「中山大障害に出走される皆さんはパドックへお願いします」
控室に放送が流れ、シューズを増し締めしてグレイテンペストが立ち上がった。
「グレイス、俺がお前にしてやれることは全部やったつもりだ」
グレイスは頷いて、何かを求めるように一歩俺に近づいた。
「いってきます」
赤い瞳には、嵐のような闘志が宿っている。
「ゴール板の前で待ってる」
彼女の両肩に手を乗せ、約束した。
「いってこい!」
グレイスを送り出した俺は関係者用出入り口を出てファンの集まりはじめた始めたゴール板前へ向かう。
既にターフビジョンは第9レースの結果表示から切り替わって中山大障害のパドックの様子を映している。
俺はイヤホンをつけてターフチャンネルのパドック解説に切り替える。
「3ヶ月ぶりの出走となりますが、前回大障害に挑んだときは残念な結果だったのでしっかり仕上げたようです。調子は良さそうですね」
今の解説はおそらくスコリアイーデン、ということは次がグレイスの順番だ。
「2番グレイテンペスト、1番人気です」
「これ以上ない仕上がりですね、気合のりもいいです」
「前走では2着に5バ身差をつけて勝っていますからね、やはりメンバーの中で能力的に抜けていると思います」
「中山大障害コースは初となりますがその点はどう見ますか?」
「一週前で障害練習をして前日は入念にスクーリングしてたのでそこは心配ないと思いますね」
一礼したグレイスがさがり、次のウマ娘に交代する。
俺の携帯が鳴ったのはその時だ。画面には「トウカイローマン」と表示されている。
「もしもし冨岡さん?」
「ローマンか、どうした?」
「やっと繋がった! いまレイちゃんのパドック見てきたんだけど冨岡さんはどこで見るの?」
「ゴール板前だ、グレイスと約束した」
「わかった、頑張っていく」
出走するウマ娘の本バ場入場と返しウマが終わる頃、ようやくローマンがやってきた。
「もう人でぐっちゃぐちゃ。尻尾が取れるかと思ったよ」
乱れたしっぽを直すローマンは卒業したときより大人びた雰囲気をまとっている。
「グレイスの晴れ姿は見れたか?」
「見れたよ、すごくカッコよかった!」
時計をちらりと見る。14時42分、もうすぐ発走時刻だ。
ターフビジョンに歴代の中山大障害を制したウマ娘たちの映像が流れる。
メジロアンタレスにラッキーブレン、そしてグレイスと同じ芦毛のテキサスワイポン。
スターターが壇上に上がり、旗を掲げる。
中山大障害でだけで流れるファンファーレに合わせて観客の手拍子が響き渡る。
「中山レース場の準メインは中山大障害(秋)、障害の芝4100メートル。11人によって争われます。連対率100%で迎えた圧倒的一番人気グレイテンペスト、2枠2番での出走です」
「連勝か、古豪かそれとも上がりウマか。栄冠をつかむのはどのウマ娘か! 枠入りは順調です」
内コースの向こうに設置されたゲートにウマ娘たちが収まっていく。
オレンジ色の陽を浴びながらグレイスは2番ゲートに身体を収めた。
最後のウマ娘がゲートに収る。もう後戻りはできない。
「スタートしました! ポンと飛び出したグレイテンペスト、好スタート!」
「内からはスコリアイーデンが出ていきました。最初の生垣障害をジャンプ!」
スタート直後の生垣をウマ娘たちが跳んでいく。
「やはりスコリアイーデンが行きました。飛ばしています、リードは5バ身ほど」
第4コーナーを回って歓声と拍手に迎えられながらスコリアイーデンを先頭にウマ娘たちがスタンド前の水壕を飛び越えていく。
「2番手の位置にグレイテンペスト、水色の勝負服にご注目ください」
「3番手はキョウワソルジャー」
第1コーナー入口と出口の生垣二つを難なく飛越し、バンケットを下ったグレイスの姿が消える。
トレセン学園の練習コースにもバンケットはある。でも中山のそれは谷というよりも穴に近い。
下りで行き足がついても、その先に待ち受けるのは鬼のような上り坂。
合計6回待ち受けるバンケットがウマ娘の体力を削いでいく。
