朱紅赤がヒロインしてる話。
----朱紅赤視点----
これは単なる土砂崩れだ。
伏黒恵を引っ掴んで少し駆ければ済む。
頭では理解している。
それでも身体が動かないのは。
爪に黒を塗る。
それなりに良い値段の速乾タイプとはいえ、乾くまでは多少時間がかかる。塗り直しが一番腹が立つので、誰も見ていないのを良いことに先に乾いた足で教科書を捲った。任務で出られなかった授業の宿題を解きながら時間を潰す。
中学に通わされていた頃は自身の爪が肉の桃色を透かして見せていることに何とも言い難い不愉快さがあったが、今は存分に両手足の五指に黒を塗っている。卒業式の後、伊地知に寄り道をさせて黒を塗る権利を買った帰路は中々悪くない気分だった。
出題分が全て解き終わって、改めて時間を確認する。
これは五条に押し付けられたものの、値段を調べてゼロが五つも付いていたので卓上時計と化した、文字盤の赤い仕様の腕時計。
その隣にあるのは東京タワーに観光に行った際に買ったスノードーム。
そこから何気なく視線を滑らせて部屋を眺めれば、見慣れた『自分の部屋』だ。
俺が寝るためのベッドがあり、着替えが仕舞われていて、時折五条が持って帰ってくる土産がローテーブルに置かれる、使い慣れた部屋。
ベッドの端に行き場もなく貼りついているのは夜蛾の作ったいまひとつ嬉しくないマグネット。入り口に揃えて置かれているのは入学祝いだとか言って夏油が寄こした新しいブーツ。洗面台にあるのは家入に渡されたその辺で買える化粧品。百均のフックにかかっているのは髪を伸ばすことにした時に恵がくれたカチューシャ。
努めて何も考えないように、シャーペンを握って、先ほど出した回答をノートに並べる。
答えだけ書くと文句を付けられるので丁寧に経緯も入れてやった。
生前を思えばあきれ返るほど平和だが、任務に行かされるのは当然として、程々に自分の命を狙われたり保護者の命を狙われたり、並行して学業も強制されるのでそれなりに忙しい。こんなにも先の予定が見えている生活はここ十数年だけだ。
ケータイの通知が来たので画面を見れば、中学で慣れあっていた娘らからのLINEだった。人を無意味に殺すなと夏油が煩いため、あまり熱心に連絡を取るとオマエの命も危ぶまれるので控えろとは伝えてある。ので、週に一度、あるかないか程度しか来ない。完全にヤの付く職業のご令嬢か何かだと思われている。都合がいいのでそういうことにして久しい。
そのままロック画面で日付を確認すると、今日で五月も半ば。
あと数年で全てが崩壊すると思えばぼんやり過ごしきれそうだと思っていた。
その後もこれといって何事もなく任務と授業を繰り返すだけで六月になり、夏油と二人で出張任務を片付けた後、ホテルの個室へ入った。始めの頃は視線が刺さるので特級の二人が出張任務の際は高専に軟禁状態だったが、この身体は発育が良いのでその内どんどん連れまわされるようになった。
シャワーを浴びた後でベッドに横になってDODの解説動画を眺めて過ごす。二月からアップロードされていたのを最近になって見つけたものだ。モタモタとした単調な殺戮の日々を思い返しながら、思っていた以上に主人公の闇が深かったことに少し笑った。
しばらくすると、ふいに指が熱くなる。共振だ。すぐに落ち着くかと放っておいたが呪力の勢いは増すばかりで、いよいよ夏油に連絡を入れるかと動画を止めた。そこに丁度、指の回収の任務に出ていた筈の恵から通話がかかってくる。
「恵か。さては任務で何かあったな」
〈簡潔に言う、両面宿儺が受肉した〉
「……は…………?」
相手が五条であればお得意の笑えない冗談だと思えたのに、深刻な恵の声色はどうしようもなく現実味を帯びていた。
〈俺の力不足も大きいが、回収に向かった高校の男子生徒が呪霊に追い詰められて、俺に呪力がありゃ良いんだろとか言って指を食いやがった。宿痾計画とは全然関係ない、天然物の器だ〉
「受肉した……というのは、『両面宿儺』がそやつの肉体を乗っ取ったということか?」
〈違う、五条先生曰く『同居』してるらしい。二重人格みてーにひとつの身体を共有してんだ。器側の意思で自由に主導権を切り替えられてる〉
