて、いつになく頬を崩して喜んでいるのだろう。
珍しい姿を見てしまって、なんとなく居心地が悪くなった悠介は困り果てていた。
喜ぶ大石を見てしまうと断ることができなくなる。
全国大会優勝を目指し、視野に入っている青学テニス部だ。悠介は、自分ではそのレベルについていけるはずがないと思っていて、期待されていると察して胸が苦しくなる。
純粋に喜ぶ大石を見て、ペアを組む菊丸もそれもそうだと喜んでおり、この二人と比べられるのはかなり辛いとどんどんプレッシャーが大きくなる。
止めてくれる人はきっと居ないのだろう。
全学年、男子テニス部の全員が噂を聞いて注目していた。
「わかってると思いますけど、俺は別に、全国区のプレイヤーじゃないんで……」
「何言ってるんだ。お前だって青学の練習についてきただろ? もっと自信を持て」
「そーそー。ま、とりあえずやってみなきゃわかんないにゃー」
「気楽に考えて……」
「いーぬいっ。ユースケとおチビの相手、俺たちがやるよん」
「えっ」
菊丸の提案に悠介が驚愕した。
勢いよく乾を見たのは抗議のつもりである。断ってくれ。彼の目は雄弁に語っていた。
その目と熱意を感じた乾は頷く。
「そうだな。何パターンか試すつもりだから、最初は二人にやってもらおう」
「鬼かあんたはっ!?」
「ん? なんで?」
「俺の話ちっとも聞いてませんよね……! 俺はテニスプレイヤーとして普通ですよ、普通! 全国区のバケモンレベルとやれるわけないでしょ!?」
「そうとも限らないさ。シングルスならともかく、ダブルスだ」
あっけらかんと否定されて、覆りそうもないと瞬時に察し、大きく肩を落とした。
やれやれと言いたげなリョーマがため息をつき、落ち込む悠介に語りかける。
「ビビり過ぎなんすよ、先輩は。そんなんじゃ誰とやっても勝てませんよ」
「お前だって全国区だろうからさぁ、普通のレベルの気持ちがわかってないんだって……」
「弱音はいいんで、とりあえずやりましょ。俺はもう準備できてるんで」
「越前もこう言ってるんだ。先輩のお前がそんな態度でどうする」
「後輩でもこいつの方が強いんですよ? あーもう……」
聞く耳を持たない先輩たちに辟易としながら、逆らおうともせずに悠介は閉口する。
「色んな意味で勝てるわけないよなぁ。個性が強過ぎるんだから」
「先輩はあんまないですからね」
「お前俺のこと尊敬してないよね? 馬鹿にしてる? 結構下に見てる?」
「見てないっす。尊敬してますよ、先輩として」
どうだかな、と不貞腐れ気味に自嘲して、悠介は菊丸たちと共にウォーミングアップを始める。部員たちは体を温めながらもそわそわしており、誰もがその時を待ち切れずにいたようだ。
一年生にして実力でレギュラーの座を勝ち取った越前リョーマ。シングルスは天才的に強い、ダブルスは壊滅的に弱い彼が、いつもくっついている宮瀬悠介とダブルスをする。こんなに面白い事態があり得るとは想像もしなかった。
気が乗らないのは別として、怪我をしないために準備運動は入念にする。特に今日はおそらくかなり動かされる。フフフと笑う乾が恐ろしかった。
ようやく一息つける頃、タイミングを見計らっていただろう他の先輩もやってきた。
「やあ宮瀬」
「あっ、不二先輩。河村先輩」
パッと悠介の表情が明るくなった。
穏やかな表情で近付いてきた不二周助と河村隆は、他の部員と同様、すでに噂を聞き付けて楽しみにしている様子に見える。
悠介からも歩み寄り、正面に立って向き合った。
「聞いたよ。面白いことになってるね」
「あの越前とダブルスかぁ。前のことがあったから、考えもしなかったよ」
「お二人も楽しんでるみたいですね」
「うん」
「いやぁ、宮瀬の気持ちもわかるんだよ? 俺も似たようなものだからさ。他のみんなが凄過ぎて気後れしちゃって……」
