年末年始を実家で過ごし、トレセン学園に戻った彼女に年明け最初の障害オープン戦が迫っていた。
「あー、世間はいいよなぁ……」
お正月気分の抜けないテレビのチャンネルを変え続けた俺は結局ため息をつきながら電源を切った。
トレセンに盆暮れ正月なしとはよく言ったもので、年が明ければ中山と京都の東西金杯や日経新春杯に向けて練習コースの奪い合いが始まる。
9日にレースを控えたグレイテンペストも最終追い切りの前々日には寮に戻ると言っていたので今日あたり戻ってくるはずだ。
ブルル、と机の上に置いた携帯が震える。
「トレーナー、渡したい物があるんですが今どこにいますか?」
通知には担当ウマ娘からのメッセージが表示されている
「トレーナー室にいるぞ」
と返信すると「荷物を置いたらすぐいきます」とだけ返ってきた。
しばらく待っているとグレイスがドアを開けた。
「あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとう、今年もよろしくな」
「はい、これお土産です」
挨拶を済ませると、グレイスは持っていた紙袋を俺に渡した。
「グレイスが元気で帰ってきてくれればそれでいいのに」
大きなチームだと年始には全国各地の特産品で部屋が埋まるなんてこともあるらしい。
「でも両親がどうしてもって聞かなくて……」
紙袋には愛知名物の餅菓子の名が印刷されていた。
「そうか、グレイスは名古屋のほうが実家だったな」
「生ものだから早くトレーナーに渡したくて」
それが理由にしてはやけに尻尾が大きく揺れているが、指摘しないでおく。
「ありがとう、明日は飛越メインで明後日は予定通り最終追い切りでいく」
「今日は何もしなくていいんですか?」
グレイスの耳が不満げに倒れた。
ローマンと初詣にでも行ってきたらどうだ、と口を滑らせる直前に俺は彼女が何を求めているのか察した。
「……行くか、初詣」
「はい!」
後ろのホワイトボードを吹き飛ばさんばかりの勢いでグレイスの尻尾が揺れた。
三が日が過ぎて神社も空いていたが、ちらほらと家族連れや友人同士で来たらしいウマ娘の姿も見える。
お賽銭を投げ入れ、鈴を鳴らす。
二礼、二拍手。
――グレイテンペストが今年も無事に全レースを完走できますように。
目をつぶってそう願う。
「行きましょう、トレーナー」
「グレイスはなにをお願いしたんだ?」
「レースに出るウマ娘がみんな願うことです」
――勝ちたい、か。
石畳を戻る途中、社務所の横に置かれたおみくじが目についた。
「グレイス、新年一発目の運試ししていくか」
「負けませんよ」
二人分のおみくじ代を料金箱に入れてそれぞれ一つ取って開く。
「どうだった?」
「中吉です」
グレイスはおみくじを見せびらかすように広げた。
「お、やるな。俺は小吉で『信じていれば夢は叶います。相手を信頼することが成功への早道です』だとさ」
「私のこと信じてないんですか?」
「もちろん信じてるよ」
「私も、トレーナーを信じてます」
グレイスは満足げに尻尾を揺らした。
私にとって今年最初のレースがやってきた。
京都第5レース、障害オープン戦。
勝負服に着替えた私は装飾を軽く引っ張って脱落しないことを確かめる。
「スパッツは履き忘れてないな?」
「……っ! ちゃんと履いてます!」
かあっと頭に血が上る。
「すまん、ちょっとからかいすぎた。あんまり入れ込みすぎるな、無事に帰ってきてくれ」
「はい」
灰色のゲートが開き、湿った芝を蹴飛ばして私はゲートを飛び出した。
「アイアンハート好スタート!」
隣のアイアンハートも早いが、さらに外からもう一人のウマ娘が前に出ていく。
「やはりヴァンガードジョン先頭です、2番手は内からグレイテンペスト」
おおむね順位が固まったところで最初の生垣障害が現れる。
「最初の土塁障害先頭ヴァンガ―ドジョン踏み切って飛越!」
一周目は無理についていかず自分のペースを保ってラスト800で仕掛ける、ここまではトレーナーとの作戦通り。
「ヴァンガードジョンが大逃げを打ちました。水濠障害先頭で飛越!」
順位は大きく動かないまま、レースは二週目に入った。
「2番手はまだ来ません……いま来た!」
「後方で少し水しぶきが上がりましたがさすがはオープンウマ娘、うまく飛越していきます」
2周目の向う正面に入って先頭との差はまだ10バ身。
少しずつペースを上げているが、その差が縮まらない。
「ぐ、うううううっ!」
すぐ右をハロン棒が流れていく。
大丈夫、まだ800ある。
「ヴァンガードジョン10バ身のリード、これはもうぶっちぎりの逃げ切り態勢か!」
最終障害を飛び越えた私は残った力を振り絞って速度を上げる。
「させるかぁあああああああああ!」
先頭のウマ娘の耳が少しこちらを向いた。
障害コースを横切り、最終直線に入る。
稍重のしっかりと固まったダートを蹴っていく。
「先頭はヴァンガードジョン、2番手グレイテンペスト。この大勢でどうやら決まりそうです」
――まだ、まだだ!
