悠仁くん、初めての体育で肉体を爆破されて赤ちゃんになる。
----伏黒視点----
七月。
西東京市、英集少年院。
一年だけ。
朱紅赤抜き。
特級案件。
「五条先生と夏油先生には?」
「正式にご連絡済みです。しかし、お二人とも現在ご担当の出張任務も特級案件なので、ご確認されるのがいつになるか……」
「分かりました」
「すみません、お気をつけて……」
面会に来ていたという保護者に避難してもらった後、伊地知さんに念押ししてみたが、やっぱりと言うべきか先生らに連絡はつかない。
諦めて虎杖と釘崎の方へ合流して宿舎の扉に向かう。
「伏黒、先生ダメそう?」
「難しいだろうな。それでも任務が人命救助な以上、ここで待ってるワケにもいかない」
「そっか……」
確かに万年人手不足じゃ等級違いの任務もままあることだし、特級案件が同時に発生すればどうしても後手になる場所は出る。
それでも三か所同時。更に見た目からして明らかに変態の余地がありそうな呪霊相手に、一般人五名の生存者の確認と救出とかいう『接敵しないことが前提』の任務内容。手数としては俺一人でも大差ないハズなのに、わざわざ三級と二級相当も付けるあたり、逆に上の『御意向』ってやつが透けて見えるようだ。
受肉した両面宿儺の器を消す。そのついでとカモフラージュで俺と釘先を巻き込んだのが本音だろう。
「虎杖、ナクスの調子はどうだ」
伊地知さんが帳を降ろしてくれたのを横目に、こっちのジョーカーの最終確認をしておく。
「……生得領域で折り紙してる」
「今日も絶好調に呑気だな」
一応、ナクスがフライパンいっぱいの巨大ハンバーグを作って喜んだり縄跳びで本気を出し過ぎて千切れた縄がどっか跳んでったりしているバカ動画を撮って五条先生から上層部へ送って貰ったはずだが、こんなのの為に労力を惜しまないなんて上層部も暇だな。
「ナクス折り紙しまっ、あっ! 燃やさんでも良かったのに!」
「作品があるとつい眺めてしまうので無に帰した」
「小学生?」
虎杖の顔にナクスが出てきた。
送った映像に余りにも説得力がないせいで五条先生の冗談だと思われたか、もしくは認めた上で歴史を守るために抹殺しようとしている可能性もある。
「なんだ、みなしてそんな不安げな顔をするな。今回の任務、駄目そうな時は私がなんとかしてやる」
「その心意気はありがたいんだけど、よそ見せんといてね」
「土壇場でミスったら未来永劫呪うわよ」
「建物崩落だけはマジで気を付けろ」
「誰ひとり私を信じてくれんな」
味方してくれるかどうかよりも注意力散漫なことの方が信じられない呪いの王ってなんだ。パワーだけは信頼できるが、それならまだ五条先生の方が良い。これに命を預けるしかないなんて不安過ぎる。
「……準備良いなら入るぞ」
玉犬を出して両開きの扉を押し開けると、外観と全くかみ合わない入り組んだ路地裏のような空間が広がっていた。
「な、え? どうなってんだ? 二階建ての寮の中だよな!? 生得領域……?」
「生得領域!? このバカ広いメゾネットみたいなのが!?」
立ち並ぶビル。絡まる配管、電線。室外機や配電盤も見える。
路地裏、というか、治安の良くない地下道への入り口に近いかもしれない。
「……扉は!?」
基本、領域に出入り口はない。
入ってきた場所を振り返ると、扉は設置されたままだった。
「なによ、びっくりさせやがって」
「……一応、俺開けてみよっか?」
「慎重にやれ」
「分かった」
虎杖がそっと取っ手を掴んで。
「……開かねぇ。……ん、いよいっ……しょ……!」
押してみて開かず、引いてみて開かず。
「ダメだ、全然、開かねえ!!」
「カタチだけ残しとくなんて陰湿なことするわね。これじゃ帰りどうすんのよ」
「場所は玉犬が臭いで覚えてる。ナクスならこの扉突破できそうか?」
「……」
虎杖は扉から手を離した後、何故か呆然とその場に立ち尽くしている。
「虎杖?」
「んぉ? ああ、ごめん、大丈夫。ナクスもたぶんいけるって」
「なんか気になったことがあるなら言っとけ」
「いやちょっと、こう『扉、開かない』ってのをちょっと噛み締めちゃったっていうか……?」
「それ大丈夫か?」
「ちょっとドキドキしてる」
「ハァ、緊張感……」
「しょうがねーじゃん! こんな規模の超常現象初めてなんだから!」
「ナクスには負けんだろ、奥行くぞ」
「んぇ……。……」
強引に先を促せば、虎杖は微妙な顔をしたままついてきた。
ナクスのインパクトの方向性が違うのは俺も分かってるので敢えて突っ込まない。
低級呪霊に会うこともなく薄暗い通路を十五分程度歩き回ると、ふいに虎杖が腕を摩った。
「なあ、なんかここ、寒くねぇ?」
気づかないうちに気温が低くなってたかと思ったが、改めて意識しても体に冷えはない。
「いや、俺はなんともない」
「私も平気だけど……」
「マジ? 俺だけ?」
「そういえば虎杖、前にナクスの手が冷たいって言ってたわね」
釘崎が思い出したように言う。
手? たしかにナクスの指は呪印で黒かったが、『冷たい』ってなんだ……?