バンケットの坂を登って向正面に出た隊列がスタンドへ向かってくる。
「いよいよここから大障害名物の襷コースに入っていきます」
逃げるスコリアイーデンは7、8バ身のリード。
谷をもう一度下って上った先に待ち構えるのが最初の難関、大竹柵。
「先頭はスコリアイーデン、二番手にグレイテンペスト」
2つ目のバンケットを超え、スコリアイーデンから少し遅れてグレイスが姿を表す。
「高さ1メートル60、幅1メートル90の大竹柵!」
内にはキョウワソルジャーとカールシローがいる。グレイスは少し外側にいるが隣のウマ娘が転倒したときに巻き込まれないようにするには悪くない位置だ。
「あっと転倒! 3人が転倒か!?」
中団につけていたアマギライダーが大竹柵に足を取られて転倒し、場内がどよめく。
「アマギライダーが転倒! アグレスデルタ、アサクサステージもこの転倒に巻き込まれ3人、いや4人がこの転倒に巻き込まれました!」
後続も巻き込まれ、どよめきが大きくなる。
「しかし一番人気グレイテンペストはこの転倒を回避!」
秋の京都のように動揺して掛からないか心配したが、グレイスはしっかりと控えてポジションを維持している。
「スコリアイーデンが先頭ですがリードがなくなってきました。キョウワソルジャー二番手、三番手にはカールシロー」
カールシローがインコースからグレイスの前に出た。
「一番人気グレイテンペストは現在4番手」
「今年も波乱が起こりました中山大障害、スコリアイーデンを先頭にキョウワソルジャーグレイテンペストカールシロー以下7人! 残っているのはこれだけです!」
巻き込まれたとはいえ11人中4人が競走中止はそこらの未勝利戦よりもさらに過酷だ。
「さぁ谷を下って登って高さ1メートル60、幅2メートル40の大生垣に差し掛かります」
スコリアイーデンを先頭に二番手の2人が並んで生垣を超える。
イン寄りで飛越したグレイスの着地が、崩れた。
「あーっとグレイテンペスト躓いた!」
「グレイスッ!」
「レイちゃん!」
中山レース場のスタンドに、どよめきが広がった。
谷を駆け上った先に緑色の壁が迫ってくる。
二つ目の難関、大生垣障害。
「うぅっ!」
飛越の踏み切りがずれた前のウマ娘がヨレる。
巻き込まれる!
大竹柵で後ろがころんだのは実況で知っていた。
だから十分に間隔があったのに、私はそれに気を取られた。
踏み切りは大丈夫だった。
「しまっ」
だけど着地のリズムが、崩れた。
「くっ、ぉんのおおおおおおおぁっ!」
つんのめる前に一歩踏み出し、悲鳴をあげる関節に構わず芝を蹴り込む。
「グレイテンペスト、立て直したッ!!」
先頭を行くスコリアイーデンが、一瞬だけ私の方を振り向いた。
なんとかバランスを立て直したが、いまの躓きで少し下がってしまった。
「お先っ!」
スタンド前を外からかぶせようとしてきたスズジャクソンをかわして生垣を飛ぶ。
1コーナーで目の前を行くキョウワソルジャーさんをかわそうとする私の外をカールシローに塞がれた。
「邪魔っ!」
「いかせるか!」
真横についたカールシローは私を睨み返し、ぴったりと私の行き場を塞ぐ。肘がぶつかりそうなくらいの距離でもつれるように生垣を飛ぶと、怖気づいたカールシローが外にヨレた。
「グレイテンペスト、再び盛り返して3番手に浮上!」
5回目のバンケットを登り切る頃にはカールシローを完全に振り切った。
残り二人。
「キョウワソルジャー先頭に変わるか!? しかしスコリアイーデン譲らない! 」
内からスパートをかけたキョウワソルジャーさんがスコリアイーデンに並びかけるが、再び加速した彼女にリードを広げられてしまう。
「んなっ!?」
キョウワソルジャーさんの驚きの声が漏れる。
やっぱり、今日のイーデンはこれまでと違う。
それでも、私には果たすべき約束がある。
「ここまでかぁーーーーっ!」
生垣を飛ぼうとするキョウワソルジャーさんの踏切がズレた。
力尽きた彼女をかわし、私の前を走るのはあと一人。
スコリアイーデン!
