「じゃ、これくらいにしますか」
「ああ」
クロ子との特訓はいつも厳しい。立っているだけで心臓の鼓動が感じられ、息は苦しく、手足は重い。あたしはこんななのに、やっぱり学年次席にもなるお方は、こんな遅くまで自主練を重ねても何ともないらしいな。今まで数々の事を学んだが、何をしようが緩みのないペースを維持しても最後まで鈍くならないあいつを見てると、同然悔しい感情が溢れ出す。
今のあたしが最初クロ子に教えを頼んだ頃の西條クロディーヌにも及ばないとは思わないが、その間クロ子も成長した筈。考えてみると同然なのかも。
あたしが一歩踏み出す間、教えてくれたクロ子も一歩成長出来た筈に違いない。だからこそクロ子との訓練はやり甲斐が有る。最後まで付いて行けるって事が昨日より成長したという証明になってくれるから。
だからこそ残念で気に掛かるかも知れない。香子に付いて行く為に払ったあたしの1年、あの地獄のような受験生としての時間が朧げになるくらい時間が経ったという事も、頭にも体にも染み付いた聖翔での生活がもうすぐ終わりを迎るという事も。
「クロ子と遊べるのもそろそろ終わりか」
次にこんな時間を持てるかは誰も知らない。クロ子はフランスに行くだろうし、そうでなくとも各自自分の道に進むと誰だって会う事は難しくなる。
だかららしくもない恥ずかしいセリフを口に出したのに、こいつは雰囲気と言う事を知らないのか、ふっと笑うだけだ。
「じゃぁ、これからは新国立組でやりなさいよ」
「それは嫌だな」
「何で?」
あたしの答えが意外だったのかクロ子は首を傾げた。
「同じ場所で同じ位置を目指す以上、お互い競い合う関係だろう?もう学生でもないのに、互いに刺激して一緒に成長する青春ドラマなんかはごめんだ。だったら落ちこぼれになるのは今一番弱い自分になるから」
「何でらしくもない弱音吐いてるの?今更自信でも失くした?」
不満なのかクロ子から冷たい返事が返ってきた。まぁ、こんなの言ったらその反応が同然だろう。でも言っておきたかった。せめて貴方には。
「自信は有る。自分自身を信じるのが「自信」でしょ?誰にでも勝てると根拠のない前向きよりは、あたしの気量を冷静に判断してその中で勝つ方法を探す方が自分を信じるって事になるだろう」
言葉のあや、詭弁だと思っても構わない。良くも悪くも、これがあたしの覚悟だから。
「へぇー」
なのになんだ?この微妙な反応は。
「双葉らしくない能弁ね」
「何だとう!?」
「冗談よ」
逆に戯言とでも言って来たら何ともなかっただろうけどな……だからと言って、こっちに人の良さそうな笑みを見せるクロ子にキレるのも出来なかった。
この娘西條クロディーヌ、表にはいつも軽く明るく見せる所があるけど、その明るさはわざと作った演出ってのがすぐ分かるタイプだ。子役出身だからか?芸能人に要求される自己演出が上手だけど、それが上手に見える自体が作った演出って、人に教えてるようなものなんだよな。
でも、そんな一面があるから香子には死んでも絶対言えない事も、クロ子なら大丈夫だろと思ってしまう。それに、香子に認められたい気持ちと同等にクロ子にも認められたい。
「何年が掛かるか知れないけどさ、天堂にもまひるにも、誰にだって勝つって覚悟は本当だ。そしていつか香子の所に帰った時も、後ろじゃなくて隣に立ちたい。いや、前に立つから」
あたしは人なら誰だって持ってる承認欲求を西條クロディーヌの前に剥き出しにした。
なのに、あたしの期待を裏切るようにクロ子の顔からは感情が消えていた。
「いい話だけど、その「帰る」って考えはしない方が良いよ。そう考えてると一人になっちゃうから」
「……それはどういう意味だ?」
「あ、ごめんごめん。ちょっと変に聞こえちゃったかしら?いつか香子と同じ舞台に立ちたいってのは良い。それは私も良い目標だと思うよ。でも、「帰る」って言葉には魔力があるの。こっちからいつか帰る旅人になる必要はないからね。遠からず去る人が自分の舞台に立ってる人間に勝てる?果たして追いつく事が出来るかな」
言葉を紡いだ途中、クロ子声はすごく低い声に変わっていた。珍しく冷たいと言うか、あたしの思う西條クロディーヌらしくない、空恐ろしさが滲み出る声に。
そしてあたしを見下ろすその眼は綺麗すぎるて何とも言い返せない。
「私も同じ。ね、双葉は西條クロディーヌが日本人とフランス人のどっちだと思う?」
「ん?そりゃ…まぁ…」
「私は、ここから行く。そこに帰る。どっちだろうね」
悔しくもクロ子の質問にあたしは何も言えなくて同然だった。そりゃ、あたしがそんな事考えた筈ないから。
あたしにとって西條クロディーヌという女はわたしと同じ聖翔99期同じクラスの友達「クロ子」でだけで、少し加えたらフランスとのハーフで幼かった頃は芸能界で活躍した天才子役、聖翔に入学してからずっと学年次席。なのにどっちかって、答えしにくて同然だ。クロ子もそれを知った上での質問だろうけど、あたしは悔しくてどう仕様も無い。それはクロ子の事でありながら、あたしの事でも有る。なのにあたしは何も言えない。
あたしがそのまま固まってると、クロ子が先にあたしの肩を叩いた。
「そんな深く考えないでよ。正解なんてないから。実は私も知らないの」
そう言ったクロ子は、あたしの初めて見る表情をしていた。表には笑ってるけど、目が笑ってない曖昧模糊な表情。
「どうせ私みたいな欲張りは両方もらうけどー」
「クロ子にはそれが似合うかも知れないな」
あたしは捻るんじゃなくて心からそう思った。クロ子は自分が欲しいものは全部手に入れようと足掻くのが似合う女だし。多分そこでも足掻いて藻搔いて最後の最後にはやってやるだろう。
だったらあたしは、どう考えれば良いんだ?
