「あの時、映画の神は私に微笑んだの」
「彼との出会いはそうね、脚本家から送られた台本に目を通した時のこと。台本で描かれる男性の役柄が余りにも常識から逸脱したというか……人間味のあるサイコパス。とても複雑なのよ、そんな男を演じられる役者が居るのかと頭を抱えたのよね」
「このままではこの作品がCGで誤魔化した上出来のホームビデオ、B級作品のようになるなんて嘆いていたんだけれど、ふふ……失礼。それでハリウッドの街を歩いていたらね、居たのよ彼が。優がね」
「笑みを振りまきながらホットドッグの売り子をしていて彼の可愛さ目当てで並んで居る人に向けられていた呆れていても軽蔑していない視線っていうの? 男が女性に向ける心底嫌そうな感情が含まれていないのを見て、思わず声をかけたの。君をスターにさせてくれない?って」
「そして彼は私の手を取ってくれた。神は私と彼の出会いを祝福してくれただけじゃなくて、彼の事も溺愛してくれていた」
「実はこの作品の登場人物で彼が台本通りに喋った事は一言も無かったわ。もっとこう話した方がより魅力的だと、彼は私達に新しい扉を開いてくれた。彼のセリフの時だけ台本はトイレットペーパーに変わったの。艶やかで謎のエロスを感じさせるカメラワーク、男性の新しい魅せ方。彼は天才的よ」
「天才で小悪魔で、そして美しく優しい俳優」
「彼は必ず映画界に名を残すでしょうね」
◆◆◆◆◆
「……彼の第一印象? ……御伽の国から来たの?かな」
「君達はやれ可愛いだ美しいだの、外見ばかり気をとられてるけれどね、彼の本当の良さは内面だよ。休憩の時に微笑む彼が堪らなく素敵なんだ、私が知っていた俳優といえば君は危篤患者なのかいってくらい皆の前に顔を出さない、出したとしても一瞬愛想笑いすらない、撮影が終わったらそそくさと帰る。そんな無愛想な人ばかり」
「でも彼は違ったんだ」
「お昼ご飯は必ず誰かと食べてスタッフが買ってきたドーナツを頬張り、木陰で昼寝なんて日常茶飯事。打ち上げの飲み会ではウイスキーをラッパ飲み。彼とのお昼ご飯は一日のルーティンと化していたよ。愛想笑いではない本当の笑顔を皆に見せてくれたんだ」
「役柄としての彼もとても強く、素敵だった。ただ私がセリフを飛ばした瞬間笑わせようとボケに走るのは尚早過ぎると思うんだ、思い出す事もあるかも知れないじゃないか? 君はどう思う?」
「ん? 彼が好きかって?」
「……ふふ、うん好きだよ、どちら側でも。次回作が楽しみだね」
「あぁ、それでは予告を見てほしい。因みに予告は2種類あるから、両方見てくれ。一つは真面目な予告と、もう一つは私も好きな予告だよ」
◆◆◆◆◆
『1分で分かるアメコミ映画化』
『とある予告に声を入れろというミッションを問答無用で受けさせられたのでそこそこ頑張ってみようと思うんだけれど』
『そんな私の今回のお仕事は脂でぬったぬたになっている、この食器用洗剤で洗いたくなるハゲデブおっさんを殺すこと』
『それなのに、この茶髪のデカパイちゃんは邪魔をするわ。おっさんの部下の雑魚は湧いてくるわでもう大変。殺しても殺しても涌いてくるとかゴキブリかよって言いたくなるくらい』
『さてさて……濡れ場が来たぞぉ。透け透けのシャワーシーンだけど御代を請求されたくない人は目を閉じとけ。私の柔肌は少々高いんだ。ん? 見た? ではそうだね』
『
『正直濡れ場以外の見せ場なんてこの映画にはありません。今出ている戦闘シーンはミステイク』
『これもミス。それもミステイク。本編という名のミステイク。あ、ほらほらこの返り血浴びて笑顔をキメてる私最高に可愛いくない?』
『あらあら そんな私の様子気になっちゃった? じゃあこの映画見るしか無いでしょ、性癖歪んじゃっても良いなら見ちゃっても良いんじゃない?』
『それでは皆さん。
◆◆◆◆◆
新作映画予告。鉄板演出の映画泥棒。
