初夏の決意 ~ちばあきお『キャプテン』後日談~ 作:物語の記憶
2.薫風のグラウンド
―― 校長と今井の邂逅から、約一ヶ月後。
野球部部室の影に、“ある人物”がノックバットを手に立っていた。ふと校舎の大時計に目をやる。
「三時半かあ。普段なら、大工の仕事が最も忙しくなる時間帯だというのに。父ちゃんたら、『なに迷ってやがんだ。すぐ行ってこい!』だもの」
そう独り言をつぶやきつつ、彼自身、自分の胸の内にある高ぶりを抑えられずにいた。
「なつかしいな。このグラウンドに顔を出すの、何年ぶりだろう」
グラウンドのホームベース奥に、墨二中野球部員は集合させられていた。その中には、春の選抜大敗後に退部した数名も含まれている。
「まったく……」
退部した者の一人、当時遊撃手を務めていた星川が言った。
「なんでおれまで、こんな弱小野球部のやつらのために、練習に顔を出さなきゃいけねえんだよ。こちとら、新しいシニアのチームを探すのに、忙しいつうに」
すぐに周囲の数人が、立ち上がり反応する。
「なんだと、この野郎!」
「調子に乗りやがって。きさまもあの試合に出てたんだから、責任はあるじゃないか」
「うるせえ! ひとがいくらチャンスを作っても返せないわ、ピッチャーは四死球で自滅するわ、おれ以外の野手陣はぽろぽろエラーするわ。あんなんで勝てるかよ!」
その時だった。眼前に歩いてきた校長が、大きく咳払いする。
「いい加減にしたまえ。いまさらギャーギャーわめかなくても、君達の気持ちは十分分かってる。要するに……君達は、勝ちたいのだろう?」
校長の言葉に、ナイン達は首を縦に振った。ただ一人、星川だけが唇を尖らせる。
「どうやっても勝てそうにないのが、問題なんでしょうよ」
オホン、と校長は再度咳払いした。
「君達の思いに応えるため、今日は新監督をお連れした。ひょっとして君達の中には、顔を知っている者もいるんじゃないかな」
校長が話を止めると、野球部室の影から、一人の男が飛び出してきた。大多数の部員達が「誰だ、あの人」「知らねえな。うちのOBか誰かか?」とざわめく。
そんな中、星川だけが「あっ!」と大声を発した。
「な、なんだよ星川」
隣の部員が、迷惑そうに耳をふさぐ。
「急に大声出しやがって。あいつ、そんなに有名人なのか?」
「バカめ! そんなことも知らねえから、きさまらは弱小なんだよ」
星川は後方へ体を向け、中腰になる。
「いいか、よく聞け。あの人は、うちの野球部が初めて全国優勝を果たした時の……」
その時、クスッと当人は笑う。
「星川君と言ったね。気持ちはうれしいが……自己紹介は、自分でさせてもらえないかい?」
「はっ、失礼しました! 出しゃばって申し訳ありません」
星川は向き直り、きれいに体育座りの格好になる。不遜な性格と思われた彼が、初めて見せる真摯な態度に、他の部員達は戸惑う。
そして――正面に立つ青年は、穏やかな微笑みを浮かべて言った。
「みなさん、はじめまして。墨二中野球部の卒業生で、元キャプテンの谷口タカオです!」
谷口と野球部員達の間を、風が走り抜ける。緑が強く香るような、薫風である。グラウンドの木々は、すっかり葉が青々と茂る。
初夏の日差しが、グラウンドに力強くも優しく注ぎ込んでいた。
<完>