罪を憎んで神を憎まず   作:楠木に住まう天使

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世界を知れども己を知らず

 

 

 文字を写す。原本の詞を変えず、大元の意を換えず、あるがままを書き写す。そこに自らの魂を刻むことは許されず、作者の魂を転写することこそ尊ばれる。丁寧にすられた墨を、匠の手で作られた筆をもって、紙面に滲ませる。その行いは慎重でなければならず、同時に迅速でなければならない。そうでなければ、十万にも及ぶ美しき単語で表される世界を、短く儚き人の生の中で遍く写すことなど不可能だからだ。

 

 六畳一間の寝室に、書棚と布団と机と私。所狭しと押し込まれつつも、その狭さすら心地いいのだと筆を走らせる。

 

 そうして生み落とした傑作、しかしてその面に自らの名を刻むこと能わず。奥付にただただ慎ましく、小生の名を添えるのみ。かくして写本は誕生する。そこに私の世界はなく、魂すらない。

 

 写本家としての誇りはあれど、欠片の迷いがないわけでもない。我が血を飲み、我が肉を食み、我が時を糧として産み落とされた我が子に、名をつけてやる事すら出来ぬ虚しさ。肉体を削れど、魂を与えられぬことへの悲嘆。

 

 そんな迷いを片隅に、今日も言の葉を写す。ゆらゆらと揺れる蠟燭の火は、私の心を映すよう。美しき作品を後世に残す写本家は、正しく世に必要なのだと納得するには、まだ己は若く未熟なのだろうか。

 

 悩みを抱えたままでも仕事は終わらせなければならない。納期はもう過ぎているのだと、自らを叱咤し黙々と作業を進める。

 

――――唐突に、蠟燭の火が搔き消え、部屋を静謐な闇が支配する。夏だというのに妙な寒気を感じるのは、陽光の及ばぬ夜だからであろうか。暗闇のせいか寒気のせいか、いらぬ妄想が掻き立てられ、果ては妙な視線まで感じる始末。

 

「奇妙な夜だ、物の怪の類でもいるのか」

 

 奇妙な夜と言えば、私が生まれる以前、母の胎にてうたた寝していた時に起こったとされる昔話を思い出した。母はその時のことを、心臓をつかまれたかのような錯覚と共に気絶するように眠り落ち、夢の中で恐ろしい仮面の物の怪に会った、と幼かった私に話してくれた。

 

「……下らない。あのような戯言に心乱されるほど、もう幼くはない」

 

 ずっと机に向かって作業していたから疲れたのだろう。そう自らを納得させ、意識を切り替えるために顔を上げる。 

 

―――――――――目が合った。

 真っ黒な世界の中、男の目と鼻の先、三寸ほど前方、そこには不気味な文様の白い仮面がぼんやりと浮かび上がっていた。

 

「―――!?」

 

 反射的に体は仰け反り、言葉を発することも出来ない。頭が真っ白になり、身体は数舜呼吸を忘れる。

 

「ミ、ミエ……テルヨ、ネ?」

 

 仮面の物の怪は言葉を発すると同時に、白くぼんやりと光る腕らしき部位をこちらにヌユリと突き出してくる。とっさに身を捩り何とか躱したが、突き出された腕が先程まで座っていた畳に穴をあけたことで、仮面の物の怪が如何に危険かを理解させられた。

 

 追撃が来る前に離れなければと、四つん這いのまま寝室を抜け出す。何とか立ち上がり廊下を駆け抜け、室外へ躍り出る。

 

「!?追ってきてる!」

 

 ちらりと後ろを振り返ると、仮面の物の怪が迫ってきており、更なる逃走を余儀なくされた。人間の全速力は数十秒ももたない、そう頭で理解していても、足を緩めることなどできない。走って、走って、走り続ける。

 

 仮面の物の怪の足音が徐々に小さくなっていくことから、私のほうが速いのだとほんの少し安堵した…………途端、右足首に何かが巻き付き派手に転ぶ。

 