思わず指が燻り出すのを火災報知器がなる前に握り潰して消火する。
俺がここにいるというのに、同世代の天然物の両面宿儺の器。そんな天文学的偶然が起きてたまるか。
〈それで、先生から、色々済めばオマエが担う指の取込と破壊の任、その器に移すことになるだろうって話をされた〉
「ふざけるな、呪術規定を忘れたのか。一般の生まれの只人ひとり。なんのデータも信頼もないではないか。即刻殺せ」
〈……朱紅赤、そこまでして、まだ呪いになりてぇのかよ〉
「何の問題がある?」
〈俺が嫌だ〉
自分が思わず眉をひそめたのが分かった。
今の俺には我儘を押し通すに足る力も地位もない。だから現状に甘んじてやっていたのに。己の無力さにため息が出る。
勝手に指が集まり出すならと待っている間、この手の問答は度々繰り返してきた。言えば即刻死刑なのは目に見えているので口にしたことはないが、そもそも前提が違う。なるならないじゃない、俺は呪いだ。
「……前にも言ったが俺の身体はそのためにある。感性ばかりは仕方なかろう」
〈分かってんだよそんなことは〉
「分かっておらんかったではないか」
〈そういう意味じゃねぇよ馬鹿、……チッ〉
まだ何か言いたげな舌打ちがあったが、毎度話が平行線になってうやむやに終わる経験からこれ以上は諦めたか、恵は一度押し黙った。
その間、何気なく視線を移して壁にかかっている制服を見る。俺が自分で注文したものだ。どうせ走り回るのにスカートを履きたくないので股下に線を入れてズボンにして、ついでに上も紐で結わえるようにしたのは記憶に新しい。
〈……とにかく、五条先生も譲る気はない様子だ。その天然物の器の方にはもう、動いて喋って、完全に受肉が確認されてる。だから指の収集も並行してやることになるだろうってよ〉
「そもそも身元は洗ったのか。いずこかの刺客の可能性は?」
〈ついさっきの話だから裏取りはこれからだが、あいつの態度が演技とは思えねぇ〉
「ほぉ? 随分と信用しているな」
〈勝手に人に話すのも……。あー、まあ、そいつに接触した時、丁度誰か身内が死んだ手続きをしてたところで……目元に泣いた痕があった〉
「俺が言うのもなんだが、そんな『真っ当』な人間を引き込んでオマエは胸が痛まんのか?」
〈俺だってできればこっちの道を無理強いなんてしたくねぇよ。でももう、今すぐ死ぬかお前の任を引き継いで死ぬかしか選択肢がない〉
「その二択を突き付けるよりは問答無用で殺してやった方がマシやもしれんぞ」
〈うるせぇ。人間としちゃ情のある相手にはできるだけ生きてて欲しいんだよ。そういうことだからオマエも少しは将来のこととか考えろ〉
「分かった分かった。ではアレに伝言で伝えろ。『くたばれ糖尿』」
通話の切れたLINEの画面を眺めた。
赤いケースに収まったこのケータイは、四年前、五条に恵と買いにつれ出されて、画面がでかいものを適当に選んだのを覚えている。
「……」
五条から同じ話が回ってきただろう夏油からのメッセージには既読だけ付けて、腹ばいになり、五秒ほど腕に顔を埋めた。
その後、部屋の電気を消し、任務での外泊でいつもやっているように、マットレスにきっちり詰められたベッドカバーを全て引きずり出して、足が自由に動かせるようにした掛け布団を被る。
動いて喋っている、か。
完全に別個体として『起きて』しまった。
最終的に、人間相手に勝つにしても負けるにしても、どの道こんなママゴトは残り四、五年で終わると思っていた。だから人間の女としての将来など、考えたことがないどころか考えないように過ごしてきた。それを今更、俺にどうしろというのか。向こうの器が途中で死ねば話は別だが、守ることに慣れてしまった周囲の者たちはそんな隙を許さないだろう。……なんにせよ、その受肉した方の俺がどう動くかにもよる。
そんなことを思って高専に戻ってみれば、──。
「まぁ正直、伊勢海老みたいだという意味だったが」
何なのだ、これは。どうすればいいのだ。
生まれて初めてプレイしたゲームがDODの女、朱紅赤。
前話のアンケートにあるナクスの縛りの内容は活動報告の方へ載せています。
※先の展開についてほんのりネタバレです。