仲良くなるきっかけは一年生の指導につきっきりだったからだけど、そもそもを思えば、あいつのことを心配していたのかもしれない。
入部当初から越前は頭一つどころか二つ三つ飛び抜けてテニスが上手くて、それはそれでいいことなんだけど、あまり特別過ぎると孤立するかもしれないと思った。現に二年の荒井たちに目をつけられたそうで、こそこそ陰湿なことをするのは好きじゃないから俺からも言った。本人にも謝らせたし、越前も気にしてないんだろう。でもやっぱり本音としては気になる。
あいつを一人にさせとくのはまずいんじゃないか。
だったらせめて俺だけでも近くで見といてやらないと。
そう思ったことが、越前との距離が近くなったきっかけだった。
幸い、同学年にも話し相手や気にかけてくれる人は居るようだし、桃城とも仲が良いみたいで、完全に孤立してるわけじゃなさそうだ。しかし一度自分から声をかけた手前、途中でやめられるわけでもないし、なんだかんだと行動を共にすることが多くなった。
寂しいとか、そういうのはそもそもなかったんだろう。俺が心配し過ぎてたんだ。
越前はすごい奴だった。
一年生とかそういうのは置いといて、レギュラーを決めるランキング戦では海堂にも乾先輩にも勝ってしまうし、試合に出てもちっともビビらない。むしろ勝負を楽しんでるとこすらある。
近くで見ていて、いつの間にか俺は尊敬するようにさえなっていた。
あいつのようにはなれない。諦める理由にしてしまった覚えだってある。
「俺さぁ、プロになりたかったんだよ」
一度、本音を告げたことがある。
子供の頃、通っていたスクールの先生を尊敬していて、元プロだった人が熱心に指導してくれたのが自分にとって大きな財産だった。
普段はあまり自分のプロ時代のことを語りたがらないけれど、たまにぽろっとこぼす話がすごくかっこよく思えて、この人みたいになりたいって思ったんだ。
「ここに入学してからすっかり折られた。でも、今でもたまにふと思い出すんだよな」
「ふーん。もう諦めたんすか」
「そりゃ、正直俺の力じゃ太刀打ちできないし」
「まだまだだね」
その時ばかりはぐうの音も出ない。反論できるはずもなかった。
越前ならきっと。
そんな風に考えるようになっていた俺に、あいつは怒りも笑いもせず、いつも通りだった。
「先輩、とりあえずレギュラー取りましょうよ。そんな顔されてるとつまんないんで」
後輩なのに俺を導いてくれるみたいで。
頼っていたのは、俺の方だったのかもしれない。
「プロになるのはその後でいいでしょ」
*
「ゲームセット。ウォンバイ大石・菊丸」
辺りを埋め尽くすような怒号と拍手に包まれる。
菊丸は観衆に向かって腕を突き上げてアピールしており、大石も恥じらいながら手を振った。
表情が優れない悠介は荒く息を吐き、リョーマも悔しげに帽子をかぶり直す。
「結局負けかよ。蓋開けてみたら、返せたのは1ゲームだけだったな」
「先輩が途中で集中切らすから」
「お前が俺のとこに突っ込んでくるからだろ」
「好きにやれって言ったの先輩ですよ」
「限度があるわ。頭から飛び込んでくる奴があるか」
不貞腐れた顔で言い合った二人は、反省にもならない振り返りを終えて、ため息をついた。
途中までは確実に気持ちよかった。なのに一旦集中が途切れると立て直すのが困難で、ゲーム数が少なかったのも手伝ってテンションが上がり切る前に終わってしまったように感じる。
1セット戦っていても勝てなかったかもしれないが、もう少し何かを掴めたかもしれない。
どちらもフラストレーションを残したままの決着だった。
ある程度のアピールを終えた大石と菊丸は改めて二人を見る。
本人たちは満足していないだろうが、今後の可能性を感じる場面が多々あった。少なくとも大石は現在の二人を認めていて、菊丸は心底面白いと思っている。
「ダブルス2、決まるかな?」
「まだ練習が必要だ。本人の意思も。だが」
「その気になったら十分あり得る?」
「俺たちの次の代は心配なさそうだな」
堪え切れずにぷぷっと笑った菊丸に、良い気分になっていた大石は不思議そうな顔をする。
「やっぱ大石ジジくさー」
「そ、そんなことないって。これは副部長として――」
「あはははっ。くさくさくっさ~」
「お、おい英二!?」
最後まで聞かずに菊丸は逃げるようにコートから出ていき、大石もその後を追う。
菊丸が逃げ込んだ先に他のレギュラー陣が居て、試合が終わって拍手で迎えられた。
