ジタク警備員   作:朝神佑来

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第二話:エース(前編)

 ――こつ。こつ。こつ。こつ。

 

 

 むき出しのコンクリートは、そのヒールの音をよく立てる。

 

 地上五階。何の部屋であったかもわからない部屋の、ひしゃげた窓枠に腰かけて、私は彼女を待つ。

 神に切っ先を向けたような、ぶれた逆十字のヘイローと、修道服をたなびかせて歩く彼女。

 窓枠に座る私に向かって、まっすぐに歩いてくる、彼女。

 

 (……私は……映画を、観たかっただけ……)

 

 この廃墟において、動く影は私と彼女の二人きり。

 

 (なのに、どうして……)

 

 「素敵なロケーションを、どうもありがとうございます。リクさん」

 

 私と――ブラックマーケットにおいてすら、特級のお尋ね者の烙印を捺されている少女、花菱ボタン。

 その異質さが何から来るのか……否、それが何から何まで異質であるということは、彼女が携えたアサルトライフルを見れば嫌でも伝わる。

 

 花菱ボタンは、その黒く光る『銃斧』を黒い手袋に包んだ指先で撫でながら、天使のようににこりと微笑んだ。

 

 「ここなら。この廃墟なら」

 

 

 「どれだけ暴れようと――『外』の方々に目をつけられることは、ありませんものね」

 

 

 私は、その微笑みに対し。

 心の底の叫びを覆い隠すように、ふっと微笑みを返した。

 

 (どうして、こんな状況になっているのよ――――!!!!)

 

 

 

 *

 

 

 

 「映画を観に行きたい…………ですか」

 

 今回、ジタク組の事務所を訪れた依頼主はそう伝えた。

 

 「ええ。聞けば、ここの映画館では表では上映禁止になったような作品も観れるそうじゃない。その中でぜひ観たい代物があるのよ……」

 

 真っ黒いファーが襟を包んだ、ワインレッドのコートを正しながら、依頼主はにんまりと笑う。

 オコメとイネは顔を合わせ、オコメは困った顔を、イネは口を結んでばつの悪そうな顔をした。

 

 「……けれども私は、恥ずかしながらブラックマーケットの地理には詳しくないわ。だから、案内をお願いしたいの」

 

 そそくさとその場を離れたイネを見送り、オコメは咳ばらいをひとつ。

 

 「あー……ええ、わかりました。金さえ貰えればどんな仕事も請け負うのが、僕らジタク警備員だ。……ただ、その」

 

 「……ただ? 何かしら?」

 

 「僕の妹は十一でね……その……多感な時期だから。……あまり禁止になった代物とか、堂々と言われるのは……ちょっと」

 

 「……………………」

 

 依頼主は一瞬ぽかんとしてから。

 

 「違う!!! 違うのよ!!? 禁止って言ってもその…………そういうんじゃなくて!!?」

 

 大いに焦りを見せながら、ばたばたと突き出した両手を振った。

 

 「しかし……僕が知る限りじゃ、そういった代物はどれもエログロナンセンスを押し付けるような、お世辞にも面白いとは言い難いものばかりだけど……」

 

 「え、そうなの……? っじゃなくて、それならお尋ねするけれど……『エース』って映画、ご存知かしら?」

 

 「エース?」

 

 聞き馴染みない、と声色で示すオコメの代わりに、お茶を持って戻ったイネが答えた。

 

 「去年、外で公開されて、内容が問題視された映画だよ。……確かに、かなり刺激の強い内容だったけど……」

 

 「そっ、そう、そうよ。確かに内容は過激だけど、それはあくまで風刺とかそういった方面であって、その、八月朔日さんが想像しているものとは違うというか……!!」

 

 「そ……そっか。イネが観たことあるなら……いや、ただの護衛が内容に触れるのもよろしくないか……」

 

 ごほん、ごほんと咳ばらいをいくつか挟み。

 その横で、携帯端末を操作していたイネがその画面をオコメに見せた。

 

 「ここからだと、丁度トイシネマがお昼過ぎくらいに『エース』を上映するみたいだよ、お姉ちゃん」

 

 「あー……あそこかぁ…………んー……まあ……いいか」

 

 トイシネマ、という名前を聞いて、もさもさと後ろ髪を掻くオコメの姿に、どうかしたのかと依頼主。

 

 「あまり歯切れのいい反応ではないみたいだけれど……何か問題があるのかしら?」

 

