スピカに隠れて、デネブは輝く 作:とくめいトレーナーA
「いや~、ごめんね。わざわざ会いに来てもらっちゃってさ……」
「いえ、気にしないでください。あたしもトレーナーさんのことが気になってたんで、話を聞きたかったんです」
選抜レースの翌日、男は自分がスカウトしたウマ娘と話をしようとしていた。
彼が淹れた温かいお茶を受け取った彼女は、やや緊張気味ではあるようだが……こちらの話をしっかり聞こうとしてくれているようだ。
昨日のレースで見せたパワフルさが何かの間違いであるかのような謙虚さを見せる彼女の様子に笑みを浮かべながら、男は丁寧に挨拶をする。
「改めまして……わざわざ会いに来てくれてありがとう、メジロライアン。大勢の人からスカウトを受けている君が、新人トレーナーである俺の話を聞いてくれるだなんて、本当に嬉しいよ」
「そんな、感謝されるようなことはしてないですよ。さっきも言った通り、あたしもトレーナーさんのことが気になってたんで……」
気恥ずかしさそうな笑みを浮かべながらそう応えたのは、ベリーショートの髪型が特徴的なウマ娘、メジロライアンだ。
選抜レースでスタート時の出遅れとそこからの驚異的な追い上げという失敗と武器を同時に見せつけた彼女は、そんな自分をスカウトした男が淹れてくれたお茶を飲んで気分を落ち着かせる。
マックイーンと同じく名門であるメジロ家の一員であり、出遅れという失敗こそしでかしたものの十分過ぎるほどのポテンシャルを持つ注目株である彼女が新人トレーナーである男の下を訪れるというのは相当に異例なことだ。
逆にいえば、彼女にわざわざ訪問してもらった彼はとんでもないチャンスを掴んだということであり、この好機を活かすべく、男はライアンとの会話に臨んでいった。
「それで? 俺のことが気になってたって言ったけど、どういう部分が気になったの?」
「えっと、トレーナーさんって新人さん……なんですよね? それなのに、一切怖気づくことなくあたしをスカウトしに来るだなんて、凄いな~って思って……」
「あはははは! あれは周囲のことを気にしてなかっただけだよ。それにほら、先輩トレーナーさんたちに新人が調子に乗るな! って怒られてすぐに蹴り出されちゃったしさ」
そう、昨日の出来事を振り返るトレーナー。
ライアンに近付き、彼女をスカウトしたまでは良かったが、その直後に他のトレーナーたちからの顰蹙を買った彼はあっという間に彼女の傍から引き剥がされ、その後は一切近付くことすらできなかった。
考えてみればそれも当然の話で、あの名門メジロ家の有望株であるメジロライアンを何の実績もない新人トレーナーがスカウトするだなんてのは、大胆不敵を通り越してただの馬鹿がやることである。
下手をすればトレーナーの稚拙な育成によってライアンの将来が潰れてしまう可能性だってあるのだから、彼とライアンが契約するだなんてとんでもないと考える周囲の人々の考えは当然のものであった。
大方、身の程を知らないトレーナーが馬鹿をやったか、あるいは素質ある彼女との契約を勝ち取るために大博打のようなスカウトをしに来たか、というのが男の行動に対するベテラントレーナーたちの考えだ。
まあ、前者に関しては完全には否定できないわけだが、この新人トレーナーは本気でメジロライアンを育て、最高のウマ娘にしようという決意を心の中で燃え滾らせていた。
「……どうしてあたしなんですか? 同じメジロならマックイーンとパーマーがいるし、素質の高さならアイネスやヘリオスだって負けてません。あのレースに参加したみんな、あたしにも負けてないどころか実力が上の子たちばっかりでした。それなのに、どうしてあたしを……?」
「ん? ん~……上手く言葉にできないけど、君が一番頑張り屋さん……だからかな?」
「えっ……?」
ひどくぼんやりとしたその回答に、ライアンが驚いたような表情を浮かべる。
ややあって、はっとした顔になった彼女は、苦笑を浮かべながらこう答えた。
「ああ、この体のことですか? 確かに筋肉はありますけど、それは鍛えるのが好きなだけで、頑張ってるのとはまたちょっと違いますよ」
「いや、そうじゃなくって……いや、それもあるんだけどさ、どっちかっていうと俺が気になったのはライアンの心の部分なんだよ」
「えっ?」
本格化を迎えたばかりだとは思えない自分の引き締まった筋肉質な肉体を見て、ウマ娘としてデビューするために過酷なトレーニングを続けてきたのだろうとトレーナーが勘違いしたと考えたライアンであったが、彼が気になったのはそこではないという答えに再び驚きの表情を浮かべる。
彼はこれまた上手く言葉にできないと前置きをしながらも、選抜レースを見て思ったことを彼女へと伝えていった。
「何て言うか、俺の目にはライアンが最後の直線で迷ったように見えたんだ。多分だけど、その迷いが原因で君は最後の最後で全力を出し切れなかった。違うかな?」
「っ……!?」
図星か、とライアンの反応を見たトレーナーは思う。
スタートの出遅れを取り戻し、懸命に2位まで追い上げたライアンのスパートに誰もが目を奪われていたが、彼はその中で彼女が見せた動きの鈍りに気が付いていた。
間違いなく抜けると、ライアンの猛追を目にしていた男は思っていた。
だがしかし、最後の最後で速度を緩めた彼女の走りを見た彼は、そこに彼女の本質を見たような気にもなっていたのである。
「スタートの出遅れは緊張していたからって言われれば納得できる。でも、最後の最後で速度を緩めたあの動きは緊張が原因なんかじゃないでしょ? 迷ったんだ、君は。沢山の人の想いや期待を背負うマックイーンに自分なんかが勝っていいのかって、そう迷ってしまった。だから、スパートに全力が尽くせなかったんだ」