白熱した試合に触発され、特にうずうずしている様子の桃城が笑顔で迎え入れ、一番最初に駆け込んできた菊丸へ声をかけた。
「英二先輩! お疲れ様っす! ナイスゲーム!」
「ありがとー桃! まだまだ後輩には負けてらんないにゃー」
笑顔で見守っていた不二が頷き、遅れてやってきた大石に目を向ける。
隣には河村も居て、すかさず持っていたタオルと飲み物を渡してやった。
「いい勝負だったね」
「ほんと、見てて興奮したよ。あいつら初めてのダブルスでオーストラリアンフォーメーションなんてやるんだもん」
「ああ、あれには俺も驚いた。見ただけで盗むなんて大した奴らだよ」
「そーそー! ほんとはあれ俺たちの技だもんなー! 見ただけでやっちゃってさ、一回ガツンと言ってやんなきゃだめだな! 俺たちがどんなに苦労したか!」
怒ったふりで言う菊丸だが、二人を認めているからこその発言だろう。心底怒っているならそれほど楽しそうには言わないし、彼はそう言うが、案外すんなり習得したのではないか、というのが
コートを出ようとして乾に呼び止められる二人を見て、不二がにこりと笑う。
「もうガツンと言われてるみたいだけど」
「んお?」
「二人はそのまま残ってくれ。次の試合を始めるから」
「はっ?」
心底驚いたという顔で悠介が素っ頓狂な声を発している。
恐れていたことが現実になった。休む暇もなく次の試合が始められようとしている。重要で興味深いデータが取れそうだとあって今の乾は誰よりもノッていた。
振り返ってレギュラー陣に顔を向け、審判台に座ったまま話を進めている。
「桃城、海堂、入ってくれ」
「おっしゃあ! 待ってました!」
「フシュー……」
おそらく待ち構えていたのだろう。呼ばれた二人の行動は素早かった。
ラケットを手にして意気揚々とコートへ入っていき、観衆の興奮も冷めやらぬ中、早くも次の試合が始められようとしている。
多分言っても無駄だろう。そう思いながら、念のためにわなわなと震える悠介は、早く始めろと言いたげな乾へ言ってみた。
「乾先輩、きゅ、休憩とかそういうものは」
「ないぞ? 始めてくれ」
「ほーら出た。だからこの人が怖いんだ……」
「水分補給はしてくれよ。倒れられるとデータが取れない」
「いいか越前、俺はお前より一年長くこういう人たちと付き合ってるんだぞ」
「大変っすね。まあ、なんとなくわかってきたんで俺はいいっすけど」
越前もすぐにやる気になった。
コートの対面にはすでに桃城と海堂が位置についている。早く構えろと凝視されていた。
ちらりと越前を見る。早く構えろと凝視されてしまう。
おもむろに肩を落とした悠介は大きくため息をつき、静かに移動して腰を落とした。
「わかりましたよ、やりますよ。どうせ俺に拒否権なんかないんだから」
「先輩、ファイト」
「うるせー」
「行くぞ宮瀬。まだだぞ。緊張の糸切らすなよ」
「もう切れたよ……」
桃城のサーブから試合が始まる。
不貞腐れていたが悠介が的確にリターンを返し、海堂が長い腕を伸ばして対応した。
リョーマも攻め気で前へ出て、以前に比べていくらかダブルスへの疑問も減ったらしく、攻撃に集中してボールを打ち返す。
興奮が落ち着く前にまた次なる試合が始まって、観衆のボルテージが下がる様子はなかった。
騒がしい環境の中、水分補給をしながら菊丸が呟く。
近くに居たレギュラーメンバーは当然のように反応していた。
「しっかし不思議だなー。ユースケはいいとして、おチビをダブルス起用ってあり得んの?」
「うーん、どうだろう。地区大会、都大会、関東大会、どれもシングルスだったからね」
「俺はあると思ってるよ。もちろん越前のシングルスは頼りになるけど、だからこそダブルスも任せられるようになれば鬼に金棒だ」
菊丸が提示した疑問に、不二は慎重な態度を示し、大石は期待も込めて好意的に考える。
ううむと唸って、河村は試合を見ながら呟いた。
「俺もそう思うけど、ただ、パートナーは限定されそうだね……」
「いいんじゃん? ユースケが頑張ればいいだけっしょ」
「あはは。確かに、宮瀬なら誰と組んでも上手くやれそうだから」
コートの中では海堂と悠介の一騎討ちが始まっていた。
執拗なまでに大きく曲がる“スネイク”が繰り出され、右へ左へ激しく振られ、しつこく喰らいついて悠介が拾っている。
数度繰り返して最後の一打は辛うじて返し、軽く浮いた球がふわりと相手コートへ移った。
絶好球だ。桃城が意気揚々と高く跳ぶ。
狙う位置がわかったため、咄嗟に悠介が動こうとするが、すでにリョーマが待っていた。
