『さあこの辺りで中団からじわりじわりと伸びてきます2番ウッドストック! 先頭から最後方までおよそ八馬身と言ったところ、隊列ややぎゅっと詰まってコーナーを回ります!』
冬の足音が着々と近づいてくるのを感じる11月のとある日。俺は何度目かのレースに出ていた。
今回は芝2000m、「京都2歳ステークス」。後に「ラジオNIKKEI杯京都2歳ステークス」とかいう長ったらしい名前に変更され、さらにGⅢの重賞レースに格上げされるこのレースは、GⅢの「ラジオNIKKEI杯2歳ステークス」、後のGⅠ「ホープフルステークス」のステップレースとして指定されている。
ラジオNIKKEI杯とかいう言葉がやたらと出てくるので混乱してしまうが、俺が今走っているのは京都2歳ステークス、恐らくこのレースを勝って次に走るのがラジオNIKKEI杯2歳ステークスだ。つまりこの特別競走を勝てば、次の重賞レースに優先出場権が得られる。
このレースで中距離を走れるかどうか、そして重賞を勝てるのか。ゆくゆくは長距離も視野に入れるかをこのレースから見極めるつもりなのだろう。
上等だ。ここからが本番といったところ。
こう言っては傲慢となじられるかも知れないが、むしろ今までのレースは正直つまらなかったんだ。
骨のある奴がいなかった。食らいつく奴がいなかった。俺に追い付く奴が、競ってくる奴が、競り勝つ奴が、差し抜く奴が、ぶっちぎる奴がいなかった。
だけど。今度なら、きっと。グレードレースに出場できたなら、きっといるんだ。
俺が本気を出しても敵わないだろう奴が。強い奴が。化け物のような奴が。
そこでなら、俺はもっともっと輝けるんだ。全力を出せるんだ。
だって俺は、ステイゴールドの息子。ドリームジャーニー、ナカヤマフェスタの弟。オルフェーヴル、ゴールドシップの兄貴。
競馬史をいろんな意味で引っ掻き回した、あの暴れん坊の血を確かに受け継いでいる馬。
俺は、ウッドストックなのだから。
まあレース中の細かい指示は相変わらず鞍上の池谷殿にお任せである。気性難に振り回されっぱなしのイメージだけど、彼だってプロのジョッキーだ。当たり前だが俺のような素人よりレース運びは断然上手い。
俺は彼の指示に合わせて脚を抑えたり馬群をすり抜けたりするぐらいだ。おっ、ちょうどねじ込めそうな隙間あるじゃーん、ちょっと後ろから失礼するゾ~。
(うおっ!?)
(マジかよ!)
(お先)
そのままするするっと馬群を抜け出しまして。おやおや、丁度先頭と2番手が見える位置まで来たか、いつの間に。やっぱ池谷殿コース取りが上手いわ。
『スルリスルリと馬群を抜けてウッドストック3番手に躍り出る! 現在も先頭は変わらず7番クロイツティーゲル! その後ろ一馬身離れて二位に6番ツブラナヒトミですがそれに並びかけるように外からウッドストック上がってくる!』
さてそろそろコーナーの出口だけど、そろそろ仕掛けるのかい池谷殿?
「行けっ!」
任せろ。おーおー、鞭まで入って気合い乗ってんねぇ!
『さあウッドストック上がってツブラナヒトミを躱す! ヒトミ上がらないか!? 上がらないか!? 上がらない! ここで二番手に躍り出たウッドストック! 前のティーゲルを差せるか!?』
(アタシの前に出るなぁ!)
俺が追い抜いた馬が後ろから嘶くが、出るなと言われて出ない競走馬がいるか。悔しかったら差し返してみろ。
(よう)
(…………!)
そして外から先頭の馬の斜め後ろに付く。こっちをチラッと伺って僅かに焦りが顔に浮かんだのが分かった。
コイツは見たところまだ脚を残してるっぽいが、さほど余裕があるわけでもなさそうだ。少しでも油断すれば差される、そんな顔だな。
だが向こうの鞍上もみすみす勝ちを譲ってはくれない。こちらの動きにフェイントで牽制を入れてくる。こりゃあ相当の手練れだ、よほど馬と息があってなけりゃ出来ん芸当だな。
(行かせない!)
(出来るかな?)
だが俺と池谷殿だって負けてないぜ。なんてったってこっちは人間の頭脳二人分だからな。
一人が指示を出す! 一人がその通りに走る! そこらの馬に負けるわけがなかろうて。
そうだろ池谷殿! …………池谷殿?
「……………………っ!」
あ、ヤバい。池谷殿大分苦戦してる顔してるぞ。ここからの差し筋が見えてないっぽい。
マジか。池谷殿が手も足も出ないか。参ったなこりゃ。気性難乗りこなしてきた君がそれということは、相手は一枚も二枚も上手だということか。
いや、逆に俺だからか? キミもしかして気性難の馬じゃないとあんまりパフォーマンスにバフかからないタイプ? いやそんなバカな。気性難じゃなくても実績残してたでしょキミ。……いや、あながち否定できないかもしれん。
ちょ、え? マジ? これワンチャン勝てるでしょ。行こうよ池谷殿。あ、行かない? ていうか行けない? 行けないのね?
分かった。
『さあぴったりクロイツティーゲルに付くウッドストック! しかし抜けないか!? 伸びないか!? 残りは300m!』
「ウッドストック!?」
「ヒヒッ!(落とされるなよ!)」
突然俺が暴走を始めたと思ったのか、必死に手綱を絞る池谷殿。大丈夫、俺は冷静だから心配するな。
ただちょっと、アンタに
『逃げきるか!? クロイツティーゲル逃げきるか!?
