(くぁ…………ねむ)
激闘(?)の弥生賞から数日。今日は調教師の兄ちゃんとか池谷殿の予定の関係で完全な放牧日、オフだった。厩務員のおっちゃん以外の人には今日はまだ会ってない。
寂しいと言う訳ではないが、なんだか落ち着かない。いつもならとっくに調教こなして飯食ってる時間なのに、こうしてつい先程起きてボーッとしているのは違和感がある。
あートレーニングしたい。暇すぎてすんごくトレーニングしたい。プールで泳ぎてえなー、坂路でぶっ飛ばしてえなー。
せめて走りたい。少しでも走ってフォームのセルフチェックがしたい。早く放牧の時間にならないかしら。
「ポケ」
(んぉ?)
暇を持て余してボーッと窓の外を見ていたら、おっちゃんが俺を呼んだ。どしたー? 飯は食ってるぞー。
「今日は放牧の前にちょっとお仕事だ」
「ブモッ?(仕事?)」
はて、お仕事とな? 馬である俺に仕事を選ぶ権利はないので行きますがね。
おっちゃんに流れるように頭絡付けられてますけど、仕事とは一体なんでせう。
「まあ、行けば分かるさ」
「……ブルルッ(へぇい)」
そう勿体付けなくてもいいじゃあないの。別に嫌がる訳でもなし。
そんなこと思いつつ、おっちゃんに連れられて厩舎を出るのであった。
「おおー!」
「でっけー!!」
「かわいいー!!」
ストレートに感想を叫びながら、俺の周りではしゃぐ子供たち。その目はどれも純粋で、キラキラと輝いている。
仕事とはどうやら小学生の社会科見学だったらしい。馬の生態や写生、そんでふれあい等々の仕事に俺が選ばれたそうだ。
そりゃまあ子供を相手するなら大人しい馬が選ばれるのは分かりますけども。こういうのって普通乗馬とかが選ばれるもんじゃないの?
俺一応競走馬だよ? 公営とはいえ賭博に用いられる馬ですよ? これが切っ掛けで子供たちが競馬に目覚めたとかクレーム言われても責任とれませんことよあたしゃ。
「かわいいですねー。お名前はなんですか?」
「この子の名前はウッドストックといいます。普段は競走馬としてレースで頑張っているんですよ」
「レース……競馬のですか?」
「そうです。本来なら大人しい乗馬用の馬が来るはずだったんですが、体調不良で。他に都合がつくのがコイツしかいなかったんです」
ああ、一応他に本命がいたのか。まあ体調不良なら仕方ないか。
「馬にも大人しい馬から気性の荒い馬まで色々いまして。競走馬はトレーニングしていると性格が荒くなるんですが、こいつは本当に大人しくて人懐っこいんで」
「へぇー……」
「触ってみます?」
「えっ、いいんですか?」
いやおっちゃん、そんな気軽に。別に触らせるなとは言わんがもうちょっと俺の気持ちと言うものをだね、せめて一言でもだね。
まあいいや、おっちゃんがこういうとこで大雑把なのは今に始まったことじゃないし。どっちみち俺に拒否権はないわけでしょ? なら喜んで、はいどうぞ。
「……お、おぉ~!? フカフカしてる……!」
「こいつね、顔の横のね……目の下辺り掻かれると気持ちいいんですよ」
「こ、こうですか?」
ああ~いいっすねぇ~、引率のお姉さんなかなかのテクニシャンで。あ、もうちょっと右、あっそこそこ、そうそうそんな感じで、おほおお~~~~。
「気持ちいいかウッド」
「ブモッ(最高)」
「ハッハッハ! 先生上手ですってよ!」
「そう、ですかね……?」
いやー、おっちゃんの荒々しい掻き方もいいけどお姉さんの繊細な指使いもたまらんね。善きかな善きかな、善きに計らえ。
「先生ずりー!」
「私も触りたーい!」
「アハハ……この子、子供でも大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。ただ、基本的に馬の真後ろはうっかり蹴る可能性があるので注意してあげてください」
そういうとおっちゃんは引き綱を引いて子供たちの前に歩き出す。間近で見ると本当に小さいな、低学年ぐらいか? うっかり踏んだり蹴ったりしないように気を付けないと。
「じゃあみんな、順番に並んで! いきなりみんなでわーっと来たらお馬さんビックリしちゃうから、順番だよ!」
はーい! と先生の言葉に子供たちが素直に列を作る。最近の子は素直でえらいねえ、俺がガキの頃なんてルールもへったくれもない崩壊学級だったからな。主に俺が崩壊の中心だったけど。
えーっとまずは? おー、いかにもガキ大将な勇ましい感じの元気な男子……と、ちょっと大人しい感じの女子か。二人一組なわけね? まあ一人ずつだと時間かかるか。
お、意外にも女子の方から触ってきたね。男子はどう触っていいか分からん感じか?
