「あ、あのクソ女ぁー!」
落ちる、落ちる、落ちる。
真っ暗な縦穴の中を緋乃は一人、勢いよく落下していく。自分をこの縦穴に叩き込んだ、ベアトリスへの雑言を叫びながら。
「次に会ったら覚えてろ……! 絶対にぃ……絶対に、ぶち殺してやるんだからー!」
緋乃の頭に思い浮かぶのは、ベアトリスとの一瞬のやり取り。
この穴に落とされる直前に行われた、短くも激しい攻防だ。
『交渉決裂っすね! んじゃお姫様はともかく、お供の二人はいらないんで! サヨナラっすー!』
ベアトリスが降伏勧告をしてきたあの後、当然のごとくその要求を断った緋乃たちに、ミリアムとかいう戦闘員が、手持ちのレールガンを撃ち込んできたのを開戦の合図として。
『甘いっ!』
緋乃は飛来するその弾丸の射線上に割り込むと、雑にその側面へ拳を叩き込む。
そうして緋乃によって弾かれた弾丸は、通路の壁面に斜めの角度から激突。強化コンクリート製の壁を盛大にぶち抜き、大量の瓦礫や土塊が宙を舞い。
『そちらが、でしょう?』
瓦礫が舞い散る中、緋乃がレールガンへの対処を余儀なくされた隙を突き。
突如としてベアトリスが緋乃の前方へ現れたかと思えば、そのまま大きく踏み込みつつ、右の貫手を緋乃の喉元目掛けて繰り出してきた。
『──ッ!』
迫りくる貫手を前に、緋乃は息を飲みながらも考える。
彼我の体勢、そして速度を考慮すると、回避は不可能。いや、正確には可能ではあるものの、動きが次に続かないというべきか。
無理矢理に回避したところで、体勢が大きく崩れてしまい。ベアトリスが続けて放ってくるであろう攻撃に、対処しきれなくなる未来が目に見えている。
──ならば、ここで自分が取るべき手段は。
『ふぐうっ!』
『ほう? これを防ぎますか』
緋乃が咄嗟に突き出した左手に、ベアトリスの貫手が突き刺さり。その指が緋乃の手の平を貫通して、手の甲から
硬質化させた手に、これでもかとばかりに気を集中させてガチガチに仕上げた、最上級の防御。単純な防御力においては、緋乃の用意できる中で最硬の一手。
その一手を以ってギリギリだったことに、緋乃は苦痛に耐える声を上げながら、驚愕の思いを抱いた。
『うぅ……』
なんとか致命打は避けたものの。左手から感じる予想外の痛みを受けて、緋乃の瞳に涙が滲む。
『おやおや? 泣いちゃいまし──』
その表情を見たベアトリスの口元に、ニンマリとした笑みが浮かび上がるが──その表情はすぐさま、驚愕と焦りによって上書きされる。
何故ならば、緋乃の股下を潜り抜けるよう放たれた尻尾の存在に、すんでのところで気付いたからだ。
『──っく!』
脳天を貫かんとするその一撃に気付いたベアトリスは、緋乃の掌から自身の右手を引き抜きながら、大慌てで身体を逸らし。数本の前髪を犠牲に、ギリギリのところで回避することに成功した。
『クソ、感情と動きがリンクしてない……!』
チグハグさすら感じる、緋乃の一連の行動に悪態を吐きながら。
ベアトリスは床に手を着き、後方に一回転する事で、崩れた体勢を立て直すと。そのまま背後に飛び退いて、緋乃から大きく距離を取る。
『避けないでよ、死んでよ! 痛いじゃないの!』
『よくも緋乃ちゃんの可愛いお手手を!』
そのように距離を取ったベアトリスに襲い掛かるのは、アンタレスによるフルオート射撃と、刹那の放つ風の刃の弾幕だ。
