【本編完結】トレセン学園の禁止リスト 作:ドクタークレフ
白かった。そこはただ白かった。
ここでどれだけの時間が経ったのはかわからない。だが、記憶のある間はこの真っ白な空間にいたことは確かだ。後ろ手に拘束された両腕を吊り上げられる様な形で動きを封じられ、宙に浮いた腕には透明なチューブが刺さる。……もっとも、顔を上げたところでそれが見えるわけでもないので、少しでも体力を消費しないように、とりあえず俯いて黙っている。つま先立ちの状況は頭の奥をどこかひりつかせる。
《……さて、SCP-2000-f1-A、もう一度はじめからいこう。別に僕たちは君を痛めつけたいわけじゃないし、ひもじい思いをさせたいわけではないんだ》
ここでの私の名、SCP-2000-f1-Aを呼ぶ声がする。白の奥、銀色の四角い何かの奥に誰かいることはわかっている。だが見えるのは銀色の四角いなにかだけだった。
《君たちは何者なのか、我々は知りたいと思っている。君たちがどこからきて、どこに向かうのか。それをただ、知りたいと思っている》
「それをしって、どうするんですか」
つぶれかけている喉で淡々とそう返す。明るい茶色の髪も、大分くすんでしまったなと自分でも思う。自分の意識よりも大分甲高いと感じる声。それが自分の声だと知ったときは少しばかり驚いたのも記憶の遙か彼方後方だ。
《それが我々『財団』の仕事なんだ。そういうものなんだと思ってほしい。我々は、どうしても、君たちの情報を知る必要がある。……簡単なところから行こう、改めて君の名前を聞きたい》
「ノーザンテースト。わたしにとっては、いみのあるなまえ。だけど、そうよばなくてもいい。SCP-2000-f1-Aでもいい」
《OK、では、ノーザンテースト。その名前はいつから持っていたものかな? そう名付けた人がいるとか?》
「うまれたときからしっているなまえ」
これまでに何十回もこの対応をしてきたように思う。言い方や順番が変わっているが、回答は変わらない。嘘偽りなく回答している。……それが、『財団』とやらが求める回答とは異なるだけだ。
《ノーザンテースト、その名前は以前、馬と呼ばれる生物でその名を持つものがいた。それと関係あるのかい?》
「わたしにはわからない。ただ、わたしたちは、はしるためにうまれてきた。そのために、うみだされた」
《走るため、とは?》
「いったとおりだよ。わたしたちは、はしるために、うまれてきた」
ここでこう拘束されるためではないんだけどな、と言葉の裏に潜ませつつ、同じ事を繰り返す。
《可能であれば、僕も君に走れる環境を用意してあげたいと思っているよ。だけどね、君たちが危険ではないという確認をしないとそれが許可できないんだ》
どこかから声が降ってくる。声の主はおそらく銀の四角の向こうで話しているに違いない。
《だから教えて欲しい。君たちは、走るためというには、十分すぎるほどに知能が発達していて、体も十分以上に頑丈なんだ。君たちにできることがあまりに多すぎる。それこそ、不自然なくらいに――――》
――――あぁ、そうか。
「あなたは、じぶんがなんのためにうまれたか、かんがえたことがある?」
そう、問い返す。
「どうしていきなきゃいけないか、かんがえたことは? 『いきたいから』のほかに、なにかをかんじたことは?」
つま先立ちを続けたまま、問うたところで伝わるか。あの銀色の四角の向こうにいる何者かはこちらをのぞき込むか。
「なにかのために、いきなきゃいけないとおもったことは?」
《――――それは》
「ないよね。あるわけないもん」
両腕に力を込めたところで動けるわけでもない。それでもなにもしないよりはましだったと思いたい。
《……ノーザンテースト、君にはあるのか?》
「うん、あるよ」
《それはなんだい?》
「わたしは、アウトプットだから」
《
銀の四角の奥が困惑したような声を出す。……あぁ、そうか。この銀の四角の奥にいるのも他と一緒か。
「そう、アウトプット。……あぁ、そうだね。そうだったよね。そうじゃないといけなかったよね」
《……。》
「なにかをわすれているとおもったら、そうだ。わたしたちは、ずっと、アウトプットをもとめられていた」
《君はSCP-2000のことを言っているのか?》
それには答えられない。それが何をさしているのかがわからない。
「わたしたちはおぼえている。わたしたちはわすれない。わすれちゃ、いけない」
《あぁ、なんてことだ、なんてことだ……。なるほど、
バチンと何かが揺れる音がした。あぁ、これで終わりか。そう思った。どこかスパイスのような香りが鼻をつく。
「――――ちょっと待とうか、そっちの子羊くん。このポニーとロデオに興じる余裕くらいはあるだろう?」
そういう声が降ってくる。――――初めて、温度のある声を聞いた。
「彼女達の扱いはこの私に任せてはくれないだろうか、そこのボーイ。まだ私は試したいことがいくつかあって……そう、
「……へ? うあっ!」
パチリと音がする。いきなり両腕の拘束が外れて床にたたき落とされる。そのときに腕に鋭い痛みが走った。ずっと腕をひねり上げられた姿勢だったことに由来する筋肉の痛み、そして倒れたときに抜けた点滴の痛みだ。
――このひと、いつからいた?