 肘や膝が擦り剝け、痛みで涙が滲むが、何とか状況を把握しようと右足首に目を向けると、白い触手のようなものが絡まっており、更に後方を見るとそれが物の怪の口辺りから出ているのだと分かった。寝室では闇に隠れていた仮面の物の怪、その姿を月の明かりが世界に浮き上がらせる。

 

 大人の男と比べてもさらに二回りほど大きく、腹部に当たる部分はでっぷりと太っている。長い脚を折り曲げ、両の手を地につけるその姿は蝦蟇さながら。――――正しく、化け物だ。

 

 少しずつ、身体が物の怪の方へ引きずられる。擦り傷から染み出た血が、地面に赤黒い線を引く。痛みと恐怖で頭がどうにかなりそうだった。夢であってくれと願うも、他ならぬ彼の五感が、非常にも現実であることを告げる。物の怪は大きく口を開けている。このまま食べるつもりだろうか。

 

「…………嫌だ」

 

 死にたくないと、自然と口か出てきた言葉は、彼に死に抗う気概を与える。身体はかつてないほどに熱を帯び、感覚がスローモーションになり、脳は様々な情景を思い起こす。苦難の絶えない屋敷で生まれ育ったこと。私があんよも出来ぬほど幼き頃に死んだ父。病魔に苛まれて尚、私を育て上げた母。

 

 一説には、人が走馬灯を見るのは、自身の記憶から死を回避する術を見つけるため、と言われている。今は亡き両親との想い出は、現状を打破する術を与えてはくれなかった。だが、両親らが繋いでくれたこの命だけは無駄にできないと、そう思わせてくれた。脳は生きる術を、魂の奥深くまで模索する。

 

 その行為が、本来目覚めることのなかった、男の魂に融合した欠片、それの所有する記憶を呼び覚ます結果となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 過去(現在)を視た。死の存在しない、よって生の定義すらあやふやな世界。進展も後退もなく、あるのは無価値な霊子(れいし)の循環のみ。人が(ほろう)と呼ばれる化け物に堕ちることも、そこでは霊子の循環の一つに過ぎなかった。

 

 しかし虚が他の魂魄(こんぱく)を喰らうようになったことで、世界は緩やかに、完全な停滞へと向かう。虚は人を襲い、時には同族で喰らいあう。すべての魂魄が溶け合い、一つの巨大な大虚(メノス)と化すのはもはや時間の問題であった。

 

 だが、その結末を世界が拒むかのように、虚に対抗できる力、異能を持つ者たちが生まれた。その中でも突出した力を有していたモノ、霊王(れいおう)はその全能なる力をもって虚を滅却し、霊子(れいし)の砂と化して世界の循環へと返すことが出来た。だが虚を滅し続けても、世界の停滞を止めきれないことは明白だった。

 

 そして、世界が停まってしまうことをよしとせぬ者達がいた。霊王には及ばない、しかし強い力を持った五人の異能者たち。彼らは動機は異なれど、今の世界を現世、尸魂界(ソウル・ソサエティ )虚圏(ウェコムンド)の三つに分離させ、世界に新たな循環の形を、という目的が奇しくも一致していた。その遂行に必要となるのは全能の楔、即ち霊王の犠牲が必須であった。

 

 異能者の内の一人が霊王の説得にあたったが、その隙にもう一人が不意を打って霊王を水晶に封じ込め、楔とすることに成功した。こうして世界は三つに分かたれた。

 

 

 現在(未来)を視た。かつて停滞に向かっていた世界は、全能なる楔により新たな輪廻の形を得た。現世で死して(プラス)と成った魂魄も、虚へと堕ちた魂魄も、皆等しく尸魂界へ送られる。世界に循環をもたらした五人の異能者達を源流とする、死神(しにがみ)達の働きによって。

 

 