「あ〜、たしかに。じゃあ俺、呪力を寒く感じんのかも」
「呪力を? でもアンタ、先生に転がされたり、一緒に任務行ってもそんなん一回も言ったことないじゃない」
「釘崎、虎杖。その話を前提に考えると、この呪霊、ナクスの指を取り込んでる可能性があるんじゃねーのか」
「……」
「……」
「……もしもしナクスさん?」
全員、一瞬足を止めて虎杖の頬に視線を送った。
「そうかもしれん」
呪いの王は小学生並みの開き直りをして見せる。
「ポンコツレーダー!」
「いや別にサボっていたわけではない。努力していたが気配が全く分からなかったので黙っていただけだ。これはもう悠仁くんの方がレーダーとして機能するまであるな」
「も~~! ホントにぃ?」
「縛りで証明しても構わんぞ」
「いーよそれは。夏油先生にも縛りはくだんないことで乱用しちゃ駄目って言われたろ」
自分の顔と言い合っている。
客観的に見て中々な絵面だが、虎杖はもう随分慣れた様子だ。
縛りで証明して良いとは言うが、こんなんでも『両面宿儺』だから、百パー信じて良いとも思えない。
「はぁ……。虎杖、取り合えず今後のことは生きて帰ってから考えりゃ良い。今は任務だ」
「私コイツに頼るしかないのすっごいイヤなんだけど……」
「俺も」
「二十四時間一緒にいる俺の気持ち考えたことある?」
そんなことを言いながらも更に先に進んで、分かりやすいT字の分かれ道にぶつかった。
虎杖に『寒くない』方を選んでもらって通路を曲がる。道なりに冷気が漂ってきてるのか単純な距離によるものかまでは判別できないらしいが、ないよりマシだ。
ただ、虎杖がナクスの手、両面宿儺の指を『冷たい』と感じるのは気になる。朱紅赤はいつも指の反応を『熱い』と言うが、これは二人の器としての性質が逆ってことなのか?