 「ああいや、問題はないよ。ただ、今日は休日だから、知った顔と出くわすかもしれないなあって、それだけさ」

 

 「なるほど、その心配ならよくわかるわ……いや……ほんとによくわかる」

 

 思うところがあり、うんうんと頷いて答える。

 オコメは懐に忍ばせたデリンジャーと弾薬の数を数えつつ、そういえば、と依頼主に尋ねる。

 

 「名前をまたお伺いしていなかったね。呼びやすい名前を教えてもらっていいかな」

 

 外から来たお客さんが、ブラックマーケットで本名を名乗るわけにもいかないだろう、と。

 依頼主は顎に指を添え、むむと暫く悩んでから、安直だけれど――と小さく呟いて。

 

 「りく……そうね、『リク』って呼んでいただけるかしら?」

 

 「ん。それじゃ改めて……僕はオコメ、八月朔日オコメだよ。宜しく、リク」

 

 「私は八月朔日イネっていいます。よろしくお願いします、リクさん!」

 

 

 *

 

 

 キヴォトス中の淀みが集まるブラックマーケットといえど、大きな娯楽施設のひとつやふたつは存在する。

 中でもカイザー自治区に存在する『エリアプードル』は数ある娯楽施設の中でも最大級であり、『スタンダード・カジノ』や『ゲームセンター・ミディアム』といった、複数の施設が集まって出来ている巨大なアミューズメント施設である。

 キタグニ旅館自治区との丁度境目にあるため、休暇中の組員がよく遊びに来ることでも有名であり、職員はカイザー社、客層はキタグニ旅館……といったバランスでこの施設は成り立っている。

 『トイシネマ』はそのエリアプードルにある映画館であり、エリアプードル内の温泉施設『ミニチュア・スパ』と並んで、遊ぶより腰を落ち着けたい組員が足を運ぶ場所であった。

 

 休日であれば人でごった返すその場所も、平日の今日は穏やかなものであった。

 

 「……ブラックマーケットにも、平日と休日があるのね」

 

 何の気なしに、ぽつりと呟くリク。

 

 「盗みをやるにも抗争をするにも、『する日』と『しない日』の区分がある。人間、表裏を問わず社会に居なきゃ生きていけないものだから、属してるとこが決めた平日と休日の決まりを守るわけだね……」

 

 オコメはその問いに答えつつ、駐車場を歩きながらきょろきょろと目を配っていた。

 真っ白いフードはいつも以上に深く被り、横から見下ろすイネも(お姉ちゃんが丸い)と心の内に考えている。

 

 「なるほど、わかりやすい。……で、その……オコメさん? いったいどうしたの、それ……」

 

 「しっ。……できれば名前を呼ばないでもらえると助かる。あの人は大抵週の半ば、今日ぐらいに休暇を取るから――」

 

 「あの人?」

 

 しかし、小さく縮こまれば縮こまるほど、その米粒のような体は黒いアスファルトの上ではよく目立ち。

 ダカダカダカと豪快な足音が響いた瞬間、その人影は丸い米粒に抱き着いていた。

 

 

 「オコメちゃーーーーーーーーーーーーん!!!!!」

 

 「ぎゃああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 背後から飛び掛かって胴をクラッチ、ぐいいと持ち上げてそのままホールド。

 ばさばさばさばさと長い金髪が左右に揺れるのは、その女性がオコメの後頭部に自分の顔をこすりつけているためである。

 困惑で動きを止めるリクと対照的に、イネはぴしりと姿勢を正し、ぺこりと頭を下げた。

 

 「ごぶさたしてます。女将さん」

 

 「……女将さん?」

 

 聞き返すリク。ちらっと顔を覗かせてリクの顔を見る、女将。

 銀色のカラーコンタクトを入れた瞳に、ピアスが刺された厚い唇。

 白いスーツに黒いジャケットを羽織った姿は、外で見かける生徒たちとはまるで違う印象を与える。

 

 「おつかれ、イネちゃん。そちらはお客さん?」

 

 「はい。ここの映画館でしか上映されてない映画を観たいそうで」

 

 「あらやだクッソハードな性癖してんじゃん、ウケる。グロエロどっち?」

 

 「…………どちらでもないです」

 

 ぶんぶんと手を振って否定するリク。

 隙をついて女将の眉間に小さな裏拳が飛び、こんといい音が鳴った瞬間にはオコメの体は離れていた。

 

 「『エース』を観に来たんだよ、カルマ。今日は暇なのかい」

 

