聖翔音楽学園99期生たちは、卒業する。   作:瑞華

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愛城華恋は次の舞台へ

 舞台裏から役者達を呼び出す、観客席からのカーテンコール

 その拍手と歓声に応じて再び舞台に上がる私達

 体に刻まれた、舞台と俳優と観客を熱く焦がす照明の熱気

 額と髪の毛から終わりなく流れ落ちる汗

 開演前に比べると何倍も重く感じる衣装

 ゆっくりと動くドレープカーテンが舞台の前を隠しても、その向こうからは果てしなく拍手が聞こえてくる。

 左右を振り向くと誰一人例外無く皆んなが涙篭った目をしてる。

 それをこの目で確認する度、舞台上での感情を、胸の奥のキラめきを残さず放ち上げたのは、いつもこの瞬間の為だったって実感したよ。

 

 

 

 ───ピビビビッ クオオォォ ピビビビッ

 うるさいアラム時計、朝を告げる青いプラスチック恐竜の鳴き声が部屋の中に鳴り響くと起床しなければならない。そうするべきとは言え、朝6時に平気で起きられる10代が、この世にある筈がない。愛城華恋もまた極めて普通な10代の一人でしかないのだ。

 布団の中でもじもじとしていたい気分だけど、人生って楽だけって訳にはいかない。そんな類の、小さな幸せは10年も前に諦めている。

 勿論諦めたってその欲望も一緒に消えるのではない故に、顰めっ面の華恋は仕様がなくベッドの左、机の上に置いたはずの恐竜の時計に手を伸ばした。

 なのに何故か、その手は固い壁にぶつかってしまう。

「え……?」

 自然とくるり右に回った華恋の前には、冷たい壁とそこに吊られてるカレンダーが見えるだけ。自分からして部屋の反対側、華恋の目線が届いた先に、露崎まひるのベッドは見当たらない。

「まひるちゃん……?」

 まだ眠気から逃れてない表情で布団から出た華恋は周囲を見回したけど、ここは間違いなく愛城華恋の部屋だった。ベッドも机も恐竜の時計も皆んな居るべき場所。ただ、間違ったのは華恋の無意識。

 それは仕方ないかも知れない。その理由を思い出すに、起き上がったばっかりの愛城華恋には少し時間が必要だった。

「今日って……」

 華恋は顔を上げて壁のカレンダーをゆっくりと覗いた。

「…あれれ……?」

 その中には鮮明に書かれてるレッスンとお稽古と公演の日付。そして千秋楽だった昨日には大きい丸。そしてカレンダーの一番上には2020年。

 そこまで遡ってからやっと愛城華恋は記憶の中、夢の中から現実に戻れた。

「そうだ、うん。やっぱ私の部屋だった。あははっ」

 14年前に引っ越して来た港区の住宅、その2階にある愛城華恋の部屋。聖翔音楽学園の寮星光館の二人部屋から戻ってきてから数ヶ月も過ぎたけど、時々眠りから覚めた時同然な事を忘れてしまう。でもそれくらいの事なら誰にだって有り得るとも思わなくもないだろう。

 聖翔で日直だった日、まひるが起こしてくれた朝にはもっとめちゃくちゃだったし、その日に比べると日付を忘れるくらいはなんて事ない。今みたいに目覚めた時、露崎まひると一緒の部屋だって勘違いしてもおかしくない。

 でもそれは過ぎた過去。愛城華恋は新しい一日を迎えるべき。

 ベッドから出て、窓を開けて、布団を畳んで、春から夏に変わる季節のまだ冷たさを感じる夜明けの空気を大きく吸って吐き出す。

 その後、机の上に置かれてる小さい鏡の中に写る自分に挨拶をする。

「おはよう、華恋」

 ここから愛城華恋の新しい一日は始まった。

 

 

 

