学校の垣根を越えてチームを結成してテニスの大会に挑む。
関東ジュニアオープンテニス。
突如として始まったその大イベントは、開催前から関東を中心として日本中学テニス界に大きな衝撃をもたらしていた。
「おい手塚、まさかまだイップスだなんて言わねぇよなあ」
「ああ、もう治った。問題はない」
青春学園中等部のテニスコートへ突如として現れたのは、全国大会常連である氷帝学園中等部のテニス部部長、跡部景吾その人だった。
見るからに美形でお金持ち、尊大な態度だがテニスの腕前は全国区レベル。
関東大会の初戦において、肩を痛めたとはいえ手塚を破った人物なのだ。
その人が今、単身青学のコートへ現れ、手塚と対峙している。
注目しないはずもなく、大勢の人間が二人の姿を見ていた。
「大会でお前を倒すことも考えたんだが、個人としちゃそれは関東大会でもうやってる。同じことを繰り返しても仕方ねぇだろ?」
ざわざわと周囲が動揺していても跡部は止まらない。
注目されることには慣れている。むしろ当然だという自負さえあった。
部員数200名を超える氷帝学園テニス部をまとめる帝王は、自信満々に手塚へ手を差し出した。
「手を組もうぜ。俺様のチームに入れてやる。一緒に来い」
ほぼ全ての生徒が息を呑んでいた。
確かに跡部は手塚に勝っている。当時の手塚は悪くしていた肘が完治したばかりであり、無意識に庇っていたせいで肩に負担をかけ、激痛に襲われながらも長期戦に挑んだ。
それは当初の跡部が狙っていたものだったが、それでも手塚は無敗を誇っていた青学最強の男。青学テニス部にとっては驚愕の結果であった。
その跡部と手塚が一つのチームで揃おうとしている。
わざわざ説明するつもりもなかったものの、跡部は最初のメンバーに手塚を選んだ。
求めるものは勝利のみ。優勝を求めるが故であった。
しばし沈黙を保った後、真剣に考え込んだのだろう、ついに手塚が口を開く。
一体どうなるのか。誰もが固唾を呑んでその時を待っていた。
「わかった。お前のチームに入ろう」
「当然だな。俺様のレベルについてこれるのは、お前くらいのもんだからな。アーン?」
手塚が手を出して跡部の手を握り、固く握手をする。
おおっと誰かの声が漏れて、続けて大きなどよめきが辺りへ広がった。
これはきっと歴史的な出来事だ。全国区レベル、関東最強の男たちが手を組み、同じチームに所属するその瞬間を見たのである。
青学で起こった事件は瞬く間に噂となって各地へ伝えられ、話題は更なる広がりを見せた。
「肘と肩ならもう問題ない。気に病むことはないぞ」
「あぁん? 同情だと思ってんのか? 最初から気にしちゃいねぇよ」
*
鋭い打球がラインを越えて、壁に激突するまで止められなかった。
金太郎はああっと大声を発して、リョーマはにやりと笑う。
ようやく終わった。一回のラリーが長く、1ゲーム勝負とは思えないほど時間がかかっている。
いつの間にかリョーマはぼたぼたと垂らすほど大汗を掻いており、慣れつつあるとはいえ、あまりに強力な“無我の境地”の副作用に疲弊した様子だ。対する金太郎はまだまだ余力を残し、悔しさで飛び跳ねるほどには元気だった。
「くっそー! あかん!」
「1ゲームだよ。はい、俺の勝ち」
「ちょっと待ってぇや!? あともう1ゲーム……いや5ゲーム!」
「1セットマッチじゃん。やだよ、もう疲れたから」
「そんなぁ~!? こんなんまだ満足できへんわー! めちゃくちゃおもろいのに!」
必死な抗議を聞かずにリョーマは早々にコートを出た。
金太郎はそれでも懇願し続けるのだが、ふぅと息を吐くリョーマは悠介に歩み寄り、タオルとドリンクを持って立ち、にこにこしている彼からそれらを受け取る。
「お疲れ様ですリョーマ様。素晴らしい試合でした」
「ありがと。じゃ、次は先輩」
「えっ!?」
「勝ったら、許してあげますよ」
「遠山君、次は俺が相手になろう。できれば負けてくれたら嬉しいなっ」
リョーマが椅子へ座って汗を拭い、喉を潤す間、素早くラケットを取った悠介が前へ出た。
あからさまに表情を変えた金太郎は残念そうだ。
彼は越前リョーマを倒すためにやってきた。公式戦で大きく名を上げたスーパールーキー。とにかく滅茶苦茶強いと聞いて確かめに来たのである。明らかに頼りなさそうな悠介が出てきて満足できないのは当然だろう。
「え~? 兄ちゃん強いんか? ワイはコシマエが強いって聞いたから倒しに来たんや。もっとコシマエとやりたいわ」
「ああ言ってますが」
「俺、ナックルサーブって使えるんすよね」
「ああ板挟みっ。ち、ちなみに負けても何もありませんよね?」
「勝ったら、って言ったでしょ」
じろりと見られて悠介はすかさず視線を外した。あまりしつこく言うとさらに怒らせることになるのは知っている。