 「いーや、仕事。凶悪な囚人が脱走して映画観に来るらしくてね、キタグニ旅館で張ってんだわ」

 

 駐車場を見渡し、怪しい人影がいないかとこれ見よがしに探してみせる女将――カルマ。

 着崩れた白いコートを正しつつ、その返答にオコメは眉をひそめた。

 

 「しかしエースか。いいセンスしてるのね、お客人。お名前は?」

 

 「あ、はい、えと、りくは――リク。リクと言います」

 

 「リクさんね、宜しく。あーしは西条カルマ、キタグニ旅館の元締めやってます」

 

 「よろしくお願いします――もとじめ?」

 

 くいくいとリクのコートの端を引くオコメ。

 気づき、見下ろす形で目を向けるリク。

 

 「ありていに言えば、マフィアのボスだよ。キタグニ旅館自治区って指される場所は、全部この人の管理下」

 

 「…………ボス」

 

 「ぶい。よろ~」

 

 気の抜けたピースサインをゆらゆらと振るカルマ。

 

 西条カルマ、二十一歳。

 八月朔日オコメとは旧知の仲である、千人規模の組織であるキタグニ旅館を統べるトップ――自称と他称が、『女将』である。

 

 

 *

 

 

 「女将さん、それで……脱走した凶悪な囚人、って」

 

 「うん。イネちゃんの想像してる子で合ってるよ」

 

 エリアプードル二階、フードコート。

 所狭しと並ぶテーブル席のひとつに、カルマとイネは二人で座っている。

 はぐはぐとハンバーガーを頬張り、頬袋を膨らませながらイネは聞き返した。

 

 「じゃあやっぱり――花菱ボタン、さん?」

 

 イネの口の端に付着したケチャップをナプキンで拭き取りながら、こくりと頷くカルマ。

 

 「マーケットに来たのは、八月朔日姉妹と同時期だったね。あの子もトリニティの卒業生――」

 

 背もたれに体重を預け、大きな窓ガラスの外を見ながらカルマは呟く。

 

 「花菱ボタン、十九歳。元シスターフッドで、卒業と同時に姿をくらませた。同年代の正義実現委員会のひとりも、卒業を間近に控えた頃に退会してたっけね」

 

 冷えたコーラで喉を潤し、ぷあっと一息。

 食べかけのハンバーガーを手にしたまま、イネは周囲を見回す。

 空いている。いくつかの利用されている席にいる少女たちも、自分たちと同じように軽食を口にしながら談笑しているが……その実、全員がキタグニ旅館のメンバーであり、会話をしながらも周囲への警戒を怠っていなかった。

 時々本気で談笑に花を咲かせている者もいるが、それはそれである。

 

 「……ここも、壊されちゃうんでしょうか」

 

 八月朔日イネは花菱ボタンという少女の所業を知っていた。

 それを知るが故に、依頼主の護衛を姉に任せ、自身は事情を知るであろう重役と二人で食事をしている。

 西条カルマは顎に手を添え、指先でピアスをかりかりと掻き、しばし目を伏せた。

 

 「彼女には……彼女の信念がある。それだけは解ってはいる、けど――如何せん、何をしでかすか読めないからね」

 

 

 ――花菱ボタンは、敬虔なシスターであった。

 静かに手を組み、祈りを捧げれば数時間はそのまま祈り続けた。

 呼吸の音すら聞き取ることが難しくなるほど、静かに、しんと祈る姿が彼女の何よりの特徴であった。

 

 ある時彼女は、カタコンベへと足を運んだ。

 何を思い、何を知るためにそこへ向かったのかは定かではない。複雑に道が入れ替わる迷路そのものであるその場所を訪れた彼女が、何を見てきたのかもまた、誰も知ることはない。

 確かなものは、カタコンベより帰還した彼女が残した、無数の爪痕のみである。

 

 祈りを捧げる手で銃を持ち、ひとたび祈れば数時間は静止していた体を一秒たりとも休ませず、黒く光るその銃で彼女はあらん限りの破壊をもたらした。

 暴走する花菱ボタンは最後にはブラックマーケットへ突入し、ひとりの元正義実現委員会がそれを制圧、収容されることとなる。

 

 

 しかし――彼女を閉じ込めておける牢はマーケット内にすら存在せず、現状は自ら檻に入って暮らしているに等しい。

 それ故にどこかへ出かけたいとふと彼女が思えば、檻を破壊してのんびりと外出、脱走してしまう。

 彼女を管理する看守も居はするが、どちらかといえば看守は彼女の味方であった。

 