「ただいま」
寮に戻ったら誰も居ない部屋の中にあたしの声だけが響いて返って来た。中を見回してみたけど、香子のベッドの上に抜け殻のような制服が散らかってるだけで、香子本人の姿は見当たらない。
「何だ?香子のやつ、どこ行ったんだよ。ったく」
正直な所、服の整理もまともにやらないやつのお世話をするのは面倒な事だ。あたしは昭和の妻じゃないっての。こんなものにまで手を出さなきゃいけないのかとため息が出てしまった。
でも、こんな所にまで手を出さずには居られないあたしにも責任があるかもな。結局はあたしが香子を甘やかしてる。
「もういい、帰って来たら自分でやらせる」
そうだ、私の仕事じゃないし頼まれたのでもないのにこっちからやってやる必要はどこにもない。
面倒見の本能に勝ったあたしはすぐベッドに倒れ込んだ。自主練で汗だらけで少しは臭いだろうけど今は何もかも面倒だ。これはね、香子の事も言えないよな。
ぼうっと倒れて天井の蛍光灯の灯りを見てると時間が止まったみたい。休まずあらゆる雑談を吐き出す香子がいないと部屋は静かで、相変わらずあたしの脳内ではクロ子の声がルーフして流れている。
「そんなのあたしは知らないっての。それにあたしがどうしようと勝手だろ。まったくクロ子のやつは人に余計な事吹き込むのは上手なんだよな」
でも誰を恨んでもこの雑念は消えたりしない。こういう時に気楽にベッドの上で横になりこうしてああしてって、どうでもいい話しか出来ない香子が隣に居たらとっくにこんなのは頭から吹き飛んだだろうに、今は何処で何をしているんやら。こんな時間まで一人でする事なんかない筈なのに。ったく。
体を動かしたら忘れられるんだろう?でもクロ子のおかげで今日分の体力は使い切った状態だ。
「鍵、何処だっけ?」
外の空気を吸ったら楽になれるかもと思って、あたしはポケットを確認したが当たり前に何もない。いや、常識的に考えてジャージにバイクの鍵はないか。それからあたしは下校した時に制服ポケットの中身を全部机の上に置いたって事を思い出した。
なのに横目で確認した机の上から、バイクの鍵だけが見当たらない。
……!
「あ……またかよ」
香子のやつ、また勝手に持ち出したな。
それから30分程だった時間。白いバイクが一体、静かに星光館の敷地内に入って来た。ヘルメットを被った犯人の顔を確認出来たいが、その正体なんて知れた事だ。
「御帰りなさいませ、お嬢様」
「ふ、双葉はん」
あたしのバイクを押してる香子の様子を見る限り、何をして来たのかは明確だ。完全犯罪を試みて路地からエンジンを止めて来たのはご苦労様だけど、本当に完全犯罪を成功したかったらあたしより先に戻るべきだった。
あたしと目を合わせない様子から反省はしてるようだ。いや、そんな訳ないか。
「そっちこそ、クロはんとさぞ楽しかったようですな」
少しは弱腰に出るかと思ったが、すぐ切り替えて堂々と出るようじゃ、いつもの香子だ。
「まぁな、お前は一人でも楽しそうだな。いや、あたしのバイクと二人か」
「そ、そうとも。もうウチの物と同然どす。当たり前の事やん」
堂々としてのか慌ててるのか曖昧な態度の香子はヘルメットで顔を隠してるけど声は隠せない。バイクを停める姿も何だか自然には見えない。
「香子、練習したかったら先に言えって何度も言ったろ?一人じゃ危いって」
「そういう双葉はど素人の時からウチを乗せてたでしょ?」
「はぁ?あたしは何年自転車であんたを乗せてたと思うんだ?」
「それとこれは話が別やろ。バイクと自転車は別物どす」
そりゃ合っては合ってるけど、あたしが誰のせいでバイクの免許取って3年もずっと後ろの乗せてたんだと思ってるんだ?最初から喜んで乗っといて今更どの口がそんな言葉を。
「ウチだって双葉に出来たのなら楽に出来ます」
「よう言ってるけど、実際今はまだ下手だろ?お前一人で事故でも合ったらどうするんだ?バイク任せるって言ったのはあたしだけど、それはもっと練習してからでもいいじゃん」
「それは双葉がウチの面倒を見てくれる暇があらへんから。違います?そもそも双葉が悪いんやん。そう不満ならもうええわ!乗らへんから!」
そう声を上げた香子はあたしにヘルメットを投げつけた。
あたしだって最近は色々有って構ってあげなかったのはわかるけど、こんなに恨まれる事はないと思うんだけどな。
「またあたしのせいかよ」