しかしベアトリスは、瞬間移動をも思わせる謎の高速移動を繰り返す事で、この弾幕の大半を回避。移動先を予測しての偏差射撃など、回避が不可能だった分に関しては、拳打で弾き飛ばすことで事なきを得る。
『やれやれ、この程度ですか?』
そうして全ての攻撃をやり過ごしたベアトリスは、緋乃たちの前方に着地すると。
余裕たっぷりな様子で前髪を払いながら、見下したような笑みと共に、煽り文句を口にした。
『小娘が、言ってくれるのう……!』
ベアトリスのその態度を見た刹那の額に、ピシリと青筋が浮かびあがり。
『ならば、直接刻むまでよ!』
『どうぞどうぞ。やれるものなら、ですが!』
ベアトリスの返事を聞くや否や、圧倒的なスピードでベアトリスとの距離を詰め。人外故の圧倒的な身体能力を武器に、一気呵成に攻め立てる。
『ええい、ちょこざいな!』
『温いですねぇ!』
左右の腕による、薙ぎ払いの連撃。
刹那が濃密な妖気を纏った五指を振い、ベアトリスを引き裂かんとすれば。ベアトリスは軽快な身のこなしでそれを回避、あるいは大量の気を纏わせた腕──それに加えて、コートの防御性能の合わせ技だろう──で完璧に防ぎ止める。
『くたばれぃ!』
『なんのこれしき!』
しかし、攻撃を防ぐために身体を動かせば、必ず別のどこかに隙が発生するというもの。
嵐のような爪撃に、ベアトリスが対処の一手を打つたびに。刹那はすかさず、正拳や手刀に蹴り、掴み投げといった別の技を繰り出すのだが──ベアトリスはこれらの攻撃にも、的確に対処してみせた。
『なるほど、なかなかやりますね。ですが──』
烈火の如く攻め立てる刹那であったが、しかしベアトリスは全く動じる様子を全く見せることなく。薄ら笑いを浮かべたまま、その猛攻を捌き切ると後方に大きく跳んで距離を取り。
『──ミリアム!』
『了解っすよー! ミリアム様にお任せあれー!』
ベアトリスが緋乃たちから離れたことで、誤射の危険が無くなったからだろう。ベアトリスの呼びかけを受け、ミリアムのレールガンが再び紫電を纏い。
それに合わせてベアトリスも──どこからともなく取り出した小型の剣を──大量に投げ放ってきた。
『くっ……! なんなのもう! どこにこれだけの剣を……!』
『ひぇ! す、すいません師匠! 足手纏いで……!』
『ええい……! あの大型の鉄砲、連射速度は遅いが──威力が洒落にならんぞ……!』
先ほどとは対照的に、今度は緋乃たちが弾幕への対処に追われることとなる。
いや、自身の身を守ればよかっただけのベアトリスに比べ、恭二というお荷物を抱えた緋乃たちの方が難易度は上だろうか。
恭二を庇うために、緋乃や刹那は防戦一方となり──それを好機と見たか、ベアトリスが大きく動いた。
『癪だけど──当初の予定通り、行くとしましょうか』
ベアトリスは床を蹴って、天井付近まで跳び上がると。今度は天井を蹴り、その勢いで緋乃目掛けて一気に加速。
『っらぁ!』
器用に空中で体を捻りながら、渾身の回し蹴りを繰り出してきた。
『そんな見え見えの攻撃!』
当然の如く、そんな不意を打ったわけでも、隙を突いたわけでも無い、大ぶりな単発攻撃が緋乃に通用するわけがない。
(ははーん。さてはこの女、わたしの数少ない弱点を──軽量級故の吹っ飛び率の高さを突くつもりだね?)
緋乃は腰を落としてどっしりとした体勢を取ると、全身に気を巡らせながらベアトリスを待ち構える。
(でもおあいにく様。その弱点は既に克服済み! 防いで掴んで動きを止めて、確実に仕止めてやる!)