 「キタグニの戦力の大半はここに割いてる。手薄になる地域の自治はシロハタ酒屋に協力してもらってるけど――悲惨なんだろうなあ。奪われてる金目のモン、洗浄されてなきゃいいけど」

 

 「……奪われる前提なんですね。いろいろ」

 

 「取り返すついでに顔合わせて、ドンパチやりながらお話よ。ココの日常ってわけ」

 

 はぐはぐと塩気の強いポテトを頬張るカルマ。

 ぴりり、とイネの懐で電子音が鳴る。端末を手に取り、確認できたのは簡素なメッセージ。

 

 「女将さん」

 

 「ん」

 

 

 「お姉ちゃんが、花菱ボタンを発見したそうです」

  

 

 *

 

 

 エースという映画は、『ジョークエンド』というシリーズに登場した悪役を主体としたものである。

 ジョークエンドにおいて彼女は、自らを絶対的な正義と信じて止まず、民衆を巻き込んで大規模なトラップを用いて殺害するといった悪行すら『正しい』と信じて決行するような人間であった。

 その彼女を主人公とし、ただの一般人に過ぎなかった彼女が何故『エース』となったのか。その経緯を、他にない独特なストーリーでもって構成したのが、この映画である。

 

 リクは高めのジュースを一本購入し、それをストローで少しずつ飲みながら冒頭を観た。

 本当に、なんてことのない序盤である。退屈な、けれど他者の悪意によって踏みにじられる、そんな露悪的な始まり方。

 

 (……これが『エース』?)

 

 『ジョークエンド』は観たことがある。作中のエースの活躍も知っている。

 そのあまりにも凶悪で強大な、悪意と信念に満ちた彼女の非道を知っている。

 アウトローの果てを生きる者とでも言うべき姿に、憧れることはなくとも、学ぶべきところはあると思った。

 

 だが映画の彼女は、何一つとしてそのような凶悪なヴィランに繋がる要素がない。

 大きな眼鏡とショートカットの髪。特徴のない小さな少女が、コンビニバイトで客の迷惑行為に苛まれている。

 被害をうけて制服を駄目にした責任を負わされ、学生鞄を背負って重い足取りで階段を昇る、その彼女の小さな背中の前に映画のタイトルが現れた。

 

 結露にまみれたMサイズのカップを手に取り、ジュースを一口。

 どこにでもある少女の日常。どこにでもあり得る悪意がそれを歪ませる。

 ともすれば意識ですらない、社会を生きるために突き付けられる不条理が、エースと呼ばれることになる少女を苛んでいく。

 

 だんだんと。一歩ずつ、少しずつ。

 

 「…………」

 

 リクは、ああ、と気づく。

 グロテスクでもない。エロティックでもない。そんなこの映画が、なぜ公開できなくなったのか。

 

 (『あり得る』……からだわ)

 

 何も珍しいことではない出来事の連続。生きていればぶつかることもある、そしてそこまで落ち込んでしまえば避けられないような壁の数々。

 その少女は、ただ生きていくだけで歪んでいった。

 助けを求める相手もなく、助けてくれるシステムも存在せず、ただ生きていくだけで――。

 

 

 ばん、と銃声が鳴った。

 

 スクリーンの中で、エースは引き金を引いていた。

 

 だくだくと血を流して倒れている登場人物。

 先程まで彼女を苛んでいた存在だ。

 ヘイローは消えていた――否、もともとなかった。

 

 キヴォトスの外の人間は、銃弾の一発が致命傷になりうるという。

 それは同時に、自分たちが当たり前に用いている銃の一丁、当たり前に引き金を引く指の動作だけで、命を奪えるという事実でもあり。

 命を奪えるとは――相手に対し、相手の命を奪う選択肢を取れる……『優位に立つ』ことでもある。

 

 悪意に晒され、行く道のすべてがどん底へと導く片道で、歪みに歪み続けた少女は、そうしてはじめて人の上に立った。

 

 

 『報いを受けろ、クソ野郎』

 

 

 切ることを忘れてぼさぼさに伸びた長い髪の隙間から、突き刺さるような眼光があった。

 

 長い髪。突き刺すような裸眼の眼光。一切の容赦なく放たれる凶弾。

 

 『ジョークエンド』に登場する、凶悪なヴィランであるエースの姿が、要素が、ひとつずつピースを当てはめるように出来上がっていく。

 