 あの日、上演は終わって少し遅くまで大劇場に残っていた私達は、確かそこにあった舞台が嘘のように消えて行くのを見届けたよ。

 長かった3年間と最後の聖翔祭に打つピリオドを私達99期の手で。それはきっと意味の有る事だった筈だよね?きっとそう。

 聖翔大劇場から出る前にもう一回振り向いた舞台に向けて、その上から放った胸の中のキラめきを全部全部掻き集めて叫んだよ。「ありがとう!」って。

 前触れ無しに急に叫んだら皆んな不思議そうに私を見つめたけど、でも恥ずかしくはなかったよ!じゅんじゅんには一言言われたけど。でも、それを言ってこそ、塔から降りたクレールと私達のスタァライトの幕が下りるって思ったの。

 

「華恋、朝ごはんよ」

 朝のジョギング後、シャワーを浴びた華恋を、母の朝ご飯は迎えてくれる。家とはこんなにも温もりのある場所だって事を、家族の大切さを目に見える形で確認した華恋の顔は、食卓に座る前にもう幸せて溶けていた。

「はぁ〜今日も幸せ……。グッドグッドだよ〜」

 ポカンとした顔の華恋は、向かいに座って自分の方をじっと見詰める母の視線に気づいて首を傾げた。

「どうしたの?」

「昨日は帰ってすぐ寝てたのに、もう元気出た?」

「そうだったけ?ううん……舞台挨拶してたらベッドから起きたって感じだけど」

 口はもぐもぐしながら昨日の記憶を手繰ったけど、眠気は残ってないのに雲が掛かったように思い出せない。

 カーテンコールに応えて再び舞台に上がった時は、限りなく煌めいて眩しかったのははっきりと覚えてるけど、そこまで。初めて受けた一人のプロとしての仕事を最後まで無事に終えたのは十分に印象的な経験だけど、まるで夢のように過ぎた一月の時間を全て燃やして一欠片の灰になった気分。妙な感情が押し寄せると、華恋は眉を顰めた。

 で、母はそんな娘が心配になる。

「この子ったら、最初からそのようじゃ、これからが心配だわ」

「大丈夫大丈夫、ちっともないよ!元気元気!」

 口の中にご飯を入れたまま明るい表情を作ってみせるけど、母とは娘の言葉をそのまま受け入れられないのだ。それでも娘を信じるしかないのも母。これ以上心配したって、娘の負担になるだけだって事に、話題を変えようとする。

「今日は何時くらいに戻るの?」

「事務所寄ってレッスン終わったらまひるちゃんとちょっと顔合わせてすぐ帰るよ。まだマフラーも返せてないんだよね」

「まひるちゃん?あ、露崎さん。実はお母さんも公演に行った時に会ったよ」

「へぇーそうなんだ」

 偶然ながら同じ日に華恋の劇を見にくれたのは前から知ってたけど、二人が会ってたのは今初耳だ。華恋がもっと詳しい経緯を聞くよりも先に、母はその時を思い浮かべながら楽しそうに自分から話を始める。

「露崎さんって、舞台では本当に大胆に演じたのに、人の前ではすっごく緊張してて可愛かったよ」

「へへっ、まひるちゃんは可愛いよ」

 愛城華恋を挟んでるだけで接点なんて一つも無いふたりが向かい合ってる姿を想像してみた華恋はすぐ駆体的なイメージを得られた。

 多分お母さんが覚えてる筈の露崎まひる、聖翔祭のスタァライトで『嫉妬の女神』だった露崎まひるの明るく朗らかながらも情熱的で燃える演技をする女優と、普段のまひるちゃんは全くの別人。

「華恋に良いお友達が出来て嬉しいわ。露崎さんに来てくれてありがとうって言ったらね、『私も華恋ちゃんは家族と同じだって思ってますから!』って。本当可愛かった」

 華恋は母の反応から、まひるがこの話をしなかった訳について分かってきた気がした。確かお母さんにとっては、そのギャップがただの可愛い娘にしか見えなかった筈だと、そう思いながらニッコリと笑う。