「わぁ……!」
おほほ、鼻筋撫でてきてちょっとくすぐったい。あーいいねいいね、お嬢ちゃん上手ですよ。坊っちゃんは触んないのかい? おっ、来たね来たねぇ顎来たねぇ、ぬはははっ、いいよいいよぉ。
「すっげぇ……!」
「本当に大人しいですね」
「怪我させたらダメだって分かってるんですよ。特に子供相手だと何をされても動じませんね」
「そうなんですか……賢いんですね」
「ええもう、今まで見てきた中でも一等賢いですよ」
おっちゃんがなんかいい笑顔で俺のこと自慢してるけど、今はそんなことはどうだっていい。あーそこそこ、いいねぇ、こっちの嬢ちゃんもまた素晴らしい手管をお持ちで。あっ、坊っちゃんそんなとこ、そんなとこ撫でられたらお馬さんどうにかなっちゃうわ、お鼻がヒクヒクしちゃうの、あぁ~~およしになってぇ~~ぬほほほほっ。
「…………目がすごいことになってますけど大丈夫なんですか?」
「馬って大体気持ちいいとあんな顔になりますよ」
「はあ……」
んほほお~~~~~~~~~~っ!
(取り乱した…………)
まさかここまでとは。気持ちよすぎて我を忘れてしまった。子供といえど侮れん……末恐ろしい。
一通りスキンシップした後は写生の時間。みんな思い思いに俺を画用紙に描いていく。
懐かしいなあ。俺も課外授業で学校近くの山に登って、山頂からの景色を描いたっけ。今はどうなってるかね?
きゃっきゃとおしゃべりしながら描く子、真剣に黙々と描く子、テキトーに描いて早く遊びに行きたそうな子。俺が子供だった頃となんにも変わらない。子供っていつだって自分に正直というか純粋なんだよな。
あーあの頃に戻りてぇなー、なんで馬なんだろうなーと足元の草を食みながら考えていると、ふと一人の子供が目についた。
「…………」
一人、他の子とは明らかに距離をとって座っている男の子がいた。クラスに馴染めていないとかそんな感じなんだろうか。
なんか、気になるな。
「それでは最後に、お馬さんに乗ってみましょう!」
わー! と、歓声と拍手が起こる。そうだよな、馬に乗る機会なんてそうそうないもんな。そりゃあ楽しみだよな分かる分かる。
つってもなあ、俺子供乗せるの初めてなんだが。大丈夫かしら、俺なんかの拍子に振り落としちゃったりしないかな。
んー、まあおっちゃんが後ろに乗るだろうしいけるか? まさか子供だけ乗せるなんて愚行はいくらおっちゃんでもやんないだろ。
「ではおじさんがみんなをお馬さんに乗せますね。乗ったら、落ちないよう足でお馬さんの体をぎゅっと挟んでください。手綱は持つだけでいいですよ。おじさんがお馬さんを引っ張るので、乗っている感覚を楽しんでください」
…………ちょっと待て。おっちゃん正気か?
いやいやいや、流石に乗るのが子供だけって無理がないか? 操作しないっつっても相手素人ですよ? ましてや子供ですよ?
ええ~、いいのか……? それでいいのか? 引率のお姉さんもなんにも言わないし……いやそうか、お姉さんも詳しくないから「そういうものなんだ」って納得しちゃってるのか。うっわいよいよ俺責任重大になってきたぞ。
「頼むぞポケ」
頼むぞって、おっちゃんいくらなんでもそれはないぜ。せめてちゃんとリードしてくれよ? 子供がビビって落ちない感じで優しくだぞ? フリじゃないからな!?
