嘘の兄妹   作:ヘイ!タクシー!

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真実

 母さんが死んだ。

 

 

 女独りで俺達を養ってくれた母さん。シングルマザーで太陽も登ってない朝からパートの仕事に追われて、帰ってくるのは深夜。

 ヨーロッパ出身だったとか言う馬鹿な親父が蒸発したせいで孤独な身。母さん側の祖父母も病気で早くに死んでしまったらしく、親戚も面倒ごとを嫌厭して、頼れる人は居なかったらしい。

 

 それでもなんとか生活出来ていたんだ。俺は早熟型だったのか物心付いた時から母さんに代わって家事全般を覚えることが出来た。子供なりに、自分達はヤバいって理解していたから我儘を言わずに母さんを困らせることをせずに済んだ。

 

それに────

 

「おにいちゃーん! おんぶー!!」

 

「しょうがないなぁ。ほら、お兄ちゃん号だ。今日は台所の観光だぞー」

 

「わーい!!」

 

守るべき妹がいる。大切な妹がいた。

 

 

 

「おにいちゃん! おままごと!」

 

「う、うん…………えと、どうやるんだ?」

 

「この子がおかあさん! この子がわたし!! おにいちゃんは、はい! この子がおにいちゃんだよ!!」

 

「お兄ちゃんがお兄ちゃんをやるの? …………意味あるのかそれ」

 

家事の合間に妹────玲と遊ぶ。

玲は父親を知らない。生まれる前に何処かに消えたから。だから、家族の中に父という言葉は無い。俺も教える気は無かった。

 

玲に不細工なお人形を渡される。これが、今からやるおままごとの俺の役らしい。正直、あまり見たことが無いからわからない。玲は教育テレビの真似をしているから、家事に忙しい俺は話に余りついていけない。

 

「おかえり!おかあさん! ほらお兄ちゃんも!!」

 

「お、おかえりお母さん」

 

「────ただいま! きょうのごはんはなにかしら? おにいちゃん」

 

「えと……お米と味噌汁、それにコロッケだ、よ」

 

「あらおいしそう! さんにんで食べましょう────わーい! いただきまぁす! モグモグ!パクパク!」

 

正直、一人二役をこなす妹がシュールだ。

 

「おいしいねぇ。でもいつもと味がちがうきがするわ」

 

「そうなの? 違いなんてそもそもあ────」

 

「わたしがてつだったの! おにいちゃんのお嫁さんになるためにべんきょうちゅうよ! かくしあじは、おにいちゃんへの『あい』よ!」

 

 

 

正直妹の遊びはわからないが、玲が笑ってくれるならそれで俺も嬉しかった。

 

 ああ……俺はそれで良かったんだ。満足していたんだ。大好きな母さんが居て、可愛い可愛い妹がいる。それだけで本当に幸せだったんだ。

 

 

 

 

 

 

「けほっ、けほっ…………おにい、ちゃ…………なんでこんなにツライの? くるしいよ…………いたい、よぉ……」

 

「ごめん……痛いよね。苦しいよね…………何にも悪いことしてないのに、嫌だよなぁ…………代わってあげられなくて、ごめん……」

 

 

 状況が変わったのは、玲がある心臓病に罹ってしまってからだった。

昨日まで楽しそうにおままごとをやっていたのに、朝起きたら咳が止まらなくなっていた。何度も何度も咳をする妹の様子がおかしくて、母さんと付き添いで病院に行ったら、医者に病気だといわれた。

玲は元々身体が弱くて、よく体調を崩してはいた。だからなのかわからないけれど、玲はその日から総合病院で入院することになってしまった。

 

 

 入院費は俺達家族にとって当たり前のように高かった。でも玲は病院の設備が必要で、ちゃんとした生活を送らないともっと悪くなってしまうから。

 

「母さん……」

 

「大丈夫よ、累。私は大丈夫だから……」

 

「…………」

 

 母さんは休む日がなくなった。日に日に窶れていく母さん。心配しなくても良いと笑う母さんが今にも何処かに行ってしまいそうで怖かった。家事だけでは母さんを支えられなかった。