「まひるちゃんとは3年も同じ部屋で過ごした因縁だもんね」

「露崎さんも忙しだろうに、会ったらまずありがとうって言うんだよ?」

「するよ〜。まひるちゃんだからこそ。お母さんはまだ私の事お子ちゃまって思ってるの?」

「だって、華恋はまだお子ちゃまでしょ?」

「もう、お母さんたら!」

 口をツンと尖らすけど、娘が母の前で大人になれる方法なんてこの世には存在しない。永遠に子供である娘の前で母は早くも空になった茶碗におかわりをあげる。

「そう、夕食にはマキおばさんも来るって事だから、あんまり遅くならないで」

「マキちゃん?公演も見に来てくれて嬉しいんだけど、わざわざ今日まで祝いに来なくても良いのに」

「大丈夫」

 微妙な表情から気にしてるって事がバレバレの華恋に向けて、母はキッパリと言い切った。

 劇団アネモネの頃と変わらず、マキおばさんは当たり前の如く母と一緒で見に来てくれた。家族での些細なお祝いで何度も尋ねるマキちゃんに、少しくらいは悪いと思う娘の気持ちが分からなくもないけど、それでも母は気にしない。娘にも気にしないで欲しい。

「華恋はこれから輝くスタァになるんでしょ?ひかりちゃんとふたりで」

「いや、それは……まぁ、そうだけど」

 突然の母からの質問に華恋は即答出来なかった。少し語尾を伸ばしたけど、自分に向けられたお母さんの温かく純粋な微笑みに華恋は頷く。そうするしかなかった。他人からしては訳の分からない自分ルールを堂々と言っていた子供の頃よりは少し大人になったから。

「じゃ、スタァになって顔合わせ難くなる前にいっぱい見ておかないと。悪く思わなくていいの」

「うん、分かった」

 また頷いた華恋は喉の中にいろんな事を飲み干した。ご飯も言葉も。

 舞台少女の道は、普通の喜び、女の子の楽しも、その全てを焼き尽くして、遙かなキラめきを目指す道。もう数え切れない事をキラめきの為に諦めてきた華恋は知っている。この道のスタートラインに立つ事すら、多くの事を諦めてやっと踏み入れる事が許されるんだと。

 全寮制の聖翔音楽学園で得られた経験も、家族との時間と言う普通の喜び、小さな幸せを諦めて得られた成果。今は毎日母と父と会えるけど、この道を進むからには何れにせよまた失う事になると、他の誰より華恋自身がよく知っている。

 愛城華恋は舞台少女だから。

 でも何時訪れるか知らないスタァになる日よりも、華恋には目の前に迫るレッスンとオーディションを突き進む事で頭がいっぱい。余所見する時間は無い。

 故にのんびりと朝食を楽しめる余裕もほんのひととき。食卓に座って長くないのに、スマホから支度する時間を教えるアラームがうるさく鳴る。

「じゃ、行ってくるね」

 

 

 

 今思えば、クレール気持ちを深く理解したとは思えないよ。私はクレールを助ける為なら諦めない、何度だって立ち上がるフローラになり切ろうとしただけど、本当のクレールの事は知らなかったのかも。クレールを理解してあげられるのはフローラだけなのに。

 多分、塔から降りたクレールも、フローラも、女神たちも、自分だけの道に進んだはずだよ。みんな星摘みの塔から降りたけど、生まれた場所も、やりたい事も、目指す場所も、みんな違うもの。別れるのは仕方のない事だし。

 でもね、みんなの運命が変わっても、ずっと友達で仲間としている筈。ずっと一緒になんて諦めたかも知れないけど、再び会える日を諦めたんじゃない。

 だから私も、私たちも先に進めばいいんだよね?