悠介にジトっとした目で見られたからだろう、平然と答える不二とは異なり、わずかに焦りを見せた河村が頭を掻きながら咄嗟に言った。
その様子を見た菊丸がにししと笑ったのを、悠介は視界の端で捉えていた。
嫌な予感がする。そう思った直後にはラケットを持ってきた菊丸が小走りで接近し、気まずげにしている河村へ手渡した。
「バーニングッ!! オラオラ宮瀬ェ! しょぼくれてるんじゃねぇぞ! カモーン!」
「なんで渡すんですか」
「にゃははっ。勇気づけようと思って」
「逆効果でしょうよ……ほら、ラケット振り回して」
ラケットを持つと豹変する。河村隆の最も大きな特徴だった。
普段は温厚で心優しい彼なのだが、ラケットを握った途端に異様なほどテンションが上がって、英語交じりで絶叫する。入部した生徒がまず最初に衝突する壁だ。
今ではすっかり慣れている悠介も、初めて見た時にはあまりの変わりぶりに開いた口が塞がらなかったことを思い出す。
満足した菊丸は早々に去っていき、練習試合に備えるため大石と軽くラリーでもしようとコートへ入っていく。
残された悠介は温和に微笑む不二と共に、通称“バーニング状態”の河村を眺め、なんとも言えない気持ちで立ち尽くしたままだった。
「あれがなければ、わかるって話も受け入れられるんだけどなぁ……」
「変わりっぷりが面白いよね、タカさんは」
「不二先輩も似たようなもんですけどね、結構」
「そう?」
自覚がないのかきょとんとしている。
温厚さは平時の河村と似たようなものだが、不二周助は“天才”と称され、名実ともに青学テニス部のNo.2として知られている。普段は優しいこの男も、試合になればその普段を忘れるほどの強さを見せつけ、全国区として期待されている。
とんでもない奴しか居ないのかと、悠介は逃げるように視線を外した。
「ほんとに、ここの人たちは、俺からすれば正直立海を見るより心折れますよ」
「宮瀬は乾と一緒にデータ収集行ってるもんね。今年も手伝ってるの?」
「まあぼちぼちと。後輩の面倒看るのも忙しいんですけどね。かなり手がかかるんで」
ちらりと見られたリョーマは視線に気付いて振り返った。
「なんすか?」
「可愛い後輩を持って嬉しいって言ったんだよ」
「でしょーね」
「あ、怒りたいな」
「どうぞ。俺先にコート入ってますから」
「聞く気ねぇじゃねぇか」
言い終えて本当に背を向けて遠ざかってしまい、口を閉じざるを得なかった。
どことなく悔しげな悠介を見て不二は楽しそうに笑う。
「ふふっ。仲が良いね」
「そう見えますか……まあ慣れましたけどね」
「おい」
傍を通り過ぎる一瞬、声をかけられて悠介は海堂薫に気付いた。
無愛想で怒りっぽくどこか不気味。しかしテニスにかける情熱は人一倍。人は彼を“マムシ”と呼んで恐れている。
同学年である悠介は微塵も恐れずに顔を向け、こちらを見ない海堂に答えた。
「ダブルス組むだと? 本気か?」
「そうらしい。俺の意思じゃないんだけど」
「フン……足引っ張るんじゃねぇぞ」
「なんでそういうこと言うの? ねぇ?」
ちょうど気にしている一点をぐさりと刺されて、ほんのわずかだが足が揺れた。悠介は恨めしく睨みつけるのだが海堂は意に介さず、早々に練習へ向かってしまう。
まるで当て逃げのようだと、話すことさえ許されない状況にもやもやした感情が残った。
「発破をかけたんだよ」
「俺はそう思いたくないです」
「おーっす宮瀬。準備できてるか?」
「ああ、残念ながらね」
駆け寄ってきた桃城が豪快に悠介と肩を組む。
もうどうにでもしてくれといった心境だ。抵抗はせず、力を加えられるがままに体が揺れる。
桃城はずいぶん楽しそうで、他の部員同様に心待ちにしている様子だった。