 俺は中学に上がったのと同時に、バイトをすることにした。俺の年齢で出来たのは朝3時からの新聞配達と近所のスーパーのトイレ掃除。あまり割りの良い仕事じゃなかったけど…………玲を寂しくさせないように放課後は面会時間いっぱいまで話す時間が必要だったし、夜は家事と母さんに温かいご飯を作ってあげたかったからこれしか無かった。メリットとしては時給が良かったのと、睡眠時間を削れば家族の為の時間が無くならない事。

 それに、疲れ切ってぐっすり眠ってしまう母さんにバレずに稼げた事だった。母さんは家計の事を気にしてる余裕がなかったから、大家さんに言って家賃を俺の給料で払ってる事に気付かなかった。

 

「最近、顔色悪くない? ごめんね? いつも家事を任せて……」

 

「平気だよ母さん。母さんが仕事を頑張ってるから、辛くないよ。むしろ早く就職して母さんと玲を守れる男になりたい!」

 

「ふふっ、嬉しい事言ってくれちゃって。ありがとね」

 

そうだ。母さんは頑張ってる。玲も病気と闘っている。俺一人が怠けているわけにはいかない。

 確かに深夜のバイトはキツかったが…………褒められたことではないけれど学校で睡眠を取れば良かったから、この生活はどうにかなった。

 

母さんのおかげで玲の入院費を払って尚少しずつ貯金は貯まった。

 

 俺達の生活はちょっと躓いた部分もあったけど、それでもちょっとずつ改善していってる。少しずつ、また良い方向に向かっている。

 

そう勘違いしていた。

 

 

 

 俺が中学3年生になったクリスマスイブの日だ。世間はカップル同士でいちゃついているが俺達には関係ない。とは言え、明日はクリスマスである。クリスチャンでも何でもない我が家ではあるが、一年に一度のイベント毎に何かしたいと思うのは人間の性であろう。

 少しの貯金を切り崩して買った安物のネックレス。いつも働いている母さんと、寂しそうにしている玲の為に買ったお揃いのプレゼント。

 母さんは帰ってきた時に、玲には既にナースの人に頼んで夜に枕元に置いておく様に頼んである。

 

 玲の反応を見られないのが残念であるが、渡した時の母さんの反応は楽しもうとウキウキしながら待っていた。

 そして、25日になったその日の深夜。いつものようにドアが開く。

 帰ってきた。そう思い母さんを迎えに行った。

 そしたら。

 

 

 

 玄関で母さんが倒れていた。

 

 

 

 突然の事だ。閉じた目に皺がより、苦しそうに呻く母さん。

 母さん以外の目の前の全てが真っ白になった。どうすればいいかわからなくなった。

 

「か、母さん……?」

 

 意味もなくぼやく様に母さんを呼ぶ。母さんは、ピクリとも動かない。

 疲れて、寝てしまったのだろう、か。駆け寄って少し揺らしてみる。起きない。

 

「かあさん。こんな、ところで寝てると、かぜひくよ?」

 

 強めに揺らしてみる。起きない。

 

 何度も呼んでみる。起きない。

 

 呼ぶ。起きない。

 揺らす。起きない。

 

 起きない。

 

 起きない。

 起きない

 起きない

 

 起きない

 起きない起きない起きない

 起きない起きない起きない起きない起きない

 起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない起きない────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひぐっ…………おかあさんッ! お母さん!!」

 

「………………」

 

 

 母さんが死んだ。

 心臓発作らしい。母さんも玲と同じで元から心臓が弱くて、苦しんでいた。母さんはお金が家に無いと思っていたから、薬を買う事もしなかったらしい。弱い体なのに、休みも取らずに一生懸命働いて。それで身体が耐えられずに、発作が原因で亡くなった。

 発作は、俺の知らないところで、何度も起こしていたそうだ。職場で、休憩中で、買い物中で。そして、就寝中で。

 知らなかった。俺が夜働いていたから、知らなかった。いや、言い訳だろう。俺が母さんに何も言わずに働いていたからこんなことになった。母さんが無理して働いているのを当たり前と思っていたから、その手伝いをこっそりしようと黙っていたのが馬鹿だった。

俺が働いている分だけ母さんの負担を減らして貰うべきだった。お金に余裕があるって、自分の分の薬も買ってもらえば良かった。貯金が出来たから休みを取れるって言えば良かった。

もう頑張らなくても大丈夫だって、言えば良かった。

 