そして製作会社のロゴが現れてスクリーンを見つめる観客の期待は高まっていった。有名作品の映画化、ファンの期待を裏切ることのない戦闘シーン、原作以上とも言えるヒロイン俳優の存在、役柄が映画弄り予告とも言えない宣伝を行う新しい告知の仕方と視聴側の興奮は見る前から擽られていたのである。
しかし開始して1分、映画都内有数の巨大スクリーンは音も無いまま暗闇に包まれていた。数名が首を傾げて固唾を呑んで行く末を見守ると、ふと……暗闇の中で布切れが擦れる音が鳴る。そしてその音と共に金属同士が擦れる音が静寂な座席に鳴り響いた。
『さてさて』
『ハサミに弓ノコ、ノミにドリル。メスと……あとは半田ゴテも用意しようかな』
『まぁこのような準備でいいでしょ』
『さてさてお楽しみの拷問の時間だ、……こんな素敵な女性に色々してもいいなんて思わず勃起してしまいそうだよ』
『……あぁおはよう。お目覚めかな?』
『目隠しをしているんだ、何も見えないだろう。まぁ辞世の句代わりに私の御尊顔を拝ませてやるのも悪くはないが、今はこっちの気分でね。雇い主から君を痛めつけて殺すようにお願いされている』
重い鈍器を思わせるぐもったモーター音が、喧しく鳴った。
『今手に持っているのは木工ドリル。それをだ』
『足の指に突き立て』
『回す』
再びモーター音が鳴り響くと血肉が削られ弾け飛ぶ音が歓声を上げ、固形物をキリが削り取る音が拍手を鳴らした。口に含まれた布切れを食い千切る勢いで肺を空にして鳴く声はモーター音に比例して大きくなる。それの大きさを表すようにガタガタと拘束されている椅子が軋みコンサートを彩る。
『あぁ……その顔とても素敵。正直イキそうだよ』
『指に穴を空けたら次は君の子宮を取り出そう』
『そして膣をしごいてあげる』
『何人もの娼夫をそれで咥えた事はあるけれど、実際に膣をしごかれたことはないだろう?』
『君ならイケるんじゃない? もしかしたら逝くかもしれないけど、簡単に逝かないでくれよ? お願いだから』
まるで耳元で囁かれたその囁きは次第に遠くなり、シーンはネオンに照らされたタイムズスクエアに飛んだ。
◆◆◆◆◆
場面は代わりニューヨークのオフィスの一角。木彫のデスクを挟み茶髪の女性と金髪の妙齢の女性が話し合っていた。ソファにふんぞり返るように深く座り、金髪の女性が胸元から1枚の写真を取り出す。写真に写っていたのは五十路近くの頭髪が寂しくなった小太りの男性。その写真を机を滑らせ相手の元へと差し出した。
『この写真の男を護衛しろってこと?』
『そうだ』
『それにしては随分と金を出すのね、金払いが良い客は嫌いじゃないけれど…………こうもキナ臭いと勘ぐってしまって夜も8時間しか寝れないね』
写真を見つめていた茶髪の女性の視線が、相手を射抜く。固くなった雰囲気を柔らかくするようにアメリカンジョークを交えてみたが、それに気づかずか相手の顔は苦虫を噛み潰した様子のまま。
『ぐッ……ここだけの話、別の組織がそいつの殺害をとある奴に依頼したんだ』
『とある奴?』
『こいつだ』
再び胸元から1枚の写真を取り出された。机へ投げ捨てられたそれに映っていたのは舌を出してウインクしている一人の東洋人。
黒髪、黒目、癖が無いストレートというだけでニューヨークの街では珍しい、それに可愛げもある。しかし写真の様子ではネロとブービエ・デ・フランダースを連れ去った愛くるしい天使などではなく破滅に誘う悪魔のような存在なのかもしれない。
無言で想像というコニーアイランドを泳ぐ彼女を肯定するように、写真を投げた相手は上を見上げ煙草を咥え火を付けると紫煙を大きく吐き出した。
『ただの
『ふゥん?』
『対象が男なら出会ってすぐに股間に鉛玉ブチ込んでくる。噂じゃあそいつは男には興味が無いらしくてね、女性が好き……らしい。あくまで噂だ』