 (なんの逡巡もなく――容赦もなく――人の命を奪える存在)

 

 (『それ』になることは、誰にでもできて……簡単に……転がり落ちることができる)

 

 からからに乾いた喉に、ジュースを流し込む。

 脳裏に浮かんだのは、自身の友達のこと。

 

 暴走しがちだけれど、誰よりも何かを思いやれる優しい子。

 いたずら好きで甘えん坊な、誰かの為に怒ることができる子。

 そんな皆を後ろで支えてくれる、きっと誰より大人に近い子。

 

 もし私が、何もしなかったら。もし私という存在が、彼女たちにとっての『悪意』であったなら。

 反転した彼女たちは、きっと容易く『エース』になる。

 だって彼女たちは――頼りがいがありすぎるくらいに、強い。

 

 強いということは、誰かを害することができ、そうして誰かの上に立つことができるということだ。

 

 いつしか終わって、これが喜劇とでもいうような軽快な音楽とともにエンドロールが流れて、まばらに席を立つ人たちのシルエットが見えた。

 空になったカップを持ったまま、巡る思考が椅子に体をしばりつけている。

 

 エンドロールが終わったあと、映画の最後でエースは言う。

 何故こんなことをしたのか。何故こんなざまになったのか。

 問いただされて彼女は、たった一言呟いた。

 

 

 「『理解できないわ』」

 

 

 全く同じタイミングで、隣に座る少女もその言葉を口にした。

 

 「……ふふっ、ごめんなさい。いつも観ている大好きなシーンだから……つい」

 

 ぽつりぽつりと明かりが灯り出し、隣に座っていた少女の姿もはっきり見えてくる。

 さらりと伸びる白い髪。こちらを覗き見て浮かぶ、黄金色の瞳。

 フードを下ろした、ゆったりした生地のその服が修道服であると気づくのに、少しの時間を要した。

 

 「……いつも……観ているの?」

 

 「ええ、ふと観たくなることが多くて。映画館で観る映画はやっぱりいいものね」

 

 かち、かち、かち。

 深く座席に腰かけながら、彼女は手元で何かの作業を行っていた。

 照明の光をちかちかと反射する小さなものを、箱に詰め込んでいる。

 

 彼女が持つそれぞれが、弾薬と弾倉だと気づいた時。 

 

 「ねえ、お客さん」

 

 黄金色の瞳が、リクを見た。

 

 

 「ここは、地獄だと思わない?」

 

 

 細めた目の、妖しい笑顔が目の前にある。

 

 「……質問の意図がわかりかねるわ。お姉さん」

 

 「アハハ、そうね、ごめんなさい。でも訪ねたいの。外は変わらないのかしら。ここはずっと大人しくて騒がしいままだから。人を傷つけ、殺害するための道具を誰もが持ち歩いて、駆けて――殺意の無い殺意が飛び交う様子は、まさに地獄だと思わないかしら」

 

 ガコ、と音が鳴る。

 弾倉がアサルトライフルに収められている。

 シスターの目はずっとリクだけを見ていた。

 

 「貴女――いったい何を」

 

 「リク」

 

 リクの視界を、正義(ジャスティス)が横切る。

 立ち上がったオコメが、地獄を説く少女に銃口を向けていた。

 

 「話さない方がいい。こいつの話は、要領を得ない」

 

 「ハハ、アハハっ。手厳しいのね、八月朔日ちゃん。『エース』の姿を見て思うところはなかったの?」

 

 「尋ねるなよ、花菱。話す気は無いんだから」

 

 リクは手を伸ばし、そっとオコメが構える正義(ジャスティス)を下ろさせた。

 

 「……リクさん?」

 

 「あら」

 

 不思議そうに声を漏らす二人。

 

 「だとしたら――どうなのかしら」

 

 ぱちぱちと瞬きを繰り返すシスター、花菱ボタン。

 リクはゆっくりと立ち上がって、そのワインレッドのコートを揺らして彼女を見下ろした。

 

 「ここが地獄なのだとしたら……私たちは何? 地獄の悪魔、それとも……叩き落された罪人なの?」

 

 「さあ……。けれど答えは、『エース』が教えてくれたわ。わたし達はきっと、どちらにもなれるの。地獄に苛まれる罪人にも、地獄に住まう悪魔にも。その違いなんてささいなものよ。だからね、わたしは――『お客さん』に聞きたかった」

 