俺のせいで死んだ。大事な家族が俺のせいで死んだ。

 

死にたくなった。死にたかった。自己嫌悪で頭がどうにかなりそうだった。

 

「お兄ちゃんッ! わたしっ、嫌だよ! お兄ちゃんまで居なくなったら、嫌!!」

 

「大丈夫だよ。俺はずっといる。母さんと約束したんだ。俺は一生、そばでお前を守るから。だから、泣くな」

 

 

でも、死ぬわけにはいかなかった。

 

玲がいる。可愛い可愛い、妹が。俺より4つも下の、病弱で、一人では生きていけない妹がいた。

 

「頑張るから。俺も頑張るから、玲も頑張ってくれ。病気なんかに負けるな。お兄ちゃんとの約束だ」

 

「うん……うんッ!! 私も…………私も、頑張るよ! 兄さん!!」

 

 

それからしばらくして、中学を卒業した俺は働いた。玲の為に。

保護者となったクズの親戚にあたる叔父は名義だけで碌に援助は貰えなかった。妹の入院費は払わないと言われた。家で安静にしてろと。

玲は母さんが死んだショックが大きかったせいか、日に日に体調が悪くなっているのだ。今入院をやめてしまったら死んでしまうかもしれない。

俺は玲の入院費を稼ぐ為に沢山働いた。鳶職と呼ばれる危険な建築業の社員として。しかも世間で騒がれているとある事故現場の跡地。有害な空気が垂れ流しにされてるとかなんとか。

 

世間では気味悪がられている。働く人も元ヤクザとか出所した人とか………でも、そういうところじゃないと俺みたいな若い奴は雇ってもらえない。

 

危険な重労働は肉体的に過酷だけど金になる。深夜は特に。

 

「兄さん。お仕事は忙しいの? それとも…………私のところに来るのは疲れちゃったかしら?」

 

「まさかぁ。そんな事あるわけないだろ? 仕事の内容覚えるので大変だったからちょっと来るのが遅くなったんだ。明日からはもっと長く一緒にいれるよ」

 

 

寝る間も惜しんで働いた。身体は毎日筋肉痛だし、同じ姿勢で長時間重い物を持つ事も多かったから身体中が硬くなって痛い。

 

「いつもありがとう、累兄さん。こんな私の為にごめんなさい」

 

「感謝なんて必要ない。俺達は家族でだろ? 母さんが昔言ってた。家族は支え合って生きていくんだって。今は玲が病気を治すのに必死で頑張ってるから、兄さんがそれを補っているだけだよ」

 

「でも…………いつも私だけ貰ってばかり…………」

 

だけど、玲に会うと身体の痛みなんか吹っ飛んだ。毎日面会しに行って、楽しくお喋りして、偶に女の子向けの物をお土産に喜ぶ姿を見て。

 

「うーん…………なら、兄さんのことお兄ちゃんて呼んでくれ────」

 

「それは嫌」

 

「な、なんでぇ……」

 

偶に反抗期になる玲に、情けなくお願いする俺。

 

「私、いつまでも子供のままでいたくないの。 お兄ちゃんなんて呼び方するの子供みたいで恥ずかしいわ」

 

「可愛いのに……」

 

「そ…………そんな事言ったって言わないものは言わないわよ…………まったくもう……」

 

母さんは居なくなって。でも、妹がいるから俺はまだ頑張る事が出来た。腐る事は無かった。

 

 

 

 

 

でも心配事はあった。妹の容態が悪くなる一方なんだ。ついこの間も発作が起こって面会拒絶になったばかりだ。

 

 

 

「正直に言って、今の治療法では限界です。延命出来たとしても、もう長くは…………」

 

15歳の冬。医者の言葉はまるで死刑宣告のように感じた。

 

 

「う、そ……ですよね? 何かの冗談、でしょう? ねえ先生?」

 

「………………」

 

「ふざけんな!! そんな馬鹿な事があるか!! 妹はずっと我慢して来たんですよ!? 小学校にはまともに学校にも行けずにずっとこの病院に居たんだ! 外の世界すら知らずにずっとこの小さな箱の中で我慢して来たんだ!!」

 