「グレイテンペスト、前を狙っているぞ! 残る障害はあと一つ!」
残る障害は生垣。
「スコリアイーデン、外からはグレイテンペスト!」
最後のバンケットを上り、スコリアイーデンまで半バ身差に追いついた。
「グレイテンペスト先頭に立つか!?」
ほとんど横並びになると風切り音に混じって、イーデンの苦しそうな息遣いが判る。
「スコリアイーデンとグレイテンペスト、並んで最終障害をジャンプしました!」
ほとんど差はない、強いて言うなら外を回されている分私が不利。
「三番手にはキョウワソルジャー、しかし差がある!」
ロープで仕切られたダートコースを横切る。
「第4コーナーを通過! 直線に入った!」
芝コースに出た。
「ぐうぅ」
遠心力でもっていかれそうになる身体を左脚で支える。
「外にグレイテンペスト、内はスコリアイーデン! この二人のマッチレース!」
ゴール板が見える。
「先頭は2番グレイテンペスト!」
スタンドが湧いてる。
「残り200を切った!」
最後の坂を駆け上がる。
「グレイテンペスト強い!」
もう脚なんて壊れていい。
「スコリアイーデン懸命に粘っている!」
結果なんかはどうでもいい。
「しかし差は開くばかり!」
トレーナーが、私を待ってる。
「グレイテンペスト2バ身のリード!」
芦毛の暴風が、ゴール板を駆け抜けた。
「勝ったのはグレイテンペスト、6連勝ーーーーっ!」
身体が震えるほどの拍手の音が中山レース場に響く。
「暮れの中山、台風襲来っ! グレイテンペスト優勝であります! もはや日本の障害界にこの嵐を止められるウマ娘はいません!」
力強く拳を突き上げるグレイスの姿が浮かぶターフビジョンが、にじんだ。
「あぁ……やった……アイツ……勝った……」
割れるような拍手に大きく手を振って応える愛バはゆっくりと速度を落とす。
「おめでとうございます。ひぐっ、おめでとうございます冨岡さん」
隣のトウカイローマンも目頭を押さえながら何度も俺の肩を叩いた。
点滅を続けていた掲示板の着順表示が「確定」に変わる。
本バ場に出て待っていると、赤い優勝レイを肩にかけたグレイスがグランプリロードを歩いてやってきた。
グレイスに向けられたカメラのシャッターが切られる。
「ただいま、トレーナー」
「おかえり、グレイス」
汗でべったりと張りついた前髪と、葉っぱや泥でぼろぼろになった勝負服が先程までのレースの激しさを物語っている。
「撮りまーす!」
ネットレーサー、レースブック、週刊キャンター、色とりどりの取材腕章をつけたカメラのフラッシュが焚かれた。
「そのまま表彰式へお願いします」
係員に案内された俺たちは、ウィナーズサークルに用意された段に登る。
「中山レース場運営委員会から花束が贈られます」
お決まりの「見よ、勇者は帰る」の曲とともに俺とグレイスに花束が贈られる。
「続きまして優勝商品の授与です」
グレイスには優勝カップが手渡される。
「それでは中山大障害を優勝したグレイテンペストさん、今のお気持ちを」
花束と優勝トロフィーを係員に預かってもらい、マイクに持ち替える。
「私平地では全然ダメで……トレーナーも交代させられちゃって……」
感極まったグレイスは時折すすり上げながらなんとか応える。
「でもこうして大障害を勝てて、本当に嬉しかったです。皆さんの応援のおかげです」
「最終コーナーから最後の直線は激闘でしたが、どんなお気持ちでしたか?」
「なんか、もう夢中で走ってました。トレーナーが……ファンの皆さんが待ってることだけ考えてました」
ちょっとヒヤッとしたが、きちんと言い直してくれた。