考えながら、かなり開けた部屋に出る。特に何もないと思って通り過ぎようとすると、玉犬に軽く裾を食まれた。
「どうした」
視線を辿って部屋の隅を見れば、ほとんど人間の形をしていないせいで気づかなかったが、そこには、ひしゃげた、というより、巨大なものに踏み潰されたような肉塊が床に落ちていた。飛び出た内容物が混ざり合って、近寄るとかなり臭う。一応、写真で見た英集少年院の制服が三セットと、大きめの肉のまとまりが三つあるので三名で間違いはなさそうだ。
「伏黒、それ、人間なのか……?」
「……死者、三名確認だな」
確認するまでもなくとっくに息はない。
なんなら、息を吸うための機能が完全に破壊されている。これはかなり遊ばれたか、犯人がとてつもなく巨大かの二択。どちらにせよ、現時点で特級が孵ってると見て良さそうだ。
「なぁ、この遺体、持って帰れねぇかな」
……虎杖にそう言われて、どうするか迷う。
上下で分離してるだとか頭が取れてるくらいは覚悟していたが、流石にここまで汚いとかなり抵抗がある。遺体袋、いや、デカめのビニール袋でも用意しときゃ良かった。
「この名札、あの人の子供だと思うし……」
「……一応、前提として言っとくが。こいつらは受刑者で、そいつは二度目の無免許運転で女児を跳ねてる。で、俺たちの任務は『生存者』の確認と救出。正直、俺としては死体になってまで助けたいとは思えない」
「犯罪者だから見捨てるってのかよ!」
「っ、……分かった。でもちょっと聞け」
虎杖は優しい。
俺の人生、人間なんて結局みんなケダモノだと言いたくなるような人達に囲まれてきたから、尚のこと眩しく見える。
そんな『真っ当』な人間の言い分は叶えてやりたいとは思うが、現実的に考えるとそうもいかない。
「『持って帰る』方法はある。が、持って帰る為に、言っちまえばそのゲロとかウンコとかが混ざった体液まみれになる覚悟、あるか?」
「ふ、伏黒なに言って……?」
「釘崎もだ」
「私も!?」
「道具袋と緊急回避場所が一緒くたになってる。接敵すればまずそれを使う。つまり持ち帰る場合、いざって時、負傷してるかもしれない状況で全身に浴びることになる。もちろん俺は生理的にも衛生的にも嫌だ」
「ゔ……、でも、だからって、死体もなしに死にましたなんて……!」
なおも食い下がろうとする虎杖だが、もう最初ほどの勢いはない。
すまん、夏油先生に教えてもらった手法だ。
感情論で喧嘩になりそうなとき、まず『分かって欲しい』のか『我儘を押し通したいのか』で分ける。もし我儘を押し通したいだけなら、相手の意見は否定せず、別方向からネガキャンになる『事実』を威力高めの表現で伝えてみるなどして、兎に角相手の意思を揺らがせる。
虎杖には悪いが今ここで人助け云々でモメたくねぇし、この『内容物』とはマジで一緒になりたくないので、狡い大人に倣わせてもらう。
「……分かったわ」
「釘崎!?」
「もう覚悟したん!? 男前過ぎねえ!?」
「違う!! 名札! 名札持って帰ったら良いでしょ!! 脳みそとかモロモロ出ちゃってる遺体見せるのも酷だ、し……?」
釘崎が口を噤んだ。
地面が揺れている。
建物内に、重たく巨大なものが高速で暴れ回るような音が響く。
「なんかデケーのがこっち来てる……?」
「特級!? どういうサイズなのよ!」
「いや、この感じは、ど──」
──土砂崩れ。
音の響いてきていた側の壁が吹き飛んだ。
部屋いっぱいに真っ赤な濁流が広がって、どう見ても回避できない。
「しゅく、──」
ここにいない人間を真っ先に心配してどうする!
「ッ釘崎、虎杖! 影に入ってやり過ごす!」
「カゲ!?」
「さっき話した緊急回避だ!」
見せたことはなかったが、時間がないので問答無用で二人を玉犬ごと影に匿って自分も中に沈んだ。
直後、赤黒くて粘度の高い液体がその上を掻きむしるように暴れまわっていく。
「助かったわ、アンタこんなことできたのね」
「まぁ、今のところ隠遁とか物の持ち運びくらいにしか使いこなせてねーけどな」