疑問が痛みと一緒に流れ込む。なぜか感じる嫌悪感が痛みと一緒にすり込まれる。
その姿は自らとよく似ていた。顔を見上げることができないが、尾がないことはわかった。これが、銀の四角の奥にいるものの姿なのだろう。
《……クレフ博士、あなたはSCP-2000-f1-Aに接触することを許されていない》
「残念、私はアルト・クレフ
《いいや、あなたはアルト・クレフ博士だ。教育部長のクレフ博士だ》
「なぜそう言い切れる? 私と君のはいている靴の靴紐が違うからか?」
倒れた姿勢のまま視線を横に走らせる。革靴にグレーのスラックスの裾、鼻先をどこか汚れた白衣の裾がかすめた。
《ではあなたは誰だというのです》
銀の四角がそう問うた。男は天井を仰ぐようにしたようだ。真っ白な地面に落ちる影でわかる。
「無念っ! 私がだれだかわからないなんて、なんと嘆かわしい! しかし無知は罪ではない。覚えておくと良い。私はだれでもあり、だれでもない。私は、
その男は、ウクレレを手にジャック・ブライトと名乗った。その声に背に冷たい針が刺さったような嫌な感覚が走る。
《クレフ博士、あなたが大嘘つきであることはよく知っています。ブライト博士のせいにすればなんでも許されると思いましたか? あなたは今SCP-963の影響下にない。それは既に
銀の四角が淡々と告げていく。クレフ博士と呼ばれ、ジャック・ブライトと名乗った男はそれをどこか楽しそうに聞く。
《あなたはSCP-963に直接触れたことがない。すなわち、あなたはブライト博士ではない》
「おっと、信じてないね? でもまぁ、致し方ないことではあるか。5年前に滅んだ世界からお礼参りなんて現実的ではないと思っているね? あぁ、君はSCP-978の実験記録でも見たのかな。あの願いがかなったというのにジャック・ブライトが出てくるはずがないって。まぁ、せめてコンクリートでいいから墓石が欲しかったところではあるが、世界の危機の最中だった以上、財団にそこまで期待はしないさ」
体が痛みで悲鳴をあげているせいか、顔を上げることができない。その痛みの隙間を埋めるように男の声が流れていく。
《いや、あなたはアルト・クレフだ。あなたはいつだって嘘をつく》
「その通り。私はいつだって嘘をつく。私のことを
男が歩を進めるのを眺める。視界の先にはただ、白い白衣の端だけが残る。
《……良いでしょう。今あなたが誰であれ、SCP-2000-f1-Aの収容違反のリスクを侵していることに変わりはない。それで、ブライト博士、もしくはクレフ博士》
銀の四角は男の事を二つの名前で呼び始めた。
《あなたは彼女の終了を請け負うというんですか? あなたがクレフ博士であれば確かに彼女を終了させることは容易でしょう。しかしSCP-2000-f1への接触は許されていないことはご存じですか?》
「もちろん知っているとも。それは君たちも一緒だろう、哀れな子羊君。だが我々は、君も私も、そもそも前提が間違っている事に我々は気がついていなかった。その間違いを我々は理解せねばならなかったのだよ」
《間違い?》
そうさ! と男は声高に叫んで、まるで礼拝を執り行う神父のように両腕を高く掲げた。
「SCP-2000、デウス・エクス・マキナ。機械仕掛けの神。人類が初めて生み出した触れられる神。神の化身。それらを扱うことを覚えた我々がどれだけ無謀か、誰もわかってなどいなかったのさ。財団の叡智を結集し作られたであろう聖域、SCP-2000。その本質を、我々はどこまでも勘違いしていた。……いや、知っていたのに見ないふりをしたのだよ、諸君」
そこで男は声のトーンを落とす。
「
《ブライト博士、そろそろ仕事の話をしましょう。我々には時間がない、それをあなたは理解しているはずだ》
「時間? 時間だと? 君の言う時間とは何だ? 砂時計の砂が落ちていく現象のことか? どこまで
《今あなたの
銀の四角が激高する。つられるように男が高らかに笑うが、銀の四角はそれに取り合わず続ける。