「担当トレーナーの冨岡さん、今のお気持ちをお聞かせください」
いざマイクを向けられると、色々と事前に考えていたことが吹き飛んでしまった。
「グレイ……テンペストが最後の障害をイーデンと並んで飛んだときに『これはいける』と思いました」
うっかり愛称で呼びそうになった。
「こんな凄いウマ娘を担当できた僕は幸せ者です」
「来年の目標についてお聞かせください」
大障害を勝った以上、次なる目標は連覇しかない。
「しばらくゆっくりと休んでもらって、来年の春を目標にします」
「富岡トレーナー、ありがとうございました。グレイテンペストさん、最後にファンの皆さんに一言」
「フガクオーさんと同じ4連覇を目指してこれからも頑張ります!」
俺の愛バは、あと2年は俺と一緒がいいらしい。
「うおおおおおおおっ!」
「がんばれーーーーっ!」
「芦毛最高ーーーーッ!」
歓声と拍手、フラッシュを浴びる俺にグレイスが近寄る。
「トレーナー、赤いマフラーが欲しいって言ってましたよね」
グレイスが優勝レイを俺の肩にかけた。
「これじゃグレイスが寒いだろ」
グレイスの肩にもかけられるよう優勝レイを一緒にかけた俺とグレイスに再び大きな拍手が浴びせられる。
「メリークリスマス」
俺にだけに聞こえる声で、グレイスはそっと耳打ちした。
「じゃあトレーナー、また後で」
「あぁ。最高のライブを皆に見せてこい」
ウイニングライブの準備のために控室に戻るグレイスを見送るとウィナーズサークルの周りに集まっていたファンも散っていく。
「ん?」
ウィナーズサークルのそばに、見覚えのある芦毛のウマ娘が立っていた。
「おめでとう、芦毛の子のトレーナーさん」
「確か、ファン感謝祭でお会いしましたよね?」
「覚えててくれたんだね。後輩のアサクサステージの応援に来たんだけど、駄目だったよ」
大竹柵で転倒に巻き込まれたウマ娘を応援に来ていたのか。
「そうだ、俺の芦毛が勝ったら名前を教えてくれるって約束でしたよね?」
「覚えているとも、私の名前はテキサスワイポン」
その名前を聞いてどこかで見覚えのある姿に合点がいった。
「テキサスワイポン!?」
トレーナー養成課程にいたとき、中山大障害を制した芦毛のウマ娘だ。
「じゃ、私は飛行機の時間が近いのでお先に失礼! ライブが見れなくて残念だ」
ライブ用の予備の勝負服に着替え、メイクを終える頃には時間ギリギリになっていた。
「芦毛ちゃん出遅れ?」
同じくライブ用の勝負服に着替えたキョウワソルジャーさんとスコリアイーデンが舞台袖で私を待っていた。
「遅い。ファンを待たせるな」
「スコリアイーデン……さん」
「イーデンでいい。妹が2回勝った相手に3回も負けたのは屈辱だ」
私の勝負服とは対照的に露出の多い真っ赤な勝負服のイーデンは大きくため息をついて私に手を差し伸べた。
「でも、お前の方が強かった……おめでとう」
その手を握ると、じんわりと暖かかった。
「ありがとう。ところでイーデンさん」
「私が転びそうになったとき、振り返ってくれましたよね?」
「フン、覚えてないな」
「中山大障害、1分前です!」
ライブスタッフの合図でイーデンの言葉が遮られた。
「行こっ、芦毛ちゃん」
ステージに出ると、まばゆい照明が私達を照らした。私の勝負服と同じ、水色のペンライトがスタンドを埋めていた。
中山大障害だけで歌われる「Path to Ascension」のイントロが会場に響く。
センターに立つ私は、観客席に大きく手を伸ばした。
「手を取って、駆け出そう見たことない空へ」
あの日、トレーナーが私にしてくれたように。