『そいつに気に入られるやつは前世でどんな悪行をしたんだか……』
『ファザー・テレサも笑顔で殴る所業だろうよ』
◆◆◆◆◆
男にとってブランドとパーティーは切ろうにも切れない存在らしい。命を狙われているのに悠長な物だと、視界の隅で活きの良さを見せ付ける男を捉えつつ女は内心独り言ちた。安物のチョコレートを口に含みウイスキーを一口含む。人工的に作られた甘ったるい味をアルコールとスモーキーな匂いが胃の中へと導いてくれた。
『やぁ
突然、丸椅子が軋む音が聞こえ振り向けば件の男が柔らかな笑みを浮かべてそこにいた。白いスーツに黒髪という注目を集める出でたちではあるが周りが興味を示した様子はない。女の直感が警鐘を鳴らすが男は気にしていない様子で横の丸椅子へと腰を掛ける。彼の手にしたグラスに浮かぶ氷が音を立て琥珀色の液体に沈む、しかしその音は周囲の喧騒に飲まれていった。
『お前は……』
『私のことを調べているのは知っているよ。随分お熱じゃないか。嬉しいね美人に私生活のことも調べ尽くされるなんて。……サインは要るかい?』
脇に固定されたガンホルスターに自然と女の指が伸びる。
『待って。ここでドンパチするつもりはないよ、発情したら屋外だろうと交尾をおっ始める犬畜生とは違う。勿論私は
彼女が銃を構える素振りに対してウイスキーを嚥下する男。身体を回し向き合うように見つめ返せば視界で二人の男が非対称に自己主張している。こちらに微笑みながら腹に何を隠してるかわからない男と五指に指輪を嵌めて醜く財を見せ付ける男。天地も差があるそのコントラストを視界に収め続けながらゆっくりと彼女の唇は開かれる。
『どうして殺しを専門にしているんだ?』
『童貞なんて意外かい、って答えも用意していたのにスルーされたようで残念。そうだねぇ……気持ちがいいから?苦痛でも快楽でも何でもいいんだ、女性が私の手で顔を歪めさせられる、美人であれば美人であるほど……それが堪らなく気持ちよくて、射精しそうになるんだよ』
彼女の眉間の皺が濃くなった。
『まぁ嘘なんだけど』
『馬鹿にしているのか』
『お生憎様、明け透けにするほど私の風通しはよくはない』
そう男の吐き捨てる様子に深く息を吐きながら女は肩をすくめる。
『……』
『それに男はミステリアスな方が素敵じゃないか』
その様子を玉を転がすように笑み、男はもう話すことはないと椅子から立ち上がった。
『それではね、また会おう』
◆◆◆◆◆
ビルのエントランスで男女は互いに背を向けて大勢の男に手に持った拳銃の銃口を向けられたまま囲まれていた。五十路の男が青筋を立てて中二階の手摺を掴んでいる。木製のそれは握られる度に軋み悲鳴を上げるが男はそれに気が付かない。鼻息の荒らさに比例して男の部下も、銃を握る指先に力が入る。
『これだから! 女は信用出来ないんだ!!』
『だそうだよ?』
『うるさい』
『貴様もだ
男女の片割れはホルスターに仕舞われたデザートイーグルに指を掛けながら見下ろす男を厳しい視線で睨み付けていた。もう片割れは唾を散らしながら叫ぶその様子を見ながら肩をすくめる。
『おぉ怖い怖い。ねぇ今だけ手を組まない?』
『なに?随分弱気なんだね』
肩をすくめつつもう一人にだけ聞こえる声色で、二羽の鳥は囀り合った。猿の怒号、トリガーに指がかかり樹脂が軋む木々のざわめき、森林には似つかわしくない無機質な広場ではあるが二人には周りの喧騒は聞こえていない。
『頑張るというのはあんまり好きじゃないからね。ベッドの上でも腰を振ってもらう方が好きだよ、私は下から眺めているだけ』
『良い身分だこと』
『肉体労働は専門外なんだ。弾を出すのは任せて、得意だからさ』
『お前のことは信頼はしていない。でも……その腕は信用はしている』
『お褒めに預かり恐悦至極、目を閉じて耳を塞いで』
