「……友達に、あたしは鬼の子孫だから、というのをよく口にする娘がいますけど、わたしは鬼の子孫ということの意味がよくわからないのです。あなたはどうお考えなんですか?」
『自分たちは鬼の子孫である』
雛見沢の住人は多かれ少なかれ、そう思っているらしいのはレナもわかっていた。
幕末から明治にかけて、古い言い伝えなどを迷信と決め付け排斥しようとした時代に、伝統を持つ鬼ヶ淵は弾圧された過去がある。
そのときに、今も残る、村の団結力と異常なまでの行動力が培われたのだろう。
鬼の子孫と言う、かつての誇りが蔑みに替わり、そして一巡りしてまた内心での誇りに戻ってきたのだろう。
そういう意味では、レナでさえ、父方が村の出身である以上、鬼の血が流れているといえるのだろう。
違うのは東京から越してきた前原家の家族など、最近になってきて越してきたものたちぐらいのものだ。
「まあ、御伽噺の鬼みたいに、角があって、金棒を持った大柄な巨人達ということはないと思います。それじゃあ、まるっきりファンタジーですからね。やっぱり、鬼というのはなんらかの比喩や例えの類ではないでしょうか」
作家は現実的だ。
「でも、鬼さんが現実に居たら……」
レナは脳裏に鬼の姿を描く。
彼女の想像力では、絵本の中の全然怖くない鬼しか浮かばない。
虎革のパンツなんか穿いていて……
「それもかぁいいね―――」
「何か、ありました?」
「いえいえ、こちらの話でして……。ははは。―――そういえば、わたしの友達の一人が、鬼の正体は日本海に流れついたどこかの外国人じゃないかって言っていたこともありました。御伽噺の桃太郎の鬼も、実は流れ着いた北欧のバイキングとか、中国あたりに貿易に来ていて帰れなくなった西洋の人たちじゃないのかって」
「異人漂流説ですね。僕もそれは真っ先に考えました。さっきの沼説の焼き直しと言うわけじゃないんですが、『オヤシロさま』は『ロシア』のアナグラム、逆さ読みではないかと考えたんです。そうであるなら。雛見沢の鬼たちが持っていたという知識や技術は、実は進んだヨーロッパの医学や科学じゃないか、と」
単語や文字に、複雑な意味があると考えるのは、この作家の思考の特徴なのだろう。
しかし、確かに沼をばらしてオヤシロにするという説よりは納得しやすかった。
それにロシア人なら鬼と同様に大柄な人というイメージがあるし、漂着したのが日本海ならここからもさほど遠くはない。
実際、レナの教え子達はすぐ近くの海岸に泊り込みで出かけている。
漂着した外国人が、艱難辛苦の挙句、当時の鬼ヶ淵村にたどり着いたとすることはありえない話ではない。
「『ロシア』が『ロシヤ』になって、敬称がついて『オヤシロさま』ですか……。けっこう、ありそうですね」
だが、青年は残念そうにまた首をふった。
「でも、駄目でした。鬼ヶ淵の歴史は、ロシアの歴史と付き合わせると、時期や言語的に合わないぐらいに古いんですよ。で、同じような発想で隠れキリシタンの里という説も立ててみました。でも、キリシタン禁令が出たのが秀吉の1587年。江戸時代からさらに厳しくなりますが、鬼ヶ淵の歴史はそれ以前からありまして戦国時代以前からだと思われます。加えて、この辺りには、そもそもキリシタンを支援していた有力な大名や豪族などもおらず、キリシタンが潜むには適していません。ですが、この線は捨てがたいと思いました。それは雛見沢の人たちの持つ閉鎖性です。これは隠れキリシタンと類似している。鬼ヶ淵とは隠れ里ではないかと」
つまりは意識して造られた排他的な箱庭が、雛見沢だということだ。
「村の住人を出さず、外部の人を入れず、というのは確かです」
「違いがあると言うなら、何を隠しているのかが違うと言う意味で、隠れキリシタンと似ていると言うことかもしれませんね」
「平家の落人部落ということはないんですか」
「歴史的には、ちょっと古すぎる気がしますが、その可能性はあります。でも、日本には源氏と平氏による『天下持ち回り説』というのがありましてね。北条や織田といった平家筋が有力になると、平家の落人達は雨後の筍のように出てくるんですよ。特に、京都に近い地方では。もし、鬼ヶ淵にいたのが平家の残党なら、何もしないで閉じこもっているのはさすがに変だと思いますから、これ保留しました」
確かに、鬼ヶ淵村が戦国時代にどんな立場にいたかなんて話は聞いたことがない。
もし、なにかの戦いに参加していたら、この村の人間のことだ、派手に記録に残さないはずがないだろうし。
つまりは周りが荒れていた時代も雛見沢の住人は我関せずで引きこもっていたということだろう。
「僕は鬼ヶ淵村が何を隠していたのか、なんてことをこの村に着てからつらつらと考えてみました。でも、実際問題、この村には隠さねばならないような秘密と言うのはあまり感じませんでした」
そこで、綿流しか。
レナは百年以上前に先人達が行っていた猟奇的な祭りについて思いをはせた。
現代行われているのは、鍬のような器具を用いて古い布団を裂き、中から綿を取り出してそれを川に流す儀式。
本来は、古い布団が人間であり、生きたままその腹を割き、内臓を取り出すものだったらしい。
それを村中で見物し、おそらくは皆で殺した人間を食したのだろう。
思い出すだけで背中が寒くなる猟奇さだ。
儀式について、とても詳しくレナに語って聞かせた女性のこともなんとなく思い出していた。
そういえば、彼女は祭りや付随する儀式については興味があったようだが、『オヤシロ』さまの正体にはさっぱり食指が動いていないようだった。
あれはどういう心境だったのだろう?
「村人達は鬼を自称し、外界との接触を避け、いったい何を隠していたのでしょう」
「祭りじゃないのですか」
先手を打つことにした。
どうやらこの作家は綿流しになにかが在るといいたいらしい。
レナはかつて聞いた話をした。
生け贄を殺し、村中で死体をむさぼることで、見せしめとして権力者達が民衆を掌握しやすいようにしていたという説だ。
共犯意識を持った人間は、そう簡単に仲間を裏切れないことを理由とするものだ。
「統制のための見せしめですか? 確かにありそうな話ですが、僕は理論的すぎると思います。そもそも鬼ヶ淵村の人口程度では、もっと有効な統制手段がとれたと思いますし、恐怖は距離によって比例して薄くなります。旅に出たものにも『オヤシロさま』の祟りがあるということを考えると、もっと根源的な統制があったのではないでしょうか」
難しいことを考える人だな、と思った。
食人なんてショッキングな話を隠すと言うのは、かなり現実的な理由だと思うのだが。
レナだって、もしその時代に生まれていたならば、そんな事実の隠蔽に走るかもしれないのに。
「雛見沢に、他に隠さなければならないものはありませんか?」
「なんですか、それ」
「例えば、金山や銀山、または名湯といった資源ですね」
レナは首をふった。
もし、そんなものがあったのなら、村の土地を多く持っている園崎家が知らないはずはないし、それに存在したのならば、きっとダム戦争のときのカードとして使っていたに違いない。
ということは、結論として存在しないとしかいえない。
そのとき、電話が鳴った。