すっかり小さくなってしまった悠介は恐る恐るコートへ向かい、苦笑する杏はこれが二人の関係性なのだろうと理解し、敢えて止めようとはしない。
やる気もなさそうに、泣きそうな顔で入ってくる悠介を見てやりきれない気持ちになる。
せっかく興奮していたのだが、他ならぬリョーマがもう試合をするつもりがなく、おそらく先輩だろう彼の扱いを見て金太郎はなんとなく悲しくなってしまった。
「兄ちゃん、いじめられてんのか? あいつ後輩やろ?」
「うん……俺もちょっとわからなくなってきた」
「自業自得でしょ」
「まあええわ。手は抜いてやれんけど、兄ちゃんもテニスやってんのやろ? ほんならこのまま勝負しようや。ワイまだ体動かしとーてしゃあないわ」
「あいつも多分敵なんだな……」
大きなため息をつきながらも、仕方ないと諦めて、悠介がボールを手に取った。
敵うはずはないと思うので結果はわかっているのだが。そう思いながらもやらない場合の怒りを恐れて気合いを入れようとしている。
「サーブは?」
「兄ちゃんからでええよ。ワイのことは金太郎でええで。それかみんなが呼ぶから金ちゃん」
「ありがとう金ちゃん。じゃあ始めるよ」
「ええでー! いつでも来ーい!」
同じ歳でこんなにも違うものかと涙が出そうになる。
悠介はサーブを行い、金太郎が立つコートへボールを打ち込んだ。
「おっしゃ! 思いっきり行くで~!」
「いや、手ぇ抜いてほしいんだけど……俺のためにも」
ドカッというテニスにあるまじき音を立ててボールが返ってくる。
先程見ていたが凄まじいパワーだ。外見からは想像もできない。
実際に自分で打ってみて、悠介は腕に来る衝撃に目を見開き、危なげなく返したものの、まるで本気の河村先輩を相手にしているようだと驚きを隠せなかった。
「重っ……!」
「へへっ、なんや兄ちゃん。ちゃんと返せるやん」
手を抜いているという自負はない。だからこそ、金太郎は悠介がきちんと打ち返してきたのを見て喜びを露わにした。
中途半端な相手では簡単にラケットを落としてしまう。一発で心を折ることも珍しくない。始まる前は不安も抱いていたがあっという間に評価は変わった。
彼なら大丈夫だろうと考え、ジャンプしてボールへ接近し、異様なフォームで思い切り打つ。
「おらァ!」
「いやいや重過ぎ!? あの子怖っ」
怯えながらも悠介は素早くボールへ追いつき、的確に返している。一球ごとに腕が無理やり震わされるような重い衝撃を覚え、次はもう嫌だと思う一方で、これまでのリョーマとの対戦が金太郎のスピードにも対応できるまでに彼を鍛えていたようだ。
ラリーは長引き、打ち返される度に金太郎は彼を見返していく。
点を取られる心配が一切なかったのは攻撃の手が弱いからだ。
防御は上手いが攻めるつもりがない。金太郎は悠介とのラリーを続けてそう思い、しかしまだ何か隠していそうだと肌で感じている。
あのコシマエリョーマが先輩と呼ぶのだから、ひょっとしたら何かあるのでは?
確かめるためには全力でぶつかるしかない。
十回以上のラリーを経て、二十回もそろそろかという頃、ただの普通な打球では抜けないと判断した金太郎は一旦足を止めた。
肩を回し、腕を回して、極端な攻撃の意思を見せたために悠介はびくっと怯えた。
「これでわかるやろ」
「ちょっと、何しようとして……!」
「喰らいーや! 超ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐ィ!!」
「バカだなぁあいつ!?」
激しく全身を回転させて、その力を利用して必殺の一打をボールに叩きつける。
打球は風となり、凄まじい勢いで直進してきた。
心底怖がっていた悠介だが、しかし、敢えて逃げずにラケットを振るう。
先程のリョーマの試合を見ていたからわかった。このボールには強烈なスピンがかかっている。ならば彼が敬愛してやまない師匠の技を破れるはずはない。
体を開いた構えからラケットを袈裟切りのように斜めへ振り下ろし、ガットへ受けたボールにかけられている力を受け流す。
これならどうだ。悠介はグリップを握る手に力を込めた。
ガラガラッと大きな音を立ててラケットが勢いよく地面を転がった。
よしっと思う暇もなく、金太郎は目を見開く。
彼の仲間である部員ですらそう簡単には返せない打球が、試合を見ていたとはいえ、初見で打ち返されたのだ。ボールは確実に金太郎のコートへ向かってきている。
悔しいと思うより先に胸の中に喜びが広がり、思わず笑ってしまった。
きっと面白い勝負になる。金太郎はいつものようにぴょんと跳んで、バウンドしたところをもう一度必殺技で返してやろうと考える。だが、そこで再び驚いた。
地面に触れたボールは弾まず、凄まじいスピンで転がりながら足元を通り抜けていく。
