以前、一年生と組んでダブルスをやった姿を見たことがある。
その結果、越前に対する部員の評価はこれ以外ないとはっきり固定された。
シングルスは天才的。ダブルスは凡才以下。
とにかく息が合っていなくて、些細なミスを繰り返すのだ。シングルスとして考えて動けばその技術はむしろ中学生とは思えないほど素晴らしくて、きっと見せる場所に見せればスカウトが止まらないほどだろうと思える。
それなのに、ダブルスとなるとなぜか動きに躊躇いが生まれて、コンビを組んでいる人間と動きが合わずにちぐはぐになり、それほどすごい球でなくても拾えなくなる。結構短気だからイライラしてシングルスとして動き出すと、それはそれでコンビの不和を生んで、ほんの一時盛り返すことができても結局は勝てない。
本人が言うには、ダブルスになると途端にコートが狭くなるらしい。
一人で自由にさせておくから強いんであって、この男を使うなら確実にシングルスで。それは上級生も同級生もなく全員一致でそう思った。それくらいひどい試合をしていた。
誰と組んでもそうだったのだ。ここまでくると逆に才能なんじゃないかとさえ思う。
そんな越前が、唯一ダブルスの可能性を感じさせたのが、なんでか知らないが俺だったわけだ。
任せる時は素直に任せて、自分のテリトリーに来たら思うままに打ち返して、他の人と組むのに比べて格段に伸び伸びしていた。それは一緒にプレーしていた俺も思う。
逐一俺が指示を出しながらの試合ではあったとはいえ、結果的に負けたのだが、唯一良い試合をしたとして拍手をもらってしまった。
あの時の越前は複雑そうな顔をしていて、でもほんの少しだけ嬉しそうだったと思う。
あれ以来、誰も越前にダブルスをやらせようとはしなかったし、本人も言い出さなかった。個人のスキルを上げた方がよほど効率的だと思ったんだろう。
俺も同意見だったので、尚更その発言が恐ろしかったのだ。
「先輩と俺なら、練習すればなんとかなる気しません?」
表情を改めて確認する。
これが意外と、ふざけているようには見えないから困る。口角が少し上がっていて、なんだか楽しいことを考えたという雰囲気だ。
どう判断すべきなんだろう。返答に困る。
「そしたら先輩もレギュラーになれそうですし。うち、ダブルス足りないんでしょ?」
それは確かにそうなのだ。
有名な三年生の“
先生もそう言っていたとはいえ、果たしてそれが俺と越前でいいのか?
冗談ですよ。そう言ってほしいのに言ってもらえず、しばらく俺は考え込む羽目になった。
*
地響きのような歓声を聞いて、学校中の生徒が異変に気付いていた。
その中で興味を持って見に行こうとするのは一部だっただろうが、青春学園中等部の男子テニス部がやたらと強いのは広く知られていることだった。
何かあったのだと気付き、足早に向かう人物は少なくない。
「桜乃、早く! 絶っ対リョーマ様よ! リョーマ様が活躍してるんだわ!」
「ま、待ってよ朋ちゃん……」
男子テニス部で何かがあったと悟り、女子テニス部の部員が観戦に行ってしまった。
その気に乗じて、女子テニス部員の竜崎
「堀尾君早く! 今日、越前君がダブルスの練習試合するって!」
「絶対もう始まってるよ! だってさっきの声……!」
「あーもうっ、わかってるって! 委員会だったんだからしょうがないだろ!」
男子テニス部一年生、堀尾、カチロー、カツオの三名は練習に遅れており、特別な大イベントがあると知っているが故に急いでいた。
なんとしても、越前リョーマのダブルスは見なければ。
そういった熱意が感じられる走りでコートへ急いでいた。
「さあて、どうなるか……」
男子テニス部顧問、竜崎スミレも、少し遅れてテニスコートへ現れた。
予想していたとはいえ、盛り上がりは上々。
試合の模様をその目にした時、穏やかだった笑みはさらに深まった。
激しいラリー。負けん気の強い奇襲。奇抜なアクロバティック。
技の応酬で激戦となり、取って取られて、互いに攻撃の手を緩めない殴り合いとなった。白熱した攻防はただ見ているだけの観衆まで熱くし、かっこいい人が居るだろうと思ってやってきたテニスを知らない生徒にまで拳を作らせる。
部員同士では珍しい、本気のぶつかり合いがいとも容易く人々を変えていた。