 

 

 

 午前中に到着した事務所の雰囲気は一眼に見ても煩わしかった。机とパソコンの前には数多くの職員たちは慌ただしく、華恋の眼では正体が分からないガラクタ──にしか見えない何かが片隅に積み上がって華恋の心象を乱す。

 勿論事前に約束した担当マネージャーさんとさえ顔を合わせば良いものの、華恋はここに入ってすぐ悪い予感が働いた。

 そして予感は悪い予想にだけ絶対当たる。担当マネージャーさんの席のパソコンには明かりが付いてない。

「ま、まだお戻りになってない……?」

 華恋は少し顔覚えがある隣の職員から、早くから出た外勤で戻ってないだけを聞く事ができた。

「はい、一応こっちから連絡入れて置きます」

「お…お願いします…あははっ」

 気まずい笑いとその頼みだけを残して、華恋はそのまま事務室から出るしかなかった。不透明なガラスのドアから出て、廊下に誰の影も見当たらないのを確認してから小さくため息を吐く。

 頭では理解してる。だって一つの日程を終えたって、企業の業務はそこで終わりじゃないから。会計や書類仕事、その他にも数え切れない事務は、お客さんの為の舞台が終わってからまた湧き上がる。舞台に立つ役者が仕事を終える事で、また別の人に仕事が回る。事務所はそんな業務が回り回る最前列。ひよこのまま社会という野生に放たれた愛城華恋はまだ舞台の外で戦う方法をよく知らない。

「はぁ……何ヶ月経っても事務所は慣れないよ」

 課題提出期限が先延ばしになったように緊張が少し解れ、華恋は自販機に向かった。そこで飲み物を買い、ぼっと何もない廊下を眺める。

 ここには同期も友達も無い。新人の俳優が楽に出来る場所なんては居ないのだ。そして世は華恋を楽にはさせてくれない。

「愛城さん、無事終演したって聞いたわ。おめでとう」

 安直に自販機前のソファに座ってた華恋は、その声にすぐ立ち上がった。

 華恋に挨拶をしてくれた彼女は何年か上の先輩。普段の華恋からは想像出来ない礼儀正しい身動きがすっと出て来る。

「あ、ありがとうございます!」

 見た目も声もぎこちない華恋を見下ろした先輩は、自分も自販機で飲み物を買う。どうやらこのまま楽にはさせないとの予感が、華恋の脳裏を過ぎる。

 案の定、缶コーヒーを手に持った先輩は自然にソファの方に座り、立ち上がったままの華恋には、横に座ろとの合図をする。勿論上下関係が支配する業界の後輩は笑って従うとの選択肢しか持ってない。この後起こるのは、全てを先輩が仕切る綱渡りのような雑談。それが笑いから華恋を襲う。

