嘗て、死も生もなかった時代、虚が人の魂魄を喰らうようになったことで、世界は停滞の一途をたどっていた。そんな中霊王は、全能なる力で虚を滅却することで、かろうじて世界の循環を保っていた。
そして、その滅却の力が自らに向くことを恐れた者がいた。後の五大貴族の一角、綱彌代家の始祖とも呼べる存在だ。
その恐れは、霊王を水晶に封じて楔とした後ですら、なくなることはなかった。綱彌代家の始祖は、いずれ霊王が自力で封印を解いて、自身が滅却されるのではと危惧し、他の始祖と結託して、時間をかけて霊王の力を削り続けた。両の手足を切り落とし、臓腑という臓腑を刻んで本体から切り離した。
霊王本体から切り離された欠片の行き場は様々だった。尸魂界の流魂街に落ちた霊王の右腕は、土着の神として祀られ、やがて一人の死神に宿った。霊王の左腕と心臓は滅却師の王、ユーハバッハの下に帰着した。そして、それ以外の霊王の欠片は、人間の魂魄と融合した。
今や、霊王本体には、身に掛かる火の粉を退ける術すらない。只々、世界にとって都合のいいシステムへと成り下がった。
黒崎一護が、朽木ルキアの死神の力を譲り受けた日から、五百年ほど昔のことだ。現世に常駐していた死神の力の一部を奪い取った男がいた。現在、アリエナシオンと名乗っているその男は、
ただし、完現術を使用するには、二つの要素が必要となる。その要素は、霊王の欠片と虚の因子だ。前者を宿していることが完現術を使うための資格であり、後者が覚醒のトリガーとなる。
そして男にはその条件がそろっていた。霊王の欠片を魂に宿し、母親の胎にいた時とある夏の日の夜の二度、虚に襲われる経験をした。一度目の襲撃で虚の霊圧が魂に刻まれ、二度目の襲撃で虚の霊圧同士が共鳴し完現術を覚醒させるに至った。
男が使い込み魂を理解した物、それは彼の仕事道具である筆と墨だ。
男の完現術の能力は、墨を媒介として対象に別の存在を転写する、というもの。強者の霊圧を自身にコピーすることも、逆に敵に弱い虚の霊圧を写して弱体化させることも出来る。虚特有の霊圧を自らに転写すれば、虚閃を放つことすら可能となる。
そうして男は、完現術の力を使い、二度目の虚の襲撃を退けるに至った。
ただし、その襲撃で男が覚醒させたのは完現術だけではなかった。それはすべての事象の元凶。二度にわたって感知能力の高い虚を引き寄せるに至った原因であり、完現術者となるための資格そのもの。即ち、霊王の欠片の力そのものを覚醒させたのだ。男の魂魄に融合していた欠片、それは、
――――――――霊王の海馬。
脳の中でも、情報を記憶する器官とされる海馬。霊王の海馬の覚醒とは、霊王の記憶の継承と同義である。太古の時代より生まれ出で、未来すらも見通したとされる霊王。それが所有する記憶とは世界の記録そのものと言っても過言ではない。
霊王の海馬を覚醒させたことで、男は世界の記録を継承した。
過去を視た。現在を視た。未来を視た。男は霊王の記憶を介して、すべてを視た。霊王が生まれ落ちた瞬間から、滅却師の王、ユーハバッハの力の侵食を受けた黒崎一護に斬り裂かれ、楔としての役割を終えたその瞬間までのすべてを。
楔である霊王の崩御の意味するところは、嘗ての死も生もない世界への逆行である。その世界では、人々は死の恐怖に怯えることのない代わりに、生きる希望すら持てないだろう。
その結末が、男には許せなかった。霊王の犠牲で生まれた世界、そこには勇気があふれていたからだ。
仲間のために命を張れる者。規則を破ってでも、人を助けようとした者。幼馴染を救うために、格上の存在に戦いを挑んだ者。愛する人が奪われたものを取り戻すため、自らの全てを捧げた者。世界に正義を齎そうとした者。何を犠牲にしてでも、世界の歪みを正そうとした者。子供たちにとってのヒーローであろうとする者。
全ての存在が、美しく高潔であった訳ではない。中には犯した業ゆえ地獄へ落ちた者や、私欲のために他者の尊厳を踏みにじる者もいた。それでも世界はすべての存在を受け入れ、輪廻の流れに組み込んでいた。それらすべてをひっくるめて、男はその世界を美しいと感じたのだ。たとえその中に、
そして、男には納得できないことがあった。
それは、これほどまでに美しい世界が、霊王の犠牲の上に成り立っているという事実に対して。霊王の犠牲がなくとも、世界を今の形に留めることはできるはずだと信じ、その方法を考え続けた。そして男は辿り着く、霊王を楔から解放し、尚且つ世界の形を今のままにする方法を。それは、
――――霊王の座を藍染惣右介に挿げ替える、というもの。
崩玉を従えた藍染ならば、今の霊王のようにその身を封印せずとも、世界を今の形に留めることが出来るだろうと、半ば確信を持っていた。そうなれば、零番隊に守られずとも彼は、自分自身で降りかかる火の粉を払うだろう。
ただしそれは、本来選んではいけない道。藍染が天に立つということはつまり、藍染が王鍵を創生し、霊王宮へ侵攻するのを許すということ。そして、王鍵の創生には十万の魂魄を犠牲にする必要がある。犠牲となった霊王を解放するために、霊王が守りたい十万の人間を犠牲にする。その矛盾に男は気づいていた。
気づいていながら、それでも男は霊王を解放することを望んだ。男がそう考えたのは、霊王の視点に立って真実を知ってしまった故か。