耐えられなかった。

玲が死ぬ。その事実に耐えられるわけがない。もうガムシャラだ。俺は医者に縋り付いて怒鳴り、助けを請うことしかできない。

 

「中学に上がった今年こそは友達を作るんだって言ってたんだ! 一度でいいから、皆んなと話しながら登校して、授業を受けて、休み時間に遊んで、一緒に帰る事がしたいって…………そんな当たり前の事を玲は願っていたんだ!!」

 

ささやかな願いなんだ。小学校を迎えれば誰もが当たり前の様にやってきたこと。その時間に幸福なんか欠片も感じた事が無いだろう日常を玲は欲していたんだ。そんな小さな願いを望んでいたんだ。

 

そんな小さな願いすら叶えられないなんて、悲しすぎるだろ。可哀想だろ。理不尽すぎるだろ。

 

「約束したんだ! 入学式には出れなかったから、卒業式には絶対出るって! 俺が晴れ姿を見守ってやるからって!! なのに…………そんな、小さな約束すら、俺はッ…………」

 

…………誰もが出来る当たり前すら、俺は玲に与えてやれないのだろうか。人として生きる上で必ず通れてしまう道すら、妹は歩む事が出来ないのか。

 

何故こんなにも理不尽なんだろう。運命はなんて残酷なんだろう。

妹が…………玲が、一体、何をしたって言うんだ。神がいるならぶち殺してやりたい。

 

代わることが出来たならどんなに良かったか。俺が玲の代わりに身体が弱かったらどれだけ救われたか。俺はいつ死んでもいい。どうせ、母さんを殺した生きる価値も無い罪人だ。何も目標がなくて、やりたい事も無い…………この世にいる意味を失った屑だ。苦痛の果てに死のうがどうでもいい。だから、代わってあげられたなら喜んで受け入れる。

 

玲は、俺とは違うんだ。夢がある。やりたい事がある。生きる意味があって、生きる事に希望を感じている。俺なんかよりも、凄くて賢くて偉いやつなんだ。

一生をベットの上で寝たっきりのまま過ごしていい筈がない。こんな小さな世界で一生を終わらせていい人間じゃ無い。

 

何かないのか。

何でもいい。妹が助かるためなら。アイツが生きていけるなら、何でもいい。

 

何かないのか……。何か────

 

 

 

 

「妹さんを治すためなら、何でも出来ますか?」

 

 

まるで俺の心を見抜いたかの様な言葉に、俺は俯いていた顔を上げた。

まるで何か手がある様な、そんな言葉に俺は目の前の医者に縋った。

 

「何か、あるんですか!? 先生! 玲を救える手が!!」

 

「以前話した、臓器ドナーの事は覚えていますか?」

 

俺はその言葉に、訝しむ様な目線を思わず送った事だろう。

 

臓器ドナー。いわゆる臓器移植。死んだ人間が生前に了承した事で行われる臓器の提供。提供されたその臓器で他の病人の臓器と交換して治療することができると、俺は聞かされている。

 

 

「ぞうき、ドナー…………。はい、覚えてます…………でも、見つけるのが難しいって……」

 

「私の伝で、非合法な臓器提供を行なっている団体から臓器を買える用お願いすることができます。勿論、これは法律を犯す立派な犯罪ですがね」

 

「なっ!?」

 

俺は思わずこの医者の顔をマジマジと見てしまった。

少し小太りな、ひ弱そうな一般男性だ。犯罪とは無縁の、よくいそうな医者。そんな医者が犯罪を唆し、加担しようとしている。驚き過ぎて声が出てこなかった。ただ、医者を見ることしかできない。

 

そんな俺の視線に医者は何を思ったのか、ただ表情を固くしたまま俺に告げる。

 

「臓器を買うには二千万のお金が必要となるでしょう。それでもいいなら、私は喜んで貴方の妹さんを治しましょう。どうしますか?」

 

俺はいつも付けている女性物のネックレスを強く掴んでいた。

 

 

 

 

 

 

「────それでね! 私いつも頑張ってるから、ナースのお姉さんが────」

 

「……………………」

 