 見下ろした彼女は、抱えるように銃を持っている。

 黒いアサルトライフルのその銃身には、見たこともないパーツがついていた。

 きらりとにぶく光る灰色の刃は、銃剣と呼ぶには分厚く、弧を描いていて――言うなれば。

 

 

 「貴女は、この地獄に――」

 

 「『居る』の? ……それとも」

 

 

 「『在る』?」

 

 

 ――『銃斧』、だった。

 

 

 がん、と重たい音が鳴り響き、扉が開き。

 ドカドカと不規則な足音が館内を揺らす。

 

 突撃し、展開したキタグニ旅館の戦闘部隊は座席を取り囲み、一斉に花菱ボタンへその銃口を向けた。

 

 「動くな!!」

 

 ……ぴくりとも動いてないけれど。

 ぽつりと口にするボタンの呟きを、リクは聞いていた。

 

 「上映は終わったようですが……気は済みましたか、花菱ボタン」

 

 長いストックの底を床に立てた、部隊の最前線に立つ櫻井アンコがボタンに話しかける。

 一触即発の緊張で満ちる館内、その渦中に立つリクとオコメ。

 

 ヒリつく空気の中で、依然変わらずといった様子のボタンは、両手をあげ(ハンズアップし)ぴたりと静止(フリーズ)しつつ、アンコの問いに答えた。

 

 「ええ! もう結構。映画は観終わったし、ここのポップコーンはお腹に合わないし……帰るわ。ルルは?」

 

 「……看守長の黒沢ルルですか? キタグニの拘置所で貴女の帰りを待っていますよ。早く顔を見せて安心させてあげたらどうですか、花菱」

 

 「そうね、そうするわ――ところで」

 

 ボタンは周囲を見渡し、展開された部隊の様子を伺った。

 視線を向けられた隊員はギュッと銃を構える腕に力を込め、即座に戦闘態勢に移れるよう心を構えている。

 この場が自分に向けられる戦意や殺意で満ちていることを、改めて確認してから、ボタンは。

 

 「銃を、降ろしてもらうことはできる?」

 

 誰もが冗談だと思う言葉を、アンコに向けて口にした。

 

 「いいや。……貴女が『何』であるかを鑑みれば――当然の対応だと思いますが」

 

 「そう」

 

 ため息をつくようにそう答えて、ボタンは目を伏せる。その瞬間。

 こん、と彼女は自身が座っていた座席を小さく蹴った。

 

 

 「なら――こう応えるしか、ないじゃない」

 

 

 その座席から、ころん、と黒く小さな何かが転がったのを目撃したのは。

 

 「伏せてッ!!!」

 

 飛び掛かろうとした体を抱き寄せられ、コートの内側に包まれるオコメと。

 咄嗟に叫び、オコメの体をコートに包んで耳を塞いだリク、その二人だけだった。

 

 それの破裂とともに、突如として館内を包む閃光と爆音。

 ブラックマーケットに生きる戦闘隊員と言えど、強烈な光と音を前にすれば、ほんの一瞬であろうと怯む。

 

 ――花菱ボタンがこの場から脱出するのに必要な時間は、それで十分であり。

 

 視覚と聴覚を奪われながら、感覚だけでアンコが振るった銃剣の先が、飛び去るボタンの修道服の端をわずかに切り裂いた。

 

 やがて収まる、光と音。その場にいた者たちに、少しずつ取り戻されていく視聴覚。

 コートから顔を覗かせたオコメが見たのは、未だ目を伏せながらも通信機に向かって叫ぶアンコの姿だった。

 

 「モナカッッ!! 花菱ボタンが十番シアターから逃走ッ!! 作戦行動に移って!!!」

 

 

 *

 

 

 





 【花菱ボタン】
 19歳。使用する銃器は『ラメント』。
 バレルを改造し、銃斧を取り付けたガリル・アサルトライフルマシンガン。
 元シスターフッドのメンバーであり、学生時代は敬虔な聖職者だったが
 ある時「神を見つけた」と歓喜し、トリニティ自治区にて大規模な無差別テロを行い
 最終的にブラックマーケットへ進行したことで拘束され、以降マーケットにて監禁されている。

 重度のカフェイン中毒でもあり、戦闘時にはカフェイン錠を嚙み砕いて接種している姿も見受けられる。
 学生時代から犬耳かざりのついたローブを愛用しており、今でもそれを着用していることから
 マーケット内、キタグニ自治区においてシスターの姿にひどく怯える住人も多い。
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