一瞬の隙をついて菊丸がフリーになった。ネット際の攻防に執着し、徹底的なマークで追い縋ろうとしていたリョーマは、珍しいことに目を丸くする。
ふわりと浮いた甘い球。大石のムーンボレーがチャンスを作った。
すかさず着弾点を察知し、悠介は後ろへ引き、リョーマは直接取ろうと走る。
「
高く跳んで回転しながらラケットで叩きつけ、鋭いスマッシュがコートを跳ねる。
リョーマと悠介、二人がかりでも厳しい一打で取ることができず、ポイントを許してしまった。着地と同時に菊丸は嬉しそうにピースをする。
「ゲーム大石・菊丸。2-1」
爆発するような歓声が上がる。
レギュラーを決めるランキング戦とも違う、それより重要度は低いただの練習試合。だというのにどうしてここまで白熱するのか。
大勢の生徒がわらわらと集まり、選手たちの動きに一喜一憂している。
ぷはっと大きく息を吐き出し、観客へのアピールが済んだ菊丸は大石へ振り返った。
想像とはまるで違った。楽しい。だが疲れる。
舌を出す菊丸に笑いかけ、大石は歩み寄ってハイタッチをした。
「んもーしぶとすぎー。おチビの奴、普通にダブルスできるじゃん」
「予想外だったな。あいつらいいコンビだよ」
視線を向けると悠介とリョーマは悔しそうな顔をしていて、まだ闘志は死んでいない。
何がなんでもやり返す。目を見ただけでそんな意思が伝わってきた。
「にゃろう」
「
深く息を吐いて体の内に溜まった熱を逃がす。1セットもしていないのに汗だくで、運動量の多さを言葉より雄弁に物語っていた。
閉塞感を感じる。この状況を打開するには何かが必要だ。
勝ちを諦めるつもりはなく、二人は対戦相手を睨むように見据えていた。
「なんか、一発逆転できるような必殺技とかないの?」
「あったらもうやってますよ」
「そりゃそうだ……かといって、無理をしても通用しないだろうし」
サーブ権はリョーマに渡っていた。ここは落とせない。
菊丸と大石は集中力を保ち、すでに迎え撃つ準備を済ませていた。
定位置に立った二人だったが、リョーマがサーブする前に、振り返って悠介が言う。
「越前、わかるか?」
何が、とは言わない。しかし不思議と理解できた。
闘志を燃やすリョーマは迷わない。
「当然」
「よし。じゃあよろしく」
そう言って動いた悠介を見て、テニス部員を中心としてどよめきが起こる。
知識があればなおのこと、誰もが目を疑う光景だった。
前衛に立った悠介がセンターラインを跨いで立ち、頭を下げて低く構えたのである。その行動を当然のものとして、リョーマもセンターラインからサーブしようとしていた。
紛れもなく
「おいおい……」
「あ~。俺たちのまねっこだぞー」
大石は絶句し、菊丸はぶーぶーと文句を言い始める。
今日の試合では披露していない。だがおそらく青学テニス部にこのフォーメーションを知らしめたのは阿吽の呼吸を持つこの二人で、他の誰かでは再現できない。そう思われていた。
挑戦する気なのか。面白いと思うより先に不安を抱く。
できるはずがないという気持ちは、油断とは別に拭い切れない感想だった。
リョーマがボールを上げる。次いで、菊丸が待つ方向へ打った。
一度目のバウンドと同時に悠介が動き、ネット際、菊丸の前方に入ってくる。
そちらへ返せば嫌な角度へのボレーが来る。嫌そうな顔で、仕方なく菊丸が逆へ打った。
大石は咄嗟に後ろへ下がっていた。怖かったのではない、どんな打球が来ようと確実に返すため最善策を取ったのである。しかし予想は即座に外れた。
菊丸のリターンとほぼ同時、リョーマがスライディングで前へ来る。
跳び上がりながらボールを打ち返し、大石の頭上を越えた打球は急激に落下して、叩きつけられるようにラインの内側に落ちて跳ねた。
一瞬の出来事だ。中々どうして、フォーメーションとよく合った戦法だろう。
「ドライブB……!?」
「マジ!?」
再び歓声が上がった。今度はリョーマと悠介を称えるための声だ。
やってやったと二人は軽くハイタッチをして、驚く大石と菊丸に笑顔を見せた。日頃なら生意気なのはリョーマだけだが、今ばかりは悠介も同様に感じる。
「ナイスショット」
「先輩が誘導してくれたんで」
「あ、なんか素直」
「やっぱ今のなし」
「なんで!?」
大石は笑った。
仲が良いのは知っていた。だがそれだけでできるフォーメーションではない。事前に練習していたわけでもないのだろう。思いつきで、ぶっつけ本番でやってみた。あの二人ならそうだとしてもおかしくない。
