「そうだ、もっと踏み込め!」
「ブルルッ!(おう!)」
1月ももうすぐ終わり。寒さは未だ厳しく、吐く息は真っ白。
雪もはらはらと舞うそんな中、俺はひたすら坂路を駆け上がっていた。
京成杯を走った後判明した俺の弱点。それはラストスパートで底をついた持久力。ゲーム風に言えば「スタミナが足りない」状態だ。
俺の持ち味は調教師の兄ちゃん曰く、「自分である程度考えて走れる賢さと、最後の直線で活きる圧倒的な剛脚」だという。
その脚を活かすために必要なのは、純粋なスピードと、最後の直線まで維持できるスタミナ。俺に足りないのは持久力だ。
実際、京成杯は走り慣れた距離のレースであるにも関わらず、終わってみれば俺はヘトヘト、汗だらだらの脚ガックガクというなんとも情けない姿を晒した。
考えられる原因としては、最後にエイシンフラッシュと競り合ったこと。それ以前までは競り合いにならずすぐに抜き去ってしまっていたので、競り合った経験がない。
そこに根性とスタミナで勝負を仕掛けてきたフラッシュと叩き合いになったことで無意識に掛かってしまい、ペースが乱れ、スタミナを削られてしまった…………というのが兄ちゃんの見解だった。
実際当たっていた。フラッシュと競り合いになったとき、俺は「俺についてくるやつがいる! 勝負できる奴がいる!」と嬉しくなっていた。
あの、命までも削り取るような熾烈なデッドヒート。俺が望んでいた、強力なライバルとの根性比べ。とうとうそれを叶えてくれる馬と出会って、俺は嬉しさのあまり全力どころか力みすぎた走りをしてしまった。
余計な力が入った走りは体力をより消耗させる。理性を飛ばした走りは端から見れば強いが、それはただの「暴走」であって、俺の純粋な実力ではない。
兄ちゃんは言及しなかったが、俺に求められるのはスタミナだけではない。
どんな状況でも自分のペースを崩さず走る『冷静さ』、そして兄ちゃんの言う剛脚を最大限活かせる『スピード』。馬である俺が馬なりに考えて出した結論。俺が俺自身に課した課題。
例え上り坂だろうが重馬場だろうが変わらない脚を。どんな場面でも俯瞰して分析できる冷静さを。それを支える、強靭な心肺を。
その一心で、坂路を駆け上がる。ただひたすら強く、速く。もっともっと、どこまでも走りたい。まだ見ぬライバルたちと鎬を削るレースをするために、自分の身体を徹底的にいじめ抜くんだ。
「あ、ウッド! 待て、ストップだ!」
「ブモッ?(へっ?)」
「もう坂路のノルマは終わったぞ! 休憩だ!」
「…………ヒヒッ(ウッス)」
まあこうして気持ちが空回りしてるうちはまだまだですがね。集中しすぎてて気づかなかったわ。
(…………)
(…………)
で、厩舎に戻る途中で見慣れないお馬さんにものっすごく睨まれているわけなんですけども。なに? 俺自分でも気づかん間に恨み買ってるの?
多分違う厩舎の馬なんだろう。今まで会わなかったのは単純に時間が被らなかったからかな。
それにしたってすごい形相ですよあなた、視線でダメージ入るならすでに致死量じゃありませんかね。
(…………オイ)
(あ、はいなんでしょう)
(初対面の相手にはまず挨拶だろうが……)
どう接したものか悩んでるうちに向こうから話しかけられたと思ったら、ものすごいドスの効いた声で正論言われてしまった。それはまあそうなんですけどそんな怒ること?
(ウッドストックだ。あんたは?)
(トーセンジョーダン)
トーセンジョーダン? あ、見たことあるぞ! ゴールドシップとクッソ仲悪くて会うたびに絡まれてたあの馬か!
そういや栗東トレセンのボス馬だったってなんかで見たけど、そうかそうか今まさにボス馬全盛期か!
確か自分で喧嘩売ることはない、みたいな話も聞いた気がするんだよな。今回は挨拶がなかったからボスとして怒ってるわけね。
(ジョーダン、まずは挨拶しなかった非礼を謝る。次のレースのことで頭が一杯だったんだ)
(……まあ、俺も似た経験はある。そこまでうるさく言うつもりはねえ)
(あ、嘘でも「あんたからの熱い視線でドキドキして言葉に詰まった」って言えばよかったかな)
(…………謝るのか喧嘩売るのかどっちかにしろ)
(いや悪い、こういうギスギスしたのは苦手なんだ。目を瞑ってくれると助かる)
(…………お前おかしな奴だな)
まあ馬としておかしいのは自覚してるが、性格はそんなに悪くないはずだぞ。これでも同じ厩舎の馬とはそれなりに仲良くやってんだ。
オルフェ? 愛ゆえの厳しさだよ。
(別に喧嘩売るとかもしないし、ボス云々にも興味はねえんだ。ただ仲良くしてくれると嬉しいなって)
(今までいろんな奴を見てきたが、お前みたいなことを言う馬は居なかったな)
(まあ、アンタを見てビビる奴は多いだろうな)
なにしろオーラというか圧がすごい。ボスとしての風格というか、俺とジョーダンどっちがボスっぽい? って十人に聞いたら十二人くらいがジョーダンって答えるぐらい。
俺は別にボス争いとか興味はないし、やりたい奴は勝手にやってくれ、ぐらいの認識でしかない。せっかく同じ競走馬なんだから、レース以外のときぐらい和気藹々としてても良いじゃない、ぐらいの価値観だからな俺は。
(俺にとっちゃ、あんたは強面なだけで普通の馬だよ、ジョーダン)
(……なに?)
(好きでボスやってます、って面構えでもないしな。あんたにだってボス云々抜きで仲の良い奴はいるだろ? その仲に俺も入れてくれないかなって)
(…………)
(嫌なら良いんだ、無理にとは言わない)
(…………ハァ)
ちょっとちょっと、なにその溜め息は。鋼通り越してヒヒイロカネの心を持つウッドさんでもちょっと傷つきますことよ?
(…………ウッドストックだったか)
(ん? ああ)
(…………機会があれば顔を見せに来い。雑談ぐらいならしてやる)
(……マジで!? 行く行く絶対近いうちに顔見せるわ! 俺の馬的に滑らない話が火を噴くぜ!?)
(……普通は脅しって思われるんだがな。お前本当に変な奴だな)
なんかジョーダンが小声で言ってるけど別にいいや! あの栗東の大物ボスと友達とか孫の代まで自慢できるぜ! いや俺って今はお馬さんだから下手すると玄孫にも自慢してるか?
(よろしくなジョーダーン!)
(あっ、おいやめろすり寄るんじゃねえ! お前俺がボスって思ってないだろ!?)
後でオルフェに自慢してやろっと。
「……………………」
「池谷さん、どうしました? うどん食いながら難しい顔して」
「…………ウッドがトーセンジョーダン号と一瞬で仲良くなりました」
「…………トーセンジョーダン号と? 舎弟になったということで?」
「そのわりにはなんだか距離が近くて、どちらかというと友達と言った方が近いような……」
「…………アイツ本当になんなんだ? 栗東の大ボスだぞ」
「俺、最近ウッドストックが大物なのか底抜けのバカなのか解らなくなってきました」
「癖馬乗りの池谷さんが言うなら相当ですね…………」
後にオルフェにこの事を自慢したら、「兄貴寝ぼけて夢でも見たの?」とか宣いやがったので顔面に尻尾をぶち当てておいた。
私もこの馬のことが解らなくなってきました。