狙い違わず、構わないと言わんばかりに、桃城が豪快なスマッシュを行う。
「いっけー桃ちゃん先輩!」
「ダンクスマッシュだーっ!」
すかさずリョーマが拾おうとしたが、強烈な打球が地面へ突き刺さるように跳ね、一瞬にして傍を通り過ぎてしまった。
反応は悪くない。単純に凄まじいパワーだったのだ。
加えて今の桃城は本気の
桃城の一打が異様に優れていたことに、間近で見たリョーマも驚きを露わにしていた。
「どーん」
「ほんっと、いい先輩ばっかりっすね」
呆れた口調で呟き、リョーマは手の中でくるりとラケットを回す。
彼を恨めしげに見る悠介は激しく呼吸を乱しており、必死に整えようとしながら、落ち着けないまま我慢できずに喋り出した。
「それは俺も言いたいんだけど、なんか俺ばっかりスネイク拾ってない? ねぇ後輩」
「気のせいっす」
「つーか同級生、お前俺がギリギリ拾えるとこ狙って打ってるだろ。スネイクばっかり。お前そういうとこほんと良くないぞ」
「うるせぇ。トレーニングは続けてんだろ。走れ」
「お前、性格悪いって言われてるぞ。友達少ないぞ」
「あぁ!?」
「あー怖っ」
強引に走らされているせいでゼェゼェと呼吸は荒く、本人も落ち着かせるより先に文句を言うことを優先してしまい、中々整わなかった。
一方でリョーマは一呼吸も乱さず、余裕を窺わせている。
「ダブルスって、結構いいもんっすね」
「それどういう意味? 堂々と休めるからか? 先輩を走らせられるからか?」
「思ってたのと違うからっすよ。早く息整えてください」
「お前俺のこと嫌いなの?」
「好きですよ。早くして」
「あぁ、もっとみんなに愛されたい……ハァ、フゥ」
残念ながら敵も味方も対応が冷たく、項垂れた悠介は素直に従う。
試合は再開され、一旦止まれば無駄口を叩くも、プレーが始まれば全員が本気だ。手を抜いて適当に済ませようなどと考える者は一人として居ない。
海堂の戦法は止まらず、悠介が必死に対応して紙一重な攻防が続いている。
桃城とリョーマは虎視眈々とチャンスを窺い、図らずもどちらもが一発に賭けていた。
同じダブルスでも、相手が変わっただけで全く違った展開になる。全員が本気でぶつかり合い、見ていて飽きない一戦だ。
あのコートに居るのは一年生と二年生のみ。
観戦する三年生たちは頼もしそうに後輩たちを眺めている。
「みんな頼もしいな。前よりずっと強くなってる」
「そうだにゃー。ぐちぐち言いながらユースケもしっかりついてきてるし」
「彼は人一倍努力してるから。俺たちから技を盗もうと、すごく協力してくれているからね」
まるで自分の弟か息子を眺めるかのように、優しく微笑む河村が呟く。
一年生の頃から社交的で面倒見がよく、先輩との関係も良好で、自ら声をかけてよく教えを乞うていた真面目な部員だ。先に頭角を現したのはライバル関係にある桃城や海堂だったが、彼らとは異なる道を選んだが故に、彼らとは違った能力を会得している。
三人の中で、最もダブルスで優れるのは宮瀬悠介。三年生と二年生は口を揃えてそう言う。
「あとはもう少し自信がつけばね……」
「タカさんのせいなんじゃないの?」
「えっ!? 俺!?」
「ほら、ラケット持ったらさ」
言いながら菊丸が河村にラケットを渡すと、途端に目つきが変わる。
「オラオラ小僧どもォ! さっさと終わらせろよ! 次は俺が相手だ、バーニングッ!」
「ぷぷぷ。ほらね」
「あはは……強く否定はできないけど、英二や不二だってそうだと思うぞ」
「え~? 俺も?」
「ああ。それに、手塚や乾も。俺も宮瀬と同じことを思うことがあるからさ。みんなすごく個性的でプレーにも特徴があるから、気負ったり自信を失くしたり、わからなくもないんだ」
バーニング状態の河村が大声で応援する傍ら、幾分真剣な声色で大石が言う。
顔を見合わせた菊丸と不二は、ふと思い出す光景があった。
「ボウリングの時は大石だってすごく個性的じゃない」
「そうだよ。おかげで俺たち地獄見たもんな」
「あ、いや、あれはちょっと趣味で……」
気まずそうに頭を掻く大石に、二人はくすくすと笑った。
その反面、悠介が負い目のようなものを感じているのは上級生なら誰しもが感じていたことだ。まるで自分は役立たずだと自分自身を責めるかのような。
静かに目を開いた不二はプレー中の悠介を見て呟く。
「そんなことないのにな……」
誰かに伝えたかったわけではないらしい。
誰かが聞くこともなく、小さな言葉は応援の声に紛れてどこかへ消えてしまった。