それでも上手くやってしまうのなら、自分たちのプレイを試合で見せてきた意味もあったということだろう。してやられたのになぜか嬉しくなる。
突然、鼻先を弾かれて痛いと声が出る。見れば指先を伸ばした菊丸が目の前に居た。
むすっとした顔で拗ねており、どうやら笑っていたのがいけなかったらしい。
今度は苦笑し、つい自分の指で鼻先を撫でる。
「なに笑ってんの。こっちがやられてんのに」
「ごめん。つい、嬉しくてな」
「あいつらの成長が? 大石ジジくさー」
「いや、違っ……!?」
「だからってさ。俺たちが負けていい理由にはなんないぜ?」
気を引き締め直す一言だった。
菊丸の表情を見た大石は再び戦意を露わにし、静かに臨戦態勢を整える。にこりと笑った時にはもうすでに試合へ臨む時の彼だ。
「ああ、もちろんだ。勝ちに行くぞ」
「もち!」
試合が再開される。
悠介とリョーマは再びオーストラリアンフォーメーションで挑もうとしている。
サーブが打たれると、リターンをする大石は冷静にコート内を見ていた。
悠介は大石の前へ移動する。先程と同様の動き。その間にリョーマは逆サイド、前方へ走り込んでこようとしている。
青学で唯一、フォーメーションを完成させたのは彼ら二人だ。
実戦で利用した経験も踏まえて、対処法ならば誰よりも理解している。
(ここだ! 頭を越える!)
二人が前に居るのなら、後ろはガラ空き。大石は正確無比なコントロールを用いて、悠介の頭上を越えて後ろに落とそうと強烈なトップスピンをかけて高く上げた。
狙い澄ました通りの一打。確実にコート内へ入るが、しかし再び驚愕することになる。
大石がボールにインパクトする寸前、踵を返した悠介が後ろへ走り、リョーマと交差するようにして下がったのだ。
気付いた時にはすでに遅く、放たれた打球は悠介が待ち構える場所へ行く。
またしても裏を読まれたのだが、かといってそれが直接不利になるわけではない。取られはしてもラリーが始まれば話は変わる。
悠介のスイングは驚くほど静かで、ボールは打ち返され、ネット際までふわふわ飛んだ。
ドロップショット。勢いを上手く殺して、手前に転がそうとしている。
その球は菊丸が取れるはずだ。しかしその後は。咄嗟の判断力と洞察力により、先の展開を読んだ大石は全力で走った。
菊丸がダイビングショットで空中に身を投げ出しながらボレーで返した。その途端、あらかじめどこに返るか察していて、待ち構えていたリョーマがボレーで返す。
その打球はセオリーを無視して、大石がフォローに走った右サイドではなく、先程まで大石が居たはずの位置を強い打球が抜けていった。
大石は間違っていなかった。ただ、寸での判断でリョーマが狙う先を変えたのだ。
ポイントが入るや否や、またしても喝采が巻き起こる。
「30-0」
揺さぶりが上手く効いているのだ。
自分たちだけの奥の手だと思っていたフォーメーションを相手に使われ、しかもその相手がダブルス経験の浅いリョーマだという事実が、思った以上に動揺を生んでいるらしい。
シャツの袖で汗を拭った大石は、自らのミスを静かに反省する。
敵は越前リョーマ。だけではなく、自分たちをよく知る宮瀬悠介でもある。
「くっそー! また上手いことやられちゃったよ!」
「考えてるな……悪い、英二。俺がちょっと先走った」
「うんにゃ。おチビならどっちにも打ち分けられたし、今のはどっちみちきつかったって」
悠介とリョーマのハイタッチをまた見ることになった。
悔しさが増して、感覚は鋭くなり、汗を掻いていてもさらに体が熱くなってくる。
「このまま調子乗らせるとまずいっしょ」
「そうだな。ここらで止めておかないと」
「俺ら本職のダブルスなんだし」
「たとえ練習でも、急造コンビには負けられないな」
彼らの思わぬ善戦が新たに火を点けたようだ。
顔つきを変えた大石と菊丸を見れば、負けてたまるかとさらに燃え上がるというもの。
手を緩めるつもりはない。退けば負ける展開だ。
悠介は敢えて先程と同じ位置には立たず、リョーマと同じラインに立って後ろで待ち受けた。
またおかしなことを始めた。しかしだからこそ面白い。
リョーマのサーブでプレーが始まり、試合は更なる佳境へ突入する。