疼らく境界   作:熾烈

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生きてます


二十一話 小話

 

 

 1月、空気が硬く、音は弧を描く。

 高い空の色は見ていると、虚空へ吸い込まれる感じがする。

 意識が遠くなる。視界が狭くなって、焦点が定まらなくなって、端の景色を消す。蒼だけが目に入る。

 ああ、おかしくなりそう。

 

 景色は首の痛みで地上に戻った。

 世界のスケールの変化と、情報量の多さに目の奥が痛んだ。

 

  

 土手の階段に座り、冷たい風を浴びている。ただぼーっとしてた。

 「始紀さん、、、」

 声の主は巫条霧絵だった。

 「空はどうでしたか? 飛べそうでしたか?」

 「いいえ、落ちそうになったわ」

 あれは、飛ぶというものじゃなかった。

 足音がして、隣に彼女が腰を下ろした。

 「.......私のこの身体、全く同じで健康。だけど、どこか私のものじゃない気がするの。

 不思議よね。落とされた筈なのに、未だに浮いているの」

 

 その声に哀しみは無い。

 以前、橙子が逃走には二種類あると言った。意味のない逃避行は浮遊なのだと。

 彼女は生から逃げていた。そして今は死から逃げているように見える。死なないことに意味はあるのかもしれない。でも、生きることに意味が、目的があるのだろうか。

 結局のところ、彼女は浮遊したままだったのか。

 

 「……貴女は、、」

 「それは言わなくていいの」

 

 穏やかな顔。

 

 ああ――最後には、いや、最後までしっかり飛翔してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1998年12月

 

 「メリークリスマス」

 西洋の文化で聖人の生誕を祝う日で、贈り物が貰える。

 始紀が手渡してきたのは小さな小包。

 「開けても?」

 「もちろんよ」

 ゆっくりとその包装を解いてゆく。

 現れたのは日記帳だった。

 

 「日記……」

 群青色のハードカバーには私の名前が入っている。

 「あまり気の利いた物じゃなくてごめんなさい。

 私の押し付けだけど、貴女のこれからを綴って欲しいの」

 

 少し眉を寄せて、申し訳無さそうな顔を貴女はする。

 

 「いいえ、十分嬉しいわ」

 その日記帳はしっかりとした重さがある。その感触が心地良い。

 落ちた私だけど、逆に言えば、あとは上がるだけ。この日記帳に名前を付けるとしたら飛行記録にしようと思う。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 あれ以来、私は記録し続けている。初めは、今日の出来事、私の感想をつらつら書き述べていただけだった。

 しかし、今になっては私の日記と言えるか怪しくなってきた。

 書いてあることは、言うなれば「柊始紀の観察日記」だろうか。気が付いた時は動揺したものだ。

 

 身体が作り直された際、少し若い身体になった。20代後半だったのに、今や10代。人形師曰く、サービスらしい。心は身体に引っ張られたのか、若い熱情が湧き上がってくる。

 

 

 探したが、お目当ての人物は見つからなかった。

 家の人に聞くと、河原へ向かったらしい。

 

 冬の朝は寒い。私だったら家にこもっていると言うのに、あの人は平然と、震える素振りさえない。

 土手沿いを歩いていれば、知っている背中姿を見つけた。階段に腰掛け空を見上げている。

 

 それは、かつての私にそっくりだった。

 空に魅入られている。

 

 かねてより、彼女の存在はどこか浮いているように感じていた。蚊帳の外というより、別の視点を得ているような。

 

 霧絵には分からないが、それはあながち間違いではなかった。

 

 「始紀さん」

 遠くへ行ってしまいそうで、声をかけた。

 

 「.......私のこの身体、全く同じで健康。だけど、どこか私のものじゃない気がするの。

 不思議よね。落とされた筈なのに、未だに浮いているの」

 なにか熱に浮かされたような感覚。

 

 「……貴女は、、」

 「それは言わなくていいの」

 だから、そんな哀しそうな顔をしないで。

 この思いに名前をまだ付けたくない。

 

 辛そうな彼女を安心させるために、めいっぱい微笑んだ。

 

 貴女となら、いつまでも飛んでいられる気がする。

 

 

 

 

 

 


 

 〈glasses off〉  Voice only

 

 

 

 

 

 

 「ねえ、橙子。なんか霧絵の体、若くなってない?」

 「ん? 気の所為だ、と言いたいところだが、ちょとしたサービスだよ」

 「サービス? 趣味じゃないの?」

 「いや、まあ、失われた時間を与えようと」

 「ふーん。そんなのベッドの上でも出来るわよ」

 「………」

 「何よ」

 「あぁなるほど、さっき私が言った言葉に掛けたのか。マルセル・プルースト『失われた時を求めて』だな。良い趣味じゃないか」

 「どうも。いったい何を考えたのかしら。

 で、本音は?」

 「肉体と精神は密接だ。医療でも、魔術でも。精神は肉体に引っ張られるし、その逆も然り。若い方が何かと良いんだよ。気力や生気、情熱。生きて欲しいんだろ?」

 「……ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 〈glasses on〉  Voice only

 

 

 

 

 

 

 

 

 「前頭前野服内側部を損傷すると、性格って変わるの?」

 「…………フィニアス•ゲージが良い例だ。鉄パイプが彼の頭を貫通し、前頭葉を破損させたが、驚くべきことに彼は死ななかった。しかし、記録によれば"彼はゲージではない"と言わしめる程性格がこの事故の前後で変化したそうだ。

 そして前頭前野。大脳の一部であり、記憶や感情、情報処理の機能がある。そんな一部が傷つくと、判断能力に難が生じるのは想像できる。他にも障害が出てくるが、いまだに脳について分かっていない事が多い。」

 「そうね、私達の脳が死を理解しているだなんて、意味分からないものね」

 「関連してアイオワギャンブル効果というものがある。これは合理性に欠けた、ハイリスクな選択を好むというものだ。これもやはり前頭葉と関係が深い。

 ふむ、お前なりに自分の状態、式の状態を考察してみた訳か」

 「でも、ほとんど無駄骨なものだけどね」

 「そう言うな」

 




脳欠損、アイオワギャンブル効果、について
授業で習った聞いただけです。専門ではないので、信憑性が低いものとお考え下さい。
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