夏合宿の朝は早い。
私たちの一日は朝5時のラジオ体操とウォーミングアップから始まる。
でも今日はいつも眠そうにしている子やなかなか起きない子も元気よく走っている。
グラウンドを5周して軽く身なりを整えて食堂に集まる頃には、皆がそわそわしていた。
それもそのはず、今日は夏合宿のお楽しみイベントである夏祭りの日だ。
「今日は夏祭りがあります。行かれる皆さんはくれぐれも門限に遅れたりトラブルのないように。宿舎の門限と消灯時間はいつも通りです。それでは、いただきます!」
生徒副会長の挨拶と注意が終わると私はかるく両手を合わせる。
「いただきまーす!」
いつもより大きな皆の声が食堂に響き渡った。
「どこから回る?」
「やっぱりニンジン焼きはマストだよねー」
「金魚すくいあるっけ?」
「バカね、どこで飼うのよ」
当然ながら、朝食が始まると食堂内の話題は夏祭りで持ちきりになった。
「あれー? 芦毛ちゃん随分浮かない顔してるねぇ」
向かいの席でサラダを半分ほど食べ進めたキョウワソルジャーさんが私に声をかけた。
「えっ、そうですか?」
「トレーナーを誘ったけど不意にされちゃった、とかでしょ?」
いきなり図星を指されて私はミニトマトを取り落とした。
「うっ……キョウさん何でわかるんですか?」
「顔に書いてあるよ」
一昨日、練習のあとにトレーナーに声をかけた結果は――
「トレーナー、見回り当番になっちゃったみたいで……」
「あー、貧乏くじ引いちゃったかぁ」
盛り場には揉め事が付き物、ましてレースを走る私たちに万一のことやスキャンダルがあってはいけないと、学園関係者が夏祭りの会場で見回りをしているけど、私のトレーナーは運悪くその見回り当番になってしまった。
「浴衣も持ってきたんですけどね……」
今年は通しで夏合宿に行けると両親に電話したら、お祭りや花火を観に行くときにでも着ていけと送りつけられてしまった。
「そりゃあ、ツイてないねぇ……そしたら障害走ってるメンバーで回んない? イーデンも来るって言うし」
その名前が出た途端、スコリアイーデンさんと走ったときの鋭い殺気を思いだした。
「ごめんキョウさん、私一人で回る」
「若い子はわかりやすいねぇ……」
目を細めながらキョウワソルジャーさんはフォークでウインナーを突き刺して口に運んだ。
一昨日の練習後、夏祭りに誘ってくれたグレイテンペストに見回り当番担ったことを伝えた途端、露骨に時計が悪くなった。
――グレイスには悪いことをした。
「東入り口異常なし」
「南ステージ付近でナンパの相談あり、応援求む」
「西エリア異常なし、と」
見回り当番のグループチャットに新着がないか確認していた俺は背後からの衝撃で少しよろめいた。
「うおっ!?」
後ろを振り返ると5歳くらいの男の子がうずくまっていた。
「うっ、ひっぐ……えぐっ、ママァ……」
「迷子かぁ」
転んで膝を擦りむいてしまったのか、顔をくしゃくしゃにした男の子は今にも泣き出しそうだ。
「迷子を見つけたので本部につれていきます」
そう送信した俺は携帯をポケットに突っ込んだ。
「大丈夫?」
腰を落として目線を合わせ、できるだけ優しい声をかける。
「いっぐ……だいじょうぶ」
「トレーナー?」
聞き慣れた声に俺は顔をあげる。
「グレイス!」
りんご飴の袋をぶら下げた浴衣姿のグレイスは俺と男の子を見比べる。
「その子は……?」
「さっきはぐれてるところを見つけて本部に連れてくところなんだ」
「トレーナー、この子ケガしてる。手当しないと」
男の子の膝の傷に気づいたグレイスに見つめられ、俺は腰につけてきた救急ポーチの存在を思い出した。
何かのために持ってきた救急ポーチが役に立つとは。
「ばい菌が入るといけないから絆創膏を貼ろうか」
俺の隣で同じように腰を下ろしたグレイスは男の子の頭を撫でる。
「ちょっとしみるぞ」
ミニボトル封を開けて精製水で傷口を洗うと、男の子はグレイスの腕にしがみついて顔をしかめた。
ガーゼを取り出して傷口についた砂を払い、被覆材で傷口をカバーする。
「うん、我慢できて偉いね」
もう一度男の子を褒めたグレイスが優しく微笑む。
「お姉ちゃんとおてて繋ごうか」
「うん」
グレイスに手を引かれ、男の子も立ち上がる。
俺は祭り会場の地図を開き、本部の位置を確認する。
「グレイス、あっちが本部だ」
「お母さんのところに行こうね」
男の子が再び転ばないようゆっくりとした足取りで俺たちは本部へと向かう。
しばらく歩いていると、グレイスの手を振りほどいて男の子が駆け出した。
「ママァーーーーーーっ!」
「シンちゃん! あぁ良かった! 心配したんだからね」
声に気づいた母親が男の子を抱きしめる。
「よかったですね」