「そう、次の仕事は決まった?あ、事務所に出てるのに私が当たり前の事を聞いちゃったかしら」

「いいえ、まだです。幾つかオーディションだけ決まって今日その資料とか貰いに来ました」

「へーそう?愛城さんなら受かるでしょうね。初舞台から準主演に受かった大型新人だもの。それ、すごい事だよ?」

「えへへっ、だったら良いんですけど。まだ経験が浅くて困ってます」

「私は初めて会った時から普通じゃないって思ったけど?やっぱりすごいな、聖翔のお嬢さんは」

 華恋は純粋な顔で頭を掻く。

「これから愛城さんを探す所がどんどん増えるだろうし、心配いらないわ」

「そ、そうでしょうか?そうなる為にも頑張ります!」

「上からも愛城さんには相当期待してると思うよ。聖翔のトップにもなると期待しない方がおかしいよ」

「いえいえ、トップって!全然違います」

 両手を振りながら必死に否定する華恋を、先輩はどうしたのって顔で振り向いた。

「え?聞くには卒業公演で主役だったそうじゃない。それってトップって事でしょ?」

「本当全然です!首席は3年もずっと天堂さんだったし、次席もクロちゃんで……私はただあのスタァライトで一番相応しい役に選ばれただけです」

「そう?でもどんな舞台にでも主役が持つ意味は違うのよ。それに聖翔の卒業公演にもなると有名人も観にくる立派な舞台だし、それは誇り以上に自慢してもいいと思うけど」

「いた、でも……」

 先輩の言うのも間違ってもない。どこまでも主役を手に入れたのは個人の成果だから。

「ウチの聖翔お嬢は、いい子なんだね」

 でもトップと呼ばれた事に、恥ずかしがるのではなく、面目無さそうな後輩を見て、先輩は缶コーヒーをちびちびと飲んだ。

「まぁ、とにかく心配しなくてもウチの会社で聖翔出身は初めてだし、ある程度はプッシュもしてくれる筈よ。有名劇団くらいじゃないでしょうけど、なんとかしてくれるから」

「え?あ、そ……そうでしょうか。あはは……」

 華恋は横を振り向いた先輩の笑みと目が合ってしまった。自分を見つめる先輩の言葉に込められた意味を、刺々しい言葉に気づくのは何時も遅れてしまう。

 それでも華恋に出来る事は一つだけ。

「スタァになる為には日々進化すべきですから、頑張ります!」

「スタァ?ああ、そう」

 短かった会話だけで後輩に飽きてしまった先輩は、ソファから立ち上がり、中身が半分以上残ってる音が鳴る缶コーヒーをゴミ箱に投げ入れた。

「それじゃ頑張ってね。私先に行くから」

 

 

 

 偶にはこの道を歩くのがしんどくても、目を瞑れないのは遠くからキラめくあの星が眩しいからだろう。だって私たちは皆んなその星を摘む事を望んでいるから。

 変だよね?あんな事が有ったのに私たちまだ飢えて乾くって。私たちは最初から変な娘だけが集まったのかも。普通を捨てたんじゃなくて、最初から私たちに普通は無かったって。そんなのが時々浮かぶんだ。

 私たちが見てる星が特別であるくらいに、星を目指す私たちがどう見えてるのか、少し考えれば分かってたはずの簡単な事にやっと気づいたみたい。舞台を観る観客がどんなふうに考えるか、どんな感情を感じるのかを考えながら演じる俳優なのにね。

 

 

 

 

「まひるちゃん〜〜!!」

「はいはい、辛かったよね。華恋ちゃん」

 華恋は何時しかまひるがそうしたように、まひるの背中と肩に絡まってくっ付き、涙目でうるうるしていた。本当に泣いてるんじゃないけど、子供になってしまった華恋を、露崎まひるはおんぶしてるのか分からない状態で、嫌な素振りも見せないまま一歩づつ進む。どっちかって言うと嬉しそうにも見える。

「皆んな私の事避けて、除け者にして〜!こんなの初めてだよ!」

 華恋は周囲の目線なんか気にせず、一度始まったら止まる気味のない愚痴を次々と吐き出す。

「私が悪いの?普通じゃないから?」

「何処だって人が集まったら、仲が悪いとか、気まずいとか、距離を置く相手が一人や二人は出来るものだよ?」

「でも……そうかもだけど……それでも!」

「新国立だって同じ。100年の歴史を持つ演劇界を牽引する世界最高峰のカンパニー。そう気取っても結局は人の集団だよ」

「ううん……よくわかんないよ」

 当たり前だけど理解したくない現実を拒み自分の顔をまひるの背中に押し当てた華恋の声は低く広がる。

「じゃ、華恋ちゃんは今まで運が良かったんだね。羨ましいな」

「え?」

 華恋は有り得ない言葉を聞いたかのようにパッと顔を上げた。

「まひるも仲の悪い相手が居たって事なの?」

「私も普通の女の子です!小学生の時も中学生だった時も、聖翔にでも一人くらいは居たよ。一言も交わした事ない子も、気まずかった子も、嫌いだった人も」

「え〜以外。想像出来ないな」

 優しいまひると仲が悪くなるには何をどうすれば良いのか、華恋にはその方法を思い浮かべるだけで難問だった。勿論部屋を散らかすだけで、まひるを怒らせるのは出来るけど、それは結局相手の為に怒るまひるの優しさだから。