……いや! 来た! 来た! 伸びてきた伸びてきたウッドストック伸びてきた! 先程よりさらに大外に回ってなお伸びる! これは驚異的な末脚だ!!』
(バカな……!?)
(悪りぃな)
お前さんが目の前で愉快にケツ振って邪魔するんなら、『邪魔できないところから抜く』。単純明快にして最適解よ。
普通なら出来たもんじゃない。前の馬より外に回る分、十数mは余分に走ることになってしまう。大したことないように聞こえるが、レースの世界では致命的に長いコース取り。
だが、嘗めるなよ。俺は人間の記憶と頭脳を持つ馬。自分のスタミナの限界は自分が一番よく分かっている。だからこそ今回のレースに向けて、綿密にペース配分を計算してきた。
それに、最初のレースよりも心肺機能が格段に鍛えられているのが分かる。あの遊びでやっていた素潜りが功を奏したのかもしれないな。
デビュー戦より長いのに、あの頃よりも息が続いている。このスタミナを全力で短距離に使ったらどうなるかなー、などと考える余裕すらあった。
翻ってお前はどうだ、クロイツティーゲル。もう足腰も心臓も限界が近いだろう? 汗が滲んでるのが分かるぜ。
(なんだ……なんなんだお前!!)
(お前を負かす馬だよ)
(ふざけやがって!!)
ふざけてなどいないさ。これでも真剣に……。
『ウッドストック追い抜いた! 追い抜いた! 懸命に差し返そうとするクロイツティーゲルしかし苦しいか!? それを尻目にウッドストックさらに加速する! ウッドストック強い強い! 二馬身! 三馬身! まだまだ突き放していく!!』
あと、
「やったなウッドストック!! お前すげえなあ!!」
ゴール板を通りすぎた直後、鞍上から池谷殿が首を叩いてくる。おだてても勝利しか出ねえぜ。ヘドバンも出るか。
クールダウンを兼ねたウイニングラン。観客席からは歓声、悲鳴、怒号と
見たかよお前ら。これで分かったろう、俺は決してフロックではないと。
俺に賭けた奴には脳を焦がすような熱い夢を。賭けなかった奴には身を凍らせるような悪夢を。
俺は、ウッドストック。
ターフで夢を魅せる、ロックスターだ。
「見ました? コイツ俺に自分の使い方教えてきたんですよ」
「見ましたよ。大外から差すなんて、あなたらしくない競馬だった」
「ええ。ウッドストック、とんでもない馬ですよ。競馬を理解してますし、自分のスペックが分かっている。自分がどういう馬か、どんな使い方が出来るか、俺にプレゼンしてみせる。これで普段は大人しいってのがますます信じられない。本当にステイゴールド産駒なのか」
「これで三冠でも獲った日にゃあお祭り騒ぎだろうな」
「獲ります。コイツとなら獲れる、そんな気がするんです」
馬房に戻って水を飲んでると、目の前でおっちゃんと池谷殿がそんな話をしていた。
三冠か。皐月賞、東京優駿、菊花賞の三つだよな。
でも俺が知ってる競馬史だと、獲ったのはオルフェの坊主と池谷殿なんだよなあ。俺というか、ウッドストックなんて馬は見たことがない。少なくとも俺は。
これあれだよな。本当に俺に出来るかどうかはおいといて、もし俺が三冠になったら、歴史が変わるってやつだよな。
いいんだろうか、本当に。
もちろん三冠獲れる、なんて絶対的な自信がある訳じゃない。そもそも三冠全部に出るかも分からない。
だけど。人間だった俺が馬になったのも、わざわざ二十年も前の過去に逆行したのも、このためだとしたら?
『ウッドストックという馬が、三冠を獲る』。そのことに、何らかの意味があるのだとしたら?
そのために、『俺がウッドストックという馬になる必要があった』のだとしたら?
……神様が居るかどうかも知らないが、居るのだとしたらきっと一生、いや何度生まれ変わっても奴と話が合うことはないだろうな。まさに神の悪戯だ。
俺は、どうしたいんだ? 俺は…………。
「…………どうしたポケ? また考え事か?」
いつの間にか、ボーッとしていたらしい。おっちゃんが俺の鼻先を撫でた。
ふと見れば、池谷殿はいつの間にか居なくなっていた。だから幼名で呼ばれたのか。
「……まあ、お前がどんなレースに出るのかなんて、頭悩ませるのは俺達人間の仕事だ。お前はただ、無事に、怪我なく走ってくれりゃあいい」
おっちゃんのその言葉。
なんてことのない、純粋に馬を気遣うその言葉には。
なんだか、言霊というか。見えない力があるような、そんな気がした。
「おっ? ハハハッ! こら、舐めるなって」
おっちゃん。俺、走るよ。
三冠だろうが、古馬だろうが。海外だって。
出るレース、全部勝ってやる。
おっちゃんが後々、「あんなすごい馬を世話したんだな」って、一生自慢できるような馬になるよ。
俺にも走る理由はあるよ。俺、おっちゃんのしわくちゃな笑顔が好きなんだよな。
その笑顔が見れるなら、歴史なんて知ったことか。何の因果か知らないが、競走馬になったのなら全力で馬生を駆け抜けてやるさ。
だって俺は、ウッドストックだ。
「……さて、ポケ。今日はポップスなんてどうだ?」
「ヒヒッ! ブルルルッ!(おっちゃん好き! 抱いて!)」
音楽大好きな、競走馬なんだ。
未だにレースの描写はこんな感じでいいのか悩んでます。