そうして男はその日が来るまで力をため続けた。すべては、藍染惣右介が最後の鍵を手に入れるその日のために。
「……初めましてだな。――――藍染惣右介」
藍染惣右介と市丸ギンが断界を抜けて降り立った場所は、本物の空座町から少し外れた雑木林。辺りには草木が生い茂り、物寂しい襤褸小屋が疎らにあるものの、人が住んだ気配はとうの昔に涸れ果てていた。そんな寂れた場所に、アリエナシオンは静かに佇んでいた。
彼らに面識はない、だが全く知らぬわけでもなかった。
「確か君は、数百年前に死神の力を奪った人間か。――――それはそうと、名前を聞いてもいいかな?」
「…………アリエナシオンだ」
五百年ほど前のことだ。ある男が死神の力を奪ったことで、その手配書が瀞霊廷中に刷られた。五百年も前のこととはいえ、長らく隊長の任を務めていた藍染は、その存在を把握していた。
だが同時に、何故その男がここにいるのか、という疑問も抱いた。
藍染と行動を共にする死神、市丸ギンはアリエナシオンを観察していたが、その能面の心の芯を見通すことは無理だと判断した。
アリエナシオンも市丸ギンの方にちらりと視線を向けた後、再び藍染に向き直って話しかける。
「…………藍染惣右介、貴方と二人で話がしたい。申し訳ないが、市丸ギンに席を外させてくれないか」
「――――ふむ、構わないよ。ギン、先に空座町に行っていてくれ」
意外にもあっさりとアリエナシオンの要求を聞き入れた藍染。その表情は、どこか楽しげだ。
「あらら、僕だけ仲間はずれかいな」
ギンはそう返しつつも、素直に藍染の言葉に従った。最後まで何を考えているのかわからない顔でアリエナシオンの方を眺めつつ、言われた通りに空座町の方へ行く。やがてギンの後ろ姿も見えなくなり、霊圧の名残すら感じなくなったとき、世界は二人だけを取り残していた。片や口元に薄く笑みを浮かべ、片や無表情を貫く。
「さて、私に何の話があるのかな?」
藍染は、男に興味を抱いていた。わざわざこの状況で、己の前に姿を見せたそのわけを。
「…………無礼を承知で問う。貴方は、今の自分に、天に立つ資格があると思うか?」
その台詞は質問の体を成しているが、アリエナシオン自身がその内容を否定する想いを声に乗せていた。言外に、今の藍染は天に立つべきではないと告げていた。それでも尚、藍染は笑みを崩さない。
「愚問だな。崩玉を従えたこの私以外に、その資格を有する者はいない」
自らの力に対する絶対的な自信。もはやそれは慢心の域に達していた。崩玉を従えたことによって得た不死性。元来有していた隊長格に倍する霊圧。他者の五感を誤認させる斬魄刀。それらすべての要素が、彼から警戒の二字を取り去ってしまった。アリエナシオンの視た世界において、藍染が唯一自身の頭脳を超えていると称した浦原喜助に対してすら警戒を抱かなかったことが、それを証明している。
そのことを理解しているからこそ、アリエナシオンは未来の出来事を告げる。
「……今の貴方では力不足だ。霊王宮に到達するまでもなく、進化を遂げた黒崎一護に敗れて終わる」
アリエナシオンが視た未来で、藍染は黒崎一護に敗れ、浦原喜助の鬼道に封印される。だが、アリエナシオンは、慢心だけがその結果を齎したわけではないと考えている。藍染惣右介が黒崎一護に敗れた最大の理由。それは藍染惣右介の進化が、黒崎一護の進化に追いつかなかったことだ。
「…………だが、それでは困るんだ。霊王の犠牲を許容しているままでは、世界の歪みを無視したままでは、いずれ世界は瓦解する。その前に、誰かが世界を纏めなければならない」
崩玉と融合した藍染が更に進化を重ねれば、黒崎一護と同じステージに立つことも出来たであろう。ただ、彼のレベルをそこまで引き上げてくれる者がいなかったのだ。
それはある意味当然だった。崩玉と融合した藍染と同じステージに立てる存在は、零番隊以外で言えば精々が更木剣八くらい。その更木剣八も、崩玉と完全に融合するまでは相手をするべきでないと藍染自身が判断し、事前に虚圏へ幽閉している。
故に、藍染が黒崎一護に敗れるのは必然だったのだろう。
「なるほど。君も世界の真実を見たのか。そして現状を変えるべきだとも考えている。――――それで? 君は私に何を望んでいる?」
藍染は更に笑みを深めた。そして、目の前の存在を試すように訊ねる。その目には、心なしか期待の色が浮かんでいた。アリエナシオンは斬魄刀を抜き放ち、藍染の問いに答える。
「…………黒崎一護も、零番隊も、貴方の手で打ち負かし、霊王を解放してほしい。そのために必要な進化は、今この場で、私が与える」
――――六合遍く回帰せよ『輪廻厭世』
その解号と共に、
空気が作り変えられていく。対話の時間に流れていた穏やかな空気から一転、殺気と闘気に塗れた戦場のそれへと。
誰の目にも留まらぬ場所で、不気味なほど静かに、戦いの火蓋は切られた。
読んでいただきありがとうございます。
オリ主のヤバ目な思想が垣間見えてしまいましたが、ネルたちとの関わりでどれほど改善されたか…………。
後、リアルの事情で二週間程忙しいので、その間投稿できないかもしれません。
感想、評価、お待ちしております。