彼方ちゃんが好きって君が言うから付き合ったんだよ? 作:裏面が下駄
彼方さんと一緒にいる時間が、楽しいと思えなくなってきたのはいつからだろう。
彼方さんと付き合って半年が過ぎた頃、俺は限界を感じ始めていた。
同好会以外の子とは話せない。女の子が出るテレビも見れない。どこに行くにも誰と行くかも全部報告しないといけない。
以前しずくに愚痴を言ったこともあった。しずくは「別れるしかないんじゃない」と言った。でも、それが理由じゃない。誰かに言われたから別れるんじゃない。
彼方さんのことは好きだ。それは今も変わらない。でも、このまま続けていたら、いつか彼方さんのことも嫌いになってしまう気がした。それが怖かった。好きなうちに、ちゃんと向き合いたかった。
翌日、俺は彼方さんを家に呼んだ。
インターホンが鳴り、扉を開けると、彼方さんはいつもの制服姿じゃなかった。
淡いベージュのワンピースに、ふわりとした羽織りを合わせていた。髪もいつもより丁寧に整えられていて、柑橘系の甘い香りがふわりと漂ってきた。
「やっほ〜凪くん♪」
「……どうぞ、入ってください」
「おじゃましま〜す!今日どこ行くの?外?それともお家でまったり?」
軽やかな足取りでリビングに入り、ソファに座った彼方さんは、期待に満ちた目で俺を見ていた。
「…彼方さん、お話があります」
「うん?なぁに〜?」
彼方さんはいつもの柔らかい笑顔で俺を見ている。
「あの、俺——」
「あ、ちょっとまって!凪くん、来週の日曜日、講堂でライブがあるんだけど来てくれる?凪くんに見てほしくて!衣装もすごく可愛いんだよ〜!」
「え、あ……それは」
「かすみちゃんと璃奈ちゃんも来てほしいって言ってたし!ね、来てくれるよね?」
屈託のない笑顔で顔を近づけてくる。
「……話を聞いてもらえますか」
俺が真剣な声を出すと、彼方さんの表情が一瞬だけ揺れた。でもすぐにまた笑顔を作る。
「なあに?もしかしてライブより先にデートがしたかったのかな?それならいいよ〜?どこ行く~?」
「彼方さん」
「ショッピングモール行ってご飯食べて、映画とか〜?凪くんが行きたいとこならどこでもいいよ?あ、この前新しいカフェできたってかすみちゃんから聞いたんだけど、2人で行こうよ〜!」
「彼方さん!」
もう一度、はっきりと名前を呼んだ。彼方さんの言葉が止まった。なにかを察したのか膝の上で、彼方さんの手がゆっくりと握りしめられる。
「……ねえ、凪くん」
「はい」
「今日って、記念日でも何でもないよね?」
「……関係ないです」
彼方さんは少しだけ笑った。でもその笑顔はいつもより、どこか力が抜けていた。
「……そっかぁ」
小さく、ただそれだけ言った。笑顔のまま、でも目だけが笑っていなかった。まるで、この瞬間が来ることを、ずっと前から知っていたような顔だった。
「ねえ、話す前にさ、一個だけ聞いてもいい?」
「……どうぞ」
「凪くんはさ、今も彼方ちゃんのこと好き?」
真っ直ぐな目で聞いてきた。俺は少しの間、黙っていた。
「……好きです」
彼方さんはその言葉を噛み締めるように、もう一度小さく繰り返した。
「そっか、好きでいてくれてるんだね」
それから、ゆっくりと目を伏せた。
「……話して」
「…俺、彼方さんのことは好きです。今でもそれは変わってません」
「…うん」
「でも、彼方さんと付き合ってから、友達とほとんど会えなくなりました。同好会以外の子とは話せなくて、女の子が出るテレビも見れなくて、どこに行くにも誰と行くかも全部報告しないといけなくて」
言葉にすると、積み重なっていたものが一気に出てきた。
「俺が俺じゃなくなっていく感じがして、それが怖くて……ずっと苦しかったんです」
「……」
「一回、彼方さんと離れて、ちゃんと自分の足で立てるようになりたい。だから、別れてほしいです」
部屋に沈黙が広がる。
彼方さんはしばらく、何も言わなかった。ただ膝の上で手を握りしめたまま、俯いていた。
「……ねえ、凪くん」
「決まりごと、減らすから。彼方ちゃん、頑張るから」
「全部なくす。束縛も、報告も、全部やめる。だから——」
彼方さんの声が、少しだけ震えた。
「彼方ちゃん、ちゃんと変われるから。だから——」
声が途中で詰まった。しばらく俯いて、息を整えるように黙っていた。それからゆっくりと、絞り出すように続けた。
「だから、もう少しだけ、一緒にいてくれないかな」
俺は黙っていた。彼方さんは膝の上で手を握りしめたまま、上目遣いで俺を見た。泣くのを必死に堪えているのが分かった。
「……お願い」
こんな彼方さんを見たのは初めてだった。いつも余裕があって、全部見透かしてるような彼方さんが、今は今にも崩れそうな顔をしている。
それでも、俺は首を横に振った。
「……ごめんなさい」
長い長い沈黙だった。どのくらい時間がたっただろう。やがて彼方さんは一度だけ深く息を吸って、ゆっくりと立ち上がった。
「別れるのは、分かった。凪くんがそう決めたなら、彼方ちゃん何も言わない」
彼方さんの声は静かだった。でも少しだけ、揺れていた。
「でも、せめて……」
俯いたまま、彼方さんは続けた。
「せめて、友達でいてほしいな……」
最後の方は、ほとんど聞こえないくらい小さな声だった。顔を上げた彼方さんの目には、今にも零れそうなものが光っていた。必死に泣かないように堪えているのが、痛いくらい伝わってきた。
「……はい。俺でよければ」
その言葉を聞いた瞬間、彼方さんはぎゅっと唇を結んで、小さく頷いた。
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彼方side
家に帰り、部屋の扉を閉めた瞬間、私はその場にしゃがみ込んだ。
涙が一粒、二粒、床に落ちた。
どうして別れるなんて言うの。私のどこがダメだったの?美味しいご飯も作った。いつもそばにいた。凪くんのこと、誰よりも好きだったのに。
(あ、……しずくちゃんのせいだ)
頭の中に、しずくちゃんの顔が浮かんだ。
ずっと凪くんのそばにいて、ずっと凪くんの話を聞いて。「別れるしかないんじゃない」なんて言葉を吹き込んで。
じわじわと、じわじわと凪くんの気持ちを彼方ちゃんから引き剥がしていった。
(そうだよ、しずくちゃんのせいだよ)
もし、しずくちゃんがいなかったら。もし、余計なことを言う人間がいなかったら。凪くんはずっと、彼方ちゃんのそばにいてくれたはずなのに。
指先が、じわりと白くなるほど強く握りしめられた。
でも、すぐに顔を上げた。
泣いている場合じゃない。友達に戻ると言ってくれた。それで十分だ。凪くんはまだ、私の手の届く場所にいる。
離れたって、関係ない。どこに行っても誰と仲良くなっても、最終的に凪くんが戻ってくる場所は彼方ちゃんの隣に決まってる。
私は静かに立ち上がり、涙を拭いた。鏡に映る自分の顔を見て、ゆっくりといつもの笑顔を作った。
(待っててね、凪くん。彼方ちゃんはずっとここにいるから)
Boooooom Boooooom Bee!!のライブ最高でした…!