「今くらい素直に誇りなさいよ」
「……ん」
「二点」
「褒めたいのか難癖つけてーのかどっちかにしろ」
「こちとらマジで死ぬとこだったんだから感謝してるっての」
「だから態度どっちかにしろって」
状況が似ていて、つい昔のことを思い出す。
朱紅赤は、怖いことなんてこの世にひとつもなさそうな顔をしておいて、土砂崩れを目の前に動けなくなったことがあった。
本来なら俺を抱えてでも逃げられるだけの時間的余裕があったはずなのに、肝心の本人が心ここにあらず。俺は玉犬を出そうとしながら駆け寄って、それでも間に合うか分からなくて、影の中に入ることを思いついたのと同時に朱紅赤に飛びついた。
朱紅赤は影の中で「また流されると思った」と呟いたきり何も語らなかったが、五条先生が言うには堕胎のイメージじゃないかって話だ。器である朱紅赤が形作られた際の手順は喪失しているものの、口にするのも憚られる内容であるのは考えるまでもない。
「伏黒くん」
優しく名前を呼ばれて我に帰る。
見れば、虎杖の顔に呪印が浮かんでいた。一応俺たちを助ける気はあったらしい。
「外が落ち着いたら選手交代だ。お相手は本当に『私の指』らしいからな。お前たちにはあまりに荷が重い。まあ、挑んでみたいなら止めはしないが、どうなっても私は知らん」
「ナクス。オマエ本当に自分の指を感知できねぇのか」
「……やれなくはなさそうだが、まだやり方が掴めん」
「どういう意味よ」
「認識能力に問題がある。『指』が集まってくればたぶんなんとかなる可能性がありそうなので今後に期待してくれ」
ナクスは全然なんともなりそうじゃない希望的観測を口にしながら下がり眉で軽く笑った。
「アンタほんっとにポンコツね」
「悪かったとは思っているし、だからこそ今から私が代打で出る。大目に見ろ」
罪悪感は薄そうだが、釘崎に詰め寄られても素直に詫びる。
特級呪物のクセに基本的な性格が穏やかで素直で俗っぽくて行き当たりばったりでマジで調子が狂う。
つい一ヶ月前までは、まさか『両面宿儺』が俺のことを『伏黒くん』と呼ぶなんて想像もしなかったくらいだ。
しかも、よく見れば右手には汚れた布切れが握られている。
「……名札、回収したのか?」
「うん、三つな」
「なんでだ?」
「なんで? とは?」
俺の問いかけに、本気でなんのことか分からない顔で小首をかしげられた。
言動に似合わず何気ない所作に品がある。虎杖の顔なのにしっかり別人だ。
「オマエ自身は虎杖とそんなやりとりしてなかっただろ」
「まぁ、そうだが、回収した方が嬉しいだろ?」
「嬉しい?」
「主に悠仁くんが」
……そんなことを言われても、朱紅赤ならあの局面でそんなお優しいことは絶対にしない。
なんなら、この間なんて呪詛師の手足の関節を逆パカして用水路に突き落として溺れる姿を見て、心底楽しそうに笑ってたのに……。ただ、言い訳すれば、あれは呪詛師を捕縛する任務だったから呪術師的には合法的行為だった。
もちろん後で家入さんから「放置したら死ぬってレベルまでやるな」と怒られたりはしたが。
「呪いの言うことなど信じられんという顔だな」
「当たり前だろ」
「そうか、なら……」
ナクスは少し悩みながら制服のパーカー部分を外して、それに受刑者の名札を包む。
ついでに手まで拭ってから俺に押し付けて来た。
「見返りに朝マックでも要求しておこう」
「ふざけてんのか」
「何故キレられねばならんのか」
「この状況下でまでそんな呪いらしくない振る舞いされても、逆に納得できねぇ」
「はー草。呪いに対して変に誠実であろうとするな」
「せいじつ」
「本人がそれで良いと言い切ったのだからそういうものと思え。済んだことに負い目を抱えていては容易く引っ張られるぞ」
「……何に?」
「……脳筋」
「はぁ?」
「いや、良い。伝わらんということが十分伝わった」
のうきん?
脳筋に引っ張られる? 今ので理解できなかったのが脳筋だって言いたいのか?