 未来(結末)を視た。霊王の肉体から分かたれた全能の片割れの手により、水晶に封じられた霊王に突き立てられた刃。空っぽの肉体に刺さるそれを、オレンジ髪の死神が引き抜く。刀を通してオレンジ髪の死神の血に、滅却の力の源が侵入し、死神は驚愕の表情のまま刃を薙ぐ。割かれた霊王の肉体は地へと落ち…………そして、―――――世界は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男に仮面の物の怪と称されたその虚は喜びに打ちひしがれていた。霊体(れいたい)である自身を視認できるほどに濃い魂を、今に喰らうことが出来ることに。虚が舌を巻きとる度に、男は虚に近づいていく。待ちきれないと言わんばかりに虚が大口を開ける、すると突然、小さな痛みが虚を刺激した。

 

「……?」

 

 虚が舌で足首を捕らえた男は、往生際悪く虚の舌に嚙みついた。舌の切断には至らない、がほんの小さな部分を嚙みちぎり、傷口に指を突っ込んだ。

 

「――!?」

 

 思わぬ反撃に驚いた虚は、舌に横波を加え男を地面に叩きつける。背中から打ち付けられた男は一瞬呼吸が止まるが、虚の傷口を抉る行為をやめない。流石に鬱陶しくなった虚は、男を投げ捨てる。拘束が解除された代わりに、地面を数度バウンドした後、仰向けに倒れ込む。体は血と泥で汚れ、着物はボロボロ。その男の命は誰の目にも風前の灯火に映る。

 

 だが、男は立ち上がる。その目に諦念や絶望の色は見られない。逃げだすときに指に付着してしまった墨汁と、虚の傷口を抉った時に同じく指に付着した虚の血を男は眺めた。どうすればよいかは、本能的に理解していた。その血と墨に塗れた指で、自らの額に何かの文字を書く。

 

 その行為が何を意味するのか虚は知らなかった。未だに虚は、自らに痛みを与えた男をどう食ってやろうかと考えていた。

 

「…………――」

 

 男の放った言葉が虚の耳に届くことはなかった。なぜならば、男の指先から放たれた無彩色の力の奔流が、虚の頭を消し飛ばしたからだ。何が起きたかも理解できぬまま、虚の下半身は地面に倒れ伏す。虚の下半身はビクビクと痙攣し、やがて動かなくなった。その様子を無表情で眺める男は、虚から逃げ惑っていた時の雰囲気とはかけ離れていた。

 

 男は腕を組み思案する素振りを見せながら、自らの屋敷への道を歩む。虚に追われていた時とは異なり、ゆっくりとした足取りで。

 

 寝室に戻ってきた男は、惨状を目にする。寝る直前まで仕事ができるようにと男が配置した机は、虚に踏みつけられ大破、写し取った作品達も無残に畳の上に散らばっている。仕事道具である筆も同じく転がっていた。

 

 男は無造作にその筆を手に取る。普段から使っていたそれは、恐ろしいほど手に馴染んだ。瞼を下ろし、もう一度何かを思案する素振りを見せる。

 

 どれほど時間がたっただろうか。ゆっくりと瞼を上げた男、その目に僅かの迷いもなく、確かな覚悟の灯を燈していた。

 

 

 

 

 

 

 

 その日、現世に在任していたとある死神が、死神の力の一部と斬魄刀(ざんぱくとう)を奪われた。一般人への死神の力の譲渡は重大であるが、相手が只者ではなかったことに加え、明らかに敵対的な行動をとったことから、その死神が死罪に処されることはなかった。

 

 寧ろ四十六室は、死神の力を手にした下手人が良からぬ行動を起こす前に対処すべし、として護廷十三隊(ごていじゅうさんたい)に下手人を捕らえるよう命じる。

 

 下手人の特徴は力を奪われた死神によって伝えられ、瀞霊廷(せいれいてい)中に手配書が刷られたが、下手人が現世で見つかることはなかった。それもそのはずだ、瀞霊廷が行動を開始した時にはすでに、男は現世にいなかったのだから。

――――もしその時代に技術開発局(ぎじゅつかいはつきょく)が存在していれば、あるいは男の行方を捕捉できたかもしれないが。

 

 




読んでいただきありがとうございます。

以下伏字だらけの設定
虚の強襲によりオリ主が目覚めさせた力は、■■■。
その名称は、トランスクリプション・オブ・ザ・ソウル。
オリ主は霊王の■■を宿している。
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