ああっと大声を出して見送ってしまった。
今のはポイントを取られたのだ。打ち返すことができなかった。何が起きたのか、自分の目で見ても終わってから考えてみてもわからない。
金太郎はぐるりと悠介へ振り返り、感情を抑えられず輝くような笑顔になった。
「いっ……てぇ」
「すっ……げぇ! ワイの超ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐をよう返したな! なんや今の!? なぁ、今何したん!?」
「よく噛まずに言えるな、その名前。覚えられん……」
パワーに押し負けた悠介は手首を押さえていた。危うく怪我をするところだ。そんな状態で返せたのは奇跡にも等しいと本人は思っている。
不二ならもっと上手く返したのだろう。手首にダメージなど受けないはずだ。
土壇場の“つばめ返し”だったが選択は悪くなかったらしく、当たれば気絶では済まなそうな強烈な一打を相手に、少々手首を痛めた程度ならよくやった方だと考える。
金太郎が嬉しそうに駆け寄ってきた。
やはり足は速いようで、まるで瞬間移動したかのように感じるほど、気付けばネット際に立って悠介の顔を覗き込もうとしてくる。
「すごいやんか兄ちゃん! さっきの何!? ほんまに兄ちゃんがやったんか!?」
「一応ね」
「なんや、自信なさそうやったから大したことないんかと思たけど、全然そんなことないやん。流石コシマエリョーマの先輩やな! ほな次行こー! もう一回やったるでー!」
「いやいやいやもう勘弁!? もう一回やられたら手首壊れるから!」
うきうきしてベースラインへ戻ろうとする金太郎を、焦った悠介が慌てて止めた。
これ以上やるのは確実にまずい。下手すればテニスができなくなる。
危機感を覚える彼に対し、まだ満足していない金太郎は不服そうだった。
「え~なんでー? だってさっきの技で返したやん。もっとやろうや」
「さっきの技で返して手首がびっくりするくらい痛いのっ。次やったら骨が折れるか、手首が捩じ切れてどっか飛んでっちゃう」
「大丈夫やって。ワイもそんな奴見たことないから」
「俺が初めての男になったらどうするんだよ」
「それはそれで話題になるし。とにかくやってみようや。ほんまにあかんかったらやめるけど、全然元気そうやから大丈夫やって」
「なんて押しが強い。誰かさんを見てるみたいだ」
ちらりと背後へ振り返って確認すると、うんと頷いて、言外にやれと言われた。彼との付き合いを考えてしまう瞬間だった。
後が怖いが流石に今回は危機感が強い。
何かあれば幸村にも悪いと考え、強い意志を見せた悠介は毅然として断り、折られるのが怖いから絶対にやるものかと決意した。
「無理だって。故障したら幸村さんにも悪いし、今日はこれで終わり」
「えー……」
「それならコシマエ君とやったら? ちょっと休んだし、あいつならもうできるよ」
「おっ、そやな! コシマエ! もっかいワイとやろーや!」
やれやれと首を振って、リョーマがラケットを持って立ち上がった。
悠介の傍まで迷いなく歩み寄り、じろりと目を見つめる。
「弱虫」
「弱虫だもん」
「あとコシマエ君って言いましたよね?」
「そ、それはほら、金ちゃんに伝わりやすいように」
「ちゃんと覚えてるんでまたの機会にね」
一体何をされるのだろう。震える悠介は上手く歩けなかった。
投げ捨てるように手放してしまった自身のラケットを回収して、杏が居る場所へ戻る。彼女は笑顔で温かく迎えてくれたが恐怖で上手く笑えなかった。
「お疲れ様。さっきのすごかったね」
「やっぱり俺は普通の人間だったよ……危うく壊されかけたもん」
「ううん、そうだね。あれを見ちゃうとやっぱり普通なのかなって思っちゃうかも。越前君はなんでか平気そうだったし……」
「あの子もどんどん超人になっていくからなぁ」
視線の先ではリョーマが軽くボールを打ち、金太郎がボールを受け取っていた。
サーブ権を渡したらしい。
帽子をかぶり直してふぅと気持ちを切り替えてから、リョーマは早く早くと言いたげな金太郎に目を向けて笑みを見せる。
「そろそろうちのリーダーが来るはずだから、あと1ゲームだけ」
「よしっ! 今度は負けへんからなー!」
「ふーん。俺も負けないけど」
「アホ言うなっ! ワイの方が負けへんわ!」
言い合いをする二人を見て杏が笑みをこぼして、悠介は苦笑してため息をつく。
「ふふ。どっちも負けず嫌いだね」
「意外と似たとこあるのかな。俺に矛先が向かなきゃいいんだけど」
嫌な予感を覚えて呟いた悠介に、なんとなくそうなりそうだな、と杏が思う。敢えて本人には伝えなかった。言えばきっと彼は落ち込むだろう。
二人の見ている前で金太郎がサーブをして、再び彼らのゲームが始まった。