「いいぞウッドストック! もっとだ! もっと鋭く!」
「ヒヒッ!(おうよ!)」
池谷殿とともにレース調教をこなすようになって、早くも半年が過ぎ、季節は冬から春となっていた。この厩舎の周りでも桜の木が鮮やかに色づき、見る目に楽しい。
ここ最近のトレーニングで分かったことだが、どうやら俺は走れる距離が幅広いらしい。マイルから長距離までは難なくこなせるようで。
今の方針としては、長距離を走るステイヤー向けの持久トレーニングを中心に、単純な走力と馬群を抜け出す力強さ、つまるところスピードとパワーを鍛えている。
特に持久力、スタミナを鍛えるのにはプールと坂路が効果覿面。泳げば全身運動になるし、心肺機能が向上する。坂道を走ればパワーもつくし、根性も鍛えられて一石二鳥だ。
走力に関しては、他の馬と併走あるのみだ。馬によってどういう走り方をするのかはまるで違う。
とにかく相手の前に出たがる馬もいれば、後ろに張り付いてプレッシャーをかけてくる馬もいるし、最後の直線での競り合いに強い馬もいる。
それぞれにどう対処すべきか、どう走りを合わせ、どんな駆け引きをして、どこで抜け出すか。そういったことを走りながら考えなければ、強い競走馬にはなれない。
そうでなきゃ、ジャーニーやフェスタといった俺の兄貴たちに申し訳が立たない。
ジャーニーはステゴ産駒の強さを証明した孝行息子、フェスタはのちに凱旋門で戦う正真正銘の猛者。それに続かなければ嘘というものだ。
といってもまあ、駆け引きに関しては素人考えだ。その道のプロである池谷殿に大部分お任せするつもりで、俺は自分の身体をいじめ抜くのみである。
「よーしよし、休憩しようかウッドストック」
「ブルルッ(分かった)」
「ハハハッ、お前は本当に賢いな。本当に俺の言うことが分かってるみたいだ」
「ヒヒンッ(分かるさ)」
俺がいちいち返事をするように鳴いたり鼻息を荒くすると、池谷殿は嬉しそうに笑う。笑って鞍上から俺の鼻先を撫で、首を軽く叩き、そして撫でる。
俺はこのスキンシップが嫌いじゃなかった。単純に誉めてくれているのが明確に分かるからね。
人間だった頃は、子供の時誉められていたことが大人だと出来て当たり前になって、そのうち誰も誉めてくれなくなる。大人なら出来て当たり前なことばかりになるから。
でも馬になって、人と容易に意志疎通が取れなくなってからは、毎日が誉められることばかり。そりゃそうだ、馬にしては賢すぎるもん。
それでもいいさ。毎日たくさん誉めてくれる生活というのは存外嬉しいもんだ。大人だっていっぱい誉めてほしいんだ、それに甘んじて何が悪い。
さて、背中の池谷殿に従って一度馬房へ戻ることにしよう。水を飲んでたまに岩塩舐めて、そんでちょっと昼寝するという最近の日課をこなすため、かっぽかっぽと歩いているとだ。
ふと視界の端で、なにやら一悶着起こっているのを見てしまった。
「ありゃ、追いかけられてんなぁあの馬……」
池谷殿が呟く。よく見ると、どうも幼駒の放牧地で、他と比べても体躯の小さい栗毛の馬が、他の馬に追い回されているようだった。ありゃあいじめだな、可哀想に……。
そう思ったと同時、俺はそちらへ向かって歩いていった。
「おっ? おい、ウッドストック?」
背中で池谷殿が慌てているが、ちょっとだけ堪忍やで。
(ひいい! たすけて!)
追い回されている栗毛の馬が必死に嘶いている。追い回しているのは……なるほど、如何にもな悪ガキだ。
俺は放牧地の柵の側まで近付くと、悪ガキ馬が近くに来るのを見計らい、大きく息を吸って、
「ブゥルルヒヒヒィィイインッ!!!!(やめろクソガキ共ォッ!!!!)」
と思いっきり嘶く、というか吼える。
当然いじめられっ子共々悪ガキ共が慌てて俺の前で足を止めた。間髪いれずさらに吼える。
(みっともねぇ真似してんじゃねぇッ! 同じ馬だろうがッ! 仲間は守れ莫迦野郎ッ!!)
いじめっ子達は暫く呆然としていたが、俺が(返事ィッ!!)ともう一度短く吼えたことで再起動。
(ごめんなさいいぃぃぃ!)
(もうしないですぅぅぅ!)
と蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまった。
うーん、良心が咎めたとはいえ、子供にあんな剣幕で怒鳴ったのは我ながら大人げなかったな。反省。
「お前、いじめを止めてやったのか……すげぇな」
と鞍上の池谷殿。よせやい、誉めてもヘドバンしか出ねえぜ。
おや。いじめられっ子がまだ目の前で硬直してる。ほれ、もう行きな。おせっかいのおっちゃんはもう帰るから。
(あ、ありがとう!)
おっと、ちゃんとお礼を言えたのはえらいねえ。まっすぐいい子に育つんだよ。
(お兄ちゃん、名前は?)
(俺かい? ウッドストックだ)
(ぼくオルフェーヴル!)
なんだって?
お前さん、あのオルフェーヴルなのか!?
「アイツ多分ボス馬になりますよ。幼駒たちのいじめ止めましたもん」
「へぇ……責任感が強いのかもしれませんね。つくづく頭のいい奴だ」
「ええ。それに、偶然かもしれませんが…………アイツが助けた子馬、オルフェーヴルなんですよ」
「へえ? じゃあアイツ、自分の弟を助けたって訳か。なるほど、偶然か否か、いい兄弟愛じゃないですか」
「まったくです。その証拠にウッドストックのやつ、ちょくちょくオルフェーヴルの様子を見に行ってるんですよ。心配性みたいで」
「ハッハッハッハッ!! 本当にアイツは人間くさいなあ!」
あの、毎回言うようですけど、それ本人がいる前で話すようなことですかね、おっちゃん。あんまりひどいとまた拗ねちゃうぞ。
「ああそうだ、池谷さん。ウッドストックのデビュー戦、決まりましたよ」
「ついにですか」
「ええ、今年の6月。いよいよ新馬戦ですね」
…………そうか。
ついに、俺が走るのか。
俺は、ウッドストック。
親父の、兄貴たちの名を背負ったサラブレッド。
やってやるさ。ああ、やってやるとも。
競馬狂い共の、度肝を抜いてやる。
お前たちの脳を焼ききってやる。
嵐のように、蹂躙してやる。
ここから俺の、ウッドストックの伝説が始まるんだ。
詰め込みすぎかも?
書きたいように書いてるので許し亭許して