どういう意味かさっぱり分からない。釘崎を見ても俺と同じように困惑している。
「さて」
パン、と柏手を一つ。ナクスは上を指差した。
つられて上をうかがう。相変わらず赤黒くて何も見えないものの、音や揺れはかなり落ち着いていた。
「私は外へ出る」
「大丈夫か」
「死にはしまい。いや、私は既に死んでいるのでこれ以上死ぬことのない身だが、悠仁くんを死なせはしない」
不安しかないが任せるしかない。
水面に出来たナクスの影に移って外を見渡すと一面に赤い浅瀬が行きわたっていた。
不思議と壁や天井は濡れてなくて、液体砂時計の粒のように、液体は不自然なくらい綺麗に床まで滑り落ちている。
「アハハ」
何がおかしいのかナクスが笑った。
頭の方を見上げると、制服は綺麗なのに何故か髪だけびしょ濡れ。初めは血かと思ってたが、随分とモタついた質感から見て血よりも粘度が高そうだ。
「では案内は頼むぞ悠仁くん」
前髪を撫でつけるように持ち上げて、どぷどぷと重たい水音を立てて通路の一つを歩いて行く。
「……よく考えたらナクスに脳筋て言われたの、癪ね」
「それでも実際、何を言ってるのか全く分からなかった」
「夏油先生に聞いたら教えてくれるかしら」
「知ってればな」
やっぱり、記憶なくしたっての嘘だろ。
自分にとっては常識だった技術が、今は失われているらしいので強引に話を打ち切った。そんな風な態度だった。
迷いなく進んでいくナクスの横顔を見上げれば、いつもより真面目な顔をしていて、顔の呪印も相まって呪いの王の風格があるかのように錯覚する。
だがどう考えても役割が逆だ。
なんで虎杖がレーダーやってんだよ。安全面を考えるとこっちの方が良いのもなんかムカつく。
それから何度目かの角を曲がると、ふいにナクスが歩みを止めた。
「見つけた」
通路の先の暗がりに目を凝らす。
ナクスの影から見上げるアングルの上、相手がこっちより少し低い位置にいて見づらいが、確かに縦に長い、人間の様なシルエットが見えた。
俺たちから横向きに立っていて、寝袋の様なものを胸の辺りまで引き上げ、腕を身体の前に伸ばしている。
向こうからも十分気づける距離の筈なのに、ナクスは構わず無造作に移動を再開した。
近づくにつれ、分かることが増えていく。
「……アア、あ゙、……サあぁあ……む、イ……」
何か喋っている声が聞こえる。
「……さ、む……」
扉に爪を立てて掻いているのが分かる。
「あ゙けええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ──……………てェ……」
横顔から、目が四つあるらしいのが分かる。
「あけてぇ」
指が黒いのが見える。
「あけてぇえええええええええ゙え゙」
時折、カチカチと歯を鳴らしているのが聞こえる。
「さぁ゙、さむぅイ゙いいいいぃいいいイィよぉお、お、お? サ、あ? あ、ぉ゙も゙、モぉイ゙」
ナクスに気づいてこちらに向き直った後、右に左に首を傾げて、少し後ずさった。
「ゔぅううううううあああああああぁ゙……つ、うれぇ、るぅ゙……」
ミノムシの様な姿の特級が寒がるように自分の肩を抱きすくめると、赤黒い水かさが増す。
ナクスはそれでも馬鹿正直に真っ直ぐ近づいていく。
特級の放つ圧よりも、余りにも異様な雰囲気が気になり、思わず釘崎と目を合わせてお互いに首を捻った。
「寒い……?」
「やっぱ、寒い、開けて、って言ってるわよね。私、特級ってもうちょい安定した自我があると思ってたけど」
「そのハズだ」
呪霊がうわ言のような言葉を繰り返すことは良くある。ただ、それは特定疾病呪霊や仮想怨霊が自分自身の設定に沿った言動をするのがほとんど。あれの『由来』になりそうなのは少年院という場所くらいだが、現代社会で少年院で寒さに震えることなんてそうないし、被害者達の怨念にしたって、訴える内容が寒さなのは不自然過ぎる。
さっき虎杖も寒いと言ってたが、呪いにしか感じられないなにかがある……?