「わっ、わっ! すごい!」
俺の背中で子供がおっかなびっくり、それでも目を輝かせている。
おっちゃんのリードの下、子供たちの乗馬体験は落馬などもなく順調に進んでいる、少なくとも今のところは。
普段楽観的で変なところで大雑把なおっちゃんといえども、やはりそこはプロ。決して無理のないリードでつつがなく子供たちを喜ばせている。
かく言う俺も、出来るだけ揺れが少なくなるよう気を付けていたりするんだが。馬って意外と揺れるからね。子供にはかなり怖い要素だと思う。
しっかしおっちゃん上手いな。こんな繊細なリードも出来たのか。じゃあ普段が若干雑なのはアレか? 俺が大人しいから多少雑でも平気だろの精神か?
いやまあ別にいいんだけどさ。俺は結局のところどこまでいっても馬だし。でもあんまりひどいと人畜無害な俺でももう怒っちゃうぞ? 服引っ張っちゃうぞ? いいのか? 我ウッドストックぞ?
「どうだい? 楽しいかい?」
「たのしー!!」
「ハッハッハッ! そうかいそうかい!」
愉快に笑っていらっしゃいますけどもね、おっちゃん? 子供乗せてる身としてはけっこう神経使ってるんですことよこれ。
その辺馬の扱いはプロでいらっしゃるあなたならばお分かりいただけているとは思いますけれどもね? それ故の余裕と俺への信頼から来る笑いだとは理解してますけれども?
ええ分かってますよ。分かっていますけれどもね、あえて言わせて?
なにわろてんねん。
こちとら落とさんよう揺らさんようとめちゃくちゃ気ぃ遣っとんのになにを呑気に
まあ愚痴垂れてもしゃーないねんけどな。所詮こちとら馬畜生や、この心中が一言一句伝わるわけもなく。大人しくこっちが精々骨を折りますよってに、はい。
なんてことを胸中で思いながら長い長い乗馬体験を行っていると、なんとなく雰囲気が和らぐのを感じた。おっ、これで全員か?
「よし、これでみんな乗ったかな? まだ乗ってない子はいないかな?」
ふー、どうにか終わったかな? やれやれと無意識に力んでいた身体を解すために伸びをする。あー身体がバッキバキだわ、こりゃあもう一日オフ貰わんと割に合わな…………。
…………いや、違うな。
確か、そう。写生の時に一人離れて座っていた子がいた。俺の記憶が正しければ、その子だけまだ乗っていない筈だ。
こっそり数えていたが、このクラスは24人。俺が背中に乗せた人数は、引率のお姉さんを含めて24人。うん、あの子一人だけ乗ってない、間違いない。
辺りを見回すと……いた。あの子がクラスの集団から少し離れたところで、何か言いたげにもじもじしている。
多分、まだ乗っていないと言いたいが、言い出せないのだろう。元々が引っ込み思案な性格なのだろうか。馴染めていなさそうなのも相まって、声を出すのを躊躇っているような、そんな雰囲気を感じる。
…………しゃーない、一肌脱ぎますかね。
「いないかな? それじゃあ…………おっ? お、おいウッドどうした!?」
「ブルルッ(悪ぃ、こっちきて)」
「どうしたんだ! おい、ポケ!」
おっちゃんが必死に引き綱を引いて止めようとするが、俺はむしろおっちゃんを半ば引きずるようにして歩みを進める。子供たちがにわかにざわめき始めるが、それも気にしない。
俺が歩みを止めるのは、彼の前。恥ずかしそうに、だけど俺に乗りたいと言いたげな目をした、彼の前で。
「あ…………」
「ヒヒッ、ブルルルッ(ほら、乗りたいんだろ)」
彼の目の前に顔を持っていって、そう問いかけるように鼻息を荒くする。
彼はどうしたらいいのか分からない、といった様子で周りをキョロキョロと見回す。そりゃそうだ、いきなり目の前に馬が歩いてきたら俺だって困惑するわ。
ほら、触ってみ? 馬の鼻先は触り心地がいいぞ? と男の子に頬擦りしてみせる。優しく、繊細に。
「…………わ」
恐る恐る触りに来た彼。最初はぎこちなく頬を。やがて慣れてきたのか、少しずつ顎、頭、鼻先と。拙いながらも意外に豪快な撫で方で俺とスキンシップを楽しんでいく。
「…………そうか、その子がまだ乗ってないんだな?」
「ブモッ(ああ)」
「お前は相変わらず賢いなあ」
おっちゃんも合点がいったようで、二、三度頷く。そして男の子と目線を合わせ、破顔して尋ねた。
「乗るかい?」
「…………っ、うん!!」
男の子は大きく頷いた。