すぐに母親が見つかって俺はほっと胸をなでおろす。
「あのおじさんがばんそーこーはってくれたの!」
「ハハ……おじさんかぁ。まだ20代なんだけどなぁ」
唐突な流れ弾でダメージを受ける俺の横でグレイスが小さく肩を震わせた。
「本当にありがとうございます」
「いえいえ、当然のことをしたまでです」
「トレセンの方ですよね、よければ名前をお聞きしても? 機会があれば応援にいきます」
「グレイテンペスト、です」
「ばいばい! ぐれいてんぺすとおねーちゃん!」
母親と手を繋いで国道の方へ歩いていく男の子が空いている方の右手を大きく振った。
「ん、なんだ?」
俺の携帯が通知音を鳴らした。
「なにかありました?」
「代わりの見回りを出したから本部に送り届けたらフリーでいい、だとさ」
俺がメッセージを読み上げるとグレイスが目を輝かせた。
「せっかくだし一緒に回るか」
「はいっ!」
食い気味にグレイスは頷いた。
「へいそこかわいいウマ娘と彼氏、射的やっていかんか?」
焼きそばとたこ焼きを食べて会場内をぶらついていると、露店のおやじが声をかけてきた。
「懐かしいな~。よし、やっていくか」
一瞬、背後で何かが風を切る音がした。
「5発で300円だよ」
「んじゃとりあえず5発」
代金を渡し、紙コップに入ったコルク栓を受けとる。
「好きなの使って」
折り畳み机の上には二種類の射的銃が並んでいる。
「まぁ、定番のこいつだな」
小銃型の射的銃を取った俺はレバーを引き、手応えを確認して銃口にコルクを軽く押し込む。
「トレーナー、なんかプロっぽい」
「まぁ、欲張らずにまずは小物から」
キャンディーの小箱に照準を合わせ、引き金を引く。
ポンと飛び出したコルク栓がキャンディーの箱をかすめて揺らす。
「惜しい!」
「ちょい右上にずれるか?」
次のコルク栓を装填した俺はブレを見越して狙いを箱の左下に合わせる。
「おみごと!」
今度はど真ん中に命中し、キャンディーの箱を倒した。
「兄ちゃんやるねぇ!」
「さぁ次は……?」
レバーを引き、コルク栓を込める。
「じゃあトレーナー、あれいけますか?」
グレイスが指さしたのは六角柱のパッケージに入ったチョコ菓子。
「軽いからチャンスはあるが、どうかな……」
狙いが下すぎたのか、命中するも箱は倒れない。
「惜しい!」
何故か俺よりも盛り上がっているグレイスのためにも残り2発でゲットしたい。
「あ、トレーナー。ちょっと待って」
コルク栓を込めようとした俺をグレイスが止めた。
「ん?」
振り向くとグレイスはスマホのカメラを俺に向けている。
「ローマン先輩にお祭りの様子教えろって言われたので、カッコよく当ててください」
「俺撮ってもしょうがないだろ」
いたずらっぽくスマホの前で笑うトウカイローマンの姿が目に浮かぶ。
「あっ、くそぅ……」
無情にも横にぶれたコルク栓はパッケージを僅かに揺らしただけだった。
一度深呼吸してレバーを引き、最後の一発を込める。
「ふぅー……」
息を吐いて止め、静かにトリガーを絞った。
最上部ギリギリに当たったコルク栓がお菓子の箱を倒した。
「お見事! ほい景品のりんごキャンディーとゴリラのマーチ!」
銃を返した俺はポリ袋に入れてもらった景品をグレイスに渡す。
「トレーナー、いいの?」
「あぁ。グレイスも楽しそうだったからな」
「ありがとう、トレーナー」
時計を見ると時間は8時少し前。そろそろ花火の始まる時間だ。
周りの来場者も見晴らしの良いところ目指してぞろぞろと移動していく。
なんとか人波をかき分けるが、ちらちら後ろを振り返るたびに人とぶつかりそうになる。
「グレイス、手」
俺はグレイスの手を握った。
「トレーナー!?」
「グレイスまで迷子になったら困る」
ちょうど会場の中心から少し離れたところにある小さな祠の前に来たとき、最初の花火が上がった。
「お、始まった」
俺とグレイスは足を止めて次々に打ち上げられていく花火を見上げる。
「私、初めてライブまで見たレースが宝塚記念だったんです」
宝塚記念のライブ曲「Special Records」も最後のフィナーレで花火の演出がある。
「だからトレセン学園に入ったときは、絶対宝塚記念を勝つって息巻いてたんですけど……」
色とりどりの花火が言葉を濁したグレイスの芦毛を染め上げる。
「でも、こうして重賞を2回も勝ってライブでセンターできて、本当に良かったです」
「グレイスが頑張ったからだよ」
「トレーナー」
軽く手を握ってきたグレイスの方を向く。
「ん?」
「ううん、なんでもない。ありがとう」
夏合宿もあと2週間あまり。それが終わったらすぐに秋のレースシーズンがやってくる。
俺たちが狙うのは、暮れの中山大障害だ。