千景の亡霊   作:海底1号

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8,旅立ち

 

 環境が変われば価値観が変わる、誰が言っていたかは知らないがまさに今がそれだろうと千景は震える手でゆっくりと食材を切っていく

 今まで食事とは腹が満たせれば良いくらいで、お湯さえあればすぐに出来るカップ麺が主な食事だった千景だが、結城家に来てからというもの料理の暖かさと愛情と作ってあげたいという欲が生まれ始め、拙いながらも少しずつ綾女から料理を教わっている

 

 「どう、ですか?」

 「ちょっと危なっかしかったけど綺麗に切れてるわ、あとはもう少し力を抜いて自然体で切れるように頑張りましょう?」

 

 綾女に撫でられながらちゃんとした評価と改善点を教えられ千景は達成感と次への意欲を募らせる

 

 「お義母さん、次は味付けしてみたい」

 「ふふ、やる気満々ね、それじゃ今度はーー」

 

 和気藹々と進んでいく料理教室をソファから微笑ましそうに眺める勇一

 

 「勇一はもう良いのか?さっきまであの輪に入っていただろうに」

 「だってちーちゃんが僕の為にごはんつくってあげたい、って、そんなこと言われたら余計な事できないって」

 

 初めての千景の手料理に期待で胸を膨らませる勇一、そこに不安や心配といった表情はなく、仮に炭が出てこようともこの笑みが崩れる事なく平らげそうだと勇一の浮かれ具合にどこか懐かしく思う勇斗

 

 「バッチリよ千景ちゃん」

 

 味見をした綾女の評価に良かったと胸を撫で下ろす千景、これなら勇一も喜んでくれると丼にうどんをよそうと食卓に並べる

 

 「今日は千景ちゃんの手料理よ、冷めないうちに頂きましょう」

 

 全員席について手を合わせるとうどんに箸をつける

 

 「美味しいよちーちゃん!」

 「あぁ、美味いな」

 

 二人の好評価に嬉しそうにうどんを啜る千景。綾女の補助があったからではあるもののカップ麺が得意料理という悲しい思い出を払拭できそうだと少しだけ自信が付く

 

 「お義母さん、これからも私に料理を教えて下さい」

 「勿論よ、勇一の胃袋をしっかり掴めるように頑張りましょう」

 

 胃袋を掴まずともすでに千景の虜だと勇一は自覚しているがこれからも千景の手料理がまた食べられるなら何度でも惚れ直そうと心に決めた

 

 

 

 

 

 

 乃木若葉の朝は早い、夜明けが始まる前から体力作りの為のランニングを始めており、軽く汗を流したところで寄り道をして帰ろうと海岸沿いを見てみると案の定の人物が映る

 

 「千景……やはりいたか」

 

 誰もいない浜辺に一人佇む見知った後ろ姿を見つめながら若葉は声をかけるべきか悩んだ

 実力は申し分なく戦うことに恐怖で震える心配もない、他の勇者達とも仲睦まじくチームワークの大切さを身に覚えさせる訓練も取り入れている頼もしい仲間

 それと同時に彼女の危うさというものもよく目にしてしまう、何もいないところに顔を向けて会話のようなやり取りをしたり、愛おしそうに武器を手入れしたり、今のように一人静かに海の向こうを眺めていたり、そんな姿は見ていて痛々しかった

 

 「死者にとらわれるな……などと私が言える立場ではないな」

 

 結城勇一、千景の婚約者である彼は笑顔が似合う優しい人物でどこに行こうと二人は片時も離れなかった程、仲睦まじかったと聞いている

 そんな彼の姿を一度も見ていない理由など、このご時世に生きていれば誰でも容易に想像がつく

 かくいう若葉にも痛いほど身に沁みており虚空に幻影を求める様に強く当たることなどできるはずもなかった

 

 「……帰るか」

 

 一人になりたいと思う気持ちは分からなくはない、心の整理をしている最中に邪魔するものではないと立ち去ろうとしたとき、思いも寄らない声が聞こえ振り返ってしまった

 

 「やっぱり乃木さんね、朝のジョギングかしら?」

 「ち、千景?いや、しかし、んん?」

 

 先程まで浜辺にいたはずの千景が直ぐ側に立っていることに狼狽える若葉に千景はふふっと小さく笑って謝る

 

 「乃木さんが見えたからちょっとだけ精霊の力を使ってみたの、驚かせてしまってごめんなさい」

 「あ、あぁ、そういうことか、まったく無駄遣いがすぎるぞ」

 

 笑いが溢れる謝罪をする千景だったが、ふとその表情が安堵したように見え若葉は思わずどうしたのかと問いかける

 

 「……ちょうど乃木さん辺りにはさすがに言っておいたほうが良いかなって思ってて」

 「何の話だ?」

 

 ひとまず腰を下ろそうとベンチを見つけて座ると千景は申し訳無さそうな表情を浮かべる

 

 「誰かの所為で死ぬかもしれないって聞いたらどう思う?」

 「質問の意図がよく分からないが……私は最期まで戦うぞ」

 

 最期の時までバーテックスに報いを支払わせ続ける、そう決めた若葉にとって死ぬ理由は重要ではない

 

 「さすがは乃木さんね、じゃあちょっとの間四国を任せてもいいかしら?」

 「どういうことだ?」

 

 怪訝な表情を浮かべる若葉に千景は諏訪に行く旨を伝える、一瞬何を言っているのか理解できなかった若葉だが整理がつくと思わず立ち上がり千景の両肩を掴む

 

 「いきなり何を言い出すんだ千景!」

 「諏訪にいるバーテックスを倒したいの、ゆうくんにしてあげられる事はしたいから」

 

 勇一の名前が出ると若葉は先程の威勢が嘘のように霧散し俯く、最愛を失った千景はバーテックスを殺し続ける事でしか生きてはいけないのは分かっていた、調査という名の復讐に外へ出ていることもひなた経由で知ってはいた

 

 「……諏訪は、もう持たないかもしれないぞ」

 「そうね」

 「大社は、恐らく許可しないはずだ」

 「もう聞いたわ」

 

 だったらなぜ、と口にしようと顔を上げると慈愛に満ちた笑みを浮かべる千景を見てしまい、若葉は言葉を失う

 

 「乃木さんの言いたいことはわかるわ、でも私はゆうくんが大好きだから」

 「……わかった、こっちは任せておけ、千景は千景のしたい通りにやるといい」

 

 義務や矜持に囚われず死してなお愛する一人を想い戦う、覚悟とも違う生き様の千景を止められるのはきっと勇一という存在だけだ

 

 「先に言っておくが謝るなよ、仮に千景が諏訪に向かい一人抜けたところでバーテックスに遅れを取るつもりはない、だからむしろお前に諏訪を頼みたい」

 「えぇ、一人でも多く連れて帰るわ」

 

 そう言って微笑んだ千景が花びらのように散り姿を消す、それと同時にけたたましくなる携帯の画面を見るとひなたからだと通話をする

 

 「た、大変です若葉ちゃん!結城さんが、千景さんが!」

 「あぁ、今しがた見送ったところだ」

 

 はい?と素っ頓狂な声が聞こえたかと思うと矢継ぎ早に質問され、詳しくは会ってから話すと通話を切ると久しく聞いていなかった飛行機の音に空を見上げる

 

 「行って来い千景、それがお前の愛の形なのだろう」

 

 空の彼方へ消えていく飛行機を見送ると、慌てているであろうひなた達の下へと足早に駆け出した

 

 

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