今日は朝から空が青いです。外出日和ですね。
寒さの終わりを過ぎて行く途中。この冬が過ぎれば私は星翔音楽学園を去り、新国立第1歌劇団にて新たな生活が始まります。期待してるのですが、不安や心配が無いと言ったら嘘になるでしょう。劇団員ってのは学生の立場とは違うと思います。何時も私を舞台に立たせる理由と私自身の価値を証明しなければだし、その上に昨日とは違う自分に変わらなければ。私に与えられた役をこなすのではなく、私の役を探し出し、価値を証明してこそ新たな役がもらえるのです。
私、露崎まひるは今までの人生で、孫として、娘として、お姉さんとして、最近の3年間は華恋ちゃんのルームメイトとして生きて来ました。常時あらゆる人達の中での「露崎まひる」としてです。一時も休まず誰かの前で私に与えられた役を演じて来た人生でした。そんな私が新たな役を何処で探し出せるのか、次のステージが目に見えて来たら、私の中には荒ぶる気持ちでいっぱいです。
だからなのか最近は華恋ちゃんと一緒に寮に居ても、それぞれの時間を過ごす場合が多くなったようです。華恋ちゃんに声を掛ければ結局これからの話が出てくるだろうし、私はそれを回避したいのかも知りません。心の底に離れたくないという感情を抱えているからでしょうね。
今日も私はベッドの隅に腰を掛け本に目を通してるふりをしながら、華恋ちゃんの後ろ姿を覗き見していました。
「うむ、これくらいでいいよね」
休日の朝からクロージェットのドアを開けっばなしにした華恋ちゃんは服を整理しながら鞄に詰め込んでいました。
華恋ちゃんは卒業を前にしてさらに忙しくなっています。私と違ってまだどの劇団にも入ってないままです。進学を選択したのでもありません。劇団でも舞台でも、心の向く所ならそれが何処だって足で直接訪ねて、遠い所なら外出許可を得て一泊の場合も有りました。これから進むべき華恋ちゃんが立つ舞台を探しているんでしょう。今してる事もその為です。お互いカレンダーにした印がかぶっちゃって覚えています。多分、今回の行き先は札幌だったとか。
……札幌?
「華恋ちゃん、そんな薄着で行くつもりなの?」
「えっ?これが薄い?」
私の声に後ろを向いた華恋ちゃんは手に持ってるコートを見せながら疑問を表しました。華恋ちゃんなりには防寒に気をつけたのかもですけど、私としては東京でしか通用しない中途半端な性能のコートを見せるところから認められません。冬の北海道は、東京生まれの娘が気軽に出入りして良い地ではありません。
「冬も終わりかけてるけどね、北海道はまだすごく寒い時期だよ?東京と同じ感覚で選んじゃダメなの」
「分かった分かった。まひるってば心配症なんだから」
軽すぎる言い草の華恋ちゃんは、やっぱり私の言葉を真面目に受け入れるつもりは無さそうでした。こういう時は仕方ありません。私直々実力行使に出るしか。これは全て華恋ちゃんの為の事です。
「まったくもう、退いて退いて。服は私が選んであげるから」
「えええ……」
華恋ちゃんを追い出して私が直接鞄の中身を一つづつ出して確認してみます。こうしてから私は、この子がどれだけ北の地を甘く見てるのか、まさしく言葉を失いました。はぁ……ため息が。でもだからとして放っておく訳には行きませんよね。私は華恋ちゃんのルームメイトですから。
「上着はこれだけなの?ダメ、ダメだよ。他に無いならニットでもちゃんとした物にしなきゃ。ストッキングもこれは絶対ダメ。こんなの無いのも同然なの。ね、聞いてるの華恋ちゃん?」
「ま…まひるちゃん?」
「何?」
私が精一杯優しい笑顔で振り向くと、華恋ちゃんは何故か私と目線を合わせなくなりました。どうやら私の助言を真面目に聞き入れるつもりが無いようです。本当ガッカリ。
「華恋ちゃん、私はもうここには居ないよ?お世話を焼いてあげる人はもう居ないから」
「わ…分かってるって」
今の言葉は言い過ぎました。華恋ちゃんの返事に力が入ってません。華恋ちゃんは華恋ちゃんなりに頑張ってるのに、それを私の基準で測ろうとしてはいけませんよね。
「しょうがない。今から出かけよう」
「え?」
外出日和のお天気で晴れの土曜日午後、私は華恋ちゃんの手を引っ張って強制的に出て来ました。華恋ちゃんを一人で札幌まで行かせても安心出来る服を手に入れる為に、一応出発です。
行き先は単刀直入に言ってショッピングセンター、私の頭の中に入ってる新宿駅に向かいます。荻窪駅から丸ノ内線で行ける所でもありますし、あらゆる物がある中心地ですから。冬の寒さに街を歩いて店を回るのは、北海道の冬で鍛えられた私でも、あんまり気に入る事ではありません。やっぱり室内で全て解決できる大型ショッピングモールの方が楽です。伊勢丹、マルイ、高島屋、なんならユニクロでも。とにかく新宿駅の近くには何でもありますから。
東京はちょっと行けば何でもあるのは本当便利です。寒くないし、人も多いし、これ以上ない街ですけど、複雑で終わりなく続く建物に囲まれた寂しさも共存しています。数えられない人々が歯車のように噛み合い絡み合いくるくる回る巨大な機械装置みたいな都市。ここで私はちゃんと挟まれる場所を探せるのでしょうか?