慣れてるとは思っていたが、人は睡眠時間を極限まで削ると何か可笑しくなるらしい。目の前の光景が暗くボヤけて見える時がある。

代わりの臓器を買うために、俺は金を貯めなければならない。二千万円はアホみたいに遠い額であるが、貯金の300万と、銀行で無理して借りれた700万…………あと1000万貯めれば届く。一年の猶予があるとすれば、決して無理難題な額ではない…………筈だ。労働環境はクソだが、ありがたいことに現場作業ってのは給料とは別に作業手当なんてのが出る。過酷な場所であればあるほど、その額は大きい上に、非課税だ。

本当は玲の高校と大学のためにと取っておこうと思っていた母さんの貯金も、玲の命の為なら仕方がない。むしろここで使わなきゃ天国にいる母さんに怒られてしまう。

足りないのは時間だ。玲がいつまで持ってくれるか…………面会時間は最低でも2時間は欲しい。働くための時間も18時間は必要だ。それ以外は移動と睡眠時間に当てるとして…………毎日こなせば、一年あれば…………きっと届く筈だ。だから大丈夫。大丈夫────

 

「────さん、兄さん!」

 

「────えっ? あっ…………ごめん。少し、ボーッとしてた……」

 

玲の顔が目の前まで迫っていることに気づいて、俺は漸く今自分が何処にいたか理解した。

お見舞いのために病人に来ていた。それで玲と話をしていて…………お金を貯めるのに必死で、一日の中で最も大事な妹との会話を疎かにしていた。

 

「兄さん…………最近、顔色が良くないよ。私よりも良くない…………ねぇ。本当に休んでる? 無理してるでしょ?」

 

「あ──……もう5月だろ? 仕事が忙しくなる時期でさ。人手もちょっと足りなくてな……」

 

「そうなんだ…………お仕事わからなくて……いつもごめんなさい兄さん」

 

「いや、大丈夫だ。ほらそんなことよりさ、お前の話を聞きたいな」

 

 

 

 

俺は笑えているだろうか?

 

しっかりと出来ているだろうか?

 

玲を心配にさせていないだろうか?

 

俺は、玲を救うことができるだろうか?

 

 

 

────なぁ、()()()。玲を守ってあげてくれ。

母さんを殺した俺が何を言ってるんだと思うかもしれないけどさ。少しでいいんだ。あと少し、少しでいいんだ。あとちょっとで貯まるから…………

 

「兄さん…………いつも会ってくれるのに、あんまり、起きてられなくて、ごめんね……」

 

「────いいんだよ。お前が寝るまでずっと一緒に居てあげるから。だから、無理しなくていい……。安心して眠るんだ」

 

 

呼吸器を付けながら苦しそうにしている玲の手をギュッと握る。痩せ細ってしまった冷たい手を、肌の荒れたボロボロの手で温める。

 

暗い、暗い。先の見えない暗闇の道を歩いている様だった。

玲も1時間起きるのがやっとな程、体力が無くなっている。生きる為の灯火が少なくなっている。

 

 

医者から宣告されてから1年が過ぎようとしていた。

もう11月だ。寒くなってきたこの季節の外での警備の仕事も辛いが、兼任で働いている土木作業が一番辛い。夏も辛かったが、水分補給でなんとかなる分まだ良かった。ここからさらに寒くなる。1月を超えた冬は手先が冷えて腐り落ちてしまうのではないかと思えるほど、キツい。

でも、とにかく働かないと。俺にできるのはそれだけだから。なんとか1000万、稼がないと…………。

 

 

 

 

玲の体調が目に見えて悪い。寒い季節に体調を崩すのは多かったが今年は特に多い。医者には、春を越す事も難しいと言われた。心臓移植手術を成功させる為の体力も考えると、今年までに行わなければまず間に合わないと言われた。

 

 

12月になった。なんとか700万は貯められた。だけど足りない。お金が足りない。時間が足りない。

あと300万程だ。集めるのに、半年は掛かる…………間に合わない。足りない。全然、時間が足りない。

…………給料を前借りさせてもらえば来月は100万近く入る。でも足りない。今月に200万集められれば到達できるんだ。なのに、その手段が…………。

 

 

 

 

 

「お願いします! 妹が死にそうなんです!! 200万だけ、お金を貸してください!!」

 

俺はお金を借りる為、親戚の叔父の前で土下座していた。

もう何がなんでも頼るしか無い。

 

「無理だ」

 

「そこをなんとか……!」

 