「手塚部長も認めてくれたってよ。今日は特別、お前が主役だ」
「嬉しくないなぁ……」
桃城に促されて視線を動かすと、青学テニス部の絶対的No.1である、全国区どころか強豪校も高校も大学も、プロテニスプレイヤーでさえ注目する部長がこちらを見ているのに気付いた。
手塚国光。“天才”不二周助でさえ勝てない圧倒的な実力者。
クールで口数が少ない彼とは会話した回数が多くない。不思議と緊張してしまう。それなりに距離があってもなぜか姿勢を正してしまった。
途端に固まった悠介に笑い、顔を寄せて桃城が囁く。
視線を向ける相手は手塚。青学テニス部が誇る柱。中学テニス界でも中心に居る人物。
「お前は不本意かもしれないけど、チャンスだぞ。今まで黙ってたのが不思議なくらいだ。そろそろ爆発して、本当の力を見せてやれよ」
「お前俺のことサイヤ人かなんかだと思ってる? 全然違うから。一緒にすんなよ」
「まあ物は試しだ。手ェ抜かないで思いっきりやれ」
「そりゃ、手を抜くつもりはないけどさ……」
「だったら大丈夫だ。行ってこい」
背中を叩かれて強引に前へ出される。馬鹿力に表情を歪めながら、悠介は自分を待っているであろう手塚、乾、リョーマの下まで進んでいった。
迎えられて緊張が増す。せっかく温めた体も冷えてしまったのではないか。
いつまで経っても手塚には慣れず、些か表情を硬くしながら悠介が到着した。
「宮瀬、話は聞いている」
「どうも……すいません、なんか。急な展開で俺も驚いてて」
「いい機会だ。今後お前がダブルスを率いるようになれば、青学の戦力は大幅に向上する」
一瞬、きょとんとしてしまった。
誰の話をしているのだろう。そう思ってしまう。
自分についての話をされているとは思えずに困惑してしまい、沈黙が生まれて、わずかに時間を置いてからようやく察した悠介が恐る恐る口を開いた。
「……え? 俺、ですか?」
「そうだ」
「なんか、その……結構評価されてる感じ、に聞こえたんですけど」
「その通りだよ。俺たちはお前が思ってるほど下になんて見ていないぞ」
答えたのは乾だった。すでに頭の中ではこれから始める練習試合、今後のオーダー、三年生が引退した後の部活動についても思案している。
混乱する悠介を置き去りに、そそくさと話を進めようとしていた。
「早速だけど始めようか。先に簡単なダブルスの基礎的な動作を確認して、それからすぐに試合に移ろう」
「ちょ、ちょっと、まだ俺のショックが引いてないんですけど……せめて落ち着いてから」
「時間がもったいない。それじゃあ越前、まず大石と菊丸から基礎を――」
「あ、待ってください乾先輩」
混乱したままだったとはいえ、確固たる考えはあったようだ。
乾を止めたのは悠介で、言葉を止めて発言を促されるとすかさず伝えた。
「練習はいいです。試合からやりましょう」
「いいのか?」
「こいつを型にはめて基礎通りにプレーさせる方が難しいでしょ? 実戦経験積ませた方がいいと思うんで、細かいことは後でなんとかします」
「ふむ、確かに……問題はあるか?」
「俺はいいっすよ。そっちの方が手っ取り早いんで」
ぼすぼすと軽く叩くように頭を撫でられ、目深にかぶってしまった帽子の位置を直す。平然と受け入れたリョーマは抗議もしなかった。
あの越前が、ずいぶんな懐きようではないか。
驚きを込めて二人を眺めて、乾は嬉しそうに微笑む。喜ぶのは二人が良い関係を築いているからではない。この関係なら良いデータが取れそうだからだ。
「早速始めるか。二人とも、コートへ入ってくれ」
言われた通りに悠介とリョーマがラケットを手にコートの中へ移動する。
ネットを挟んで向こう側、わくわくした顔で菊丸と大石がすでに待っていた。
やるしかない。諦めにも似た覚悟を持って、悠介はまず最初にリョーマへ声をかけた。