荻窪駅から丸ノ内線に乗ってる間、そんな事を考えてました。窓の外には何も見えない地下鉄に乗ってると、ふっとそんな不安がやって来るのです。それは華恋ちゃんが声を掛けてくれるまで続きました。
「まひるちゃん、今日はなんだか行動力あるね」
「だって、今日かぎりでふたり一緒は最後でしょ?」
「そう言えばそうね」
華恋ちゃんは淡々とそう言いました。
明日、私は新国立第1歌劇団の寮に移ります。もちろん卒業までのカリキュラムがまだ残ってるので完全に離れるのではありませんが、正式の入団まで可能な限り後回しにしてるとあっと言う間に引っ越しどころじゃなくなります。ちょっとでも余裕がある時にやっておくのが良いと思いまして出来る限り早い日程を選んだらこうなりました。華恋ちゃんが札幌から戻ってくる日にはもう華恋ちゃん一人だけの部屋になるでしょう。
華恋ちゃんも私と同じ気持ちならと思いましたけど、それは貪欲過ぎるかも。華恋ちゃんはもう別れには慣れてますから。私が欲張り過ぎるんです。
いつの間にか列車は新宿駅に接近して降りる時間です。もう正確な行き先を決めないといけないです。
「華恋ちゃん、まずは何処に行こうか?行ってみた所とかあるの?」
私がそう質問すると、華恋ちゃんは前触れも無くいきなり私の手を握ってこう言いました。
「まひるちゃんとのデートなら何処でもいいよ」
ここまで来る間、私は暗い顔をしていたのかも。
列車から降りてからは出かけようと発案した私の方が華恋ちゃんの手に引っ張られながら歩いていました。華恋ちゃんと初めて出会った時のようにです。当たり前ですが、その時も今もこの街に関しては私より華恋ちゃんの方がずっと良く知っています。それとも私が華恋ちゃんに押し付けた選択を代わりにしてくれてるのかもですね。
どっちにしろ当面は私に出来る事に集中しました。華恋ちゃんといろんなブランドを見回って必要な物を取り上げます。冬が終わる時期ですから店の品物が変わってますが、その中から私の審美眼を最大限に発揮して華恋ちゃんに似合う服をです。
目的がハッキリしてると服を選ぶのにはそれ程時間を費やす必要ありません。ショッピングを口実に一緒に出回るとかが目的だったら違いますが、今は最小限に備えるのに集中してますから。ダウンジャケット・ニット、華恋ちゃんが今度また北海道に行く事が有るか無いかも知らないですし、これくらいで十分でしょう。
でもその2個確保したらもうお昼の時間はとっくに過ぎていました。帰りの列車を待っていたら少し腹が減った感じも。
「ありがとう、まひるちゃん。そしてごめん、今日のバナナランチ食べ損ねちゃったね」
私はお腹空いたとか言ってませんのにどう分かったのか、華恋ちゃんはそう言いました。そう言えば寮に残ってたら今頃ばななちゃんが作ってくれたランチにデザートまで完食して寝転がってたかもです。それも今日で最後なら最後ですけど、そこまで気にする事ではありません。
「いやいや、私から誘ったから。むしろお節介じゃなかったの?」
「全然そんな事ないよ!」
「私の貸してあげられたら良かったんだけど、華恋ちゃんとはサイズ合わないから仕方なかったの」
「ううっ……やっぱりそうだよね」
そう言った華恋ちゃんは何処か気の抜けた顔になって、私の方をジロジロと見てました。外見だけならそこまで違いは無いんですが、小さい方にとって身長5センチは決して小さくないようです。
普段華恋ちゃんの背が低いと思った事はありませんけど、隣でそうしてるのを見てたら私からも身長差を意識しちゃいます。華恋ちゃんと目を合わせると目線がちょっとだけ下を向くくらいの差、何度も何度も一緒に受けた授業できっとデータとしての身長差は認識してましたけど……いや、私の中で華恋ちゃんはもっと大きかったような。
「華恋ちゃん、よく見たらちっちゃいね」
「ええっ、ほんの少しだけだよ!?」
うっかり飛び出した私の言葉が、華恋ちゃんからすぐ激しい反応になって帰って来ました。
「そこまで言うのは失礼だよ」
「あ…あはは、ごめん。ぷふぅっ……」
「ええ……なんで笑うのよ?」
今のは自分で考えてもこれは意地の悪い言い方過ぎました。でも、拗ねたのが丸見えの華恋ちゃんを見たら何だか笑いを堪えるのが出来なくて、私がバカらしくて。
「ねぇ〜、まひるちゃん〜?」
「ごめん、ごめん。何となくね。華恋ちゃんは私の妹に見えたの」
「……まひるちゃん、今日はやけに失礼ない事言うね」
華恋ちゃんの言う通りです。家族に接する時の言葉で友達と話すなんて無礼すぎますよね。ですが、まひるのバカ・バカひるはやっと分かったのです。家族と離れるのは何ともなかったクセに、華恋ちゃんと別れるのは怖がってた自分がバカらしくて。
「もう、家族みたいだからかな?華恋ちゃん、今日から露崎華恋になっても良いよ」
「えええ……それはちょっとね」
私の提案とも呼べない戯言に華恋ちゃんは変な顔になっちゃいました。
「華恋ちゃん、いつも頑張ってるのは分かるけどね?よく忘れがちなんだからお姉ちゃんは心配なの」
「もう!まひるちゃん!」
翌日の朝、私は一番乗りに出かける華恋ちゃんに私の緑色のマフラーをしてあげました。
別れるのは怖いけど、離れても家族であるように、別れても友達だから。