脚はまだ残ってる。先頭はもうすぐ一杯になるはず。
「3番手争いはミユキユイ」
「グレイテンペスト追ってくる! 追ってくる追ってくる!」
逃げたウマ娘の背中が近づく。
私はトップスピードのまま。
「さぁヴァンガードジョンが一杯になった!」
3バ身の差が2バ身に縮まる。
逃げたウマ娘の巻き上げた砂が私の頬を打つ。
大きくなっているはずの歓声がやけに遠くに聞こえる。
ゴール板が近づく。あと半バ身。
「ヴァンガードジョン! グレイテンペスト!」
あと、少し――
「ゴール寸前どうなったか!?」
私は逃げたヴァンガードジョンと横並びになってゴール版を駆け抜けた。
「これはきわどい勝負! 3着にはミユキユイ! 1着2着は共に上位人気の二人で決着しました」
3着以下はすぐに掲示板に表示されたが、私と逃げた彼女のウマ番は着差が「写真」のまま点滅を続けていた。
「――京都第5レースの結果をお知らせします。写真判定の結果は1着6番ヴァンガードジョン、2着は3番グレイテンペストです」
「グレイス、よく頑張った!」
永遠にも思える判定待ちを終えた私が控室に戻ると、待っていたトレーナーがタオルを渡してくれた。
「トレーナー、次のレースはいつですか!?」
でも私が欲しいのはねぎらいの言葉じゃなく次のレース。
トレーナーは少したじろいだけど、すぐにレーシングカレンダーを開いて私に見せてくれた。
「2週はあけたいが再来週は関西にオープンがない」
「……わかりました」
「月末のオープンは同じ京都開催だ、それでいいか?」
「はい、次は必ず勝ちます」
三週間後、京都レース場。
「グレイテンペストだ! グレイテンペスト先頭でゴール! 2着はヴァンガードジョン! 3着は今大差でミユキユイ! 勝ち時計3分17秒9!」
終始2番手につけ最終直線で逃げウマを捉えて着差はおおよそ2バ身、文句なしの横綱相撲でグレイスは約束通りセンターを勝ち取った。
「お見事、グレイテンペスト。2戦目でオープン勝ちです!」
スタンドに手を振るグレイテンペストの芦毛の髪が冬の陽をキラリと反射した。
「すげぇ……きっちり差し切った」
「この間の金杯も芦毛の子が勝ったしやっぱ芦毛しか勝たんな!」
ゴール板前のファンからも満足げな声が漏れた。
「グレイス、次は重賞に行くぞ」
ウイニングライブを終えたグレイスに俺は切りだした。
昇級初戦で負けたヴァンガードジョンとの一騎討ちを制した今、俺達が目指すべきレースは一つだ。
「阪神障害ステークス……ですね?」
「障害3200メートル。最終直線は芝」
距離は条件戦で3290をクリアしているから問題はない、ここから一ヶ月半で彼女を最高の状態でレースに送り出す。
今度は俺が頭を使って彼女の期待に応える番だ。