すくめていた手を下げられた瞬間、男のコートの中から筒状の物が二人の前へと落ちていった。そのまま耳へと這わされた男の右手の小指にはピンが引っ掛かけられており、それを周囲がスタングレネードだと気付くのは爆発してからの事であった。
◆◆◆◆◆
『さて……今回は内容が内容だ、ターゲットが死んだことは見逃そう。第一責める人間はこの世には居ないからな。次からの依頼だが、とある人間とペアを組んでほしい』
『ペア? 』
『かなりのじゃじゃ馬でね、マンデーサイレンスもびっくりの気性の荒さだ。私だってこいつと話すときは尻に氷柱を突っ込まれてる気分になる』
『嫌な予感がするんだけれど』
『入ってくれないか?』
『やぁこんにちは。おや
『
『出会った頃から口調が安定してないね、キャラクターがぶれぶれだ。満月にはまだ早いんじゃないかな?』
『誰のせいだと思っているんだ、小悪党の捨て台詞を吐いて消えた癖に』
『怒っちゃダメ。血圧上がっちゃうから。乳酸菌摂ってる?』
『仲良く頑張ってくれよ……ヴァージン共』
◆◆◆◆◆
観客の反応は様々だった。恍惚とした表情でスクリーンを見つめ余韻に浸る者。未だに子供のように目を輝かせている者。空になったポップコーンの容器を持って席を立とうとする者。心底疲れたと溜め息をつく者。多様な反応ではあるが、その中に作品に対して嫌悪感を露にする者は居なかった。
黒の背景を背にし流れ始めるエンドロール。ポツリポツリとクレジットに興味を示さない観客が立ち始めた時の事だった。スクリーンが明るくなり中央で自己主張していた文字の羅列が画面端へと追いやられる。再生されたのは冒頭のワンシーンだった。
『今手に持っているのは木工ドリル。それをだ』
『足の指に突き立て』
『回す…………回す…………回す』
『スタッフさんこれバッテリー切れてない?ちょっとお願いします』
『すみません切れてました』
『……あ、切れてた? ごめんなさいお待たせ』
『あぁその顔とても素敵。正直イキそうだ』
『指に穴を空けたら次は君の子宮を取り出そう』
『………………ごめん中身飛んだ。あー……膣をしごこうだねOKOK』
『あぁ……その顔とても素敵。正直イキそうだ』
『指へ穴を開けたら次は君の子宮を取り出そう』
『そして膣でしごいてあげる』
『……んん? ごめんごめん、私に膣はないね』
『膣があったらびっくりだけど』
『アンジェうるさぁい』
『やぁ
『………………やぁ』
『今夜空いてる? セリフが飛ばないように耳元で囁きながら昇天させようか?』
『魅力的な提案だけれどね。それを受けたら私は夜道を安心して帰れなくなる。ごめんごめん、もうワンテイク』
『童貞なんて意外かい、って答えも用意していたのにスルーされたようで残念。そうだねぇ……気持ちがいいから?苦痛でも快楽でも何でもいいんだ、女性が私の手で顔を歪めさせられる、美人であれば美人であるほど……それが堪らなく気持ちよくて、射精しそうになるんだよ』
『まぁ嘘なんだけどね』
『ぶふッ ごめん、ごめんなさい。本当にふふ』
『今吹き出す要素あった?』
『お……思い出し笑いで』
『止まるまで休憩にしましょうか』
『お前のことは信頼はしていない。でも……その腕は信用はしている』
『お褒めに預かり恐悦至極、目を閉じて耳を塞いで』
『あッ……ごめんピンごと吹っ飛んだ』
『ドンマイドンマイ』
『これ指を奥まで入れたら抜けなくなるんだよね……』
『
『…………かひゅぅッ!!』
『カットッ!!』
『大丈夫かい!? スタッフ! スタッフッ!!』
『おえッぷ。……見て見てティンカーベル。……嘘!冗談!カメラ回してないで早く助けて!! 』
先程までの真剣な演技とは違うコメディアンのような素の雰囲気に観客達は声を上げて笑ってしまう。だがそれを咎める者は観衆には居ない、皆が皆そのエンドロールを楽しんだのだった。