「ふん、ウチが誰のせいでバイクの免許取ってこうしてるんだと思います?そもそも双葉に心配なんか要りまへん」
もうため息しか出ない。
「分かったよ。はい、任せたあたしが悪いんだな。バイクは返さなくていいからもう好きにしろ」
「え、双葉?そうじゃなくて」
後ろから香子がなんか言ってたけど、あたしは耳を仕向けなかった。あたしが要らないんなら、面倒を見ると押し付ける理由はない。
客観的に考えてあたしはあんまり面倒見の良い性格って訳じゃない。やりすぎに見えるくらい面倒見の良いまひるや、一歩後ろから見守って必要な時に支えてくれるばななみたいなやつらとは違うと言えるだろう。なんだかんだで守ってあげなきゃいけない娘と幼馴染になってしまった為こうなっただけだから。
そもそも面倒を見るってのは面倒見られる相手より上の人間に出来る事だ。親子、兄弟、先輩と後輩。そんなふうに上の人から下の人に。面倒を見るってのはそういう関係。悪く聞こえるかも知れないけど、私の場合は面倒を見るより香子に仕えると言うべきじゃないかな。あたしはそういう関係でも構わないが。
花柳香子という女に仕えるのは、周りから見てあんまり楽しそうな仕事ではないと思う。ああして、こうして、要求はキリが無いし、自己中心的な性格によいしょする役は理不尽過ぎる。でもその同時にあたしが要らなくなる時が来るとも知っていた。あたしは香子の後ろに付いて行くのも背いっぱいだったから。
それでもあたしは逃げようとした香子を止めて、今度は香子の隣に立つ為に旅立つ決心までしといて、いつになるかも知らない未来に悩んている。何故だろう?理にかなう理由などない。香子にあたしが必要だったと同じに、あたしにも香子が必要だから。結局相手から卒業出来ず束縛されてるのは香子ではなくあたした。認めるしかない。
「双葉、寝てます?」
短い冷戦で先に敗北宣言をしたのは香子の方だった。灯を消して自分のベッドに入り布団に入っても互いの息音まで聞こえる狭い寮の中でルームメイト同士の喧嘩など長引き出来ない。
それでも今晩くらい意地悪したい気持ちがなかったとしたら嘘になる。このまま無視して寝るふりをしようかと少しは悩んだけど、やっぱりそこまでするのはあたしの性に合わない。
「寝てねーよ」
「まだ怒った?」
あたしが気軽に答えると、香子の声がちょっと明るくなったように感じる。
「何であたしが怒るんだよ」
「だってだって……」
似合わなくあたしの機嫌を伺う声を聞かせると、もう意地悪なんか出来なくなる。こうなったらあたしが悪いみたいじゃないか。
「はいはい、もう怒ってないよ」
「よかった。じゃぁこれからは秘密にしないからお許しくださいませ」
「もうそんな必要もないよ。免許も取ってるのに今更あたしが止めるのもおかしいし」
「ほんまに?」
「ああ、そうよ」
間違ってはない。香子は努力して免許取ってるから法律で国から許可をもらったのにあたしがやめさせる権利はない。そもそもバイクを任せたのもあたしだし、一人でやれるってんなら、それが良い。
「本当かな〜?ウチの前だから強がってるんじゃありまへん?」
「香子に強がってどうするんだよ」
「ふーん?心の中では「香子にもうあたしは要らないって言われたらどうしよう?」と心配してるのかも知れまへんし」
香子は大げさに演じる声で全然似てないあたしの真似までして、笑っていた。コイツ……少し持ち上げるとすぐこれなんだから。
「それはお前がするべき心配だろ?」
「そうどす。ウチがその心配をしてるから双葉の心配などすぐお見通しどすえ。ウチらの考えてる事なんか違いありまへん」
「はあ!?」
「早う告白したらどうどす?「あたしが要らなくなったようで怒ってたんだ」って」
香子のざれごとに、あたしは「何恥ずかしい事言ってるんだよ!」とは言えなかった。そんな事を言ってしまえば取り返しのつかないから。
「ウチは常時一緒に京都へ帰るってお言葉を待ってますんや。いつでも声を掛けてくださいませ」
「ぜってー言わないからな!」
「それでも待つだけどす。では、今日はもうお休みなさい」
香子はそのまま布団の中に顔を隠した。
あたしにあたしの顔は見えないけど、多分赤くなってたんだと思う。月明かりもない暗い夜でよかった。
やっぱあたしは香子に束縛されたままだ。どうやら、あたしはこれからも香子のそばに帰るつもりで生きて行くしかないようだ。
それがあたしの本音だから。