「そこな特級くん、良く分からないものを拾い食いしてはいけないぞ」
「アぁアァ、あ、あじぇ、て、ぇえ、えええぇえ……」
喋りながら、ナクスが更に数歩前に出た。
重たい水をかき混ぜる音がする。
「それは私のだから返してもらえるか?」
「あ゙ァ゙アアアア!! や゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ だ ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア ァ゙ !!!!」
「メンがヘラって会話も進まん。お前を苦しめているのはそれなのに、そんなにも離れがたいか」
影の中まで振動が伝わるほどの叫びだってのに、ナクスの声は不自然なくらいよく聞こえた。
呪霊は呪いが集まってできているものだし、これまでに両面宿儺の指を取り込んだ呪霊がこんなことになった事例を聞いたこともない。呪霊自身が呪いによって気が狂っているなんて前代未聞だ。
大体、『良く分からないもの』ってなんだ。『両面宿儺の指』は『良く分からないもの』じゃない。少なくとも、今まではそうじゃなかった。
つまりナクスは、呪いとして大きく変質していて、更にその自覚がある可能性も高い。
「ん。伏黒くん。私の後ろに回れ、死ぬぞ」
「ッ!」
俺が影をずらしたのと特級の口から呪力の塊が放たれたのはほぼ同時。
ナクスはそれを、虎杖を爆破した日に見せた例の防壁で受け流す。通路が狭かったせいで少し壁が抉れたが、崩落までは至らなかった。
指の数は二対一。しかもこっちは両面宿儺本人。無名の特級に勝算はないに等しい。
「どうしたものやら」
通路から特級のいる部屋へは階段になっているらしく、通路の終わりで赤い水が段差を作って滑り落ちていた。
「……なるほど、ここに帰ってきたか」
ナクスの言葉を聞いて辺りを見渡せば、多少レイアウトがずれているものの、俺たちが入ってきた場所で間違いなさそうだった。
特級が開かないと引っ掻いていた扉も最初に俺たちが入ってきた扉だ。
「水位があるので少し煩わしいが……、まぁよし」
ナクスが階段を踏み切って開けた場所へ飛び降りると、腰のあたりまで沈む。
特級は水面に浮かぶように立っているので、かなりこちらが不利な立ち位置に見えるものの、ナクスは気にした様子もなく手を伸ばす。
「ゔ、ァ゙あッ────」
特級は体を庇おうと腕を前に出して、そのまま呪力の砲撃にぶち抜かれ、モーセの十戒の様に赤い水を縦に割って吹き飛んだ。
ナクスは相手の腕を消し飛ばした上から更に何発も呪力を撃ち込み、壁が割れた先でボロ雑巾の様に転がるそれに近づいていく。認めたくないが、俺一人じゃ絶対に太刀打ちできない相手をこうも簡単に追い詰める姿は、確かに呪いの王だ。
「今一度聞こう」
壁をぶち抜いた先は、手前から奥に向かって平らな橋が複数架かった構造で、赤い水が橋の三分の一辺りで全て横に流れて尽きている。
「それは私のだから、返してもらえるか?」
「イ゙、……」
特級は橋の中央辺りで蹲っていた。
消し飛んだ腕はボコボコと再生しつつあるが、その両手で頭を抱えながらカチカチと歯を鳴らし、動けない様子だ。寝袋の様なパーツも破れたまま治らず、脚が出ている。
ナクスは特級の前まで来るとしゃがみ込み、肩を掴んで上体を起こさせた。
「……なぁ、何故被害者の様な顔をする。この空間を閉ざしているのも、自身の心を苛むそれを大事に抱え込んでいるのも、人間を数名圧殺したのも、お前なのに」
角度的に表情は良く見えないが、もはや抵抗を諦めたらしい。特級の腕はダラリと下がって、再生を止めた。
「人を呪わば穴二つ。……早く楽になりたいのなら、潔く『それ』を差し出せ」
ナクスの黒い指先が、直に胸へ触れる。
そこから軽く突いて押しただけで、特級の胸が、ビシュ、という音を立てて大きく内側から裂ける。
何らかの技法かもしれないが、呪術を行使したようには感じられなかった。にも関わらず、相手はドロドロに崩れ去って、赤い水がズルズルと消えていく。
呪いの王は、表れた自分の指を■■、手に取った。
■■? ■■は、■の■……?
