自分が馬になって衝撃を受けたのも、すでに一年前。今は親離れもして、自分の部屋……馬房というんだったか、を用意してもらい、そこで念願の一人暮らしだ。まあメシとかに人間さんのお世話がいるんで、一人暮らしっていうのはまた違うけど。
今日も今日とて藁を貪る。もっしゃもっしゃと口の中で藁の擦れる音と触感が心地よい。
いやまあ今はこんななりですけど、元々は人間で、その記憶がバッチリあるものですから、最初は藁食うのにものっすごい抵抗あったんですけどね。
覚悟決めて食ってみるとこれがなんともない。何というか、この馬の身体が求めているというか、食べてみると自然と、(ああ、これがメシなんだな)と、妙に心が納得したので不思議なもんだ。
あとはまあ人参とかの野菜。出されたもんは残さず食べる。
厩務員のおっちゃんも好き嫌いなくて手がかからないよ、って鼻先を撫でてくれた。まあ中身はいい年した大人だし、前世でも特に食べ物の好き嫌いはなかったしな。
ただそれはあくまで人間の時の話。今現在は馬、馬というのは草食動物であるので……当然肉や魚などは出てこない。
あと確か、野菜でも馬が食べちゃダメなやつがあったな。ブロッコリーとかキャベツとか。キャベツ好きだったからちょっとショックだ。
さて、現在一歳馬となった俺であるが、実は名前がまだない。
というのも、俺はあの競走馬で、大種牡馬としても大成した「ステイゴールド」を父として生まれてきたので、おそらく俺も競走馬として走る運命にあるのだと思う。
その競走馬としての名前がまだないのである。どうやら名付け親が相当悩んでいるようで、未だに幼いころからのあだ名……幼名で呼ばれているのだ。
聞いて驚け見て笑え、我が幼名は「ポケ」。とにかく大人しくて、いつもポケーっと何を考えているのか分からないからという、なんともあんまりな名前だ。
厩務員のおっちゃんは「ポケットに入りそうな小さい馬、みたいな付けられ方じゃなくてよかったじゃないか」と慰めにもならないことを言っていたが、そっちの方が可愛らしさがあって俺的にはマシである。
そんな俺ことポケであるが、あまりにも大人しすぎて「コイツ本当にステゴの子供か?」と関係者各位にしきりに首を捻られる。あの暴れん坊で俺様気質なステイゴールドの子供とはとても思えないとかなんとか、時折厩舎の中でも話していた。
そりゃあ、ねえ。中身元人間だもん。人間さんの言葉バッチリ理解できるもん。何だったら芸でも仕込むかい? その場で三回回ってヒヒンと嘶いてみようか?
引綱なしでも厩務員のおっちゃんの後ついていくし、放牧でも運動不足にならない程度に走って、あとは見学に来た一般の人たちに愛想振りまいてるし。特に子供には人気だね、鼻先叩かれようが痛くないので気にしない。何よりかわいい。
あ、写真撮影ももちろんオッケーよ。あ、懐かし、ガラケーじゃん。そっかステゴが種牡馬してたのって、ガラケー全盛期の時からか。ならステゴが種牡馬になって割とすぐの時なのかな。
真正面だとアレだからちょっと斜めに立とう。んで気持ち首を上げて、キリっと真面目に。せっかくだからカッコよく撮ってもらいたいしね。
あー待って待って、フラッシュはやめて、眩しいから。顔背けてアピールしたら分かるかな。あ、分かってくれたわ。そうそう、俺だからまだいいけど馬ビックリするからね、やめたげてね。
ん? なんだいおチビちゃん。おっ、人参くれるの? あらーありがとねーおんまさん嬉しいわ。ありがたく頂戴するね。お礼にお顔舐めたろ。あらあらキャッキャしてお可愛いこと。
とその時、突然俺の耳に爆音が聞こえてきた。
「うわっ、やっべマナーモードしてなかった」
「バッカ、お馬さんビックリするじゃん!」
「ごめんって……あれ、全然動じないな」
こ、この曲は……。
あの、往年のロックスターの……。
超伝説的シングル……。
ふ、ふふ、ふお、
ふおおおおわあああああ!! テンション上がってきたぜえええええええええ!!!