額を擦り付けて懇願する。俺にはそれしか出来ないから。頼ることしか出来ないから。

 

「金なら絶対に返します! お願いです! お願いだから、妹を────」

 

 

「調子に乗るなよ、クソガキ」

 

襟首を掴まれて上体を持ち上げられたと思ったら、胸倉を掴まれて壁に叩きつけられた。

一瞬呼吸が止まる。それは叩き付けられた衝撃からでも、背中の痛みからでもなかった。

叔父の、本気で怒る目に、俺は息が止まった。

 

 

「お前の父親はなぁ! 方々に借金して逃げやがった! お願いします、家族が大変なんです…………そんな事を宣いながら、ヤニやパチンコに溶かした屑だったよ! それを、お前の母さんは必死に働いて返したんだ! 子供に借金を残したくないからって、命張って、限界まで無理をして、返し切った!! 誰にも頼らず、一人でだ!!」

 

 

知らなかった。

親父がどうしようもない屑だってのは知っていた。でも、馬鹿親父が残した借金を、母さんが必死に返していたなんて知らなかった。

いや、何を言っているのだろう俺は。気付いていなかっただけじゃないか。

あんなにも必死に働いていて、貯金が少ししか貯まらない? 今の俺とほぼ変わらない時間を仕事に明け暮れていた母さんのお金は何処に消えていた?

 

決まってる。借金返済だ。俺達にバレない様、頑張って返していたんだ。

 

「お前の親父は屑だ。だが、お前の母さんは凄い人だ。お前は、本当に頑張ってきたのか? お前の母さんみたいに、命を張ったのか? それとも親父みたいに、ただ甘えて泣きつくだけか?」

 

 

 

 

 

俺は仕事場に来ていた。いつもの様に現場作業。鉄鋼で組み立て、巨大な機器装置を運び、配管やらケーブルやらを敷設する。みんなが一丸となって頑張っている。寒い中、汗水垂らして必死にお金を稼いでいる。生きる為に。

 

生きる為に? 

わからない。生きるとはなんだろうか。みんな、何のためにこうして頑張ってお金を稼いでいるのだろう。

 

護る為に?

俺は妹を救う為に、護る為にこうして働いている。だけど、それが無意味なものになったら? そしたら、俺には何が残る? 何のために生きる?

 

そうだ。考えたって何にも出てこない。妹までいなくなったら、俺に生きる価値が無い。見出せない。

なら、いいじゃないか。どうせ何にも残らないなら、やって後悔した方が良い。行動しないで終わってしまったら、俺は俺を許せなくなる。

 

帰ったら、強盗しよう。銀行でも、コンビニでも、住宅でも良い。とにかく、金を奪おう。どうせ、見ず知らずの人間なんかに200万の金なんて貸してくれない。なら奪うしか無い。もうそれしか無い。強盗して、金を払ったら自首すればいい。そうだ。それが良い。罪は償えばいいんだ。どうせ違法の臓器売買をするんだ。今更一つ二つ罪が増えたからって、俺が極悪人であることには変わりない。なら、それで────

 

「危ない!!!」

 

 

強い衝撃を受けた。いつ転んだのかわからない。ただ、世界が回って、うるさい音がして、視界が真っ赤になって…………。

 

痛い。腕が痛い。いや、熱い。目が熱い。火傷した様に痛くて熱い。

何が起きた? わからない起きれないし、手足が動かない。首すら動かない。なんだ? どうしてこうなった? 誰か叫んでいる気がする。

 

人混み。鉄骨。見下ろす人。赤。多分仕事仲間の人達。赤い鉄骨。視界が赤い。眼の前が真っ赤だ。

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい!! なんてお詫びしたらいいか…………本当にごめんなさい!!」

 

初めて使った病院のベット。寝心地は怪我のせいも相まって最悪だ。玲はいつもこんな思いをしていたのか。

俺が寝ている隣の床で土下座しているのは仕事の同僚。俺が作業している時に、組み立て用の鉄骨を運んでいたらしい。普段なら危ないから組み立て中や運搬中は下の作業員が避難するのが通例であるが、今回は俺が気付かなかったのと、土下座するこの男が警告を忘れて運搬したのが要因の一つだろう。クレーンの操作を誤った彼が何本もの鉄骨の雨を俺に降らせた。

 