「あ〜〜、我ながらこれを口に入れるのは気が引ける……」
とか言っておいて速攻で食った。
相当不味いのか、一瞬、顔のパーツが中央に寄る。
「……オェ゙ッ! よし、終わったぞ、悠仁くん。……もし? ……聞こえますかユージくん!!」
何度かの呼びかけの後、部屋はシン、と静まり返る。
切り変わる気配も、虎杖の返事も聞こえない。
「二人とも助けてくれ、悠仁くんから返事がない」
「助けてくれじゃねーよ」
呪いの王にどうしようもないことを俺たちにどうしろってんだ。
とりあえず、影から出て釘崎を引っ張り上げる。
「なんで今ここで食ったのよ馬鹿」
「大丈夫だと思った。やってみたら駄目だった」
「マジで馬鹿だな」
「え? ていうか虎杖、さっきまで元気だったのに……死んだの……?」
「死んではいない、生得領域でぶっ倒れている」
かける言葉がないオブザイヤー受賞。
五条先生の言った「バカだけど天才」が宇宙一似合う男。
ため息が零れた。人生で一番深かった気がする。
「故意じゃなかったにしても、どうすんだよ。まさかそのまま高専に帰るワケにいかねぇだろ」
「……なら私が悠仁くんのフリをするか」
「やめとけ無理だ」
「いや、呪印は消せる」
「そういう話じゃねーだろ馬鹿」
ナクスは俺の言葉を無視して呪印を引っ込めて前髪を降ろした。
「えーと? うん、ほら、俺ってこんな感じだろ? どう? それっぽくできてるっしょ?」
「……なんかキモいわね」
「なにが!? そこまで不自然じゃないだろ!?」
赤い水が消えたのでベトベトだった髪は元通り。
釘崎の言う通り、それなりに上手く演技できてるのが逆に気持ち悪い。
「見て一発で気づく五条先生もノッてくれると思うし、別に内部で一日二日くらい大丈夫だと思うけどなぁ?」
「五条先生が大丈夫だからこそ絶対駄目だ。あの人らは絶ッッッッ対に、悪ノリする。なんとか虎杖不在で場を繋ぐ方法を……」
自分でも驚くほど力の篭った「絶ッッッッ対」が出た。
と同時に、特級術師による不謹慎の極みみたいな「遺影でイエーイ」がフラッシュバックして解決策を思いつく。実際の遺影でやるな。
「……よし、虎杖は死んだことにするか」
「ちょっと、先生にどう説明すんのよ」
「まぁ聞け。ナクスなら腕だの内臓だの吹っ飛ばしてもすぐに治せるだろ。あえて重傷を負って瀕死になって高専に戻って、処置が間に合わず死亡したことにする。で、虎杖の意識が復活次第、何事もなかったかの様にしらばっくれて戻ってくれば丁度いい」
「丁度いいって何よ」
事情を知らないらしい釘崎に、今回の呪霊発生の不自然さの解説と合わせて、今まで結構な数の謀殺を仕掛けられていることを説明する。
逆に何で聞いてねぇんだ。教師陣の顔を思い浮かべる。納得した。
「イ゙~~ッ、オエライサマってのは他人の足引っ張るしかできないワケ?」
「割と昔っからこんなことばっかだからな。嫌になったら京都に転校した方が良いぞ」
「しないわよ、こんなことするようなヤツらの息がかかったトコ入るなんてクソ田舎にいるのと大差ないわ」
「……なら良い」
田舎が嫌だから東京にある呪術高専に入学した。
それだけの理由でと思ってたが、それなりに根は深そうだ。
「伏黒くん、死んだフリをするのは構わんが、敵はもう倒してしまったぞ。どうする」
「自決しろ、細かいカバーストーリーは怪我の状態から後で考える」
「現代日本とは思えんパワハラぶりだな」
とかなんとか言いながら、ナクスは制服の前を開いて胸に指を突き立て、あろうことかそのまま心臓を抉り出した。
「まだやるんじゃねぇ!」
「心配するな。別に心臓のひとつやふたつ、なくなったところで死にはしない」
「人間は死ぬんだよ!!」
とはいえ本人はマジで元気そうだったので、そのまま施設を一通り確認した後、伊地知さんに軽く説明し、ナクスをトランクに詰めて高専に帰った。
●オマケ●
釘「それより私、そういう謀略云々て話、先生からなんにも聞いてないんだけど!」
伏「夏油先生からも?」
釘「聞いてない!」
伏「たぶん、迎え行ったとき五条先生から伝える筈だったのを忘れられたとかだな」
釘「テキトー過ぎるでしょ! 生徒の命狙われてんのよ!?」
伏「こんな早い段階から釘崎巻き込む強引な手に出るなんてってのもあるが、十年くらいそんな感じだから何かと麻痺してんだよ。俺だって虎杖の手前ああ言ったが、今回ナクスがいなかったら適当な理由付けて先生のどっちかが来るまで粘るつもりだった」
釘「うわ~、遺体見つけた時も思ったけど、伏黒、やっぱ助ける相手選ぶタイプか……。私の感じた重油カモメ着火マンの第一印象はあながち間違ってなかったってことね……」
伏「なんだその嫌な第一印象」