「うわあっ!? なんだ、どうした急に!?」
「すっごい勢いで首振ってる……な、なんかやっちゃった!?」
「と、とにかく止めないと……!」
ふおおおおおおおお…………。
あ、切っちゃったの? もう終わりか……。
まあ、いきなりあんなことしたらそりゃあビックリするよな……でも、もうちょい聴いていたかった。
俺、元々人間だったときはとにかく音楽が好きだったんだよ。特にロックとかメタルとか、そういう激しい感じの。
新旧問わず、ロックだのメタルだの付く音楽は手あたり次第に聴いてきた。なんなら一時期はバンドに憧れてギターやベースを齧ったこともある。
でもこの体になって、音楽なんてものには一切触れてこなかった。当たり前だ、馬なんてちょっとした物音でもビビるような超臆病動物なのに、音楽なんてもってのほかだ。
あぁ、だけど、もうちょっと、あとほんのちょっとだけ、聴かせてくれないかなぁ……。
「……な、なんかすごいこっち見てくるな」
「…………もしかして、聴きたいんじゃない? さっきの」
「えぇ? ……いや流石にそれは」
「……も、もう一回だけやってみる?」
「…………」
お、なんか近づいてきた。なんか画面操作してる……えっ、もしかしてもっかい再生してくれるのか?
マジで? いいの? というか俺が人間だったら兄ちゃんと酒飲みたいんだけど。いい音楽の趣味してんね?
「……い、いくよ?」
おお! いいよ! やって! もう待ちきれねぇ!
お、おお! きた! きた! きたぁ!
この重厚なサウンド! 腹に響くような重低音! 痺れるようなリードギター! 稲妻のごときシャウトと中高音の歌声!!
ああ! いい! いいぞ!! やはり音楽は良い!!
俺の身体が! 足が! 耳が!! 脳が!! 魂が!!!
打ち震える!! 揺さぶられる!! 心が!!
ロックに!! すべてはロック!! 俺こそがロック!!!
ああ、ああ、身体が、勝手に、リズムを刻んで、ふ、ふひ、ふひひゃ、
ヒイイイヤッハアアアアアアアア!!!
ルォックンロオオオオオオオオオルゥゥ!!!
「うわぁ……」
「馬が……ヘドバンしてる……」
「馬って音楽聴いたらヘドバンするのか……?」
「知らないよそんなの……」
後日、この騒動を聞いた厩務員が馬主に報告したところ、馬主は俺に競走馬としての名前を付けてくれた。
「お前の名前は、『ウッドストック』だ。昔アメリカで行われたロックフェスの名前から取ったんだと」
厩務員のおっちゃんは、俺にそう説明してくれた。「お前が理解してるかは分からんがな」と鼻を撫でて、笑いながら。
ウッドストック。あの伝説的祭典、『ウッドストック・ロックフェス』。それが俺の名前。
うん、十中八九あのヘドバン騒動が原因だろう。あの後兄ちゃんたち厩務員のおっちゃんに怒られてたし。ごめんな兄ちゃん。
だけど、うん。
ウッドストックか。馬主もいい名前を付けてくれたな。ちょっと馬主んとこ行ってきていい? 絶対あのバンドとかこのバンドとかの名盤持ってるでしょ。
ウッドストック、か。
俺は、ウッドストック。
おっちゃん。俺、絶対いい競走馬になるよ。世界に名を轟かせるような、伝説的な馬に。
そんでおっちゃんとこに、優勝レイを一杯送ってやるからな。
それが俺の、今の目標だ。
「……で、だ。ウッドストック。今ここにウォークマンがあるんだが……ちょっとだけ聴くか?」
マジかよ。おっちゃんすき。抱いて。
その日、厩舎の片隅で往年のフォークソングが流れ、俺は名曲の数々に思わず涙を流した。
あとでおっちゃんは怒られた。ごめんなおっちゃん。
何やこの馬(ドン引き)