「…………」

 

左目の視力を失った。もう完全に治らないらしい。全身の打撲や骨折もそうだが、一番の大怪我はそれだ。医者には、元の様に治すのは不可能だと言われた。

 

「お金で済む話じゃありませんが、なんとか頑張って貴方の負担を減らせる様、援助します!! 本当にごめ────」

 

「■■さん。気にしないでください」

 

俺は冷ややかに彼の言葉を遮った。

誰が見てもわかる様に、俺は一生掛けても治らない大怪我を負った。視力や視界は半分になり、遠近感覚も狂ってしまった。後遺症の残る大怪我。今までの様に働けないし、男に援助してもらった所で殆どお金も入らないだろう。妹の入院費も、手術費も稼ぐことができなくなる。働けない以上、給料の前借りなんかも出来なくなっただろう。

 

現実味が無い。ただ強い喪失感だけがあった。

 

 

なのに我ながら酷く冷静でいれた。

 

「俺、妹がいるんです。心臓が弱くてずっとこの病院で入院している妹が。その妹がもう永くなくて…………その為に手術費が必要なんです。その為に俺はガムシャラになって働いていた」

 

「それ、は…………」

 

「俺はどうしても金が必要なんです。どうしても今、手術費が…………■■さん。俺はアンタを恨まない。ただ、どうしてもお詫びがしたいと言うのなら────」

 

俺は一度言葉を止め、緊張で震えそうになる唇を噛んで、その一言を言った。

 

「明日までに、200万円を用意してください。そうすれば、俺はアンタを一生恨むどころか、寧ろ感謝すら出来る」

 

 

 

 

 

痛む身体に鞭打って、俺は妹がいる部屋まで歩く。動かない身体が煩わしい。壁にもたれ掛かりながらでしか歩けない自分が恥ずかしい。早く妹に、玲に会わないと。

 

もう金は払った。手術の日も決まった。これで終わる。妹が頑張ってきた時間が報われる。俺がやってきた事が妹の命を救う。

 

 

 

 

 

筈だった。

 

 

「は?」

 

「で、ですからその……担当の茂不先生が突然辞めてしまって。妹さんの容態も悪化してしまって今緊急手術中なのですが…………恐らく、今夜が峠でしょう」

 

「い、言ってる意味が…………しゅ、手術は臓器の移植手術ってことなんですよね……? お金はしっかり払ったんだ。茂不先生も確かに任されたと!」

 

「ですから、その茂不先生が突然辞めてしまったんです! 妹さんは貴方が事故にあったと言う話を聞いて、突然容態が悪化してしまったし…………臨時で他の先生が手術して頂いてますが、当院には茂不先生以上に妹さんの病気に慣れた人も……」

 

 

 

緊急手術室の前で、俺はただ立ち尽くした。

怪我に触るからと病室に戻そうとする看護師の人を無視して、俺はその部屋の前にいた。

 

理解したくなかった。でも、妹が苦しんでいる。それだけはわかる。だから、せめて。手術が無事終わって真っ先に会うために俺はこの場所にいなくてはならない。

 

「ハッ………ハッ……!!」

 

吐き気がする。これが怪我のせいなのか、妹の容態を聞いた後だからなのかわからない。

頭が痛い。目眩もだ。身体も全身が痛い。今すぐ倒れたい。

もしかしたら、これは事故のせいなのではないだろうか。俺はあの事故で未だ眠っており、悪夢を見ているだけなんじゃないか。

 

 

わからない。何もわからない。思考がグチャグチャだ。そう言えばもうずっと休んでいない。気絶こそしたが、起きたらすぐお金の準備のために色々とやったから…………いや、違う。そんな事はどうでもいいんだ。どうでもいいから玲の顔が見たい。それだけでいい。無事な様子を見れればいい。

 

頼む神様。俺はどうなってもいいから、玲だけは救ってくれ。

 

母さん。玲を守ってくれ。俺がどれだけ酷い息子なのかわかっている。恨まれてもしょうがないとわかってる。だけど、玲だけは守ってくれ…………

 

 

 

胸元のネックレスを強く握りしめる。妹とのお揃いのネックレス。母さんが付けるはずだった物。

気休めとわかっていても、それを放すことが俺には出来なかった。

 

 

 

 

 

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