 でも、露崎まひるは自分でそんなに優しくぬくもりの有るとは思ってない。華恋が想像するくらい良い人とは到底思えないくらい、あの娘が嫌いだったから。

「私、ひかりちゃんが嫌いだったよ」

 本当の感情が篭った小さな声。でも愛城華恋は少しも驚いたりしなかった。

「まひるちゃんのそれは、本当の嫌いとは違うでしょ?」

 そして露崎まひるもまた、少しも驚いたりしない。

「やっぱり華恋ちゃんは知ってたんだ」

「えっ、まぁ……ごめん、あの時は知らないフリしちゃった」

 勿論それも知ってる。それでも好きだから。それも含めて好きだから。おかげて皆んなを、ひかりちゃんを、何よりも自分がまた好きになれたから。

「今はひかりちゃんの事嫌いじゃないよ。ううん、今は好き。嫌いだったのは過去形、好きなのは現在進行形。だから、一人くらいはこれから華恋ちゃんの事が好きになるよ」

「どうかな」

 似合わなく力の抜かれた声。華恋には少しも似合わない。愛城華恋が積み上げた愛城華恋には。せめてまひるはそう思った。

 だから足を止めて立ち止まったまひるは腕を後ろに回した。そして力いっぱいに両手で油断してる華恋のお尻を持ち上げる。

「ええっ!?ま、まひるちゃん??」

 背中から慌てた華恋が少し足掻いてだけど、むしろまひるの腕はもっと強く締まるだけ。まひるは少しも降ろしてあげるつもりはない。そのまま真っ直ぐ駅の方に歩いて行く。

 いい大人の女がおんぶされてるのは恥ずかしさ極まり無いけど、こう言う時にまひるには逆らえないと、3年間の経験から学んでる華恋はずっと黙ったまま静かにしてる以外何も出来なかった。

 自分の背中で静かになった華恋を感じながら、まひるは止まらない。

「華恋ちゃんがそこで一人でも、今はここに私が居るよ?どんなに離れてたって皆んな一緒なの。心配しないで」

 やけに広く感じるまひるの背中から、一歩一歩前に進む足音を身体中で感じながら、華恋はまひるの耳元に小さく囁く。

「まひるちゃん」

「なーに?」

「ありがとう」

「どういたしまして」

 華恋のありがとうに、嬉しそうな声で答えたまひるは歩みを止める。

「華恋ちゃん」

「はーい」

「じゃ、もう一人でも歩けるよね?」

「あ、うん!勿論だよ!」

 華恋が急いでそう答えると、まひるは少し腰を下げ華恋を降ろしてあげた。変な経験のせいでホッペが少しは赤く見える華恋と向き合って、まひるの顔には笑顔が広がる。

「まだ駅までは遠いよ、早く行こう!」

 前を走るまひるに手を引っ張られながら、華恋はあそこに見える次の駅に走る。

 

 

 

 ひかりちゃん。

 この手紙を出してもいいのか分からないけど、気づいたら何時もこう書いてる。だって10年以上毎月手紙を書くのが当たり前になってるんだもん。無事に上演を言えたらこうしてひかりちゃんに報告する事で本当に終わったって感じになれるんだ。

 公演が終わって観客も役者も無い舞台、時間が止まった劇場、全てが終わった空間ってのを何度も見て分かったの。現実に「終わり」は来ないって事に。

 ドレープカーテンの裏、回し終わった映写機のフィルムには行けない。幕が下りると、役者も裏方も皆んな次の舞台までの戦いを始めるだけ。

 舞台には幕が下りるけど、人生はそこで終わらない。舞台が終わったら後片付けして劇場を出たら打ち上げ。キラめきをすべて舞台の上に放って、胸の中が空っぽになっても「愛城華恋」はここに居る。

 舞台の上に立った時見えるのはいつも綺麗で夢のような光景だったよ。その瞬間にだけ見られる光景を見る為に、私たちは舞台に登るんだよね。

 次もその眩しいキラめきを見る為に、次に駅に行くね。

 そして、待ってるよ。

 

 愛城華恋

 

 敬具

 

 

 

 

 

 

 

「みんなを、スタァライトしちゃいます!!」




聖翔音楽学園第99期生、九つの話はここまでです。
劇場版を観て感じた事を小説に、ここまで書きながら楽しかったです。
ありがとうございました。

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