「……あはは、凄いなぁ。まさか、そこまで見抜かれちゃうだなんて……」
力なく笑いながら、自分自身の不甲斐なさを他人から突きつけられたライアンが呟く。
だがしかし、トレーナーからのその言葉に決して不快感を抱いている様子ではない彼女は、ぽつりぽつりと自身の心境について語り始めた。
「……トレーナーさんが思った通りです。負けた言い訳をするつもりじゃないですけど……あたし、迷いました。メジロ家の一員として、天皇賞を制するって目標を掲げて頑張ってるマックイーンに対する引け目みたいなものを感じて、あの直線で全力が出せなかったんです。それがマックイーンに対しても、他の子たちに対しても失礼なことに当たるってわかってたのに……本当にダメですよね、あたし」
「うん、そうだね。その点に関しては、本当によくないと思うよ」
下手に慰められるより、ズバッと斬り捨てられた方がいっそせいせいする。
そんなライアンの心を見透かしたかのように彼女のメンタルの弱さからくる手抜きをダメだと言い切ったトレーナーの言葉に、彼女は少しだけ明るい笑みを浮かべた。
「それで、どうしてそんなあたしを頑張り屋だなんて思ったんですか? 真剣勝負の最中に手を抜くあたしは、頑張り屋とは程遠い存在だと思いません?」
「う~ん、それはちょっと違うかな? ライアンは、負けてもいいからって手を抜いてるわけじゃない。自分なんかが勝ってもいいのかなって迷って、全力が出せないだけだ。ここに関してはきちんと言葉にできるよ。君は、
「……!!」
トレーナーの言葉にはっとしたライアンが目を見開き、彼を見つめる。
選抜レースの最中、スタートで出遅れた自分はこのまま負けたくないと思い、全身全霊での追い上げを仕掛けてマックイーンの背後まで迫ったはずだと、そう自分自身の意志を振り返った彼女が知らず知らずのうちに拳を握り締める中、トレーナーは続けてこう言った。
「ライアン、君は優しい子だ。でも、その優しさが原因で自分の力を出し切れずにいる。そのことは他の誰でもない君自身が一番わかっているだろう。それでも君は、悩みながら、苦しみながら、走り続けている。その理由は、君の中に
「勝ちたい、想い……?」
「うん、そう。ライアンは勝つために頑張ってる。でも、最後の最後でその想いを支えてくれる何かがないんだ。だからつい気持ちが弱って、全力を出せなくなってる。だからさ――」
そこで言葉を区切ったトレーナーが、ライアンの目を真っ直ぐに見つめる。
胸の内にある僅かな迷いを滲ませたその瞳に映る自分自身の姿を見つめながら、彼はライアンにその迷いを振り払わせるかのようにこう言った。
「――君のその想いを支えてくれる何かを見つける手助けを、俺にさせてほしい。君の努力と頑張りを花開かせるために必要なのは、勝ちたいって想いを支えてくれるのは、ライアン自身の夢なんだ。他の誰でもない、ライアンが勝ちたいと思える理由。君がレースの中で叶えたいと思う目標。それを俺と一緒に見つけてみない?」
「……夢。あたしが叶えたいと思える夢を、一緒に……」
「……もちろん、精神面だけじゃなくて肉体的なトレーニングに関しても面倒を見させてもらうよ。と言っても、俺はご存じの通りの新米だし、もしかせずともライアンの方がトレーニングに関しては詳しいかもしれないけどね」
格好よく誘いの文句を口にしたトレーナーであったが、その直後になんとも情けのない言葉を口にする。
ボロを出さなければ十分に風格のあるトレーナーだったのに……と思いながらも、ライアンは彼のその飾らない態度を好ましく思った。
「……お誘い、ありがとうございます。ただ、すぐに答えを出すことができそうになくって……少し、考える時間をいただけませんか?」
「もちろん、いいよ。トレセン学園には俺なんかよりも実績があるトレーナーさんは山ほどいるからね。よく考えて、ライアンが最高だと思う選択をしてほしい」
「ありがとうございます。それじゃあ、また……」
トレーナーとの面談を終えたライアンは、丁寧にお辞儀をしてから彼の部屋を出ていった。
その背を見送った彼は、深く息を吐いた後に窓の外に広がる運動場の光景を見つめる。
「頑張ってるな、みんな……」
そろそろ選抜レースに出場したウマ娘たちも、どのトレーナーからのスカウトを受けるか決めた頃だろう。
多くの注目を集めたメジロマックイーンなら、天皇賞春での勝利を掴むために最適なチームを選び、トレーニングに勤しんでいるはずだ。
彼女には明確なビジョンがある。そのビジョンに向けて努力を重ねるマックイーンの夢を応援したいという気持ちはあるが……彼女を最も輝かせるのは自分ではないということを、トレーナーは理解していた。
なら、ライアンはどうなのだろうか? まだ夢らしい夢を持っていない彼女のことを、自分は導くことができるだろうか?
先輩であるベテランのトレーナーたちを差し置いて、自分こそが他の誰よりも強く、大きく、美しく輝く一等星に育て上げられるトレーナーであると、そう断言することができるのだろうか?
……そこまで考えたところで、トレーナーは頭を振ってその思考を中断した。
自分はただ、全力を尽くすだけ。ウマ娘たちの夢を応援し、その背を押すことだけを考えるだけだ。
ライアンに伝えるべきことは全て伝えた。あとは、彼女がどうするかを見守ればいい。
叶うならば、彼女と共にこれからの道を歩んでいきたいと願いながら……新米である彼は、勉強のために数々の情報が書かれたノートを読み始めるのであった。