これはベアトリスの攻撃を受け止めると同時に、尻尾で串刺しにしてやろうという、カウンター狙いの構えだったのだが──。
『──ほわっ!?』
いざベアトリスの蹴りを受け止めんというその直前。緋乃の立つ床が、突如として左右に開いた。
床の動きに足を取られた緋乃は、自身の真下にぽっかりと空いた大穴を見ながら、間抜けな声を上げる羽目となってしまう。
『えっ、ちょっ!? やだっ! 待って、タンマ!』
持ち前のバランス感覚に加えて、咄嗟に重力を反転・増幅させる事で、落下及び体勢の崩壊だけは防いだものの。
しかし、そのように反射的に発動した異能に、ベアトリスの大技を受け止めるだけの出力があるわけもなく。
『堕ちろぉ!』
『キャアアァァーッ!?』
哀れにも、緋乃はベアトリスの蹴りによって、その穴へと叩き込まれたのであった──。
「今考えると、あれは失敗だったな……。カウンターで確実に仕留めようとか思わずに、さっさと超重力で撃墜すべきだったね……」
回想を終えた緋乃は、異能を発動して落下の勢いを完全に殺すと、その場に浮遊しながら先の戦いについての一人反省会を行っていた。
あのベアトリスとかいう女の超高速移動が、こっちの意識の隙を突くようなカラクリのある、ただの移動技なのか。それとも見た目の通りに、本当に転移系統の技や、あるいは結社の開発した新装備なのか。
そちらへの対処に意識を取られ過ぎて、異能の発動タイミングを逃していたのは明らかだからだ。
(それに
あとはまあ、新しいオモチャに夢中になりすぎていた事もそうだろうと、緋乃は右手に握るアンタレスに目をやりながら苦笑する。
(
動きや発する気配を見ればわかる。
銃や爆弾のような、子供騙しの玩具が通用する相手なんかでは、断じて無いのだ。
なのに、新しいオモチャを得て舞い上がった自分は、当たりもしない銃を撃ち続け。その結果がこれなのだ。
(いやでも、恭二さんの護衛もあったから、やっぱりあの場は
そうして反省を終えた緋乃は、右手に持っていたアンタレスを腰裏のホルダーにマウントすると、閉じてしまった天井を見上げながら口を開く。
「天井ぶち破って戻る──ってのは無理そうだし……降りるしかないのかなぁ」
照明が無いので真っ暗で見えないが、このまま天井を破壊すれば、きっとあの通路に戻れるはず。
そう思い、天井に向けて尻尾を繰り出してみたまでは良いものの。
「んー、硬い。どんな金属使ってんだか。……それにここまで分厚いと、気を浸透させて爆破ってのも、上手くいかないか」
天井の強度そのものが非常に高い上に、あまりにも分厚すぎたのだ。
緋乃が掘り進むことや爆破することを、非効率極まりないと諦めてしまう程度には。
「まあ、いっか。恭二さんのお守りをしなくてもよくなったから、行けるでしょ!」
それからしばらくの間、緋乃はこれからどう動くべきかを考えていたのだが。
敵地でうんうん悩んでいても仕方ない。この場においては、時間は自分の味方ではないのだから、さっさと動くべきだろう。それに自分一人なら、どうとでもなるはずだ、という結論に至り。
自身を鼓舞するためにも、努めて明るい声を出し──異能の発動を止め、穴の底に向けて自由落下を開始する。
(さぁーて、鬼が出るか蛇が出るか。さっきのベアトリスとかいう女レベルのが、徒党を組んで来たら流石に不味いけど……まあ、流石にあんなのが大量にいるってことは無いハズ! ……無いよね?)
内心に一抹の不安を抱えつつも、緋乃は長い縦穴を落ちていき。自由落下を開始してから、数秒後。
「お、終点……。ってうわぁ……」
真っ暗な縦穴の終わりと同時に緋乃の目に入ってきたのは、真っ白な照明で内部を照らされた、ドーム状の広大な空間だった。
緋乃たちの通う中学校の、体育館にも匹敵する広さを持つ、その巨大な一室の天井部分に空いた穴。緋乃の落下してきた縦穴は、そこに繋がっていたのだ。
「なんか面倒臭そうな場所……。やっぱり、無理してでも戻るべきだったかな?」
緋乃は心の底からうんざりした声を上げつつ、その二本の足で、巨大な部屋の床に降り立った。
そうして、部屋に下りてきた緋乃を出迎えたのは。
「ようこそ。ユグドラシル日本本部が誇る、地下練兵場へ。……まさか、こんなところで顔を合わせる羽目になるとはな」
丸坊主の頭に黒いサングラスを着用した、いかつい男。
かつて緋乃が出会った時とは違い、結社製の黒いバトルスーツ──ベアトリスが着用していたような、時折青い光がラインのように走るものだ──とアーマーに身を包んでいるが、間違いない。見間違えるわけがない。
「よう。久しぶりだな、お嬢ちゃん」
黒門会ことユグドラシルに雇われていた凶手・金龍。
緋乃とかつて、廃デパートで拳を合わせた男が、部下と思わしき男たち数人と──人型の二足歩行ロボットを引き連れて、そこに立っていた。