《今我々は人類復興の瀬戸際にある。どれだけ哲学が崇高であろうと、どれだけ神が高貴であろうと、我々が生き残らねばその恩恵を享受することはない! 70億を超える人類の無念を、我々財団が背負っている以上、こんなところで油を売っている余裕がないことを、なぜあなたほど優秀な人が理解しないんだ!》
「だから! その哲学の欠如こそが人類の失態だと言っているのだよ私は! 人類が滅んではや五年。《デッドグリーンハウス》シナリオの再来、GH-1から未だ五年。君たちがSCP-2000にすがりついてもう五年。――――我々は既に失敗していたのだ! 分水嶺は数百年以上前にすでに通り過ぎていたのだ、諸君!」
男の声がガンガンと頭に響く。語彙にない単語が頭の奥にすり込まれる。
SCP-2000、それは私に銀の四角がつけた名ではなかったか。
「どうしても生き残りたいと願った。それが機能不全の機械仕掛けの神の
男はそう言ってその場でステップを踏み半回転した。
「―――― かくてイエス弟子等に曰へり、誠にわれ汝等に云はん、富める者の天國に入り來るは難しと。されば復たわれ汝等に云はん、富ある者の神の國に入り來るより、騎駝の針の穴を通るは尚ほ易し!」
そのままさらに半回転し、その男の演説が続く。
「殺すな・犯すな・盗むな・偽るな・親を愛せよ・隣人を愛せよ。たったこれだけのことなのに、守れない人間のなんと多い事よ! 天にではなく地に徳を積む人間のなんと多い事よ!」
《それを断罪する資格があなたに――――》
「あるのだよ!! この世界でただ一人! この世界を断罪するに足る理由が!」
男は叫ぶ。それを痛みの中で聞く。
「君だってあの忌々しい人間の残したスリーブを見ただろう! 『我々はなぜこれを造らねばならなかったのか? いつやったのか? どれほど続けているのか? そもそも我々は知っているのか?!』 君たちは何度でも繰り返してきた。輪廻のように繰り返し、その足跡を、その大罪をこの地球に刻んできた。だが我々は、忘れ、逃げ、同じ歴史の再生産を繰り返す! 自業自得の破局すら塗り替え、忘れ去り、焼き直してきた! 君の言う70億の無念も、アンニュイの彼方に消し飛ばす前提だろう!」
ひとりでにヒートアップする男の声、銀の四角はそこに熱を吸い取られるように声が冷える。
《……お前はブライト博士ではないな。クレフ博士……いや違う! まさかお前は――――!》
「ハッハァ! 偉大なるI AMはお怒りだぞ! 私たちは覚えている。私たちは忘れない。これは
《――――
部屋が蛍光色の赤い光に切り替わる。赤以外の色の彩度が落ちる。非常事態を示す光の色だと本能的に気がついた。
「もう遅いっ! すでに私たちは――――受肉したっ!!」
突入してくる黒い影、それが赤い血を吐いて倒れていく。破裂音が頭上から降ってくる。
――――収容違反発生、収容違反発生。ヒト型収容ユニットの破損を確認。セクター2000-315の自己封印プロシージャがリクエストされました。Cクラス以上の職員は至急待避してください。
「うん、いいね。……さて、ポニーちゃん、無粋な男達はこれでいなくなった」
「あなたは……だれ?」
「何者でもあって、何者でもない。おっと、でもアルト・クレフとは呼んでくれるなよ。心底不本意なことに、僕がまともに使える体がこれくらいしかなかったんだ。だが、そうだな、とりあえず――――ブライト博士とでも呼んでくれ」
「よくわからない」
「ならわからない方が良い」
男はそう言ってしゃがみ込む。
「立てるかい?」
「これから、なにを?」
「まあ、決めてないよ。ここじゃないどこかにいって、世界をやり直すんだ。もっとも、僕が約束できるのは何があっても君たちを忘れない。それだけなんだけどね。……とりあえず出よう。ここは狭すぎる」
男はどこか裏のありそうな笑みを浮かべている。それに恐怖を感じながらも、――――ノーザンテーストはその手をとった。
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Padre augusto,conosco il nome dello straniero!
Il suo nome è … Amor!